どんな物事にも抜け道はあるが、それが正道より楽だとは限らない
『へー、ここがキャナルさんの住んでる場所なの?』
「そうだな。まあ正確には仕事場だけど、いっつもそこで寝てたから、実質住んでるようなもんだろ」
一足先に町の中へと入り込んだ俺達は、家主に無断で部屋の中へと入っていた。当然窓や扉には鍵がかかっているわけだが、追放スキル「不可知の鏡面」の前では何の意味も無い。
『外から見たときはどうなのかって思ったけど、室内は割と普通なのね』
「文明が発達したとしても、人が人であることには変わりねーからな。体の作りが同じなら大体同じ感じになるんだろうぜ」
興味深そうなティアの言葉に合わせて周囲を見回せば、室内は年季の入った木造で、飴色の柱と乳白色の壁紙が組み合わさり、落ち着いた雰囲気を醸し出している。柱と同じ色の大きな執務机や作り付けの本棚などもあり、まるでギルドマスターの部屋のようだ。
「確かこっちに……」
『ちょっとエド、勝手に触っていいの?』
「勝手に入ってる時点で今更だし、いいだろ」
『もーっ! 後で怒られても知らないわよ?』
「へいへい」
ティアの忠告を華麗にスルーして、俺は奥にあった調理場に向かう。置かれていたポットを壁についたひねるだけで水の出る魔導具の下に置いて中を満たすと、すぐ側にある押すだけで熱くなる不思議な金属板の上に置いて湯を沸かす。
そうしてから戸棚を漁ると、そこから蓋のついた半透明の箱を取りだし、中にあった黒い豆を取っ手のついた金属製の筒の中に入れた。
『それは何をしてるの?』
「ん? あー、この豆をこれですりつぶして粉にして、そこにお湯を注ぐとお茶になるんだよ。何だっけな? 確か……カフィ? コーヒー? そんな名前だったはずだ」
『へー。それ美味しいの?』
「いい香りはするな」
同じく戸棚からカップを一つ取り出すと、濾過器のようなものをカップの上に乗せ、そこに粉を入れてシュンシュンと湯気をあげるポットから湯を注いでいく。すると素晴らしく香ばしい匂いが辺りに立ちこめ、黒い液体に満ちたカップを手に最初の部屋に戻ると、革張りの長椅子に腰を落として香りを楽しむ。
「はー、いいね。これぞ上流階級の嗜みって奴か?」
『うわぁ、真っ黒ね……どんな味なの?』
「味? そりゃお前……くっそ苦い」
『えぇ……?』
久しぶりに飲むコーヒーは、記憶にある通り苦かった。もし何も知らずにこれを飲まされたら、毒だと思って吐き出すこと必至だ。
「ふぁー……ああ、こりゃ苦い」
『何で苦いとわかってるものを飲むのか、私には理解できないんだけど……』
「いや、確かに苦いけど、これはこれで癖になる苦さっていうか……あと眠いときとかに飲むとバッチリ目が覚めるから、薬湯みたいな意味もあるんじゃねーかな?」
『そういうこと。それならわかるわ。お薬って大抵苦いものね』
「そうそう。くぁぁ……苦み走ってるぜ……」
コーヒーを嗜みながら過ごす、寛ぎの一時。そんなゆったりした時間を破壊するかのように、不意に部屋の外からガンガンという重い足音が響いてくる。それは三階にあるこの部屋の前で止まると、ガチャガチャと扉の鍵を開ける音がして……
「はーっ、はーっ。やーっと! やーっと帰り着いたぁぁ! って、もういるーっ!?」
「ようキャナル。お帰り」
額から汗をしたたらせ、巨大な鞄を引きずるようにして運んできたキャナルに挨拶すると、鞄をその場に放り出したキャナルが凄い形相で俺の方に駆け寄ってくる。
「お帰りじゃないわよ! 何で貴方がもういるわけ!?」
「ははは、そりゃあ秘密だよキャナル君。それよりそいつは大事なものなんだから、もうちょっと丁寧に扱ってくれねーと」
「知らないわよ! ってか、これのせいでアタシがどれだけ苦労したか……っ!」
「まあまあ、話は後で聞いてやるから、まずはやることやっちまおう」
いきり立つキャナルをそのままに、俺は鞄を丁寧に抱えて室内に入れると、その口を開けて中身を抱きかかえ、長椅子に横たえる。
「いいぞティア」
『はーい。じゃ、戻るわね』
俺が横たえたティアの手を取ると、すぐにその体がビクンと動き、閉じられていたティアの目が開いた。
「どうだティア? 体に異常はないか?」
「うーん……大丈夫。普通よ」
「ならよかった。ご苦労さんキャナル」
「本当よ! ほんっとに苦労したんだからね!」
俺が立てた町への潜入計画……それは「心は一つ」でティアの意識を俺の中に移したうえで俺は「不可知の鏡面」で町に潜入し、意識の無い体だけとなったティアをキャナルに運んでもらうというものだった。
意識があれば密入町だが、目覚める余地のない人体を運び込んではならないという決まりはない。なら大丈夫だと思ったんだが、どうやら上手くいったようだ。
「まったく、なんでアタシがこんなことしなきゃならないのよ! 係員に呼び止められた時なんて心臓が止まるかと思ったんだから!」
「お、やっぱり呼び止められたのか。よく平気だったな?」
「生体研修用の人造生命だって言ったら通してくれたわ。まあそのせいで何カ所か切られたりしたけど」
「えっ!? それ大丈夫なの!?」
キャナルの言葉に、ティアが思い切り驚いて自分の体をサワサワと撫で回す。が、キャナルの方は悪びれる様子もなく肩をすくめて答える。
「大丈夫よ。フラグメントがないから復元薬は使えないけど、ただの切り傷だったら骨が見えてようとリカバースプレーで一吹きすれば治るもの。万が一の時に用意したもう一つの言い訳を使わなかっただけ感謝して欲しいわね」
「もう一つ? 他にもいい感じの理由があったのか?」
俺の問いに、キャナルが軽く頬を染めてあからさまに顔を背ける。
「愛玩用……というか、性処理用だって申告すれば、色々と調べられはしても切られることはなかったと思う」
「せっ!? 嫌よ! 絶対嫌!」
バッと自分の体を抱いて拒絶の意を示すティアに、キャナルもまた大声で言い返す。
「アタシだって嫌よ! 何が悲しくて同性のそんなのを持ち歩く変態だって申告しなくちゃならないのよ! とにかくこの話は終わり! 無事に体を持ってきたんだから、それでいいでしょ!」
「そうだな。もう一回言うけど、お疲れさん。コーヒー飲むか?」
「飲むわよ! ってかそれウチのだし!」
ふてくされたように言うキャナルが、俺の手からカップを奪い取って飲む。いや、新しいのを入れようと思ってたんだが……まあいいか。
「うぅ、酷い。酷いわ。エドのせいで傷物にされちゃった……」
「人聞きの悪いこと言うなよ! そもそも切り傷なんて今までの戦闘で数え切れないほど負ってるだろうが!」
「それはそうだけど、そういうのとはちょっと違うのよ! エドにはちゃんと責任を取ってもらわないと」
「責任って……まあ俺にできることならしてもいいけど」
「やった! ならこの世界の甘いお菓子が食べたい!」
「そうよ! こんなに苦労したんだから、甘い物くらいご馳走しなさいよ! コーヒーなら三ツ星堂のふわふわシフォンケーキがいいわ!」
俺の言葉にティアのみならずキャナルまで乗っかって要求してくるが、俺としては困り顔で頭を掻くことしかできない。
「ご馳走したいのは山々だけど、俺ここの金持ってないぜ? それに手首のそれがないとここじゃ買物もできねーんじゃねーか?」
「何よそれ、じゃあ私が買ってくるしかないじゃない! いいわ、行ってくるから大人しく待ってなさい!」
「えっ!?」
俺が軽くあっけにとられていると、キャナルが何故か肩を怒らせながら部屋を出て行ってしまった。下手に追いかけてこの部屋から出ると、手首の水晶が無いのを見咎められたら事だから待ってるしかないんだが……それでいいのか?
「…………とりあえずもう一杯入れとくか」
「あ、私も飲んでみたい!」
「了解」
無邪気に手を上げるティアに答え、俺は自分の分も含めて三杯のコーヒーを追加で入れる。なお小さな紙箱を手にしたキャナルが「何でアタシが貴方達のケーキを買いに行かなきゃならないのよ!」と怒り心頭で部屋に戻ってくるのは、それから一〇分後の事であった。




