間章:神との語らい その二
「では話の続きをしよう。先ほどはお主を羽虫とたとえたが、より正確に言うならば蚊のようなものだ」
「蚊、ねぇ……」
宙に浮かんだ魚が喋るという何とも不思議な光景を味わいながら頷く俺に、ヌオーが小さな口をパクパクさせて意外そうに問いかけてくる。
「ふむ? もっと不快そうな態度を示すかと思ったが、そうでもないのか?」
「ん? あー、いや、だって神様と比べるなら、俺なんてそんなもんだろ? それに蚊ってのはあれでなかなか侮れないんだぜ?」
一度でも森のようなジメジメした場所で野営をしたことのある人間なら、小さな虫の厄介さは身に染みてわかるはずだ。知らぬ間に刺されたり噛み付かれたりして、そこから熱病をもらう冒険者というのは枚挙に暇が無い。
小さく弱く、だがどれだけ潰しても鬱陶しいほどに湧き続け、その一刺しは命を脅かすことすらある……なるほど俺にはピッタリのたとえだと、むしろ納得してしまったくらいだ。
「ならばいいのだが。蚊のような存在であるお主は、確かにアレに害を為す力を持っているのだろう。が、お主の望みである『ぶん殴る』というのを可能とするには、とてつもない力が必要となる。何せアレを殴れる程にお主自身が大きくならねばならないのだからな。
それともお主が自分の中で『殴ってやった』と納得するだけでいいのなら、話はずっと簡単になるが……」
「いやいや、それじゃ駄目だろ。でも、そうか。確かにそりゃ大変だなぁ」
仮に蚊が血を吸わずに殴ったとして、俺がそれに気づくかと言われれば答えは否だろう。相手がきっちり「殴られた」と理解するには、こっちも相応に大きく力強くならねばならないのは自明だ。
「となると、俺はどうすればいいんだ? でかくなる方法なんてわかんねーぞ?」
身長や体重を増やすとか、そんな話じゃないことくらいはわかる。が、神の如き大きさを手に入れる方法と言われても皆目見当もつかない。首を傾げる俺に、ヌオーが静かに話を続ける。
「もっとも簡単なのは、それに足るエネルギーをお主自身が取り込むことだ。少し前に突然世界が複製されたことは知っているか?」
「ああ、うん。なんかそれ、俺が原因らしいしな」
まさか中身を覗かれるとは想定されていないはずだから、神の欠片に同調して得た情報はおそらく信頼できる。で、それによれば世界が増えたのは俺が下手を打って死んだかららしいからな。流石に自分が原因の出来事くらいは覚えている。
「ふむ。では世界を複製するに足る莫大なエネルギーは、一体どこから来たと思う?」
「へ!? それは…………?」
問われるまで考えたこともなかったが、確かに世界が増えるとなれば凄い力が必要だろう。だがそれがどこから来たかと問われれば……
「俺……じゃないよな? なら俺がぶん殴りたいって思ってる神の力、か?」
「そうだ。正確にはアレがお主を閉じ込めるために使った、この封印の力だな。アレはどうしてもお主を閉じ込めたかったため、この封印に並々ならぬ力を注いだ。それがあったからこそ、封印はお主を閉じ込め続ける……その辻褄合わせのためだけに、世界を複製するなどということが可能だったのだ。
もっとも、流石に力を使いすぎたせいか封印が緩み、こうして儂がお主に干渉することができるようになったわけだが」
「なるほどねぇ。ん? なら力を取り込むって、俺の封印とやらに使われている神の力をかすめ取るってことか?」
「そうだ。より正確には、その力によって増えた世界……それをそのままお主の中に取り込むことだな」
「なっ!?」
想像すらしていなかった提案に、俺は思わず絶句する。だがヌオーはそんな俺を見てもなお、事もなげに話を続けていく。
「お主を封じる力をお主自身が奪い取るのは、どうやっても無理だ。だがお主と同じく封じられている世界そのものは違う。増えた一〇〇を全てとは言わずとも、その半分も取り込めれば、十分に――」
「待て待て待て! 俺が世界を取り込む? どうやって? てかそんなことしたら、取り込まれた世界はどうなるんだよ!?」
「やり方は簡単だ。お主が終焉の魔王として力を振るい、世界を終わらせる。そうすれば世界は崩れてお主の中へと取り込まれ、お主の力となるだろう。 無論取り込まれた世界はそれで終わりだが、そもそもお主の行動によって複製された世界だ。増えたものが元に戻るだけなのだから、何の問題もあるまい?」
「あるだろ! 大ありだ! そもそもその理屈だと、あんたの世界……俺が出会ってないもう一人のギンタがいる世界を、俺が終わらせて取り込むってことでもあるんだぞ!? あんたはそれでもいいって言うのかよ!」
「いいか悪いかで言えば、よくはないな。だが現実問題として、全く同じ世界が二つあるというのは大きな矛盾が生まれるのだ。遙かに時が流れればそれぞれが別の世界として定着するだろうが、この封印のなかでは限られた時間をループしているからな。いっそ壊してしまえと思ったアレの判断も、わからなくもない」
思わず声を荒げる俺に、しかしヌオーは事もなげに言う。その事実が気に入らなくて、俺の怒鳴り声は止まらない。
「何でだよ!? 終わるんだぞ!? 平和に生きてるあんたの世界の人達が! あいつが……エルドが愛した世界が、俺の手で終わっちまうんだぞ! どうしてそんなことが言える! 神ってのはそんなに目線が高いのか!?」
「ならばこの手段は取らぬと?」
「当たり前だ。俺のせいで増えた世界だからって、俺のために犠牲にしていいはずがない。倍に増えたって言うなら、その両方ともハッピーエンドにしてみせる! それが俺の決意と覚悟だ!」
嘯くヌオーに、俺は大声で叫ぶ。たとえこれでヌオーの機嫌を損ね、俺が神をぶん殴る手段が遠のいたとしても、そこに後悔なんて微塵もありはしない。
そうして睨み付ける俺に……突如として吹き飛ばされそうな勢いの衝撃が全身を包み込んだ。
「ふぁっふぁっふぁっ! そうかそうか、やはりお主はまだそうか……わかるぞ。儂もまだまだ小さき身。我が世界に生きる者達に強い愛着を持っているのは同じだ。もしもお主がその道を選んだならば、情に訴え恩を形に、儂の世界だけは見逃してくれと頼み込むところであった」
「なんだよそりゃ……」
笑うヌオーに、俺は何とも拍子抜けしてしまう。ひょっとして試されたのか? ま、だからといって俺の結論が変わるわけじゃねーけど。
「だが、その覚悟はお主の道を更に長く遠くさせるぞ? 世界を取り込まぬというのなら、後はもうお主自身の力を取り戻すしかない。魔王の力が全て揃えば……そうだな、蚊から蜂くらいには大きくなるのではないか?」
「……いや、多分何倍とか何十倍とかになってんだろうけど、それにしたって……てか自分で言うのもあれだけど、俺ってのはその程度の存在なのか?」
「そうだ。たとえかつてのお主であろうと、あくまで魔王は魔王……アレすら終わらせる力があったとしても、世界どころか命の一つとして創り出す力はなかったであろう?」
「そう言われちまうと、そうか……」
神すら恐れる終焉の魔王と言えば凄まじい存在に思えるが、結局のところ俺の権能は「終わらせる」ことに特化しており、それが凄いだけなのだ。ぬぅ、何というか、改めて身の程というものを感じるな。
「お主は小さい。だがアレを害せるという一点のみで、お主はアレに認識され、恐れられている。そしてお主の権能故に、アレはお主を完全に消すことはできない……少なくとも、今は。
故にこの先はお主次第だ。世界を取り込まぬというのであれば、神の欠片を倒してアレの力を少しでもそぎつつ、分かたれた欠片を集めて己の力を高めていくのが順当だろう。
それは亀よりも遅い歩みであろうが、無限の時を繰り返すこの場であれば、あるいは……」
「ハッ、上等だ! どうせ何もかも俺の自己満足でしかねーなら、最後まで俺のやりたいようにやるさ。何せ俺は魔王様だからな!」
「ふぁっふぁっふぁっ! そうかそうか」
我ながら適当だとは思うが、それこそが俺だ。ニヤリと笑う俺に、ヌオーもまた楽しげに口をパクパクさせた。




