それは、始まらなかった英雄譚
今回は三人称です。ご注意ください。
「何で……………………」
目の前に迫るあり得ざる脅威に、新米冒険者であるジンクは恐怖すら忘れ、ただひたすらに疑問を頭に浮かべていた。
一五歳にて成人を迎え、同じ村で生まれた幼なじみと一緒にやってきた都会。無事冒険者になってからの三ヶ月は、ほどほどに順調であった。
そしてそれは、今回も変わらないはずだった。受けた依頼は群れからはぐれたゴブリン五匹の討伐。ゴブリンならもう何度も倒しているし、それに油断することなく今回もしっかり準備を整えてきた。万が一はぐれが群れと合流している場合も考え、逃げる準備まで整えてきたのだ。
盾役であるドーマからは「ジンクはいつも慎重すぎる」と笑われたが、リーダーであるジンクからすれば、仲間の安全こそ最優先。今回も無理せず確実に依頼をこなすことで、夢見た英雄への一歩を積み重ねる……そのはずだったのだ。
「ジンク! おいジンク! 俺はどうすれば……チッ、ケイン! どうすりゃいいんだ!?」
「どうって、こんなのどうしたら……」
そしてその依頼は、ある意味では達成されている。確かにジンク達の目の前には、五匹のゴブリンの死体があったからだ。
ただし、その死体は見るも無惨に踏み荒らされている。そしてその元凶は――
「何でこんなところに、地竜がいるんだよっ!?」
「GYAAAAAAAAA!」
「ひいっ!?」
地竜の咆哮を正面から受けて、魔法師であるケインがその身をすくませる。全員の前に立つドーマはそれでも踏ん張っているが、腰が引けているのは誰が見ても明らかだ。
もっとも、それを責めることなど誰にもできるはずがない。山に近い森の中とはいえ、近隣の村からいくらも離れていないこんな場所に地竜がいることなど普通ならあり得ない。仮に山から下りてきたとしても、それならここまで来る途中でとっくに発見され、その情報が出回っていなければおかしいのだ。
だがジンク達が知る限り、地竜の出現情報など何処にも流れていなかった。もしジンク達がもっと冷静なベテランであれば、地竜の背後に全長五メートルもある四つ足の巨体が移動した痕跡がほとんどないことに違和感を覚えただろうが、駆け出し冒険者にそこまでは求められない。
ただ、目の前に自分たちでは絶対に倒せない敵がいる……その残酷な事実だけが、ジンク達にとっての真実だった。
「GULLLLLLLL……」
「おいジンク、いい加減しっかりしろ! どうすりゃいい!?」
「……はっ!? あ、ああ。どうって、そりゃ逃げるしかないだろ? いつも通りドーマが攻撃を防いでる間に撤退を……」
「馬鹿言うなよ! あんなの防げるわけないだろ!?」
ようやく我を取り戻したジンクの指示に、しかしドーマが必死の形相で抗議する。三人の中ではドーマが一番年上だったが、それでも一番年下のジンクとでも半年しか違わないし、木こりである父親の仕事を手伝っていたことで他の二人よりガッシリした体つきをしていたが、相手が地竜となれば誰であっても枯れ枝と変わらない。
「ジンク君が用意してた、煙玉は?」
「……効くと思うか?」
背後から聞こえたケインの言葉に、しかしジンクは地竜から視線を逸らすことなく、渋顔で言う。道具屋で買った安物の煙玉は、ゴブリン程度なら視角と嗅覚を誤魔化すことができる。が、それが地竜に通じるとは全く思えないし、下手に刺激したらその時点で食い殺される未来しか見えない。
「だよねぇ。でもそれならもう、そーっと後ろに下がるくらいしかないと思うよ?」
「…………よし、ケインの案を採用だ。二人とも、ゆっくり下がれ。転ばないように気をつけろよ」
「おう」
「わかったよジンク君」
リーダーであるジンクの決断に、ドーマとケインもゆっくりとその場で後ずさりを始める。だが動き出した三人を見た地竜が、その場でバシンと長い尾を地面に叩きつけた。
「GYAAAAAAAA!」
「駄目だ、完全にこっちを狙ってやがる! どうするジンク!?」
「どうしようジンク君!?」
「そんなに何度も聞かれたって、俺だってわかんないよ!」
何度も何度も問うてくる二人に、ジンクは思わず声を荒らげる。だがそんなジンクに対し、何故か二人は顔を見合わせてから笑顔を向けてきた。
「そうか、わかんねーか。ジンクにもわかんねーんじゃ、どうしようもねーな」
「そうだね。ジンク君に決められないなら……僕達が決めるしかないよね」
「え? おい二人とも、何を――」
「ここは俺が抑える。だからお前達は逃げろ」
そう言って、ドーマが一歩前に出る。たかが一歩。だがその一歩こそが、ドーマが抱く覚悟そのもの。
「は? 何言ってんだよドーマ。あんなの防げるわけないって、さっき自分で言ったじゃないか!」
「そうだけどよ、でもジンクが決められねーって言うなら、もうこうするしかねーだろ? 安心しろよ、お前達が逃げる時間くらいは稼いでやる! さあこいトカゲ野郎! このドーマ様が――――――――っ」
木の板に鉄板を貼り付けただけの極めて簡易的な重盾をガンガンと叩き、地竜の注意を引こうとしたドーマの体が、その瞬間宙を舞う。丸太のような地竜の尾が、ドーマの体を盾ごと吹き飛ばしたのだ。
「がっ…………うっ…………」
「ドーマ!?」
「ジンク君、今のうちに早く!」
「は!? 何言ってるんだよケイン! ドーマが――」
「早く!」
戸惑うジンクの手を、ケインが強引に引っ張っていく。近くの木に叩きつけられたドーマは口から血を吐いてグッタリしているが、それでもまだ生きているように見えた。
なのに、ケインはドーマを見捨て、ジンクの手を取り走り出した。それに納得いかないジンクだったが、ケインが自分を引っ張る力は驚くほど強く、これだけの力があるならドーマに腕相撲で勝てるんじゃないかと、場違いな考えが頭をよぎる。
「GYAAAAAAA!」
「ジンク君!」
「うわっ!?」
しかしそんな二人の前に、激流のような勢いで石礫が降り注いだ。獲物を逃がすまいと、地竜が吐息を吐いたのだ。
「いったたた……ケイン、大丈夫……ケイン!?」
「あ、あはははは……ごめん、失敗しちゃった……」
ケインに押され、辛うじて吐息の範囲から外れたジンクが膝の痛みを堪えながら頭をあげ……そしてすぐにその痛みを忘れる。目の前に横たわるケインの体に、無数の石礫が刺さっていたからだ。
ジンクは素早くケインに駆け寄り、地竜に背を向けるのを構わずその体を抱き起こす。幸いにして急所は外れていたが、尖った石の刺さったケインの腕や足、腹からはジクジクと血が滲み出ており、どうみても重傷だ。
「ま、待ってろケイン。今すぐ手当を……」
「い、いいよジンク君。僕はいいから……ジンク君だけでも、逃げて……」
「ふざけんな! お前もドーマも、俺が必ず助ける! だから……」
「約束……したよね…………いつかみんなで有名になって…………一流の、冒険者に……」
「喋るなよ馬鹿! くそ、くそ! 早く薬を……」
震える手で、ジンクは腰の鞄に手を入れる。だが指先にチクッとした感触を感じて蓋を開けると、いざという時のために買っておいた回復薬が鞄の中で割れていることに気づいた。
「何でだよ!? こういうのって丈夫にできてるはずだろ!?」
生まれて初めて、ジンクは心の底から悪態をついた。だが割れてしまっているものはどうしようもないし、布ならまだしも革製の鞄に染みこんだ回復薬を絞って使うことなんてできるはずもない。
「嫌だ、嫌だ! こんなところで――」
「空に――――固まり――――我が敵を――――――――」
「ケイン!? 馬鹿、やめろ! そんな体で魔法なんて使ったら――」
虚空に向かって手を伸ばし、ブツブツと呪文を唱え始めたケインを、ジンクが慌てて制しようとする。だがケインは意に介さず、やがて魔法は完成する。
「ジンク君、逃げて…………『フリーズアロー』!」
「GYAAA!?」
ケインの手から生じた氷柱が、地竜の顔に向かって飛翔する。それは地竜の鱗にかすり傷ひとつ付けられはしなかったが、地竜は苛立ったように周囲に尻尾を打ち付け始め、その結果辺りに騒音と土埃が広がった。
――今なら、逃げられる。
ジンクの中に、ふとそんな確信が満ちた。このまま仲間二人を置いて逃げれば、きっと自分は逃げ切れる。まるでその未来を知っているかのように、ジンクの足が気絶したケインを放置して走り出そうとする。
――逃げて、それからどうなるんだ?
仲間を……幼なじみ二人を見捨てて逃げ延びた、新人冒険者。何処にでも転がってる悲劇は、しかし自分で背負ってみればこれ以上ない程に重かった。押しつぶされないように必死で頑張り、ただ仲間の仇を討つことだけを目標に力を付けて……その先に何があった?
「……逃げない。俺は、逃げないっ!」
それは愚かな選択だ。残ったところで自分も死ぬだけだとわかっているのに、ジンクはその場で振り向いて剣を構えた。中古で買った数打ちの鉄剣が竜の鱗に通じるはずはないとわかっていても、構えなければ足が勝手に走り出してしまいそうだ。
そんなジンクの頭の中では、ナニカが必死に「逃げろ」と叫んでいた。ここで逃げなければそれは始まらない。背負った上で挫けるか乗り越えるかの違いはあれど、まずは背負わなければ変われないと訴えてくる。
でも、知らない。知ったことじゃない。ジンクは運命に背き、牙を見せる地竜に精一杯の引きつり笑いを浮かべて叫ぶ。
「俺が、俺が相手だ! お前を倒して二人を助けて……俺は竜殺しの英雄になる!」
「GYAAAAAAAAA!」
そんなジンクに、地竜が無慈悲に爪を振り下ろす。ジンクにそれを防ぐ術はなく、土壇場で奇跡の力に目覚めたりもしない。眠っている力があったとしても、手順を踏まねば目覚めることはないのだ。
故に、これは物語の終焉。勇者ジンクの英雄譚は、始まることなく幕を下ろす。
「いい覚悟だ」
「えっ……!?」
――どこからともなくやってきた男は、ニヤリと嗤って神の筋書きに終焉をもたらすのだった。




