そして最後にこう告げよう。貴方が帰る腕の中で――
「う、あ……………………」
「ティア!?」
目の前の光景に言葉を失うエド。その視線を遮るようにアレクシスがルナリーティアの前へと駆け寄り、すぐにその傷の状態を確かめる。
「ゴンゾ! 頼む!」
「任せよ。傷跡一つ残さぬように治してやろう」
わずかに遅れて駆け寄ってきたゴンゾにルナリーティアを任せると、アレクシスは攻撃の飛んできた方向へと視線を向ける。その先に木の幹そっくりに擬態したトカゲの魔獣の姿を見つけると、素早く踏み込んで一刀のもとにそれを斬り捨てた。
「よし……ゴンゾ、ティアの様態はどうだい?」
「うむ、問題ない。半端な力で矢でも打たれていれば厄介だったが、魔法攻撃だった故に体内に異物も残っておらんし、これならすぐに傷も塞がるだろう」
「そうか……」
信頼する仲間の診断にほっと胸を撫で下ろすと、アレクシスは自分の背後でパクパクと口を動かしているエドの方に振り返る。その怒りに満ちた顔を前に、エドは動揺するばかりで何も言えない。
「あ、お、俺は……」
「お前のせいでっ!」
「ぐあっ!?」
固く握りしめたアレクシスの拳が、エドの頬を思い切り打ち抜く。だがその程度でアレクシスの怒りは収まらない。
「お前のせいで、僕の大事な仲間が傷ついたんだぞ! 一体どうやってこの責任を取るつもりだ!」
「やめて!」
二発、三発とエドを殴るアレクシスの背後から、それを止めるルナリーティアの声が飛んでくる。多少の顔色の悪さはあるが、それでも傷は既にすっかり癒えている。
「やめてアレクシス。私が勝手にエドを庇ったんだから」
「それは……いや、しかし……」
「いいから! ねえ、エド?」
興奮するアレクシスを押しのけ、ルナリーティアが衝撃で固まっているエドの前にしゃがみ込み、その顔に自分の顔を近づけて優しく話しかける。
「これでわかったでしょ? ここから先は……ううん、これまでだって私達はずっと危険な場所にいたの。今回は上手く助けられたけど、次も助けられるとは限らないわ。だから……ね? もう私達と一緒に来るのはやめて。最後に町までだけは送るから、そこでお別れしましょう?」
自分のせいで怪我をさせた。だというのにそこには自分を労る気持ちがありありと込められている。そんなルナリーティアを前に……しかしエドはへらりと薄ら笑いを浮かべる。
「は、ははは……駄目、です。お別れは、しません」
「エド?」
「ま、まだもうしばらくは、勝手について行かせてもらいます。だからまた狙われたら、その時は……た、助けてください。皆さんは勇者パーティなんだから、無力な一般人を守るくらいしてくれてもいいですよね? お願いしますよ」
「貴様……っ」
エドの物言いに、アレクシスは再び拳を振りかざす。だがそれよりも先に、ルナリーティアの平手打ちがエドの頬を張る。
「いい加減にしなさい! 言えない理由があるのも、貴方が付いてくるのをやめないのもわかったわ。でも何でそんな言い方をするの!?」
「だ、だって仕方ないじゃないですか! 俺が皆さんと一緒に行動していることはもう有名ですし、ここで俺を見捨てて死んだりしたら、『ああ、遂に勇者が一般人を見捨てて逃げ出したのか』って話題になっちゃいますよ? それが嫌だったら、これからもしっかり守ってください。お願いします、アレクシス様。ゴンゾ様。それに……ティアさん」
「…………ルナリーティアよ」
「え?」
いつも優しげだった翡翠の瞳から熱が消え、凍えるような声を向けられエドが驚きの声をあげる。
「だから、ルナリーティア。貴方に『ティア』って呼ばれるほど仲良くなったつもりはないわ。違うかしら?」
「っ……そ、そうですね。すみません、ルナリーティアさん」
「…………行きましょう、アレクシス。私はもう平気だから」
立ち上がったルナリーティアに続いて、アレクシス達も歩き出す。その後を少し離れてよろよろと起き上がったエドが着いていき……そうして旅が再開する。
勇者パーティとエドは、以後簡単な会話をすることすらなくなった。特にルナリーティアはこれまでと打って変わって話どころか目を合わせることすらなくなり、そして数ヶ月後。些細な事件……しかしここまでに積み重なった不審の結果としてエドは勇者パーティから追放され、その一〇分後に世界から消える。
別れ際にエドに向けられるルナリーティアの目は、侮蔑も憐憫もない……ただ石ころを見るような目だった。
「……そう。その世界の私はそうだったのね」
一〇〇個目の欠片を胸に抱きながら、戻ってきたルナリーティアは静かにそう呟く。
ルナリーティアは、自分がお人好しだとは思っていても、無限に人を甘やかすような性格ではないと理解している。だからどんな理由があったにせよ、それを説明すらせず自分と仲間を危険に晒し、それを当然とするようなかつてのエドの存在を許せなかったというのはわかる。
だからきっと、今回も誰も悪くない。胸にわだかまる思いを深く飲み込んでから、ルナリーティアは最後の破片を背後の人型、その胸にはめ込む。そうして完成したのは、人間の子供くらいの体型の人形。破片を組み合わせただけで中身が空っぽのその人形は次の瞬間ゆっくりと動き出し、その場に膝を抱えて座り込んでしまう。
『……したくなかった』
膝に顔を埋めた人形、その口からエドによく似た子供の声がこぼれる。
『あんなこと、したくなかった。迷惑なんてかけたくなかったし、心配されるのが嫌だったし、戦うのも怖かった』
ポソポソと呟かれるのは、かつてのエドの本心。誰に伝えることもできず、たった一人で抱え続けたエドが抱える心の闇。
『優しくしてくれた人にありがとうって言いたかった。迷惑をかけてごめんなさいって謝りたかった。でも、他のどんな気持ちより家に帰りたいって気持ちが強くて……どうやってもどうやっても、自分が死ぬことより、他人が傷ついたり死んでしまうことより、家に帰れないことが我慢できなかった!』
それは呪い。神にそう在れと創られたが故に、エドが他の全てに優先させることを本能として植え付けられた感情。抗うことを許されない、エドを縛る絶対の鎖。
『帰りたい。帰りたいよ。家に帰りたい……』
「エド……」
子供のようにすすり泣く人形を、ルナリーティアはそっと抱きしめた。できるならば帰してあげたい。そのためならまた自分の寿命を消費することすら厭わない。だがただのエルフであるルナリーティアには、存在しないエドの故郷にエドを送り返すことなどできるはずもない。
「大丈夫。大丈夫よエド。私は貴方を家に帰してあげることはできないけど……でも、貴方が帰る場所を作ることはできるわ」
『帰る、場所……? 無理だよ。俺は空っぽなのに、帰る場所なんて作れるわけないじゃないか』
「あら、エドは空っぽなんかじゃないわよ?」
小さなエドを抱きしめたまま、ルナリーティアは人形の胸に手を当てる。
「確かに今までの貴方には、中身がなかったのかも知れない。でも今は違うわ。私と一緒に旅をしてきたエドには、沢山大切な人がいるもの。さあ、思い出して」
ルナリーティアの手から、人形の中に想いが吹き込まれていく。アレクシスの、ワッフルの、レベッカの、ミゲルの、トビーの、ドルトンの、リーエルの、ガルガドーレとエルエアースの……そしてその全ての世界で共に歩いたルナリーティア自身の記憶と記録が、外殻だけで空っぽだった人形の内を満たしていく。
「わかるでしょう? 貴方は神様の作った人形でも、魔王エンドロールの殻でもない。ううん、それはそれで正しいんでしょうけど、決してそれだけの存在じゃないの。
だから一緒に帰りましょう? 貴方はエド。私の一番大切な人よ」
ギュッと抱きしめた人形が、まばゆいほどの光を放ち始める。それは周囲の黒い空間全てを埋め尽くすほどに白く輝き――そして次の瞬間。
「はっ!?」
「うぉ!? 目ぇ覚ました!?」
びくりと体を震わせて本当の意味で目を覚ましたルナリーティアに、近くで戦っていたガストルが声をあげる。
「ごめん! 私どのくらい意識がなかった?」
「あぁ? あー、多分五分くらいか?」
「えっ、たった五分!?」
「たったってお前、戦闘中の五分がどんだけなげーと思ってんだよ! もうそろそろ保たねーぞ!?」
「あっ、そうよね、ごめんなさい。じゃあ今すぐ終わらせるわね」
文句を言うガストルに謝罪しつつ、ルナリーティアは魔王から一歩離れてその手に「夜明けの剣」を構える。
「いつまで寝てるの! 起きなさい……エドっ!」
かけ声と共に、渾身の力で魔王の足に「夜明けの剣」を刺す。するとブワッと魔王を覆っていた黒いもやが一気に吹き飛び、一瞬遅れて剣を刺した場所から魔王の全身にヒビが入っていく。
「うぉぉ!? 何だオイ、こんなデカブツが剣の一刺しで砕けるってか!?」
「スゲー! ティアちゃん超スゲー!」
周囲のガヤを一切気にせず、ルナリーティアはまっすぐに魔王の胸の辺りを見つめ続ける。やがて内側から漏れる光に耐えかねたように魔王の体がはじけ飛ぶと、ルナリーティアは思い切り右手を振って、小指から伸びる赤い糸を自分に向かって引きつけた。
感じたのは、確かな手応え。魔王の破片に交じって人間ほどの大きさの何かがルナリーティア目がけて落下してきて、その勢いを風の精霊魔法で殺しつつ、ルナリーティアは自らの両手でしっかりと受け止めた。
「……ったく、これじゃ本当に役目が逆じゃねーか。格好悪いなぁ」
「ふふ、お目覚めの気分はいかがかしら?」
「そりゃお前……アレだよ」
「アレって?」
「アレって言ったらアレなんだよ! まあとにかく……ありがとな、ティア」
「どういたしまして。お帰りなさいエド」
「ただいま、ティア」
ルナリーティアにお姫様抱っこされたエドは、最高の相棒に心からの笑顔でそう答えるのだった。




