手を伸ばしても届かないものほど、諦めると目の前に降ってくる
新年明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願い致します。
甘いものが食べたいけれど、顔が怖いので人里に近寄れない。言ってしまえばそれだけで、何ならどこぞの田舎で笑い話にでもなってそうな内容ではあるが、魔王本人にしてみれば重大な問題らしい。その表情は深刻なまま、続きの言葉を口にしていく。
「甘いものを食べたいという欲求は、日に日に強くなっていった。焦がれる想いは渇望へと変じ、少しでも甘さがあるのであれば花だろうが樹木だろうが、なんであってもむさぼり食った。
ただ、どういうわけか『ならば持っている者から奪おう』という発想だけは浮かばなかった。もしそう思っていたならば、俺はもっと簡単に満たされ……そして多くのものを失っていたことだろう」
「そうだな……なるほど、そこがお前の分岐点か」
どうしてそうなったのかはわからねーが、もし目の前の魔王がそっちの道を進んでいたなら、きっと俺は「甘味の魔王」を討伐する方向で動いていただろう。そんな理由で日々を脅かされるこの世界の住人からすればたまったものじゃないだろうが――
「そうかしら? 甘いものを差し出すだけで大人しくなる魔王なら、むしろ凶暴な魔獣とかよりよっぽど扱いやすいんじゃない?」
「…………そうだな?」
小首を傾げて言うティアに、俺の手のひらが秒でひっくり返った。確かに甘いものを食わせておけば大人しいなら、下手な魔獣よりよっぽど対処が楽だ。何なら甘いものを交渉材料にして、思い通りに動かすことすらできるかも知れない。
「はは、俺が選ばなかった未来でどうなっていたかは、俺にもわからん。もし奪うことを覚えてしまえば、際限なく要求して奪い尽くしていたかも知れんしな。
が、とにかく俺は一人で甘いものを求め続けた。食いたくて食いたくてたまらなくて、気が狂うほどに追い詰められ……その時、俺は一つの力に目覚めた。それがこれだ」
そう言うと、魔王が手のひらを上にして右手を伸ばす。するとその手の上に、長方形の茶色い何かがニュルリと出現した。
「え、何それ?」
「すぐにわかる……おーい、そこのお前!」
「マオー、なにー?」
呼ばれて近寄ってきた妖精に、魔王はそのまま右手を伸ばす。
「これをやろう」
「いいの!? わーい!」
「えっ!?」
戸惑う俺の前で、妖精は魔王の手から出現したそれを掴み、嬉しそうにかぶりつく。自分の顔ほどの大きさのある茶色い物体を口周りをベチョベチョにしながら食べ尽くすと、可愛い見た目とは裏腹になかなか豪快なゲップをする。
「げふー、甘ーい! ありがと、マオー!」
「どういたしまして……ということで、俺は自分の手から甘いものが出せるようになったんだ。おそらくこれが、俺の魔王としての力なのだと思う。心からの願いに力が応えてくれたのだろうな」
「へ、へぇ……それは……いい具合だな?」
「なら、その問題はもう終わり? 自分で出せるなら、好きなときに好きなだけ食べられるものね」
「いや、そうはならなかった……お前達も食べてみろ」
「えぇ? いや、それはちょっと……」
「いいの? じゃ、いただきます」
さっきからずっとどんな顔をしていいかわからない俺の横で、ティアが平然と魔王の手のひらから茶色い物体をつまみ上げ、口に入れた。その躊躇のなさは、呆れを通り越して尊敬の念すら覚える。
「ティア、お前スゲーなぁ……」
「さっき紫色のスープを飲んだから、ちょっと思い切りがよくなってるのかも。それに妖精が普通に食べてたし……でも、あれ? 何か思ったより甘くない感じ……?」
「そうなのか?」
「うん。エドも食べてみたらわかるわよ」
「お、おぅ……じゃ、まあ……」
ティアが食っているのに、俺が食わないわけにはいかない。魔王の手から新たに生み出された茶色い物体をつまみ上げ、柔らかくべとつく何かを意を決して口に入れる。が……
「…………何だこれ? 何の味もしねーぞ?」
「それが答えだ。俺は確かに甘いものを出す力を得た。だが俺の出した甘いものは、俺自身には何の味も感じられなかったのだ」
「えぇ……?」
もはや理解が追いつかず、俺は本日何度目かの間抜けな声をあげてしまう。甘いものを出す力ってのも大概だと思うんだが、自分だけその甘みを感じないって……ん? じゃあ何で俺も……?
「あー、ひょっとして魔王だと甘く感じないとか、そういうのか?」
「より正確には、俺の魔力で生み出された物体を俺が食っても、それは出した力が戻ってくるだけだ。なのでそこに差異が……味を感じる余地がないのだと思う。ティアが薄味に感じたのは、おそらくエドの魂……魔王の力が僅かながらにも混じっているからではないだろうか?」
「なるほど……」
「あれ? 自分だと甘いって感じないのに、どうやってこれが『甘い』ってわかったの?」
「そこは観察の結果だな。一体自分に何が起きたのかわからず『それ』を出し続けている時に、地面に落ちて放置していたものに蟻がたかっているのを見つけたのだ。
その後は他の虫や獣で試し、最後はこの顔でも交流の持てる亜人種に提供した結果、こいつが『甘い』とわかったのだ。
……ただ、わかっただけだ。俺は甘いものを無尽蔵に出せる。それを提供すれば喜ばれもする。が、俺が甘いものを食べられないという事実には変わりがない。代わりとして果物や蜂蜜などを差し出されることはあったが、それは元々俺が自力で手に入れられるものと同じだったしな。
俺は何故こんな力に目覚めたのか? 自分が何より欲しいものを誰にでも与えられるのに、自分だけが味わえないのはどうしてか? 悩みながら、俺は世界を旅した。
様々な場所を見て回り、様々な者と出会った。時には怪我をした人間を助けたりして、か細いながらも交流を持つこともあったが……その結果はいつも悪い方にばかり転がった。甘味は手に入らず、俺を擁護する者まで酷い目に遭い……五度助けて五度同じ結果に辿り着いた時、俺は人の前に姿を晒すことをやめた。
甘いものが食べたい。だがもう人とは関われない。そして人以外の種族で、天然の物以外の甘いものを食べている者はいない……渇望すらも枯れ果てた俺がそうして最後に辿り着いたのが、ここだった」
そこで一旦言葉を切ると、魔王が遠い目で周囲を見回す。つられて俺も見回せば、そこには好き勝手に遊ぶ妖精達の楽しげな姿と声がそこかしこにある。
「妖精は俺の姿を恐れなかったし、俺と交流することを咎めるものもいなかった。そして何より、俺の出したこの『甘いもの』を、とんでもなく喜んでくれた。まるで宝物のように扱われ、全身をベタベタにしながら美味しそうに食べる姿を見ると、自分で味わったわけではないのに、俺の中の渇望が少しだけ満たされる気がした。
だから、俺はここに腰を下ろした。俺には味わえぬものを味わう妖精達の姿を見ることで、穏やかな気持ちになれた。ならばこそ俺は魔王の力でこの地を、妖精達を守った。そんな俺に対し、妖精達は予想もしていなかった素晴らしい贈り物をしてくれた……」
「おーい、マオー!」
と、そこで魔王の語りに割り込むように、森の奥から一人の妖精が飛んできた。その顔の前には小さな泡が浮かんでおり、中には何か……何だろう? 小さすぎてよく見えないが、とにかく何か入っているっぽい。
「マオー、これあげるー!」
「おお、ありがとう!」
「いいよー! また甘いのちょうだーい!」
「いいとも。ほら」
魔王が左手でその泡を受け取ると、右手の上に茶色いそれを生み出す。妖精はそれを抱え込むと、今度は食べずに持って帰ってしまった。
「魔王さん、何をもらったの?」
「ふふふ……これだ」
魔王が指先で泡を突くと、パチンと弾けたなかからとんでもなく小さい、木くずか何かのようなものが一〇個ほど現れた。うーん? 何だこりゃ……?
「……え、これってまさか、焼き菓子!?」
「焼き菓子!? 嘘だろ、こんな小さいのが……って、そうか、妖精のサイズだと、これでも割とでかいのか?」
「そうだな。おそらく俺達の感覚では、手のひらくらいあるんじゃないだろうか?」
驚く俺とティアをそのままに、魔王がそっと焼き菓子を一枚つまみ、大事そうに口の中に入れる。咀嚼どころか舌に乗せるだけで溶けてしまいそうだが、魔王はそれをたっぷり一〇秒は味わってから、幸せそうなため息を吐いた。
「ああ、これだ。わかるかエド? これこそが甘味だ。最初から甘い果物や蜜などではない。誰かが『美味しく甘く在れ』と願って作ったものだ。
初めてこれを口にした時のことを、俺は生涯忘れない。ああ、甘い。本当に甘いな……」
ほんの少し力を入れるだけでも砕けてしまう、目をこらさなければ見えないような小さな焼き菓子。それを食べる魔王の厳つい顔は、まるで母に抱かれる子供のように幸せそうだった。




