全速力で駆け抜けると、人は前しか見られない
里長と約束していた一週間という期間。その集大成を見るべく討伐依頼を受けて近くの森にやってきていた俺とティアの前で、アースが一人魔獣と交戦している。
一五〇センチほどの小柄なアースが対峙しているのは、三メートルほどはあると思われる巨大な赤毛の熊。何も知らない奴が見れば「今すぐ逃げろ」と大声で叫びたくなるところだろうが……捕食者と非捕食者は、その実全くの正反対だ。
「ガァァァァ!」
「フッ!」
雄叫びを上げて巨大な熊……ダールトンベアがその太い腕をアースに向かって振り下ろす。だがアースはあえて前に踏み出すと、自分に向かってくるダールトンベアの手のひらを逆手に持った右の剣でスパッと斬りつける。
「ガァッ!?」
もし相手が戦いを知る者であれば、怪我など気にせずそのまま腕を振り切ったことだろう。そうすれば熊の豪腕でアースの小さな体は吹き飛び、形勢は一気にアースが不利になるところだ。
が、魔獣とはいえ所詮は獣。手のひらに走った鋭い痛みにダールトンベアは手を引いてしまい、その結果アースは見事ダールトンベアの懐に入り込み、左の剣をその腹に深々と刺す。
「グァァァァァァァァ!」
「おっと!」
怒り狂ったダールトンベアは再び腕を振りかぶるが、背の小さいアースはその下をするりとくぐり抜け、行きがけの駄賃とばかりに右手の剣をダールトンベアの右太ももの裏に刺し、その柄を蹴ってその場を脱する。
「ガァァ! グァァァァ!」
「うわぁ、怖いなぁ……フフッ」
深く刺さった剣の痛みに滅茶苦茶に腕を振り回すダールトンベアに対し、アースは既に両手の剣を失っている。が、アースは焦らない。自分の指先から肘くらいまでの長さしかない双剣は携帯性に優れ、背中につけた特製のホルスターには三対六本の剣が収まるように作られている。つまりまだ四本剣があるということだ。
「暴れてるなら、無理に近づく必要はないよね」
とは言え、アースの武器は決して双剣だけではない。背負った弓を構えると、近くに落ちている枝を拾って精霊魔法で矢に変える。矢羽根も鏃もない、先端が尖っているだけのまっすぐな木の棒に過ぎないそれを当てるのは熟練の弓士でも難しいだろうが、アースには精霊魔法がある。
「いけっ!」
ヒュウという風を切る音と共に、緑の風を纏った矢が、立て続けに三本ダールトンベアに向かって撃ち出されていく。そのうち二本は振り回される腕に当たってあっさりとへし折られたが、最後の一本がダールトンベアの右目を貫いた。
「グァァァァァァァァァ!!!」
痛みと共に視界を奪われ、完全に理性を無くしたダールトンベアが、その巨体でアースに向かって突進してくる。だが腹と太ももに突き刺さったままの剣が動くだけで痛みを与えてくるのか、その体はやや傾き突進にも力が乗り切っていない。
ならばとアースは弓を近くに放り投げ、迫る巨体に臆すること無く背中から剣を二本抜きだして、矢に乗せるつもりで用意していた精霊魔法を纏わせて投擲した。軽い木の矢と短いとはいえ鉄剣では重さが全く違うため、投擲した剣には速度が乗らずダールトンベアの分厚い毛皮を貫くことは敵わなかったが、顔の前に飛んできたそれにダールトンベアは反射的に顔を背けてしまった。
そしてその隙を、アースは見逃さない。
「これで……終わりっ!」
最後の二本の短剣を抜き、滑るようにダールトンベアの下に入り込んだアースが右の短剣でダールトンベアの喉を突き刺し、間髪入れず左の短剣をダールトンベアの肩に突き立て腕の力で無理矢理離脱すると、そのままくるりと宙空で回転してダールトンベアの脳天にかかと落としを決める。
「グガッ!? グボォォォ…………」
己の重さと蹴りの衝撃で喉の短剣が深く突き刺さり、ダールトンベアが苦しげにもがく。再び距離を取ったアースは地面に落ちていた弓を拾い上げ油断なく構えていたが、やがてダールトンベアが動かなくなると、たっぷり三〇を数えてからようやくその構えを解いた。
「ふぃぃ……どうですかエドさん!?」
「うん、まあまあだな」
勝利報告をしてくるアースに、俺は草むらから姿を現し笑顔でそう告げる。同じく隠れて様子を見ていたティアは死体となったダールトンベアの方に近づき、何処にどんな傷をつけていたのかをしっかりと観察している。
「まあまあ、ですか……僕かなり強くなったと思うんですけど」
「いや、スゲー強くなってるよ? 一週間でコレを倒せるとかとんでもねーし。ただまあ、問題はそこじゃねーっていうか……」
ダールトンベアは、一人前と言えるような冒険者が三、四人のパーティを組んで討伐する魔獣だ。それを冒険者になって一週間のアースが単独で討伐してるんだから、その成長具合は凄いなんてもんじゃない。才能があるとはわかっていたけど、こんな勢いで成長するのは俺だって予想外だった。
だが、あまりにも簡単に実力が高まってしまったことで、それに伴う弊害もまた発生している。
「ねえアース君。貴方が強くなったのはわかるけど、もう少し慎重に戦っても良かったんじゃない?」
「ティアさん。慎重に……ですか?」
「そうよ。例えば今、貴方は双剣のストックを全部使い切っちゃったけど、回収する前に他の魔獣に襲われたらどうするつもりなの? 残心を怠らなかったのはいいけど、その辺はマイナスね」
「え、でも、僕としては必要だと思ったからそうしたんですけど?」
「ダールトンベアが向かってきた時、剣を投げる必要あった? 横にかわしても良かったし、風と一緒に石ころを混ぜて飛ばしても良かった。本当に剣を投げるしかなかったの?」
「うぐっ、そ、それは……」
「里で狩りの手伝いをしていたときは、こんな荒い戦い方はしてなかったんじゃない? 強くなったのはわかるけど、強さに振り回されちゃ駄目よ」
「うぅぅ……はい……」
ティアに叱られ、アースが何ともしょっぱい顔つきになる。めきめき上がる実力に心の成長が追いつかず、無かったはずの油断や慢心が生まれている……即ち「調子に乗っている」のが今のアースが克服すべき課題だ。
だが、こういう精神的なものは自分だけだとなかなか気づけないし、気づいても直せない。以前は里から出なかったので気づかなかったが、今ならば俺がこのタイミングでこの世界にやってきた理由が良くわかる。
(これ、俺達が来なかったら、多分死ぬんだろうなぁ)
精霊樹があの状態のままなら、アースは俺達が来なかったとしてもそう遠くないうちに里離れをすることになっただろう。その場合ソロなのか誰かとパーティを組むのかはわからねーが、何処かのタイミングで自分に双剣の才能があることに気づき、一気に仲間を置き去りにした分不相応な成長をして……油断したところであっさり死ぬ。
かくて勇者の物語は己が勇者だと自覚することすらなく、急成長という勇者であった片鱗だけを残して幕を閉じました……とならないように送り込まれたのだと考えると、何となく辻褄が合う気がするのだ。
「……とりあえず私からはこのくらいかしら。エドはどう?」
「ん? ああ、そうだな……なあアース。これで約束の一週間は終わりなわけだが、お前はどうしたい?」
益体もないことを考えている間に、ティアのお説教は終わったようだ。改めて話を振られ、俺はアースに問いかける。
「僕、ですか?」
「そうだ。この一週間で、アースの実力は里にいた頃とは比べものにならないほどに高まった。それは間違いねーんだが、逆に以前は持っていたはずの思慮深さや慎重さなんてのは欠けてきてる。要は強くなった分死にやすくなったってところだな。一見矛盾してるように聞こえるだろうが、自覚はあるか?」
「……まあ、はい」
「ははっ、納得できねーか? ま、気持ちはわかるぜ。自分がでかくなった分、俺達が小さく見えるんだろ?」
「……………………」
ふてくされたようなアースの視線が、わずかに俺から外れる。そのあまりにもわかりやすい反応に、俺は思わず苦笑してしまう。
「わかりやすいなぁ、エルエアース。ならもっとわかりやすい方法で現実を見せてやろう」
言って、俺は腰から剣を抜く。と言っても「夜明けの剣」ではなく、予備に買った鉄剣の方だ。
「かかってこい。剣の頂……とまでは言わねーけど、ちょいと高いところを見せてやる」




