何もないというのは、無上の幸福でもある
そうして賑やかな昼食を終えると、子供達は早速仕事に戻っていった。まあ仕事と言っても、しばらくは羊達の食事を見守るだけだ。外部から羊を狙うゴブリンやらがやってこないかを警戒する必要はあるが、こんな見通しのいい場所で接近する敵に気づかない方が難しい。
つまるところ、実質的には食休みである。のんびりと草を食む羊と戯れる二人から少し離れたところで、俺とティアは草地に腰を下ろしてボーッとその様子を眺めている。
「何だか平和な光景ね」
「そうだな……はは、また囓られてら」
マオがまたさっきの羊にスカートの裾を咥えられている光景に、俺は思わず笑い声を零した。だが当の本人にとっては笑い事ではないらしく、またも必死に羊の口を離そうと頑張っている。
「もーっ! 何でお主はここに来てまで妾のスカートをハモハモするのじゃ!? どうせ食べるなら他の奴らと同じく、その辺の草を食えばよいではないか!」
「ホント、何でなんだろうね? マオちゃんのスカートから美味しそうな匂いがする、とか?」
「わ、妾のスカートから!? 何という変態羊なのじゃ! あっ、やめ!? それ以上引っ張ったら見え――」
「っ!?」
裾を咥えた羊にグイグイと引っ張られ、マオのスカートが若干捲れ上がる。それを目にした瞬間、ユートが顔を赤くしてパッと視線を逸らした。
「ユート、お主ひょっとして、見たのか?」
「み、見てないよ! 何も見てないから!」
「嘘じゃ! 顔を逸らすということは、つまり見たということじゃろう! ああ、何ということじゃ。これはユートに責任をとってもらわねば……」
「責任って!? そんな短いスカートを履いてるマオちゃんが悪いんじゃないか!」
「なんじゃとー!? スカートが短いのは妾のお洒落のためであって、羊にめくらせるためではないんじゃぞ! それをユートは嫌らしい目で……いや、まあ、ユートが見たいというのであれば、ユートにだけは見せてやってもいいんじゃが……」
「見たくないよ! そんなの全然見たくないから!」
「全然……くすん、妾はそんなに魅力がないかのぅ」
「へっ!? いや、別に、そんなことはないと思うけど……」
「なら、魅力的かえ?」
「うっ、ぐぅぅぅぅ……」
「メヒェー!」
「くわっ!? ええい、お主には聞いておらんのじゃ! やめるのじゃー!」
「……マジで何やってんだアイツは?」
「あれが勇者と魔王だって言うんだから、世の中って不思議よねぇ」
呆れた声を出す俺の隣で、ティアがしみじみとそう呟く。確かに魔王が暴れ回っているような世界の住人がこれを知ったら、「ふざけるな!」と怒鳴り声をあげたくなることだろう。
「そう言えば、ユート君って今どのくらい強くなったの?」
「んー? そうだな。まあ新人冒険者くらい、か?」
「…………それって強いの? いえ、強くないわよね?」
「まあ、世間的な評価で言うなら強くはねーな」
一二歳という年齢を考えれば、三歳年上の相手に匹敵する強さというのは十分に凄い。が、逆に言えばその程度だ。少なくともエルエアースの時のようにあっという間にとんでもない強さに……という感じではない。
というか、そもそもユートの持つ才能は、そこまで突出したものではない。俺が追放スキル「七光りの眼鏡」で確認した感じだと、頑張れば一流に何とか手が届くかも? くらいだと思われる。
「ま、勇者って言ってもみんなが強いわけじゃねーからなぁ。後は多分、マオが暴れてねーからってのが大きいんじゃねーかな」
「そうなの?」
「ああ。だってほら、ユートは十分にマオを押さえ込めてるだろ?」
「まあ、うん……そうね」
勇者とは、異物である魔王を排除するために世界が生み出す存在だ。だが魔王が必ずしも力に頼るわけではないように、勇者もまた戦闘に長けた者ばかりではないことは、今まで渡り歩いてきた世界が証明してくれている。
「多分だけど、マオは強い。本気で暴れ始めたら、俺やティアが真面目に戦わなきゃならねーくらいには強いと思う。
でも、マオはあんなだろ? だからきっと、世界も忖度したんだろ。世界に仇為す魔王を多大な力でねじ伏せる勇者じゃなく、人に興味を持った魔王を人の心で優しく包み込めるような勇者を選んだんじゃねーかな?」
「へー。もしそうだったら……何だか素敵ね」
「ああ、戦わないって選択肢があるのはいいことだ……ふわぁ」
あまりにも平和な光景に、俺は思わず大きなあくびをしてしまった。少し離れたところからは乙女の尊厳がどうこうと叫ぶマオの声が聞こえてくるが、命じゃないなら安いものなので気にしない。
「あら、エドったらおねむなの? なら、はい」
が、ポンポンと自分の膝を叩くティアのお招きの方は気にせずにはいられない。だが、ぐぐぐ……
「い、いや、一応今は仕事中だし……」
「え? 私達は仕事を受けてないんでしょ? 単にマオちゃんやユート君を見守ってるだけの一般人なんだから、お昼寝くらいしてもいいんじゃない?」
「それは……で、でも……」
「それに、この依頼って本来はあの二人だけで受けるものなんでしょ? そもそもいない人員なんだから、片方が寝るくらい何でも無いわよ」
「しかし……」
「……何? 何か寝たくない理由があるの?」
「……………………ちょ、ちょっとだけ恥ずかしい気がする」
マオとユートのやりとりを見て、ひょっとして俺とティアもあんな感じなのだろうかと頭をよぎってしまった瞬間、俺の中になんとも言えない羞恥心が芽生えた。が、そうしてそっと視線を逸らした俺の頭を、ティアが嬉々として自分の腕に抱え込む。
「えいっ!」
「ひょわっ!?」
そのまま強引に膝の上に乗せられ、前屈みになったティアの顔が俺の顔に近づいてくる。肉付きが薄いティアの太ももは正直枕にするにはやや固めなのだが、そんなことを考える余裕はもうない。
「何すんだよティア!?」
「フフフ、エドにそんな顔をされたら、悪戯しないわけにいかないじゃない! ほーら、よしよし。エドちゃんはおねむですねー」
「お前なぁ……」
両手で優しく頭を挟まれ、軽く指先でもみほぐしてくる。あ、これはちょっと気持ちいい。しかも前屈みになって体に包まれるような体勢になったせいか、ティアから漂ってくる草っぽい匂いが俺の頭を包み込み、ざわめく心が強制的に安らがさせられてしまう。
「エドはいつも難しいことを考えて頑張ってるんだから、たまにはいいでしょ? 私が精霊魔法でしっかり見ておくから、ね?」
「……ハァ、わかったよ」
顔も目も声も態度も、何もかもが慈しみに満ちたティアに抵抗するのは無謀にして無意味だ。俺は小さく笑って目を閉じると、すぐにその意識が沈んでいく。
「おやすみなさい、エド」
最後に聞こえたその囁きは、実在しない母の声より、ずっとずっと優しかった。
なお、俺が目を覚ますと空は既に赤く染まり始めており、俺の顔のすぐ上には安らかな寝息を立てるティアの顔があった。しかもすぐ側ではマオとユートも背中をくっつけ合わせながら眠っており、俺は大慌てで羊を集めてから全員を叩き起こし、依頼主のところまで一目散に戻る羽目になる。
ティアの精霊魔法のおかげで羊が襲われたりいなくなったりすることはなかったので、依頼そのものは成功に終わったのだが、マオ達に説教しようにも「そもそも兄様があんなに気持ちよさそうに寝ているのが悪いのじゃ!」と言われれば強く反論もできず……最後に報告したアルマさんに「何やってるんですか」と呆れられることになるのだが、それはまた別の話である。




