願いと想いは果てへと届き、そして勇者は帰路につく
今回は三人称視点です。ご注意ください。
「ゲホッ……エホッ……エド?」
突然強い力で吹き飛ばされたルナリーティアは、咳き込みながらもその身を起こす。すぐに自分が抱えていたはずのエドの姿が無いことに焦って探そうとしたが、その視線が正面にいる魔王樹に……正確にはその周囲に出現した何かに釘付けになる。
「何、あれ……?」
「オォォォォォォォォ……」
魔王樹の全身から、赤い何かが吹き出している。それは綿毛のようにフワフワと宙を舞い、そのままゆっくりと地面に向かって降り注いでいる。
「赤い、雪……?」
すぐ近くで、自分の物ではない声が聞こえる。慌ててそちらに視線を向ければ、そこにはエドに組み敷かれるように倒れていたハリスが体を起こしていた。
「エド! ハリスさん!」
「ルナリーティア……私は平気だ。それより彼を」
「エド!」
ハリスによって無造作にごろんと転がされたエドは、明らかに状態が悪い。右腕は関節の可動域を無視した方向に曲がっており、両足も何だかおかしな感じに曲がっている。おまけに全身がビクビクと痙攣しており、放っておけば三〇分もしないうちに死んでしまいそうだ。
「待ってて、すぐ……うっ」
そんなエドに駆け寄ったルナリーティアだったが、彼女自身もまた決して無傷ではない。殴られたのではなくあくまで腕で押されただけとはいえ、人を越える力で思い切り吹き飛ばされたのだ。腹の奥がジクジクと痛み額には脂汗が浮かんでいるが、それでもルナリーティアはエドを優先して「共有財産」から厳重に封をしてある硝子の小瓶を取り出す。
それはかつて勇者であり聖女であったリーエルから託された、特別製の回復薬。三つしかない貴重品だが、ルナリーティアは躊躇うことなくその封を切り半分をエドの口に流し込むと、もう半分をその腕と足に振りかけた。が……
「――――ぁぁぁぁっ!?」
「エド!? 嘘、何で苦しむの!?」
それに反応するように、エドが悶絶する声をあげる。エドを蝕む神の力が勇者であるリーエルの力に影響されて激しく暴れたことが原因なのだが、それをルナリーティアが知るはずも無い。
「どうしよう、どうすれば……」
「ルナリーティア!」
「えっ!? きゃっ!?」
戸惑うルナリーティアに、ハリスが鋭く声をかける。気づけば赤い雪の降る範囲がすぐ側まで近づいていて、ルナリーティアはエドを抱えて慌ててその場を飛び退いた。その際に中身の無くなった硝子瓶がコロリと地面に転がり、そこに赤い雪がそっと一粒落ちる。
「……………………っ!?」
その瞬間瓶の表面にみるみるヒビが入っていき、程なくして朽ちて崩れ落ちてしまった。その光景にあっけにとられていると、不意に腕の中に抱えていたエドが小さな声を漏らした。
「ティ……ア……」
「エド!? リーエルからもらった回復薬が効かないの! ねえ、どうすればいい!?」
「ふ、つうの……を……」
「普通の? 普通のって、普通に売ってるやつを使えばいいの? わかったわ」
言って、ルナリーティアは「共有財産」から市販されている中では最も効果の高い回復薬を取りだし、先ほどと同じように半分をエドに飲ませ、残りを腕と足に振りかける。すると今度はエドが苦しむことはなく、その呼吸が幾分か落ち着いてきた。
「くっ……はぁ…………悪い、回復に少しかかる……今は逃げろ……」
「逃げろって……」
「馬鹿を言うなエド」
エドの忠告に、しかし彼を見下ろすように立っていたハリスが反論する。
「ようやくここまで辿り着いたんだ。今更逃げるなんて選択があるわけないだろう?」
「ハリスさん……あれは駄目だ……触るだけで…………」
「確かに相当に厄介な力のようだな。だが……」
エドから顔をそらし、魔王樹の方へと向き直ったハリスが、そちらに向かって足を踏み出す。その行為の無謀さを理解しているだけに、エドが無理をして声をあげる。
「駄目だ! そんなことしたら……」
「なあ、エド。私はホッとしてるんだ」
だがそんなエドを一顧だにせず、ハリスは歩みを止めない。
「ここまで私は、君達に連れてきてもらったようなものだ。このまま何の活躍もせず冬の魔王にとどめを刺させてもらうだけで終わったらどうしようと思っていたが……どうやらちゃんと私にも見せ場が残っていたらしい」
「ハリス……さん……っ!」
「止めてくれるな。これは私が望んだ、私の戦いだ」
ハリスの体が、赤い雪の領域に入り込む。その頭に、腕に雪は静かに降り積もり、同時にハリスの体から急速に力が抜けていく。
「ぐっ……なるほど、こういう力か」
それは触れたものを終わりに導く、魔王エンドロールの力の本質。命のあるなしにかかわらず、その存在をいつか訪れる果てへと運ぶ終焉の赤。
「果ての雪……はは、私の最後に相応しい」
一歩進む毎に、残された自分の寿命が終わりへと加速していくことをハリスは実感した。だがそれでもその足は止まらない。
否、止める理由が無い。ハリスにとって、魔王を倒すために己の寿命を消費するのは当たり前のことだからだ。
(二〇年。長かったな……)
死んだ妻と娘の敵を討つ。それだけを胸にハリスはここまで歩いてきた。一〇年の準備期間と、一〇年の孤独な旅。五五歳となったハリスの体は、いかに勇者の頑強さを以てしても限界が近い。
だが、遙かに遠かったはずの魔王は、今ハリスの見えるところにいる。残った己の寿命をくれてやるだけでそこに近づけるのだから、迷いも躊躇いもありはしない。
「魔王よ、世界を終わらせた冬の魔王よ」
一歩また一歩、老いさらばえていく体を一顧だにせず進んだハリスは、辿り着いた魔王を眼前に腰から剣を抜く。かつては鍛え上げられた美しい鋼の剣だったが、赤い雪に触れた瞬間その表面には錆が浮き、もはや見る影も無い。
「確かにお前は全てを終わらせた。そして私ももうすぐ終わる。お前の野望は達成され、この世界から全ての命が消えるのだろう」
ただ立っているだけでも赤い雪は降り注ぎ、もはや一呼吸するだけでも全力が必要だ。それでもハリスは骨と皮ばかりになった手で剣を持ち、倒れ込むだけで刺さるように腰だめに構える。
「だが、お前だけを残しはしない。妻と娘を奪ったお前を、今度は私が終わらせる!」
柄を握る手にグッと力を込める。ただそれだけで指先の骨がきしみ足から崩れ落ちそうになるが、燃え尽きる寸前のハリスの魂は最後の熱を持って果ての雪に抗い、残った最後の息を吐き出すようにしてかつて憧れたその名を叫び、体を前に倒す。
「我が名はハリス! この世界最後の勇者! お前に冬を与える者だ!」
錆びきった剣先がぼろりと崩れる。だがそこにハリスの体から発せられた黄金の光が宿り、輝く剣が何の抵抗もなく魔王樹の体に吸い込まれるように刺さっていく。
「オォォォォォォォォ……………………」
魔王の体が、光の粒子となって消えていく。それを最後まで見届けることなく、ハリスの体もまた地面に倒れ伏す。
(ああ、白いな…………)
赤かったはずのハリスの視界が、いつの間にか真っ白に染まっていた。懐かしささえ感じるその光景の向こう側から、あの日雪の中に眠らせた姿のままの妻と娘の姿が近づいてくる。
「マリア……ミーシャ…………私は…………俺は……………………」
元気に飛びついてきた娘を、ハリスはしっかりと抱き留める。その傍らでは妻がニコニコと微笑んでおり、冷え切った体から最後まで残っていた何かが抜けていく。
「これでもう…………ずっと一緒だ……………………」
そうして家族と同じになったハリスの体は塵となって崩れ落ち、遙か海に向かって風に吹かれていくのだった。




