空の移動が可能になると、選択肢がいきなり増える
「なあ、そんなに怒るなって? な?」
「別に! 怒ってなんていません!」
甲板上、可愛らしく頬を膨らませて怒るニコに、俺は猫なで声で謝罪を重ねる。あの後船長室を確認したところ、確かにそこに飾られていた金属板に「ニコニコ・フライヤー号」と書かれていたからだ。
「いやだって、まさか空飛ぶ船にそんな緩い名前がついてるとか思わないじゃん? ニコだってそう思わなかったか?」
「それはまあ……」
「な? だからこれは不可抗力だって。てか、今はニコがこの船の船長なんだから、気に入らないなら別の名前に変えるってのもありだぞ?」
「はっ!? 言われてみれば……どうしよう、何か格好いい名前がないかな……?」
虚を突かれたとばかりに口を大きく開けたニコが、一転して真剣に考え込み始める。どうやら勇者様のご機嫌は直ったらしいので甲板の方に目を向けると、そこではティアとアリエールが話し込んでいるようだ。
「あー、風が気持ちいい! フフッ、まるで風の精霊になったみたい!」
「ああ、空が近い……これは雲の上まで行けたりするのでしょうか?」
「どうなんだろ? ねえニコ、これってもっと高く飛べるの?」
「スカイブレイバー……いや、ウィング……? あ、はい!? 何ですか?」
「だからー、この飛行船ってもっと高く飛べるの?」
「えーっと……飛べるとは思いますけど、今はまだテスト飛行なんで、これ以上はやめておこうかなと」
今現在、この船は地上からおおよそ一〇〇メートルほどの高さを、馬車の三倍くらいの速度で飛行している。これはカナンが調べたこの船の性能から、十分以上に安全マージンを取ったうえでのテスト飛行だ。全力を出せばもっとずっと高く速く飛べるようだが、流石に初めての飛行でそれをやるのは勇者ではなく愚者だろう。
「そっか。なら次のお楽しみね。あ、でっかい牛? みたいなのが走ってる! おーい!」
「雲の向こうにあるという神の国……それがチラリとでも見えるのが楽しみです」
地上を見下ろし楽しげに手を振るティアと、空を見上げて祈るアリエール。俺の知ってる神はそんな手の届く位置にはいないと思うが、それを突っ込むほど野暮じゃない。
「ははは……そうだニコ。これからの旅の予定はどうなってるんだ?」
「そうですね……あくまで僕の考えですけど、二、三ヶ月かけてこの船の操縦に慣れるのと、あとエドさん達を加えた本格的な戦闘の連携を確認したら、次は魔王城に攻め込もうと思ってます」
「えっ、もう行くのか!?」
ニコの言葉に、今度は俺の方が驚かされる。一周目ならまだまだ世界各地を回って色んな準備をしていたはずなのに、いきなり魔王のところに行くとは。
「あ、勿論エドさん達に予定があるなら、そっちを優先してもいいですよ?」
「いや、それは特にねーけど……でも、もう魔王城に行って平気なのか? 正直もっと色々準備が必要だと思ってたんだが……」
「あはは。確かにそうですね。この船が手に入らなかったら、当分魔王城に行くことはできなかったと思います」
「何々? どうしたの?」
俺とニコの会話に、こっちにやってきたティアが加わる。背後に見えるアリエールは、まだ空の感動を堪能しているようだ。
「この船が手に入ったので、近々魔王城に攻め込もうって話をしていたんです」
「へー。随分と話が早いのね?」
「ええ、まあ。ご存じだとは思いますけど、魔王の治める地と僕達人間の治める国々とは、境界山脈という険しい山で隔てられています。魔王軍はその山脈に開いている穴を通ってこっちに攻めてくるわけですけど、それが完全に押さえられているせいで、人間の軍隊が魔王の領地に攻め込むのは事実上不可能でした。
そしてそれは、僕達も同じです。穴とはいっても、中は複雑怪奇に分岐していて迷路のようになってますし、魔王軍はそこに大量の罠とモンスターを配置していて、その守りは鉄壁にして完璧。僕もそれなりに強いとは思っていますけど、あれを抜けるのは現実的じゃありません」
「そうなの? ならこの船が手に入らなかったらどうするつもりだったの?」
「山越えです。前人未踏の境界山脈を越えるつもりでした。そこなら魔王軍も守っていませんから、死地に飛び込むよりはまだいいかと……勿論そのためには入念な準備が必要ですから、魔王討伐は当分……早くても三年くらいは先だと踏んでました。
でも、この船があれば……」
「なるほど、空からひとっ飛びってことか」
いきなり魔王城に攻め込むとなった理由に、俺は大きく納得する。確かにこいつがあれば、無謀な敵陣突破や過酷な山越えをしなくてすむのだから、行程の大幅短縮も頷ける。
「そういうことなら、そりゃ欲しいよなぁ。カジノでムキになってたのもわかるぜ」
「あれは……っ!? も、もうあれは忘れてください!」
「ははは、いいだろ? あれがあったからこそ、俺達はこうして仲間になれたし、結果としてこの飛行船も手に入ったんだからさ」
「そうですけど……うぅ、恥ずかしいです……」
笑う俺に、ニコが顔を赤くする。そんなニコを微笑ましい目で見る俺達に、不意に奥から声がかかった。
「調べ終わったわよー」
「カナン! どうでしたか?」
「うん、バッチリ。特に異常のある場所はなかったし、魔力の補充も普通にできた。ただアタシも魔導具の専門家ってわけじゃないから、一旦どこかで信頼できる職人に見てもらった方がいいのは間違いないわね」
「わかりました。ならエルンシアまで飛んで、王様にお願いしてみるのはどうでしょう?」
「いいと思うわよ。それが終わったらしばらくは操船の練習ね。この高さで墜落なんてしたら目も当てられないもの」
「なら、それを兼ねて世界中を回ってみるのはどうだ? この船ほどじゃねーけど、俺もいくつかは便利な魔導具がありそうな場所を知ってるし、そいつを回収していくのは悪くねーと思うぜ?」
「いいですね! 今までは遠くて足を運べなかった場所にも困ってる人達はいると思いますし、そういうところに援助にも行きたいです!」
「流石は勇者様、素晴らしいお考えです」
「空を飛んで世界を回れるなんて、素敵!」
皆が皆、思い思いの展望や感想を口にする。そんな全員に共通するのは、誰一人として後ろ向きな発言をしていないことだ。
「んじゃま、実際魔王城に突っ込むかは船の状態とかを見てからってことにしても、とりあえずは世界巡りの旅を始めるか」
「はい! 飛行船…………えーっと……………………ニコニコ・フライヤー号! 全速前進です!」
微妙な沈黙を経て、飛行船が進路を変えて速度をあげる。どうやらいい感じの名前は思いつかなかったらしい。俺がニコを見ると、そこにはちょっとだけばつの悪そうな……だが楽しげな笑みを浮かべる勇者様の顔がある。
かつては「追放される」という目的のため、微妙な表情をさせてしまった少年。だが今はもう違う。意図的に期待を裏切る必要も、道半ばで見捨てるように世界を去る必要もない。
今のところ神の関与が見受けられないのが逆に不安ではあるが、それだって無ければ無いで構わない。神をぶん殴るのは、旅の終わり……いつか必ず訪れる、ティアとの別れの後でもいいのだから。
「ん? 何?」
「……いや、何でもねーよ」
気持ちよさそうに髪をなびかせるティアをそのままに、俺もまた初めての空の旅を楽しむのだった。




