自分が傷つくことよりも、誰かを傷つけることの方が辛い
そこから先の一ヶ月は、実に穏やかなものだった。最初のうちこそ微妙にギクシャクして見えたマオとユートも、三日もすればいつもと変わらない態度に戻っていた。
勿論、本当に元の状態に戻れたのかはわからない。何やら二人で話をしていたようだが……それを追求するのは無粋だろう。あの二人の関係はあの二人だけのもので、その心にまで踏み込むのは下衆の勘繰りだ。
ならばこそ、俺達は年長者として、ただ普通に接してやればいい。冒険をして、鍛錬をして……あっという間に時は過ぎ去り、そして予定していた別れの時もまた、あっという間にやってきた。
「ここまでだ。強くなったなぁ、ユート」
「ありがとうございます、エドさん!」
最後の剣の訓練を終え、褒める俺に息を弾ませたユートがそう言って頭を下げる。実際ユートは強くなり、鍛錬をサボって酒を飲んでるような一般冒険者なら普通に倒せるくらいにはなった。一二歳……もう少しで一三歳になるらしいが……という歳を考えれば、圧倒的とすら言えるほどの実力だ。
無論、勇者として考えるなら論外ではあるが……それはつまり、世界がそんな力を必要としていないということでもある。
「お疲れ様じゃ、ユート。ほれ、これで汗を拭くのじゃ!」
「ありがとうマオちゃん……これは僕が自分で洗うからね?」
「むーっ! まだそういうことを言うのか!? 泣くぞ!? 妾だって普通に泣くんじゃからな!?」
「ははは、ごめんごめん」
じゃれ合うマオとユートの姿を見て、一体誰が世界を滅ぼす魔王とそれを討つ使命を帯びた勇者だと思うだろうか? 勿論少し前の聖光教団のように、肩書きだけで決めつける奴はいるんだろうが、それはもうどうしようもない。ここから先はこの世界を生きる者達が、どんな未来を選ぶか、だ。
「さて、それじゃユート。約束通り俺達は明日には旅立つから、頼むな?」
「はい、わかりました。名残惜しいですけど、ずっとお世話になり続けるわけにはいかないですもんね」
「まあな。つっても、お前達なら平気だろ」
「そうね。ユート君もマオちゃんも、随分立派になったもの。今の二人なら、何の心配もいらないわ」
「はは、ありがとうございます。お二人の期待に応えられるよう、頑張ります! ね、マオちゃん?」
「……そう、じゃな」
俺達は勿論、ユートも別れには慣れているというか、そもそも最初から別れるつもりで臨時のパーティを組んだのだから、俺達がいなくなることに大きな衝撃を受けたりはしていない。多少は寂しく思ってくれるだろうが、それだけだ。
対してマオの方は、今ひとつ元気がない。どうしたものかと考えていると、マオの方から動きがあった。
「のう、ユート。妾は兄様と話があるのじゃ。すまんが先に宿に戻っていてくれるか?」
「え? いいけど……僕、話が終わるまで待ってるよ?」
「悪いが、あまりユートに聞かれたい話ではないのじゃ。それともユートは、また乙女の秘密を探るつもりなのか?」
「ヒエッ!? わ、わかったよ」
「それなら、私がユート君を送っていくわね。エド、マオちゃん。また後で」
トラウマを抉られたのか一瞬顔面を蒼白にしたユートを、ティアが連れてこの場を去って行く。そうして残った俺は、思い詰めた表情を浮かべるマオに改めて声をかけた。
「で、話ってのは何だ?」
「うむ。兄様……いや、主様に、頼みがあるのじゃ」
「……何だ?」
兄妹ごっこは終わりだと言外に告げてきたマオ……魔王に、俺も真面目な顔でもう一度問う。するとマオは何度か口を開いては閉じるのを繰り返し、一分ほどかけて次の言葉を捻り出した。
「その……妾を、主様の中に戻して欲しいのじゃ」
「……は? お前、自分が何を言ってるのかわかってんのか?」
「わかっておる。わかっておるから、そう頼んでおるのじゃ!」
泣きそうな顔で駄々をこねるように足を踏みならし、イヤイヤと首を横に振りながらマオが言う。ここまで全身で拒絶を示しているのに、その要求はあまりにもちぐはぐだ。
「無論、妾とて本意ではない! ないが……そうするしかないのじゃ」
「何でだ? 確かにお前を普通の人にするのは無理っぽいけど、でもユートと一緒なら、変に暴走したりすることもないと思うぞ?」
マオが人間の姿を取っていられるのは、どうやら魔王としての権能らしい。なので元から人型だった他の魔王の時と違い、マオから力を回収してしまうと「人の心を持った魔獣」になってしまう可能性が割とある。
となれば、危ない橋は渡れない。力の回収漏れなんて正直今更なので、マオはこのままでもいいと判断したんだが……どうやらマオ本人は違うようだ。
「確かに、ユートと一緒ならば、妾は安定しておるのじゃろう。じゃが先日、あのナントカという教団に捕まって、思い知らされた。やはり妾の本質は魔王で……何かきっかけがあれば、この力は容易く世界を蹂躙してしまうのじゃと。
もしそうなったら、どうする? ユートに妾を殺させるのか? 妾としてはそれも本望であるが、ユートは違うであろう? 妾を殺す責を、ユートに背負わせたいなどとは微塵も思えぬ。それに……」
そこで一旦言葉を切ると、マオが力無く項垂れた。地面にはポタポタと水滴が落ちて、その肩が年相応の少女のように弱々しく震える。
「人の心は移ろうものじゃ。妾が永遠にユートを好きでいるとは限らぬし、そもそもユートが妾をどう思っているのかもわからぬ。今はよくしてくれているが、心の底ではやはり妾を恐れているかも知れんし……そうでなくてもちょっとしたきっかけや些細な喧嘩などで別れることもあるじゃろう。
それはいい。それは仕方ない。じゃがそうなった先で妾が妾でなくなったなら……破滅の衝動に取り憑かれた妾が、ユート自身やユートの大切なものを壊してしまったら、妾はどうすればいい!?
怖い! 怖いのじゃ! 己の生き方さえ変えてしまう恋心がなくなった時、妾は一体どうなる!? ユートのいるこの世界を駄目にしてしまうくらいなら……妾は今すぐここから消えた方がよいのじゃ……………………」
「マオ…………」
あの日、俺はスネイル司祭に「過ちを犯す可能性のあるものを排除するのではなく、過ちを犯さないように教え導くことが大事だ」と伝えた。だがそれは導く側の話であり、導かれる側であるマオには通じない。
そして魔王であるマオを真に導けるのは、きっと勇者であるユートだけだ。が、一二歳の子供の肩に乗せるには世界の命運はあまりに重く……だからこそマオは、自分が消えることで可能性そのものを消したいのだろう。
どうする? マオの願いを叶えるのは簡単だ。だが惚れた男に迷惑をかけたくないと泣いている少女の未来を終わらせる? そんな糞みたいな結末で満足する腰抜けなら、俺はこんなところに立っていない。
ならマオを人間にする賭けに出るか? 正直勝率は六割もない。どっちが酒を奢るかを賭けるなら悪くないが、命を……心を賭けるギャンブルで半々よりマシなんて慰めにもならない。
どうする? どうする? 何を選んで何を決める? 俺にとって、マオにとって、ユートにとって、この世界にとって。俺のなし得る手段のなかで、一体どれが最善だ?
「――エドさんを、僕のパーティから追放します!」
「なっ!?」
ピコンッ!
『条件達成を確認しました。帰還まで残り一〇分です』
深く考えこむ俺の耳に、不意にこの場にいないはずの少年の声が届き……抑揚のない冷たい声が、俺がこの世界にいられる時間を無情にも告げてきた。




