自分が信じられないなら、自分が信じる他人を信じればいい
「てぃ、ティアさん!? 何でここに!?」
「何でって、そりゃ呼ばれたからよ」
ニッコリと笑うティアの手には木製の手かせがはめられており、その隣にはさっきの人とはまた違う衛兵が立っている。
「聖女様、娘を連れて参りました」
「ありがとうございます。では、もう下がっていいですよ」
「ハッ! 失礼致します……チッ、糞が」
ビシッと敬礼をした衛兵が、チラリと俺を見て吐き捨てるようにそう漏らしてから去って行く。そうしてこの場に残ったのは、俺に胸を揉ませようとしているリーエルとそれに必死に対抗する俺、そしてそんな俺を道ばたに落ちた馬糞を見るような目で見てくるティアの三人だけだ……割と本気で死にたい。
「は、ははは……ようティア、元気だったか?」
「ええ、おかげさまで。エドの方も随分と元気みたいね?」
「いや、ちがっ!? おいリーエル……じゃない、聖女様。これは一体……?」
「彼女には、エドさんより先にお話を聞いていたんです。その時に汚染魔力やあの宝石のことなんかも話したんですけど、そうしたらどうしてもエドさんが心配だと言われまして。
なので私が宝石を壊してしばらくしたら、こちらに呼ぶように頼んであったのです。ああ、壊してすぐじゃなかったのは、エドさん自身にどんな反応が出るかわからなかったからですよ? まさか何ともないとは思いませんでしたけど」
「へ、へー。そうなんですか」
「そうよ? 私エドのことすっごく心配してたんだから! まあ、現状を見るかぎりだと余計なお世話だったみたいだけど?」
「違うから! これホント抜けねーんだって! いい加減離してくれよ!」
かなり本気で腕を引っ張っているというのに、リーエルの体どころかその細い腕すらびくともしない。『何人たりとも傷つけること敵わず』という神の加護は、俺程度の筋力ではどうあっても対抗できないらしい。
「ですが、私の胸を揉む代わりに秘密を話してくれると……」
「言ってねーよ!? それ全部アンタの勝手な思い込みだからな!? わかったから、とにかくまずはティアと相談させてくれ!」
「む、相談ですか……わかりました。でも二人きりではなく、この場でですよ?」
「それでいい! いいから離してくれ!」
「では」
「うおっ!?」
俺の手首を掴んでいた手を突然離され、俺は思いきり後ろに転がり硬い床に尻を打ち付けてしまう。思わず涙目になる俺をあきれた顔で鉄格子越しに見下ろしてくるのは、我が相棒のティアだ。
「で、何でこんなことになってるわけ?」
「ははは、何でだろうな……」
疲れた声で半笑いを浮かべつつ、俺はこれまでの経緯を話していく。するとティアがそっと鉄格子のそばまで近づいてきて、手かせで阻まれるギリギリまで自分の手を牢屋の中に突っ込んできた。
「そうだったの……ねえエド、本当なら今すぐ抱きしめたいところなんだけど、この無粋な鉄格子がそれを許してくれないの。だからせめて手を繋いでくれないかしら?」
「っ……ああ、いいぜ」
すぐにティアの意図を察し、俺はその手をそっと掴む。すると予想通りに俺の中にティアの声が直接響いてくる。
『事情はわかったわ。つまり本当のことを全部話さないとこの人を納得させられないってことよね?』
『そうだ。でもそういうわけにはいかねーだろ? だから――』
『なら、本当のことを話しちゃえばいいんじゃない?』
「…………は?」
思わず声を漏らしてしまった俺に、ティアがぎゅっと手を握ってくる。鉄格子を挟んでまっすぐに見つめ合う様はまるで恋人同士のようだが、俺の頭に広がっているのはそんな甘い空気ではなく、果てしない疑問だ。
『話しちゃえばって、そんなこと言ったら頭がおかしいと思われるだけだろ。そうなったら勇者パーティに加入することだって……』
『そりゃ普通ならそうでしょうけど、でも今は状況が違うでしょ? 隠していたら状況が好転しないなら、むしろ話しちゃった方がいいと思うのよ。異世界の証明だって、妄想じゃ片付けられないくらいの知識や情報に加えて、「彷徨い人の宝物庫」の中にはこの世界じゃ手に入らないものがあったりするんじゃない?』
『それ、は……』
ある、かも知れない。勿論第〇八六世界の知識なんてたかが知れているから絶対とは言えねーが、例えば手に入れたばかりの闇夜石や陽光石なんかはあの世界特有の物質である可能性が高い。それを見せれば異世界の証明はできる……のか?
『そもそも別の世界で見ただけの「魔王の心臓」なんてものがエドの鞄に入ってた時点で色々とおかしいのよ。世界を超えた問題が起きてるなら、それを説明して協力を仰ぐ方がいい方向に進むと思うんだけど……どうかしら? あ、それとも追放されないと世界を出られないみたいに、説明したら駄目って決まりがあるの?』
「……………………」
翡翠色の瞳に見つめられ、俺の頭の中でめまぐるしく思考が巡っていく。
追放スキルこそ小出しにしていたが、今まで俺は自分が無数の世界を巡り、追放されながら旅をしてきたことを誰かに話したことはない。
……本当にそうか?
何故そうしなかったのか? ティアにも言った通り、そんな世迷い言を口にしていたら、まともな人間関係なんて構築できないからだ。
……本当にそうか?
それに、わざわざそんなことを告げる必要性も今までは何処にもなかった。必要も無いのに和を乱す発言をする意味が何処にある? 何のメリットも無いのにデメリットだけを背負い込むようなことをするわけがない。
……本当にそうか?
なら、今は? 異世界を渡り歩いていることを説明することで、「魔王の心臓」なるものがどうして俺の手にあったのかがわかるかも知れない。この場を切り抜けるためにも説明する意味はある。この世界において俺達の経歴がないことの証明にもなるから、むしろ説明した方がいい。説明すべきだ。
……本当にそうか?
そう、自分がこの世界の人間ではないと……異世界から来たと説明してはいけないなんて決まりはない。なら俺は告げるべきなのだ。目の前の聖女に、真実を。
……本当にいいのか?
流れようとする意志を、俺の中に積み重なった常識が堰き止める。だがその常識は一体どこが始まりだ? 何を守っている? それとも……何を邪魔している?
「……エド? どうしたの? ひょっとして調子が悪い?」
「え、あ、いや…………大丈夫だ」
時間にすれば一〇秒にも満たないわずかな沈黙。だが俺の主観では何時間も考え込んでいたかのように、ずっしりとした疲労が感じられる。
ああ、疲れた。頭は燃えるように熱いのに、体は凍えそうなほどに寒い。自分という存在がふわふわと頼りなく漂っているようなのに、その根底たる部分は深く暗い水底に沈んでいるかのようだ。
何もかもが不自由で、何もかもが不確か。この場で唯一絶対に信じられると断言できるものがあるとすれば……
「……ティアの手は温かいな」
「え? 何突然?」
「へへへ、温かいなぁ」
もにゅもにゅと手を動かせば、ぬくもりが伝わってくる。この手のぬくもりだけが、今の俺をこの場に繋ぎ止めているような気さえする。だから俺は、その言葉を口にする。
「なあティア。話すべきだと思うか?」
俺はいつも、俺のすべきことを自分で考え、決めてきた。意見は聞くが、決断は俺が下してきた。
だが今、俺は初めて俺以外にそれを委ねる。でもティアの答えはきっと――
「そんなの、エドが思うようにすればいいじゃない」
ああ、そうだよな。ティアならそう言うだろうさ。俺の思考に再びもやがかかっていく。なら俺の答えは――
「って言いたいところだけど、駄目よ」
「え?」
「当たり前でしょ? そんな泣きそうな顔をしてる年下の男の子を突き放したりするわけないじゃない!」
繋いでいる手をグッと引っ張られ、俺の体が鉄格子に押しつけられる。するとティアは素早く魔法を詠唱して自分の手かせを粉々に破壊すると、鉄格子の向こう側から腕を回して俺の体を抱きしめてきた。
「大丈夫、エドばっかりが背負う必要なんてないわ。私だって背負うし……どうせならこの人も巻き込んじゃいましょ。
全部話しましょう。私達のこれまでの全部を」
ニッコリと笑うティアからは、新緑の森のような優しい匂いがした。




