単に元に戻っただけでも、急に変わると困惑する
「ふぅおっ、とっとっと!?」
いつもの「白い世界」に戻った瞬間、俺はその場でつんのめって転びそうになる。あって当然であった水の抵抗がなくなっていたせいだ。そういうことにならないようにあえて船の上……水上に出たはずなのに、最後は水遊びしちまったからなぁ。
「ひゃっ!?」
「おっと、大丈夫かティア?」
そんな俺の隣では、ティアもまた同じようによろけていた。サッと手を伸ばして支えると、ティアが笑顔で礼を言ってくる。
「あー、ビックリした……ありがとうエド、もう平気よ」
「ならよかった……っと、こっちも平気みたいだな」
左手に意識を集中すると、その人差し指に金色の指輪が出現する。どうやら元魔王……エルドの言った通り、こいつは世界移動に干渉されないらしい。
ちなみに、ここから異世界に出るときに「彷徨い人の宝物庫」に入っていたものは、異世界から戻るときに手に持っていても「彷徨い人の宝物庫」の中に勝手に戻る。が、それ以外は「彷徨い人の宝物庫」にしまっておかないと世界転移の際に消えてしまうので注意が必要だ。
まあ、この指輪やかつて体に取り込んでいた神の欠片みたいに、魂に直接食い込んでくるようなものは例外だろうが……むしろそれで消えてくれるなら、あんな苦労する必要なかったんだしな。
「それにしても、成人の儀を見られなかったのは残念だったわ」
「悪かったな、俺の主義に付き合わせちまって」
追放タイミングを成人の儀の前にしたのは、俺の我が儘だ。ギンタの新たな門出を別れの日にするのではなく、俺達と別れたギンタが新たな未来に歩み出す日にしたかったからという、ぶっちゃけ自己満足でしか無い。
ならばこそティアに謝る俺に、しかしティアは笑顔で首を横に振る。
「いいわよ。エドのそういう考え方、嫌いじゃないもの。それに――」
「そうだな。んじゃ早速、ギンタの晴れ姿を読ませてもらうか」
視線を向けたテーブルの先には、見慣れた本が置かれている。これがあると知っていたからこそ、俺は「見届ける」と約束できたのだ。
席についた俺は、そっと「勇者顛末録」を手に取る。一七歳という若さでありながら、ギンタの本は割と厚い。
「ほほぅ? こいつはまた、予想通りのヤンチャっぷりだな」
「フフッ、ちっちゃな頃から大冒険してたのね」
その理由は、本を開けばわかる。どうやらギンタは子供の頃から、積極的に冒険ごっこに興じていたようだ。勿論子供のすること、できることなどたかが知れているが、周囲の大人を巻き込んだそれは、読んでいるだけで楽しくなってくる。
「ねえエド、このピンチの時に出てくる謎の戦士って……」
「ガンタさんだろうなぁ。語尾に『ガー』ってつけてるし。でもギンタ本人は気づかないのか……」
「子供はそんなものじゃないの? それにこの後のこともあるし」
「あー、まあなぁ……」
子供同士の他愛も無い喧嘩に、颯爽と現れて解決した謎の戦士。その背に憧れるギンタだが、家に帰ると何故か父が母に怒られているという場面を目撃することになる。ギンタの視点ではそれをいつものことと流しているが……まあそういうことだろう。
「てかこれ、ギンタが英雄に憧れたのって割とガンタさんの影響が強いんじゃねーか? ほら、ここも妹を庇ってギンタが頑張ってるシーンだけど、いつの間にか敵っていうか、悪ガキの数が減ってるじゃん? で、その後またガンタさんが怒られてるし」
「本当に似たもの親子よね。多分ギンタも子供ができたら同じ事をするんじゃないかしら?
「うわー、絶対そうだ」
子供の前では偉そうな態度を維持しつつ、影でこっそり介入してくるギンタの姿がありありと浮かんでくる。その妄想に思わず笑みを零しつつも、俺達は本を読み進めていく。
少年時代が終われば、次は青年期。父親とじゃれ合いのような喧嘩をしつつもトレジャーハンターとして活動を始め、俺達と出会い、そして別れる。成人の儀では銀色に光る布を巻き付けて友達と大騒ぎし、その翌日には母親と妹にこっぴどく叱られたらしい。
うむ、実にギンタらしいな。その後はエルドと共に本格的にトレジャーハンターになるべく動き始めて……あっという間に辿り着いてしまったことに少々の寂寥感を抱きつつも、俺は最後のページに目を落とす。
――第〇〇三世界『勇者顛末録』 最終章 真実は在るがままに
かくて勇者ギンタは魔王を懐柔することに成功し、その知識を利用することで以後数十年に渡って各地の遺跡を探査し、未知の魔導具を幾つも発見することになる。
その実績からトレジャーハンターとして確固たる名声を得たギンタだったが、現役を引退してからは執筆業に励むようになり、中でも晩年に出版した「『丘の人』の真実」はこれまでの歴史観を覆す内容で、世界中の様々な人々が物議を醸すこととなった。
その結果一部の宗教家や歴史学者から激しく糾弾され、一時は「ギンタの功績は全て偽りであり、ギンタは希代のペテン師である」とまで言われたが、ギンタ本人は飄々と「確かに一番大事な場面では、オレは見ているだけだったギョ。だからオレの功績は、みんなオレの大事な親友のものだギョ」と笑っていたという。
なお、『帰らずの谷』に人が足を踏み入れ、本に書かれた内容が真実であったと証明されるのは、ギンタ本人の死後一〇〇〇年の後だったという。
「へっ、何だよ。頑張ったじゃねーか」
どうやらギンタは、ちゃんと約束を守ったらしい。と言っても仮に一〇〇〇年後の世界に降り立って「ギンタが書いていた英雄は、実は俺なんですよ」とか言っても鼻で笑われるだけだろうが。
だが、それがどうした。勇者として魔王に立ち向かうような英雄譚はなく、超常の力も運命をねじ曲げる奇跡もなく、ただのトレジャーハンターとしてギンタは自分の力で名声を勝ち取り、その意思を残したのだ。
惜しむらくはエルドの事がよくわからないことだが、これはあくまでもギンタの人生が書かれた本なので、そこは流石に仕方ないだろう。ま、少なくとも途中まで一緒に活動していたことはわかっているのだから、その後もきっといい感じに人生を謳歌したんじゃないだろうか?
なら、それで十分だ。そもそも普通に生きていれば知り得ない結末まで詮索するのは、無粋どころか傲慢の類いだろうしな。
「そう言えばエド、今回は神様が泣いてないのね?」
「ん? ああ、言われてみりゃそうだな」
ふと漏らしたようなティアの言葉に、俺は改めて「勇者顛末録」に目を落とす。ふむ、確かに今回はいつもの未練ったらしい言い回しがついていない。
というか、最近定番だった勇者を貶めるような表現すら無い。これは一体……?
「改心した、とかじゃねーよなぁ? 以前はこんな感じだったから、元に戻っただけって言えばそうだが……ん?」
不意に手元がキラリと光り、俺が視線を向けると左手の人差し指、そこに嵌めたヌオーの指輪が何やらピカピカと自己主張をしている。
「何だこりゃ? 光ってる?」
「ねえエド、あれ!」
「何だよあれって……おぉぉ!?」
ティアに言われて振り返ってみると、さっき出てきたばかりの扉が何やらほのかに光っている。それは今までのどんな周回でも見られなかった、初めての現象だ。
「まさか、ヌオー様とやらが呼んでるのか?」
「どうするのエド?」
「ふむ……」
俺は徐に席を立ち、光る扉のノブに手をかける。そうして力を込めると……ノブはピクリとも動かない。
「あれ? あ、左手か?」
慌てて指輪をしている方の手で回すと、今度は軽い手応えでノブが回った。ほほぅ? そういうことなら……
「なあティア、ティアも一緒に――っ!?」
振り向いた瞬間、目の前に広がっていたのは何もない暗黒の空間。驚いて左手をノブから離すと扉もまた消えてしまい、もはや辺りには何も無い。
「えぇ、また暗闇かよ……ま、何もねーなら明るくても暗くても同じだろうけど」
踏ん張る足場すら無いフワフワした感覚も、半年水中で生活していれば慣れたものだ。俺は油断なく周囲を警戒し、俺をここに呼んだ誰かの反応を待った。




