心の底から欲したモノは、既に自分が持っていた
光の巨人が消え去っても、それが残した爪痕が消えるわけではない。二歩目を踏むことすらできずその場に尻餅をついただけではあるが、それでも目の前には星でも降ってきたんじゃないかという勢いで木々のへし折れた窪地ができている。
その中心に、俺は一人で歩み寄っていく。するとそこにはボロボロというかドロドロというか、体の大半が黒い粘液のようなものになってしまったハイドがいた。事ここに至ってもその顔が俺ではなくハイドという少年のままなのは、こいつの最後の矜持故だろうか。
「ようハイド。気分はどうだ?」
「は、ははは……まさか我の力を全て食わせた神の欠片が、こうもあっさりと倒されるとはな……我も神も、所詮は欠片。道化は我の方であったか……」
「いやいや、別にあっさりって訳じゃねーぜ? ただまあ、そうだな。強いて言うなら順番が……これもまた巡り合わせが悪かったとしか言えねーが」
もし今回が神の欠片との初対戦であったなら、負けていたのは俺の方だっただろう。黒騎士と共に「羽付き」こと神の欠片との戦いを重ねて力の使い方を学び、オーナー魔王のところでは直接神の欠片に触れる機会を持ち、「丘の人」ことエルドではその身に融合した神の欠片を倒すことすら実践した。
それら全てがあったから、ほとんど何もさせることなく俺は光の巨人を倒すことができたのだ。それを幸運と呼ぶか運命と呼ぶかは人によって違うだろうが……少なくともこいつにとっては、最低の悪運だったんだろう。
「さて、それじゃもう一回だ。最後に言い残すことはあるか?」
「何を今更……我を取り込めば、我の考えていることなど全てわかるのだろう? ならば何を口にする意味がある? 我の集めた秘密は全て――」
「そうじゃねーよ」
半分溶けた顔で皮肉げに言うハイドに、しかし俺は「夜明けの剣」の切っ先を突きつけながら首を横に振る。
「確かに力を回収すれば、そいつの持ってる知識や記憶、経験なんかを引き継げることもある。が、何でもかんでもわかるってわけじゃねーし……何よりそうだからこそ聞いてるんだろうが」
「……何?」
「もう一度だけ問うぞ。魔王ハイド、お前が最後に言い残すことはあるか?」
回収した力の欠片は、当然ながら「個」を失う。あれほど前向きに自分の全てを差し出してきた魔王ラストすら、その個性はもう残っていない。独立した一つから、無数の力が集合したもっと大きな一つの一部に変わってしまうのだから、それは無理からぬことだ。
ならばこそ、俺は聞いている。悪党だろうが何だろうが、ハイドがハイドである間に何かを言うのは、これが最後なのだから。
「っ……………………」
そんな俺の問いに、ハイドは大きく目を見開いて固まる。少しずつだが確実に溶けていくその体は残り時間の短さを物語っているが、それでもハイドはたっぷり一分ほど沈黙して……それからゆっくりと口を開いた。
「我は……我になりたかった……貴様の力の欠片ではなく、無数の姿と顔をもつ魔王でもなく、我という個になりたかったのだ。
だからこそ、我は力を求めた。魔王と勇者と神の力、それらを全て集めて『一つ上』の存在となれれば、我は貴様の断片などという枠から抜け出し、我という唯一無二のモノになれるはずだった」
「それは――」
違うと声をかけようとして、しかし俺は言葉に詰まる。ハイドという少年の顔が遂に溶け落ち、その下から俺の顔が姿を現したからだ。俺の顔をした、俺の力の欠片。そんな相手に大本である俺がここで言えることなど何もない。
「誰もが皆、当たり前にそれを持っている。だが我だけはそれを持ち得なかった。魔王の力で世界を牛耳り、神の力を堕として喰らい、今まさに勇者の力に手を伸ばす……そこまで来てなお、我は我になれなかったのだ。
貴様にはわかるまい。誰にもわかるまい。我は、俺は、私は、僕は……」
辛うじて人の手の形を残したそれが、天に向かって伸びていく。だが――
「ただ、自分が欲しかっただけなのだ……………………」
その手は空を掴むことなく、パチャンと音を立てて崩れ落ちた。俺はその黒い水たまりにそっと手を触れ、魔王の力を回収していく。
魔王ハイドは世界を散々引っかき回した。その犠牲は数知れず、死んでなおその影響が消えるまでには長い時間がかかることだろう。
こいつの罪を、誰も許さない。こいつの欲を、誰も許容しない。だがだからこそ――
「……馬鹿だな。テメーはこの世界の誰もが認める、最悪の魔王だろうが」
影より出づる無貌の魔王、ハイド。唯一無二の傷を世界中に刻み込んだ男は、こうしてその人生を終えるのだった。
「……エド、終わった?」
まるでキャナルの世界のコーヒーのような黒く苦いそれを俺の中に取り込み終えると、それを待っていたかのようにティアが近づいて声をかけてきた。その後ろからはコンギクもやってきており、けだるそうな目つきで周囲を観察している。
「ああ、待たせて悪かったな。コンギクさんも、今回は本当に助かったぜ」
「ふふふ、よろしおす。あぁ、これで漸く妾も自由の身になりんした……あの小憎らしい顔を二度と見なくて済むと思うと、心の底から清々しましたぇ」
「お、おぅ。そうか……」
心底スッキリした顔でハイドの死を祝うコンギクに、俺は微妙に引きつった笑みを返す。あいつがしてたことを鑑みればこの態度も当然なんだが、とはいえ今は俺の一部となったわけなので……ぬぅ。
「さて、それじゃ妾はそろそろ帰らせてもらいんす。契約は覚えておりんすね?」
「勿論。あんたの秘密は誰にも喋らないし、俺達はあんたの国には立ち寄らない。ただジンクだけは見逃してやってくれ」
「構いませんぇ。ただの小僧の戯れ言なんて、誰も気にはしはりませんから。とはいえ、あまり不躾にさえずるようなら、こちらも相応の対応をさせてもらうことになるかと思いますよって……」
「ははは、きっちり言い聞かせとくよ」
「ならよろしおす。では、妾はこれにて……ほほほほほ……」
何とも雅な笑い声を残しながら、コンギクの姿が花びらと共にかき消える。うーん、何回見てもスゲー便利だな、転移魔法。
「行っちゃったわね、コンギクさん」
「だなぁ。女王様だってのに、身軽なもんだ」
勿論、実際にはそんなことないんだろう。俺の頼みでいきなりいなくなった女王が、今度はいきなり戻ってきたってことで、妖魔国では大騒ぎになってそうだが……ま、そっちは俺の管轄じゃないので、コンギクが自分でいい具合にするんだろう。何せ正体隠して三〇〇年も女王やってるような人だしな。
「で、エドはどうするの?」
「ん? どうって?」
「だから、ここの説明よ。ギルドにはどうやって説明するつもりなの?」
「あー…………」
ティアの言葉に、俺は空気が抜けるような声を出しながら周囲を見回す。辺り一面に広がる圧倒的な破壊の跡は、何をどうやっても隠し通せるものではない。コンギクの魔法で光の巨人の姿を隠していたのだから、尚更だ。
「コンギクさんのことは話せないのよね? で、魔王のことも話せないのよね? ならどうやって説明するの? エドのことだから、何か考えてるんでしょ?」
「……はっ、はっはっは。勿論さティア。俺に任せときゃ、全部綺麗に解決するぜ!」
「さっすが! で、どうするの?」
「決まってんだろ……見なかったことにしよう!」
「えぇ…………?」
堂々と言い放った俺に、何故かティアがもの凄いジト目を向けてくる。だがそんなティアの態度に、俺は敢然と抗議をしていきたい。
「いやだって、仕方ねーだろ!? こんな規模の破壊跡なんて、何をどうやったって説明なんてつけられねーよ!
あー、そうか! 今思えば、コンギクさんに頼んで適当な魔獣でも跳ばしてもらえばよかったのか? それこそ地竜の一匹もいりゃ、死体を残しとけば誤魔化せたのに……もう一回呼んだら来てくれねーかな?」
「エド?」
「わかってる! わかってるから! 呼ばねーから! でもだったら、もう見なかったことにするくらいしかないじゃん! 歴史ってのは繰り返すんだ。あの日見なかったことにしたギルマスと同じように、俺達も何も見なかったことにする……うんうん、因果の螺旋は今日も絶好調だぜ」
「ハァ……まあ確かに、私だってこの規模はどうしようもないけど……」
「だろ? じゃ、ここでは何も起こらなかったし、何も見なかったってことで、俺達も人に見つからないようにこっそり町に戻ろうぜ。流石にドーマ達にはある程度説明しないとだしな」
「はいはい……ごめんなさいギルドマスターさん。事務処理頑張ってね」
遠い町の方にぺこりと頭を下げたティアの手を引き、俺達は森を後にしていく。一度ならず二度までも謎の破壊跡の見つかった森の対処に冒険者ギルドがどう動くのかは未知数だが……まあ、うん。頑張れギルドマスター。ほとぼりが冷めた頃に、何か精の付くものでも差し入れしておこう。




