自然の摂理はいつだって手加減無し
その後、俺はごく普通に日々を過ごした。普通に仕事をして普通に飯を食い、馬鹿なことを言って笑い合ったり、バシバシ背中を叩かれたり……そこにあったのはこの八ヶ月間続いてきた日常だ。
そうして三日後。ティアが受けていた仕事を片付け終わり、いよいよ旅に出る……元の世界に帰る時になっても、特別なことは何もしない。「いってきます」「オウ、頑張れよ」……まるでちょっと買い物にでも行ってくるようなやりとりを経て、俺はこの世界と永遠の別れを告げた。
「……ふぅ、帰ってきたか」
目を開けば、そこには見慣れた白い景色が広がっている。噛み締めるように呟いた俺に、手を繋いでいたティアがそっと話しかけてきた。
「ねえ、エド。随分あっさりだったけど、あれで良かったの?」
「ん? ああ、いいんだよ。別れはちゃんと済ませてあるからな」
「そう。ならいいけど……フフッ」
「? 何だよ?」
柔らかい笑みを溢すティアに俺が首を傾げて問うと、ティアはその笑顔のままゆっくりと前に歩き出す。
「何っていうか……ちょっと羨ましいかなって。ほら、私って今回は本当にエドのおまけみたいな立ち位置だったでしょ? ドルトンさんはよくしてくれたけど、そこまでは仲良くなれなかったから、二人の関係は凄くいいなーって思って」
「そ、そうか? へへへ……」
くるりと振り返って言うティアに、俺は何だか照れくさくて苦笑しながら頭を掻く。ぬぅ、嬉しい反面、これはどうにも恥ずかしいぞ? ここは空気を……あ、そうだ。
「なあティア、俺の剣を出してくれるか?」
「ええ、いいわよ」
俺の頼みに、ティアが「共有財産」を使って俺の「彷徨い人の宝物庫」から一本の剣を取りだしてくれる。こっちに来た時点で俺の装備は元に戻ってしまうので、ここで追放スキルの使えない俺自身では取り出せないのだ。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
剣を受け取り腰に佩き、鞘から抜いて眼前に掲げる。真っ白だった世界に生まれた夜明けは、目が覚めるほどに美しい。
「ホント、綺麗な剣よね……あ、そういえば前にここで鍛冶をするって言ってたけど、やるの?」
「あー……いや、それはしばらく保留だな」
ここを旅立った時の俺には、確かにやる気が満ちていた。だが師匠に再会し己の未熟をこれでもかと見せつけられた今、現状でどれだけ時間をかけてもこれより凄い剣が自分に打てるとは思えない。
「もっと世界を回って、素材とかも集めて……それからだ」
「そうなの? じゃあここで練習とかもしないの?」
「練習……?」
ティアの言葉に、俺は一瞬だけ頭が白くなる。練習……練習? そうか、別にここで鍛冶をやるのは最高の剣を作るためだけじゃないよな。ここで修行して鍛冶の腕を底上げするのは普通にありなんじゃないか?
というか、第〇四八世界みたいに鍛冶に専念できる世界なんてまず無いんだから、むしろここで修行するしかないんじゃないか?
「…………すまん、ティア。前言は撤回する。ちょっと鍛冶とかさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「何でいきなりそんな卑屈になるの!? 勿論いいわよ。仕事の傍らで、ちゃんと家具とか買いそろえてあるしね」
にっこりと笑うティアが、空間に開いた黒い穴からベッドやら何やらを次々と取り出していく。家具は重い物も多いので慌てて俺も手伝うと、あっという間に白い空間の一角にラグジュアリーな快適生活空間が出現した。
「どう? なかなかいい感じでしょ?」
「いいけど……随分買ったんだな」
家具というのは決して安くない。というか、質のいい家具ははっきりと高く、少なくとも実力はともかく経歴的には新人冒険者だったティアの稼ぎで買えるようなものじゃない。おそらくは今までの世界で稼いだ金なんかも潤沢につぎ込んだんだろう。
「だって、エドがどのくらいこの世界にいるのかわからなかったから、なら思いつくものは全部用意しちゃえばいいかなーって。ほら、美味しい保存食とかも買ったのよ?」
「あっ!?」
いい色をした干し肉をひと囓りしたティアに、俺は思わず声をあげてしまった。あー、これは……まあまだ平気だろうけど……
「え、何? ちゃんとエドの分もあるわよ?」
「いや、そうじゃなくて……この世界ってさ、腹が減ったりとか眠くなったりしないってのは話したろ?」
「うん、聞いたわよ。でも長い時間を過ごすなら寝っ転がれた方が楽だし、美味しい物を食べたりした方が――」
「待て待て、最後まで聞いてくれ。腹が減らないってことは、言い方はあれだけど、内臓が動いてないとか多分そういうことだろ? その状態で何か食べたら、どうなると思う?」
「え……?」
俺の言葉に、ティアがハッとした表情で手にした干し肉を見つめ、次いで自分のお腹をさする。
「それってつまり、食べたものがずっとお腹の中にあり続けるってこと?」
「わからん。俺はここじゃ追放スキルは使えなかったから、試したことねーしな。元々訳のわかんねー場所だから、普通にいくら食べても平気って可能性もあるが……もし食った物がそのまま腹に残り続けるなら、いつもの調子で食べたらあっという間に食料が詰まるんじゃねーか?」
「……………………」
ティアの口元から、ゆっくりと干し肉が離れていく。その顔色は明らかに悪いが……ああしかし、俺は更に非情な予想を追加で説明しなければならない。
「ま、まあ食べた分だけ普通に消化されるって可能性もあるけどな! ただその場合、この世界だと見通しがスゲーいいし、多分土に還るとかねーから、ずっとその場にそれが残り続けたりしそうだが……
後は次の世界に降り立った瞬間に一気に動き出すってのもありそうだな。その場合はむこうに転移した瞬間にその場でジョバっというか、ブリッというか、そういう感じに――」
「食べないわ! 絶対何も食べないし飲まないから!」
空間に開いた黒い穴に、ティアが叩きつける勢いで干し肉をシュートした。雑傭兵だの冒険者だのをやってればその手の問題は慣れたものなんだが、だからといって羞恥心が無いわけではないのだから、まあ妥当な判断だろう。
「ははは、それが賢明だと思うぞ。んじゃ早速炉の設置を……っと、その前に先にあっちを確認しとくか」
ふくれっ面でむくれるティアをそのままに、俺は最初からある方の白いテーブルに向かって歩いていく。そこには今回も新たな本が出現しており、いつの間にやらやってきて背後からのぞき込んでくるティアの気配を確認してから徐にそのページをめくる。
そこにあるのは師匠の遍歴。ただその内容はひたすらに鍛冶に打ち込んでいる様子ばかりで、今までの「勇者顛末録」に比べると随分と毛色が違う。俺は読んでいて面白いのだが、ふと横を見てみればティアは思い切り眉根を寄せている。
「うーん、凄く頑張ってるのはわかるんだけど、鍛冶の技術がどんな風に上達したとかこんなに丁寧に書かれても、正直私にはよくわかんないわ……」
「ほとんど技術書だもんな。これは流石に経験者じゃねーと難しいだろ。仕方ねーし、少し飛ばすか」
別に一度しか読めないという物でもないので、俺は軽く斜め読みしてどんどんページを飛ばしていく。すると結構な厚さのあった「勇者顛末録」も、あっという間に最終章だ。
――第〇〇六世界『勇者顛末録』 終章 勇者の剣
弟子の巣立ちから三〇年の後、鍛冶の勇者ドルトンは己の全てを注ぎ込み、ついに一本の剣を打ちあげた。長く続いた偽りの平穏を終わらせ、厳しい夜を迎える覚悟こそ今の世界に必要だと主張したドルトンは、その剣に「黄昏の剣」と名付け、以後鍛冶師としては引退し、その数年後老衰にて息を引き取った。享年一四三歳、鉱人族としては平均的な寿命であったという。
偉大な鍛冶師の死をきっかけに、「黄昏の剣」を巡る争いは激化。それまでは国が認めた勇者しか挑戦することを許されなかった「剣の試し」というドルトンの残した試練に誰もが挑戦できるようになり、世界各地から我こそはと名乗り出た者が挑戦したが、誰一人としてそれを達成することはできなかった。
それから三〇〇年。かつての名工は伝説となり、観光名所と成り果てて年に一度の祭りの時以外は誰も「剣の試し」に挑戦しなくなったことで、「黄昏の剣」は町に建てられた祠の中に安置されていた。一部の専門家の間には「達成できない試練を課すことで、ドルトンは安易に魔王を倒して今の平穏を脅かしてはならないというメッセージを伝えたかったのではないか」と考察する声が主流になりつつあるなか、とある少女がついに「剣の試し」を達成する。
世界中が騒然とするなか、少女は錆一つ浮かんでいない「黄昏の剣」を手に、ただ一人魔王を倒すために旅に出た。その背中には、「黄昏の剣」とよく似た剣が背負われていたという。




