それはハズレだったのではなく、未熟だっただけなのだ
昼なお暗い森の中、道なき道を俺はひたすらに走る。幸いにして周囲に魔獣の気配はないため、俺はなかなか快調に前進を――
(っと、そう上手いことはいかねーか)
前方から響いてくる大きな振動に、俺は慌てて近くの木の上に登り、生い茂る葉の中にその身を隠す。そうして五分ほど待つと、俺の足下を大量の魔獣が駆け抜けていった。
(……ふぅ、今回も抜けたか)
周囲に動く者の気配がなくなったことをしっかりと確認してから、俺は木から下りて進行を再開する。最初の内こそ魔獣との遭遇回数を数えたりしていたが、あっという間に一〇を超えたところでやめている。これだけ頻繁だと数えるだけ無駄だ。
(さっきのはゴブリンだったし、今度のはオードルラットだった。どっちも強い魔獣じゃない……ってことは、やっぱりこの森の中にいるのは全部魔王の影響下にある魔獣だけってことか)
通常であれば、上位捕食者にあたる強力な魔獣でもなければあんな無造作な移動はしない。だがこの森で出会う魔獣はただ一匹の例外もなく、その全てが移動中に隠れたり周囲を伺ったりするという行動をとっていない。つまり、弱い魔獣でありながら強い魔獣に襲われる心配を一切していないのだ。
それは即ち、この森にいる全ての魔獣が魔王の影響下にある証拠だ。まああれだけの数が頻繁に城壁都市までやってくるのだから、とっくにそうなってるのはわかりきっていたことではあるが。
(……ってか、よく考えるとこれって魔王軍だよな? いや、軍として統制されてるわけじゃねーだろうけど)
死してなお蘇り、一直線に人の生活圏まで進んで死ぬまで戦う。実に単純な命令しか与えられていないとはいえ、統一した意思の元で活動しているならそれはやはり軍だろう。
もしこの世界の人間がもっと早い段階で魔獣の襲撃を「軍による波状攻撃」だと認識していたならば、もっと違う対処ができただろうか? 本能的に襲いかかってくるのではなく、「襲うという命令を忠実に実行することしかできない」と理解していれば、あるいは別の対応も……
(ハッ、それこそ今更だな)
益体もない思考を打ち切り、俺は再び前進することに集中する。大方の予想通りだが、やはり一日や二日で魔王のいる場所まで辿り着くことなどできず……俺が「黒の森」を進み始めて、もう五日は経っている。隙を見て「追い風の足」や「不可知の鏡面」も使って前進しているので、かなりの距離を進んでいるはずなのだが、未だに魔王の元には辿り着かない。
(……少し休むか)
自分の中で独り言が増えていることを自覚し、俺は目立たない岩陰の裏で足を止めると、「彷徨い人の宝物庫」から水や食料を取り出す。ティアが向こうにいて適時食料を入れてくれているため糞マズい保存食を食べなくていいのは実に素晴らしいが、かといって流石に匂いのあるできたての料理を食べるわけにもいかない。
となれば、必然食えるのは冷めた料理になるわけだが、焼き固めた黒パンと干し肉を囓るのに比べれば天上の美味だ。というか、実際何かスゲー美味い。何でだ?
「……ああ、そうか。そう言えばティアがそんなスキル持ってたような?」
確かティアが調理の最終工程に関わると味が良くなるんだったか? ま、美味いなら何の文句も無い。料理の感想とここまでの進行状況を書いた紙を「彷徨い人の宝物庫」に入れると、俺は再び立ち上がって森を進み始める。
「っ!?」
と、そこで俺は再び前方に大量の魔獣の気配を感じ、素早く近くの木に登る。だが間が悪いことに、やってきたのはグレイウルフの大群だった。遠くまで漂うようなものではないとはいえ、食事の匂いが全く残らないなどあり得ない。そしてグレイウルフは厄介なことに鼻がいい。
(……………………)
できるだけ体を小さくし、息を細くして様子を伺う。すると足下にグレイウルフが通りかかり……その内の何匹かがすぐそばで足を止め、ヒクヒクとその鼻を動かしてキョロキョロと周囲を見回している。
(チッ、どうする? 「不可知の鏡面」を使うか?)
あれを使ってしまえば、どんな状況からでも安全に離脱できる。が、一度使えば二四時間は再使用できないという縛りがある以上、軽々に使える追放スキルじゃない。
ならばどうするか? グレイウルフ程度、倒すだけなら簡単だ。こっちに向かってきてくれさえすれば、何百だろうと相手じゃない。
が、ちりぢりに逃げられたりすればその全てを追いかけて倒すのは相当に難しいし、そんなことをしていれば他の魔獣の群れに出会っていよいよ収拾がつかなくなるだろう。
俺が唯一警戒すべきなのは魔獣の群れに紛れて魔王が襲ってくることで、一撃でももらって追放スキルが全て使用不能になれば……どうなるのかは推して知るべし。ならば最低でも魔王の姿を確認するまでは無茶な活動は控えるべきだ。
(……そうだ。そういやアレがあったな。使ってみる、か?)
ふと思い出したことがあり、俺は滅多に使うことのなかった追放スキルを発動してみる。すると俺の気配が周囲と同化していき、その直後にグレイウルフの目が確かに俺の方を見たが……
「…………ウオーン!」
遠吠えをあげたグレイウルフが、しかし俺を気にすること無くその場を去って行く。その姿が見えなくなってなおたっぷり一〇〇ほど数えてから、俺はようやく胸をなで下ろして体の緊張を解いた。
「はぁぁ……助かった。何だよ、使えるじゃねーか」
今さっき俺が使ったのは、追放スキル「注目できない石の意志」だ。俺の気配を周囲に紛れさせ、見えているのに気づけないという状況を作り出すスキルなのだが……実のところ、今までは全く使えないスキルだった。
というのも、気配を紛れさせるには俺と同種の存在が周囲に大量にいなければならない……つまり人混みでしか使えないうえに、相手が俺を認識して探していると恐ろしく効果が低減するため、「俺が俺だと気づかれていない状態で、かつ人混みに紛れている時に俺が認識される率を下げる」というどう使えばいいのかわからないスキルだったのだ。
が、久しぶりに起動してみたところ、どうやらこいつもパワーアップしているらしい。勿論違和感のある動きをすれば即座にばれる程度ではあるが、逆に言えばジッとしていれば結構な認識阻害効果が期待できるようだ。
「こりゃいいな。これなら『不可知の鏡面』を大分節約できそうだ」
誰が見ているわけでもないが、俺はニヤリとほくそ笑みながら再び森を進んでいく。気軽に使える隠密手段が増えたことで俺の進行速度も一段上がり……そして遂に、それが目の前に現れる。
(……見つけた)
暗い森の中にポツンと佇む、黒いもやを纏った何か。「失せ物狂いの羅針盤」の反応を確かめるまでもなく、あれが魔王……俺の力の一部だというのが本能的に伝わってくる。その進行速度はかなり遅く、このペースで進むならドラスドンに辿り着くまで最低でも二ヶ月はかかりそうだ。
(だが、ありゃ何だ? 何してやがる?)
てっきり、魔王の周囲では絶えること無く魔獣が湧き出すというか、復活し続けているものだと思っていた。が、どういうわけか周囲には魔獣の姿がなく、代わりに魔王からポワッと離れた黒いもやがユラユラと飛行して森の各地へと散っていっている。
(何かを飛ばしてる? ってことは、あれの到着先で魔獣が復活してる可能性が高いか? 確認しといた方がよさそうだな)
魔王の周囲ではなく、離れた任意の場所で魔獣を復活させられるというのなら対処法が変わってくる。俺は音を立てないように慎重に木の上で身を翻す。だが振り返った俺の顔のすぐ側に黒くて丸いもやが浮遊していて――
『……ミツケタ』
黒いもや玉に生まれた真っ赤な裂け目から声を聞いた瞬間、俺は一切の躊躇なく全力で木の枝を蹴った。




