きっとこの経験すらも、貴方は「昔のことだ」と笑うのだろう
「……えっ!? うわ、何ここ!?」
肉体を置き去りにして魔王の中に入り込んだルナリーティアは、己の置かれた状況に思わず声をあげる。
自分という存在が、真っ暗な世界に浮いている。その異質な感覚は今までエドの中に入ったときとは全くの別物だ。
というか、エドの中に入ったときの状態は、ルナリーティア的には「自由に動かせない着ぐるみに入った」ような感じだった。エドの見ているものがそのまま見えたし、触れたものが感じられる。
流石に心が読めたりするわけではなかったが、感情の動きくらいなら割と伝わってきていたし、その気になって目を閉じればおそらく意識を眠らせることもできたはずだ。
だが、今自分が置かれている状況はその時とは根本的に違う。これが魔王という巨大な器の中に入ったからなのか、あるいは逆にエドだけが特別だったのか? 一瞬だけ浮かんだそんな疑問を、ルナリーティアはあっさりと捨てた。
「そういうのは今はどうでもいいわね。それよりも急がなくっちゃ!」
幸いにして、ここではいつもと同じように自分の姿が認識できている。意識体ということで裸だったりしたら嫌だなとちらっと思ったが、見る限りでは外でしていた格好そのままなのでそこも問題ない。
ならばとルナリーティアが小指に意識を向ければ、そこから暗闇の奥に向かって一本の赤い糸が伸びているのが見える。
「よしよし、ちゃんと繋がってるわね」
ルナリーティアの使った「小指の誓い」は、対象が存在している限り消えない。つまり死んだとしても、来世へと旅立つために魂が浄化されるまでは消えないのだ。
それでも常識的に考えれば死者を復活させることなどできないわけだが、ルナリーティアは自分たちが普通の存在じゃないことを知っている。仮に体が失われていたとしても、あの「白い世界」に意識、あるいは魂を連れて戻ることさえできれば肉体の再生は敵う……そう考えているからこそ、連絡が途絶えてからの日々を泣き暮らすことなく過ごすことができたのだ。
「待っててエド。すぐに見つけて助けるから」
精霊魔法を使うときの応用で、まずは地面が「在る」ということをはっきりと意識する。そうして足裏に確かな感触を生み出すと、ルナリーティアは糸を辿って歩き始めた。行く手を阻むように立ちこめる黒いもやを手で払いながら歩き進むと、すぐにその足下に糸の繋がった破片が落ちているのに気づいた。
「……これ? これがエドなの?」
そこにあったのは、見たことの無い景色が映り込む手のひらほどの薄い破片。その場にしゃがんでそっと破片に手を触れると、その瞬間ルナリーティアの意識はまた別の場所へと飛ばされた。
「いい加減にしろ、この役立たずが!」
「す、すみません……へへへ」
森の中で、二人の男性が対峙している。怒鳴りつけているのは輝く鎧を身に纏う精悍な剣士で、怒鳴られているのはいかにも頼りなさそうな若者。情けなくこびへつらう様は傍目にも苛立ちを沸き立たせるようで、彼らを遠巻きに見ている他の二人も若者に対して迷惑そうな表情を向けている。
『……エド?』
まるでゴーストにでもなったように宙に浮かんでその光景を見下ろしているルナリーティアには、若者の顔に見覚えがある。自分の知っているエドとは随分印象が違うが、それでも助けに来た相手の顔を見間違うはずもない。
「貴様がどうしてもと食い下がるから連れてきてるんだ! これ以上迷惑をかけるなら、さっさと町に戻ってくれ!」
「いやいや、それはちょっと……お願いします! 何でもしますから、もう少しだけ旅に同行させてください!」
怒鳴りつける男に、エドが必死にすがりつく。そんなエドを汚らしいものを見るかのような目で男が睨み付け……だがもはや相手にするのも馬鹿らしいとばかりに男が仲間と共に歩き出す。そしてそんな彼らの後を、エドは大きな荷物を背負って必死についていく。
『これって、私と出会う前のエド? いえ、時系列的には私と会った後でしょうけど、でも……うーん?』
ルナリーティアは、以前に自分やアレクシスのいる世界こそが常にエドが一番最初に行く異世界だとエドから聞いていた。ならばここはまだ自分が訪れていない、でも自分がエドと出会った後の世界なのだと予想してみるが、それにしてもエドの印象が違いすぎる。
今のエドは勿論、自分にとっての夢の世界……アレクシスに逃がされ、魔王を倒せなかったあの世界で出会ったエドと比べてもなお、エドの態度が卑屈すぎるように思える。
『どういうことかしら? あ、ひょっとして、これが追放スキルを手に入れる前のエドってこと?』
そこでルナリーティアは、以前にエドから聞いた話を思い出した。魔王の力が戻る前、本当にただの人間としての力しかなかった状態で、エドは気が遠くなるほどの年月、あの世界を繰り返していたと言っていた。
ならばこれがそうなのだろうか? 特にできることもないため、ただ黙って空に浮かびながらエドの旅路を眺め続けるルナリーティアだったが、それは自分の想像を遙かに超える過酷なものだった。
「この愚図がぁ!」
「がぁっ!?」
立派な装備をした男……この世界の勇者に蹴り飛ばされ、エドが地面に転がる。この場だけを切り出せば極めて理不尽な光景だが、実際にはそうではない。
「なあ、お前一体何なんだよ!? 何が欲しい? 勇者パーティの一員だったって名声か!? 無理矢理着いてきただけで仲間だなんて認められるわけないだろ! いい加減わかれよ!」
「ぐっ……そ、そんなつもりはないんです。俺はただ皆さんと一緒に旅を……」
「だからそれが無理だって言ってんだよ! 確かに勇者としての外聞もあるから、俺はお前を見捨てなかった……いや、見捨てられなかった。でもその我慢ももう限界だ!」
エドの存在は、誰が見ても足手まといだった。それを誰もが……それこそエド自身すら自覚しており、にも拘わらず必死に勇者パーティにすがりつく姿は、彼の指摘通り「勇者パーティとして活動したという名声を得るために無理矢理着いてきている厄介者」という印象しか与えない。
「みんな迷惑してるんだよ! 俺達は魔王を倒さなくちゃいけないのに、お前がいるせいで遅々として旅が進まない! 俺達だけじゃなく世界中に迷惑をかけてまで自分の利益が優先か!? 恥を知れ!」
「へへへへへ…………」
吐き捨てるような勇者の言葉を、エドは薄ら笑いを浮かべて流す。そこに必死さはあっても誠実さはなく、理解はあっても同意はない。
「……………………チッ」
忌々しげに勇者が去り、エドは蹴られた拍子に切ってしまった口の端からこぼれる血を拭ってその後を追いかける。
この光景を見て、誰がエドに同情するだろうか? 己の欲望のために勇者に迷惑をかけ続けるエドは町ゆく人々にすら嫌われており、あからさまに侮蔑の視線を向けられる程度なら日常、頭から水をかけられたりどう見ても色の悪い食事を出されたり、一人だけ馬小屋に泊まらされたりすることもあった。
だが、それでもエドは勇者と同行することをやめない。どれほどの悪意を浴びせられても、ヘラヘラと笑いながら「勇者パーティ」であり続ける。
そう、これが本来のエドの日々。何の力も無い男が勇者と同行するという無理を押し通すために払わされる代償であり、理不尽に攫われた世界から生まれた世界に帰りたいという、誰も否定などできるはずのない純粋な願いを叶えるための唯一の手段。
そして、それすらも全てまやかし。たとえその日々を耐えきり一〇〇の世界を渡り終えても、待っているのは記憶を消されて最初からのやり直し。耐えても耐えても耐えても耐えても、その先に希望などない。
幾千、幾万、幾億と繰り返される円環の一つ。最後に剣を突きつけられて勇者パーティから「追放」されると、森の中に放逐されたエドが自分では到底太刀打ちできない魔獣に襲われた。
その手足を食いちぎられながらも、また一歩帰還へ近づいたことに泣きながら笑うエドの姿が光に消えるのを、ルナリーティアは何もできず最後まで見つめ続けていた。




