人の形を保つ何よりの条件は、人の分を超えないことである
明日は遂に本作の発売となります! どうぞ応援よろしくお願い致します。
「ほう! これはなかなかよい部屋ではないか!」
適当にとった宿の一室。俺が借りた部屋の扉をあけると、俺の脇をすり抜けてマオが一番に駆け込んでいく。そのままベッドの上に飛び乗ると……何故か微妙に不満そうな顔をした。
「むぅ? 何じゃ? 思ったより弾まぬぞ?」
「いや、一流の高級宿ってわけじゃねーんだから、そんなもんだろ」
「そうなのか? うぅ、ベッドというのはもっとこう、ボヨンボヨンと弾むくらいに柔らかいものだと思っていたのだが……」
「思っていたって、マオちゃん、今までベッドで寝たことはなかったの?」
「フッ、当たり前じゃ! 妾は魔王じゃぞ!? 魔王が宿になど泊まれるわけないではないか!」
ドヤ顔でベッドの上でふんぞり返るマオに、しかしティアが若干気の毒そうな表情を浮かべる。
「ねえエド、私次はちょっといい宿に泊まりたいかなって思うんだけど……どう?」
「別に構わねーけど……その辺の判断も含めて、まずはこいつの話を聞いてみてからでいいだろ。ってことで頼む。軽めでいいぞ」
「わかったわ」
俺の頼みにティアが小声で詠唱を初め、程なくして部屋の周囲に弱い風の結界が張り巡らされる。あくまで中の音が聞こえづらくなるだけで完全に遮断するわけではないが、そこまで重要な話をするつもりもないので、むしろこのくらいの方が都合がいい。
「いいわよエド」
「おう、ありがとう。じゃあマオ、お前の話を聞かせてくれるか?」
「なあ主殿、人にものを頼むのであれば、相応の対価というものが必要だとは思わぬか?」
「む? 何だ? 金でも払えってのか?」
「違うのじゃ! 話をするのじゃから、お茶とお菓子くらいは出すべきじゃと言っておるのじゃ! 何かこう、甘くて美味しいものが食べたいのじゃー!」
「お前はガキか!? いや、見た目は完全に子供だけどさぁ」
「フフッ、いいじゃないエド。じゃ、今用意するわね」
呆れる俺をそのままに、小さく笑ったティアがお茶を入れてくれる。その間に俺は「彷徨い人の宝物庫」からご所望の甘い焼き菓子を取りだして、テーブルの上に並べた。
「ほら、これでいいか?」
「…………な、なあ主殿? いくら何でもこれは、小さすぎないか?」
ニヤリと笑う俺の前で、マオが戸惑いを露わにする。何せ俺が取りだしたのは、妖精からもらった焼き菓子……に触発された職人が作った焼き菓子だ。記念にとってある元の焼き菓子は流石にもう食べられないだろうが、前の世界で出会った菓子職人にちょっとしたきっかけでそれを見せたところ、対抗意識を燃やしてこれを作ってくれたのだ。
無論人の手によるものなので元の菓子ほど小さくはなく、精々親指の爪くらいの大きさだが、鮮やかな色合いとバターの香る風味はとても美味であり、小さいながらも確かな満足感を与えてくれる逸品である。
「フフフ、わかってねーなぁ。最高級の菓子ってのはこういうもんなんだぞ?」
「そ、そうなのか!? いや、しかしこれは…………」
「何だよ、文句があるなら片付けるぞ?」
「文句などないのじゃ! ないが……うわ、何じゃこれ、滅茶苦茶美味いぞ!? ああ、でも、一口ですらないのじゃ……」
「もーっ! エドったら意地悪して! はい、こっちもどーぞ」
口をモニュモニュさせながらしょんぼりしているマオを見て、ティアが俺に怒りながら「共有財産」を開いて別の焼き菓子を取り出す。そっちは普通のサイズであり、パッと表情を輝かせたマオが嬉しそうに齧り付いた。
「おお! 今度のはでっかいのじゃ! 甘くてサクサクなのじゃー!」
「あんまり甘やかすなよティア。これでもこいつは魔王なんだぞ?」
「でも、魔王だからって悪人ってわけじゃないでしょ? それじゃマオちゃん、そろそろ貴方のことを教えてもらってもいいかしら?」
「うむん? そうじゃなぁ……」
どうやらお子様の口には、小さな最高級品より食いでのある普通の菓子の方が合うらしい。あっという間にペロリと三つほど焼き菓子を平らげると、マオが湯気の立つ紅茶を口にしながら思案顔になる。
「話すのは別にいいのじゃが、正直話せることはそれほどないのじゃ。何せ妾は、ふと気づいたら森の中におったからのぅ。おそらくそれまでは獣のような暮らしをしていたと思うんじゃが、その辺は記憶にもやがかかったようで、今ひとつはっきりせんのじゃ」
「ふーん。魔王ってみんなそんな感じなのかしら?」
「どうだろうな? 俺もその辺はよくわかんねーし」
我が事ながら、魔王の存在には謎が多い。自我を保たない力の欠片として異世界に落とされたのは間違いないと思うんだが、すぐに自我を確立する者もいれば、何千年と世界に君臨しようとも知性を持たない者もいる。
一体何がそれを分けているのか? どうすると変わるのか? それは俺にも……そしておそらくは神にだってわからないことなのだろう。わかってりゃ全部纏めて無力化されてるだろうしな。
「ま、それはよいのじゃ。とにかく妾は妾として目覚め、目覚めたからには何かこう、魔王っぽいことをしようと思ったんじゃが……のう主殿。魔王っぽいことと言われて最初に思い浮かぶのは、なんじゃと思う?」
「ん? 魔王っぽいこと……世界征服とかか?」
「そうじゃな。妾もそう思った。思ったんじゃが……それってとてつもなく面倒臭いじゃろう?」
「あー、だろうなぁ」
悪事の定番と言えば世界征服だが、現実的に世界征服を目指すとなれば、その労力は計り知れない。たかだか一〇〇人程度の小さな村の村長だって村の運営に悩むのだ。それが世界全てとなったら、俺なら土下座で懇願されてもお断りである。
「なんでまあ、もうちょっと現実的なところとして『世界の滅亡』なども考えてみたんじゃが……妾が一人で、世界の端っこから少しずつ壊していくとか、あまりにも地味すぎる。どんな拷問じゃ! 絶対やりたくないわ!」
「お、おぅ。そうだな」
甘味の魔王の世界で俺はその「世界の滅亡」をやったことがあるわけだが、境界に剣を刺していくのはひたすらに地味な単純作業だった。最後に残った僅かな土地だけだからそれでもなんとかなったが、もし本来の世界で同じ事をやれと言われたら、こっちもやはりお断りである。
「悪い魔王っていうのも、それはそれで大変なのね……」
「考えてみると、そうらしいな。ってか、そうか。だからそういう『魔王の使命』みたいなのに忠実であればあるほど、魔王は自我に目覚めずに強大な魔獣とか、いっそ自然現象みたいになっちまうのかもなぁ」
俺の脳裏に浮かんできたのは、レベッカの世界の六割だか七割だかを自分の支配下に置いた霧の魔王の存在。何千年だか何万年だかかけてゆっくりと世界を飲み込んでいくなんて、そりゃ人のような自意識があったらとてもじゃないがやってられないだろう。
絶対途中で飽きる……というか、ぶっちゃけ発狂してしまいそうだ。いや、それ以前に自己が保てなくなり霧散する? どっちが先かはともかく、結果は同じところに収束するって感じか。
「ということは、マオちゃんがマオちゃんになったのは、不真面目だったから?」
「それは……可能性の一つとしては?」
「むぅ、何か酷いことを言われてる気がするのじゃ! まあとにかく、世界征服も世界の滅亡も妾には今ひとつピンとこなかった。とはいえ妾も魔王じゃし? ならせめて勇者くらいは倒しておこうかなーと思ったんじゃが……そこで妾は、運命の相手と出会ってしまったのじゃ!」
クピリと紅茶を飲み干したマオが、テーブルの上にカップを置く。そうして自由になった手を胸の前で組み合わせると、瞳の中に星を浮かべてうっとりと空を……まあ天井だが……見上げて言った。




