いつか始まるその日のために、ただ一時の終焉を
今回は三人称となります。ご注意ください。
「エドぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
意識が現実に追いついた瞬間、ルナリーティアはエドを刺しているバーンの体を思い切り突き飛ばし、仰向けに倒れるエドの体を支えて床に横たえた。突き飛ばすだけで首を跳ねなかったのは、単にそんなことよりエドの方が重要だったからだ。
「う……あ…………」
「待っててエド、すぐに回復薬を……」
ゴポリと口から血を吐くエドの頭を膝に乗せ、ルナリーティアはすぐに腰に付けている鞄から回復薬を取りだして使う。だが……
「治らない!? 何で!?」
「無駄ですよ」
一向に効果の現れない薬にルナリーティアが悲鳴のような声を上げると、その頭上からエウラリアの声が響く。まるで神の託宣のようなその言葉に、ルナリーティアはキッとエウラリアを睨み付ける。
「無駄って、どういうこと!?」
「……回復薬や回復魔術は、短時間に使いすぎるとドンドン効果が無くなっていくのはご存じですか?」
「……知ってるわ。でもそんなの、それこそ戦闘中に何度も何度も使った場合でしょう? 一日経っても後遺症が残るなんて聞いたことがないわ」
そう、癒やしの力が無限でないことなど熟練の冒険者であるルナリーティアは知っている。だが同時に減衰した力が一晩あれば戻ることも知っている。だからこそエウラリアの過剰とも言える回復魔術の行使に、ルナリーティアは特に口を挟まなかったのだ。
「そうですね。普通ならそうでしょう……ですが、神の力なら別です。私の身に宿る神の力で、その魔王の内に封じられた神の力を増幅し、魔王の体を満たすことができれば……」
「うぐっ……」
「エド!? え、これは!?」
そんなエウラリアの言葉に反応するかのように、エドの腹に空いた穴から光の球が三つ、ふよふよと浮き上がってきた。それはエウラリアの周囲を踊るようにクルクルと回ってから、その腹の中に染みこむように消えていく。
「ああ、神よ! ようやくお戻りになられたのですね……」
「……そう、そういうことだったのね」
うっとりと陶酔するように自らの腹を撫でるエウラリアに、ルナリーティアはこれまで感じていた違和感の正体が理解できた。
最初に会った時から、ルナリーティアはエウラリアがエドに対して好意を持っていることを感じていた。が、それだけならば何の問題もない。たとえばリーエルもまたエドに好意を抱いていたが、それに関してルナリーティアは嫌な気持ちなどひとつも感じていない。
エドが好かれることを嬉しく思うし、エドを好きなリーエルのことを自分もまた好ましく思う。もしもエドがリーエルと結婚したいと言い出したなら……心の片隅にさみしさを感じることは否めないだろうが、それでも心から祝福できたと思っている。
だが、エウラリアは違った。明確に好意を感じるにも拘わらず、その奥にざらりとした別の何か……とても嫌な何かが混じっているのを感じたのだ。
最初の頃は、それが自分の中に湧いた醜い嫉妬や独占欲なのではないかと考え、いつの間に自分はそんな嫌な人間になってしまったのだろうと自己嫌悪をすることもあった。エドに相談してからは、単純に考え方や価値観に埋められない差異があるのかな? と悩んだりもした。
そんな答えの出ない悩みの正体が……今ここに最悪の形となって解明される。
「エウラリア……貴方がエドに向けていた好意は、エド本人じゃなくてその神の欠片に対するものだったのね」
「勿論です。私は敬虔な神の徒ですから」
睨むルナリーティアに、しかしエウラリアは怯むこと無くそう言って微笑む。
「もう一〇年も前の話です。ある日突然、私の身に神が舞い降りました。そして神は私に語りかけたのです。一〇年後、この世界に新たな勇者が現れる時、その傍らに神の力を簒奪した魔王がいると。それを野放しにすれば世界は崩壊し、この世の全てが闇に包まれると。
故に私は備えました。勇者様の傍らに侍るに相応しい実力を身に付け、勇者様の仲間となれるように努力し……そして遂に、それが実ったのです! さあ勇者様! 悪しき魔王にトドメを……勇者様?」
エウラリアの声に疑問が浮かび、ルナリーティアもまたバーンの方に顔を向ける。するとそこには、涙を流しながら呆然と立つ勇者バーンの姿があった。
「何で……何でだ!?」
「何が『何で』よ。エウラリアにそそのかされてエドを刺したのはバーンでしょ!?」
「違うっ! これは……俺のこの剣は……っ!」
突然走り出したバーンがエウラリアに肉薄すると、その手に宿した光の剣でエウラリアを斜めに切り裂く。が、剣はエウラリアの体どころか衣服すら傷つけることはなく、斬られたエウラリアは平然と立っている。
「切れてない……どういうこと!?」
「勇者様の剣は、真に悪しき者のみを断つ剣。それが力を発揮するのは、魔王やそれに与する邪悪なる存在だけなのです」
「……昨日、エウラリアに言われたんだ。エドが魔王だって。でも俺、そんなの信じられなくて……そしたらエウラリアが言うんだ。だったら斬ってみればいいってっ!」
エドが普通の人間であるなら、バーンの剣は素通りする。勿論エドは怒るだろうが、そうしたら二人で土下座でもして謝ればいい。そうすればきっとエドは「ふっざけんな! でも本当に切れねーとかスゲーな。ちょっともう一回やってみ?」などと笑って許してくれるだろうと……その光景がここに在ることを信じたからこそ、バーンは剣を振るったのだ。
だが、実際には違った。魔を討つ剣はエドの腹を貫き、目の前には信じていた仲間が苦しそうに倒れている。その光景が信じらない、信じたくない……だが信じないわけにはいかず、バーンは血を吐く思いでそれを叫ぶ。
「何でだ……何で斬れるっ!? エド、お前は俺を……俺達をずっと騙してたのかっ!?」
「バー……ン…………」
「エド!? 喋っちゃ駄目、すぐに……って、そうよ! ねえバーン、私達が気に入らないっていうなら、今すぐ私達を追放――」
「駄目だっ!」
追放されてこの世界から消えれば、エドの傷は無かったことになる。ようやくそこに思い至ったティアがそれを口にしようとすると、エドがギュッとティアの手首を掴む。
「エド、どうして……!?」
「もう、無理だ……条件が……それに…………」
バーンと旅を始めてから、今はまだ五ヶ月と少し。追放条件である六ヶ月にはわずかに足りず、ここで追放されても「白い世界」への帰還は不可能。かといってもう一つの「深い信頼」というのも、昨日までならともかく今はもう無理だ。
そして何より――
「もう……一〇分は持たねぇよ……」
「……………………っ!」
幾度も死線をくぐり抜けてきたエドには、自分の状態が良くわかっている。腹から流れる血は止まることがなく、どう考えても一〇分は保たない。
間違いなく、自分はここで死ぬ。なら今自分がすべきこと……しなければならないことは何か? 疼痛に思考を苛まれながらも、エドは再びバーンの方に顔を向けた。
「いいか、よく聞けバーン…………俺は、確かに魔王だが…………今この世界を襲ってる魔王とは……違う。だからお前の戦いは……まだ終わってない」
「エド? お前何を言って――」
「エウラリア……俺はお前が悪いとは思ってない…………だから気に病む必要はない……って、それは言うまでもなさそうだな…………」
「……当然です。私は神の意志に従っただけですから」
動揺するバーンとは対照的に、揺るがないエウラリアにエドは思わず苦笑する。そして最後に首を傾けると、翡翠の目に涙を一杯に溜めたティアの顔を仰ぎ見た。
「ティア……バーンを助けて、この世界を救ってやれ……全てはそれからだ……」
「…………私に、エドを殺した人の手助けをしろって言うの?」
「ははは……勇者が魔王を倒すのは……当たり前だろ……?」
「でもっ…………!」
「頼むよ」
「……………………うん、わかった」
力無く笑うエドの言葉に、ルナリーティアは頷いた。自分がやりたくないことだろうと、大切な仲間の頼みであれば是非も無い。
ただ涙だけはボロボロと零れ続け、エドの顔に大粒の雨が降り注ぐ。
「そんな顔するなよ……知ってるだろ? 確かに俺は死ぬだろうが……ただ死ぬだけさ…………」
「また追いかけるわ。どんな犠牲を払っても、どれだけ時間がかかっても……絶対にエドのところに行くから!」
「無茶すんなって……なら俺がティアのところに戻るのと…………どっちが早いか、ゲホッ、ゴホッ…………競争だな…………」
「負けないわよ……絶対絶対、負けないから!」
かつて世界の壁を越える時、ルナリーティアはその代償として寿命を一〇〇年消費していた。当時一二〇歳だったルナリーティアに残された寿命は、おおよそ八〇年ほどだ。
もっとも、それを嘆いたことはない。むしろ「これならエドと同じように年を取って、同じくらいに死ぬかしら?」とちょっと嬉しく思ったくらいだ。
だからこそ、ルナリーティアはこんな終わりを認めない。終焉の魔王の尻を蹴っ飛ばしてでも、二人で生きる道を探し出す。そんな覚悟を決めるルナリーティアの頬に、エドがそっと手を伸ばしてきた。
「生きる世界が変わっても、生きる時間を隔てても……俺達はずっと一緒だ。じゃ、またな、ティア」
「ええ。またね、エド」
まるで近くに散歩に出るような気安い挨拶を交わし、二人は笑顔を交わし合う。再会を信じているのではない。疑う余地なくまた会えると考えているからこそ、そこに悲壮な想いなどない。
故にルナリーティアは、仕事に出る親が愛しい我が子にそうするように、そっとエドの額に唇を落とした。必然エドの唇もまたルナリーティアの額に触れ、互いの熱が相手を通って自分へと巡ってくる。
その日、この世界軸から「終焉の魔王 エンドロール」の存在が消えた。勇者バーンが二人の仲間とともに本物の魔王を倒し、世界に平和をもたらしたのは、それから三年後のことであった。




