後悔は後ろにしかない。だから私は前に征く
今回から少しの間、三人称視点が続きます。ご注意ください。
「遂に来た、か…………」
防壁都市ドラスドン。その壁の上に佇むアメリアの眼前では、ズシン、ズシンと大きな足音を立てて身長三〇メートルはあろうかという黒い巨人が迫ってきているのが見える。
「ははは、何度見ても凄い威圧感だ……あんなものと戦おうとは、馬鹿げているとしか思えない。だが……」
アメリアが視線を下に向ければ、城壁に沿って大量の傭兵や正規兵が配置についているのが見える。その全員が決死の様相を浮かべており、正式に部隊長に任命された自分の号令を今か今かと待ち構えている。
「彼の功績に報いないわけにはいかない」
言って、アメリアは腰から剣を抜く。それはたった一人で「黒の森」の奥に潜む元凶を偵察しに向かい、二ヶ月前から連絡の途絶えた傭兵から託された夜明けの如き刀身を持った剣。
――あれほど大量の魔獣を生み出している元凶はたった一体しかおらず、しかもそれは二ヶ月ほどでこのドラスドンに辿り着く。
傭兵エドからもたらされた情報は、ドラスドン上層部のみならず母国の軍部にまで大きな影響を与えた。最前線の指揮官であるチャールズ・ブラウンがその情報の正当性を認めて国に兵力の補充を要請したのが、およそ一月半前。
だが、そんな備えとは裏腹に実際には魔獣の襲撃は日に日にその頻度も量も減っていき、逆に偵察に出たはずの傭兵は一向に帰還しない。
適当な事を言って逃げ出したのではないか? あるいは何らかの理由で交戦が避けられなくなり、その傭兵が敵の首魁と相打ったのではないか? そんな様々な憶測が飛び交うなか、魔獣が減ったことで侵入可能となった「黒の森」に調査部隊が派遣され、そこで彼らはとんでもないものを見つけることとなる。
それこそがあの巨人。全身を黒いもやに覆われた巨人の周囲にはそれに付き従うように大量の魔獣が随伴しており、そこに戦力が集中しているからこそ襲撃が減った……つまりは巨人と共に未だかつて無い大規模な襲撃が起こると諜報部が報告をまとめる。
そうなると、そこから先は地獄のような日々だった。魔獣との戦いこそ無くなったが、代わりにゆっくりと迫り来る終わりの時を阻むため、アメリアも戦力を集めることに忙殺されることになる。
ありとあらゆる伝手を使い、なりふり構わず金貨の山を積み、とにもかくにも戦力をかき集める。月日は飛ぶように過ぎていき……そして今、遂に黒い巨人はドラスドンの目前まで迫っていた。
「なあ、ティア君。本当に行くのか?」
「ええ、勿論」
そんな中、アメリアの横には強い決意の表情を見せるエルフの少女が立っている。あの日送り出した傭兵の片割れにして、取り残された者だ。
「だって……あそこにはエドがいるもの」
「……そうか」
黒い巨人をまっすぐに見つめ、確信を込めて頷くルナリーティアに、しかしアメリアは何処か痛ましげな視線を向ける。アメリアからすれば、ルナリーティアは親しい仲間を失い、まともな思考を失っているとしか思えなかったからだ。
まあ当然だろう。今になっても帰ってこない以上、常識的にはエドはとっくに死んでいる。敵討ちならまだわかるが、生きているなど妄執でしかない。
だが、そんなアメリアの言葉にルナリーティアが迷うことはない。常識よりもずっと確かなものは、自分の小指に結びついている。
「我が儘を言ってごめんなさい。でも、決して自暴自棄になってるとかじゃないんです。どうしても他人に説明できない根拠があるっていうか……」
ルナリーティアの小指から伸びた糸は、あの黒い巨人に繋がっていた。だがそれが視認できるのは自分とエドの二人だけであり。流石のルナリーティアも「自分達にしか見えない赤い糸が繋がってるから」と説明するのは厳しかった。頭がおかしいと思われるくらいならまだしも、生暖かい視線で慰められたりしたらちょっといたたまれない。
然りとて頼れる相棒のようにそれっぽい根拠をでっち上げる技術もなく、ルナリーティアにできるのは精々こうして苦笑しながら説得することだけなのだ。
「まあいいじゃねーか隊長さんよぉ! 俺達は傭兵だ! 金さえもらえば相応の働きはしてやるさ!」
「そうそう。それにティアちゃんのお願いとあっちゃ、聞いてやりてーしなぁ」
「ま、トマソンがどんだけ頑張ってもティアちゃんは落ちねーと思うけどな」
「うるせージョナサン! 俺はいつだってワンチャンを忘れねーんだよ!」
そんなルナリーティアの傍らには、顔見知りの傭兵達の姿がある。ルナリーティアの話に乗り、彼女をあの巨人へと辿り着かせるために協力を申し出てくれた男達だ。
「ありがとうみんな。特にガストルさん……本当に良かったの?」
ティアの問いかけに、一度は生まれ故郷に戻ったものの、今回の騒ぎを聞きつけてドラスドンまで戻ってきたところで声をかけられた歴戦の傭兵は、一本しかない腕で剣を握って不敵な笑みを浮かべて答える。
「ケッ! 今のままじゃ田舎に引きこもってても終わりだしな! かといって普通に『死線』で戦い続けるにゃ力が足りねー。嬢ちゃんを送り届けたらさっさとケツをまくらせてもらうから構うなって! あ、でも、もし酒を奢りてーってことなら……」
「ええ、いいわよ。とびっきりのお酒をご馳走してあげるわね」
「何だよ……って、あれ? い、いいのか!?」
てっきりいつもの流れで断られるとばかり思っていたガストルが、笑顔で承諾するルナリーティアの言葉に間抜けな驚き顔を晒した。そしてそんなガストルに、ルナリーティアは悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。
「勿論! なんなら隣に座ってお酌でもしましょうか?」
「お、おぉ!? 何だオイ、遂に俺の時代が来たのか!?」
「ズリーよガストルばっかり! 俺も! 俺も一緒に飲もうぜティアちゃん!」
「お前等は本当に……でもまあ、確かにまた今度、みんなで飲もうぜ……エドも一緒にな」
三者三様の反応に、ルナリーティアはただ優しく微笑む。そんな彼女たちを見て、アメリアは思わず頭を押さえて首を横に振った。
「まったく、お前達の考えることは理解できん。できんが……持っていけ」
苦笑したアメリアが、手にしていた剣をルナリーティアに渡す。
「え? いいんですか?」
「ああ。エド君の情報はこちらに届き、既に依頼は達成されている。本来ならば本人に直接返したかったが……ティア君から返すのならば問題あるまい」
「わかりました。では受け取っておきます」
相棒の剣を手にルナリーティアが防壁の外へと歩いていき、その背後を傭兵達がついていく。それから程なくして黒い巨人の足が止まり――
「ウォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
世界を揺らすような雄叫びが響き、森の中でひしめいていた魔獣達が一斉にドラスドンに向かって走り出す。アメリアはそれに対処すべく防壁の上から矢継ぎ早に指示を飛ばし、遂に激戦が始まる。
今のところ戦況は五分。構築された「死線」は生き物のように蠢いているものの、まだ何処も食い破られてはいない。
が、それもあの巨人が動くまでだ。もしあれが腕の一振りでもすれば、その部分は壊滅的な被害を受けて一気に魔獣がなだれ込んでくることだろう。それを防ぐには巨人を倒さなければならないが、遠距離からの矢も魔法も巨人に傷を与えている様子はない。
その足が再び動き出す前に戦線を押し上げ、巨人に攻撃し始めなければ……気は急くも迂闊な指示は出せない。やきもきしながら機をうかがうアメリアの目の前で、突如「死線」の一部から強力な横向きの竜巻が発生し、魔獣の群れに大きな裂け目が発生した。
「あれはティア君か!? 総員、あの周辺に矢と魔法の雨を降らせろ! 開いた活路を閉じさせるな!」
アメリアの言葉に、第二波のために温存されていた遠距離攻撃が炸裂する。その援護の甲斐もあってか、ルナリーティアは何とか巨人の足下まで辿り着く。
「後はどうすんだ嬢ちゃん!? 俺達じゃ五分も持たねーぞ!」
「大丈夫、すぐ終わるわ! だから私の体をお願い!」
「へ、体!? ティアちゃん、何を――」
「今行くわ、エド!」
傭兵達の返事を待たず、ルナリーティアは躊躇うこと無く「心は一つ」を発動する。瞬間ルナリーティアの体はその場にクタリと崩れ落ち、傭兵達は大いに焦る。
「おいおいおいおい!? どうなってんだ!?」
「知らねーよ! くそっ、こんな状況じゃなきゃお持ち帰りするのに……」
「トマソン……それは流石に無いわ」
「じょ、冗談に決まってんだろ!?」
騒ぐ声などもう聞こえない。赤い糸を辿り、ルナリーティアは魔王の体に入り込んだ。




