振りかざされた悪意の刃は、いつだって受ける側の想像を超えてくる
「ああ、まさかこれを食べる日が来るなんて……」
そんなことを言いながら、ティアが手にした黒い塊を口にする。一見すると小さなレンガのようなそれを囓ると、納得のいかない表情をしてしきりに首を傾げている。
これは俺達に残された最後の食料。その実態は……キャナルの世界で馬鹿みたいに買い込んだ保存食だ。
「だな。俺もあの無駄遣いに感謝する日が来るとは思わなかったぜ」
紙と金属の中間のようなキラキラした包装紙を剥いて、俺もその中身を囓る。向こうで「一〇年経っても食べられる」と宣伝していたのを見て、本当に食えるのかよと冷やかし半分で一〇年分買ってみたんだが、二年以上経った今食べてみた感じでは特に味が劣化しているようには思えない。
「買うだけ買ってすっかり忘れてたもんなぁ。味も三種類あるし」
「ねえエド、チョコ味をもう一個頂戴?」
「あいよ」
俺はティアに新たな包み紙を渡す。それを囓ったティアは「二年経ってもこんなに美味しいなんて……」とショックを受けているが、それを気にせず俺ももう一個、今度はチーズ味を取りだして囓る。
この状況なら食料の節約を考えるべきではあるが、何せ一〇年分、二人で食べても五年分だ。一つや二つ多く食べたところで誤差でしかない。
飲み水に関しても俺達はティアの魔法に加え水生成の魔導具を幾つか持っているので問題なく、思いがけない形で食糧問題が解決した俺達は、新たな気持ちで勇者との合流を目指して旅を続けることになった。
そうして歩くこと、更に二週間。その日俺達はとある廃屋の前で足を止めた。
「ふぅ、今日はこのくらいにするか」
「そうね。ちょうどいい感じの場所もあるし」
目の前の廃屋は屋根が半分崩れていたが壁や扉はしっかりしており、これで吹き付ける吹雪を防げるだけでも大分違う。日が落ちると吹雪の勢いが強まるような気がするので、休める場所を早めに確保するのはこの旅ではとても重要だ。
「それにしても、いつもはすぐに会えたのに今回は随分会えないのね、勇者の人」
「だなぁ。俺の予想じゃ流石にそろそろ追いつくはずなんだが……」
ティアと雑談を交わしながら、俺は扉を開く。すると正面の壁際に、まるで貧民街の物乞いのような襤褸を纏った五〇代中盤くらいの男が座っていた。
「えっ!?」
「あら、先客がいたのね。こんにちは」
「……………………」
驚く俺をそのままに、ティアがその男に笑顔で挨拶をする。だが男は驚愕にギョロリと目を見開いたまま固まっており……次の瞬間こちらに向かって飛びかかってきた。
「ちょっ、おい!?」
「きゃっ!? 何!?」
「…………ひ、ひと……人だ…………人が、まだ、生きて……っ!? ウォォォォン!!!」
俺達の腰にすがりつくようにして、その男が大声で泣き始める。何の敵意も悪意も感じられず、ただ泣きじゃくる大の大人を前に、俺とティアは戸惑いの表情を浮かべながら男が落ち着くのを待つことしかできなかった。
「…………すまない。あまりの感動に思わず我を忘れてしまった」
「あー、いや、別にいいですけど。俺達も生きてる人間に会ったのは久しぶりですからね」
その後一〇分ほどしたところで、落ち着きを取り戻した男と俺達は膝をつき合わせて話をしている。ハリスと名乗ったその男こそ、俺達が探していた勇者その人だ。俺の「失せ物狂いの羅針盤」は方角はわかっても距離はわからないという欠点があったんだが、ここまで唐突に鉢合わせるとは流石に思っていなかった。
しかし、ハリス? うーん……?
『どうしたのエド?』
悩む俺の手に、ティアがそっと小指を絡めて「二人だけの秘密」を発動してくる。本人を前にしてはできない会話ができるのはこういうときは本当に便利だ。
『いや、会えばわかると思ったんだが、どうにもこのハリスって人に覚えが無くてな』
『えぇ? まあ一〇〇人も勇者がいたら、一人くらい忘れてても仕方ないとは思うけど……』
無言ながらもジト目を向けてくるティアに、しかし俺は若干唇を尖らせる。
『いや、忘れてるわけじゃねーって! 確かにハリスって勇者に心当たりはあるんだよ。でも年齢が全然違うっていうか……』
『……お父さんとか?』
『そしたら勇者じゃないだろ。血縁に継承されるってわけじゃねーんだし』
「にしても、君達は一体どこから来たんだ?」
「へ!? あ、いや、その……」
あまりに唐突な遭遇だったことに加え、今回は世界のことが何も分からない。なので突然の問いに答えを用意していなかった俺が戸惑っていると、すぐにハリスが頭を下げてくる。
「いや、すまない。忘れてくれ。決して君達の生活を脅かすつもりはなかったんだ。ただどうしても……自分の他に生き延びている人間がいたことが嬉しくてな。それもこんなに若い二人組とは」
「あはははは……」
「あの、ハリスさん? ハリスさんはどうして世界がこんなことになったのかって理由を知ってますか?」
「……君達は、何も知らないのか?」
「はい。その、教えてくれる人もいなかったので、何も……気づいたらこうだったっていうか」
「そうか……」
ティアと俺の嘘ではないがあえて誤解を招くような言い回しに、ハリスは眉間にしわを寄せて深く息を吐く。
「確かに君達の年齢ならそういうこともあるか。ならば年長者として語ろう。そもそも世界とは、こんな雪と氷に閉ざされた場所ではないのだ。生まれたときからこうであった君達には想像もつかないかも知れないが、かつて世界は暖かい日差しに包まれ、大地には花が咲き森には獣が遊び……世界には命が満ちあふれていたんだ」
ハリスの目が、何処か遠くを見るように細められる。当然俺達はその光景を知っているわけだが、余計なことを口にしたりはしない。
「だがそんな楽園のような世界でも、決して完全に平和だったわけじゃない。今からおおよそ五〇年前、突如として魔王を名乗る者が現れ、世が乱れた。そこで幾つもの国が合同して、魔王を倒す勇者を選び出そうと考えた。
フフ、かくいう私もその候補に名乗りを上げた一人でな。英雄に憧れ田舎の町から旅立ち、冒険者……魔獣……あー、腕を磨いて名をあげながら王都へと旅を続けていた。それは辛くも楽しい旅で……だがあの日、世界の全てが変わった。
忘れもしない、四〇年前。世界が突如吹雪に包まれたのだ」
穏やかだったハリスの顔が、突如として豹変する。枯れた老人のような風体からは想像も付かないであろう威圧感が滲み出し、俺達も思わず身構えてしまう。
「突如やってきた冬に、人々は混乱した。が、同時にどこか楽観視もしていた。ちょうど秋の収穫を終えたばかりで、精々一、二ヶ月冬が前倒しになっただけだと思ったのだ。
だが違った。本来の冬が過ぎ、春が訪れ夏が来ても、吹雪は一日たりともやむことはない。季節が一巡りしたところで、人々はこの冬に終わりがないのではないかと思い始めた。
そしてそれは本当になる。二年経っても三年経っても吹雪は変わらず世界中に吹き付けており、その影響でほとんどの作物は枯れ果て、動物どころか強靱であるはずの魔獣すらその数を減らす。
食料が手に入らなくなったことで世界中で飢饉が起き、人は魔王ではなく人同士で争うようになった。互いに奪い合い殺し合い、そうして数が減ることでどうにか命を繋ぎ……だがやはり食料が足りなくなってまた奪い合い、殺し合う。それを数限りなく繰り返すことで、わずか二〇年ほどで人類国家は見る影も無いほどに衰退した。
だが……だがしかし! それすら! それすらもこの雪に隠された真なる悪意の前には児戯に等しい。この吹雪には、更に恐ろしい効果があったのだ」
「それって一体……?」
ゴクリとつばを飲むティアに、ハリスは血走った目をギロリと向ける。
「全ての命を凍らせ、終わらせる……断種の呪いこそがこの吹雪の真の脅威。ならばこそあの魔王を、人々はこう呼ぶのだ。人の季節に終わりを告げる、冬の魔王とな」




