どれほど手を伸ばしても、存在しないものは掴めない
おかしい。これは流石にあり得ない。今までいくつもの異世界を巡ってきたし、何なら一周目より前……神の陰謀により陰惨な日々を送っていた頃まで含めてなお、勇者が勇者でなくなるなんてことは一度としてなかった。
だが確かに今、俺の前を走り去っていく少年に勇者の気配は感じない。これは一体――!?
「エド? どうしたの? ひょっとして、今の子が勇者?」
「あ、ああ。そう……だったはずなんだが……」
「? どういうこと?」
「……わからん」
訝しげな顔をするティアに、俺はかろうじてそう答える。本当にわからない……むしろ俺の方がその理由を知りたいわけだが、そんなことをこんな町中、しかも周囲から「見知らぬ人物がいる」と微妙な視線を集めている状況でわめくわけにもいかない。
「……いいわ。ちょっと歩きましょ」
衝撃から立ち直れずそのまま立ち尽くす俺の手を、ティアがやや強引に引っ張る。それにつられて歩き出せば、ティアが声ではなく心で俺に語りかけてきた。
『どう、落ち着いた? 何なら子守歌でも歌ってあげましょうか?』
『いや、別に眠いわけじゃ……』
『あらそう? でも寝たら強制的に落ち着くでしょ? こっちなら思いっきり歌っても大丈夫だしね』
『はは、まあ確かに町中で子守歌を歌いながら歩いてたら、明らかに変な奴だもんなぁ』
他愛の無い会話をすることで、驚きに沸き立っていた心が徐々に静まっていく。一つ大きく息を吐くと、俺は自分の情けなさに苦笑しながら普通にティアに話しかけた。
「ありがとう。もう平気だ」
「そう、良かった。事情は……今聞くべき? それとも後の方がいい?」
「今話す。つっても説明できることなんてほとんどねーんだよ。ティアの言うとおりさっきの子供が勇者だったはずなんだが……どうも今は勇者じゃないらしい」
「今は? ということは、これから勇者になるってこと?」
「まあ、そうなんだろうけど……」
歯切れの悪い答えしか返せない自分が、何とも言えずもどかしい。そもそも俺が異世界に跳んだ時、そこには常に最初から勇者がいた。なので誰かが勇者になる、あるいは勇者じゃなくなる瞬間なんてのは見たことがないし、「勇者顛末録」やこの前のリーエルとの検証からしても、おそらく勇者は死ぬまで勇者……っ!?
(待て、死ぬ? まさか、勇者が死んで代替わりするのか?)
浮かんできたその予測に、俺は自分の口に手を当てて声を押さえ込む。胸焼けに近い嫌悪感を無理矢理飲み込んで押さえつけると、俺はティアの手を強引に引っ張って近くの物陰に入っていった。
「ちょっ、エド!? どうしたの!?」
「悪いティア。ちょっと待ってくれ。現れろ、『失せ物狂いの羅針盤』」
囁くような俺の声に、魔王の力はきっちりと応えてくれる。そうして勇者の場所を訪ねれば、そこに映ったのはあの少年ではなく……
「長老様!? え、長老様が勇者なの?」
「……なるほど、そうか」
驚くティアを横に、俺はその事実に納得してしまう。確かに俺は、今までこの里であの長老という人に出会ったことがなかった。ただそれはあの人が俺に興味を示さなかったから出会わなかっただけだと思っていたんだが……
「落ち着いて聞いてくれティア。あの長老は……おそらく二ヶ月以内に死ぬ」
「……何それ、どういうこと?」
「昨日の夜にも話したけど、一周目の俺がこの里に入るには二ヶ月かかったんだ。そして二ヶ月後にここで出会った時、あの少年は間違いなく勇者だった。
つまりその二ヶ月の間にあの長老が死んで、勇者が代替わりしたんだと思う」
「そんな……っ!?」
俺の言葉に、ティアが驚愕の表情を浮かべる。だがそれも一瞬のこと、すぐに俺の肩を掴んでガクガクと体を揺すってくる。
「あっ、でも、それがわかってるなら助けられるわよね!? ねっ、ねっ? エド?」
「お、おぅ!? そ、そうだな。外的な要因で死ぬなら、助けられる可能性はあるけど……」
「けど?」
「……俺がこの里に入ったとき、そういう事件とか事故で誰かが死んだって感じはなかったんだ。それに長老って言うくらいなんだから、凄い年寄りなんだろ? その辺から考えると、多分寿命で死んだんじゃないかって……」
「……………………ああ」
俺の肩を掴んでいたティアの手から、するりと力が抜け落ちる。
いくら俺に過去の記憶があったとしても、人の寿命をどうこうするなんてできない。それでも一〇年二〇年先というのであれば生活習慣を改めさせるとかで多少伸ばすことはできるのかも知れねーが、二ヶ月後に死ぬ老人の余命となると本当に手の施しようが無い。
「そう、か。そうよね……流石に寿命までどうにかしようなんて考えるのは、思い上がりよね」
「知っちまったからこそ気持ちが重いってのはわかるけどな。俺達にできるのは、精々あの人についてちょっと気にかけてやることと、里長にそれとなく伝えることくらいか?
ただあんまり具体的な事を言いすぎると、俺達が何かしたんじゃないかって疑われる可能性も出てきちまうから……」
「……………………」
何かをしたくても、何もすることができない。その歯がゆさにティアが表情を歪めているが、俺もまたそんなティアにどんな言葉をかけていいのかわからない。
「……せめて」
「ん?」
「せめて、長老様を喜ばせてあげたいわ。何をしてあげるのが一番いいのかしら?」
「うーん、そういうのは本人に聞いてみるのがいいんじゃねーか?」
「フフッ、そりゃそうね! ねえエド、これから――」
「わかってるって。調査の一環ってことで、長老の話を聞きに行こうぜ」
「やった! 流石エド!」
パッと表情を輝かせたティアが、ぴょんと俺の首に飛びついてくる。それを受け止めくるりと回ると、裏路地から出る明るい方にティアを下ろして俺達は歩き出す。幸いにして長老は有名人であり、近くの人に聞けばすぐにその家がわかった。
「こんにちはー! 長老様、いますかー?」
「ほっほっほーぅ! 今行くぞーい!」
街の喧騒からやや離れた場所にある、他とは微妙に造りの違う静かな一軒家。その入り口でティアが声をかければ、長老が元気な足取りで家から出てきた。うーん、こう見る限りじゃ二月程度でどうこうなるとは思えねーんだが、まあ人間死ぬときなんて本当にあっさりだからなぁ。
「ほっほっ、昨日のお嬢さんではないか。こんな年寄りのところにどうしたのじゃ?」
「はい! 精霊樹のこととか、この里のこととか、色々なお話をお聞きしたいと思いまして」
「ほぅ! いいともいいとも。ワシでよければいくらでも話してやるぞぃ。ほれ、そんなところに立っておらんで、こっちに……いや、こっちの方がいいかのぅ」
家の中に招き入れようとしていたらしい長老が、不意に家の外に出てくる。そうして歩く長老についていくと、ちょうど半周したところでその不思議な光景に目を奪われる。
「これは……家の中と外が繋がってる?」
「ほっほ。これは縁台と言うんじゃ。戸を開けるだけで外と繋がり、こうして座れば外を眺めながら簡単に茶を飲める。ということじゃから、少しここで待っておるのじゃ」
「あ、はい」
言われて、俺は家から生えているかのように存在する木のベンチに腰掛ける。すぐ隣にはティアも腰掛け、懐かしそうな顔でベンチの表面を撫でている。
「うわー、縁台なんて久しぶりに見たわね」
「ティアのいたところでも珍しいのか?」
「あんまり無いわね。ほら、木戸だけで家の中と外を隔ててるから、結構隙間風とかが入るの。それはそれで風情があって好きだって人もいるけど、そういうのはお年寄りが多いわね」
「へー」
「ほっほ、そうじゃのぅ。年を取ると外に出るのがドンドン難しくなっていくから、家にいながら外を感じたいと思うようになってくるものなのじゃよ。
ほれ、お茶じゃ。熱いから火傷せんようにのぅ」
「ありがとうございます、長老様」
「ありがとうございます」
薄い木のトレイの上に湯気の立つ陶器のカップをのせて戻ってきた長老に、俺達はお礼を言ってそのカップに手を伸ばす。湯気の立つそれをフーフー冷ましてから飲めば、紅茶や薬草茶とは違う香ばしい風味が口いっぱいに広がった。




