宣言
「じいさま! ハリエットを見ませんでしたか」
ライリーは宴会場から離れるにつれて灯が少なくなっていく廊下でルーファスを捕まえて訊ねた。
「なんだ、喧嘩か」
暗い廊下に立っていた老騎士は、のんびりと質問で返した。
「そうですよ! じいさまはこんなところで何してるんですか。夜会には絶対出ないと言ってたくせに」
「上等な葡萄酒を飲む機会だからな、裏からくすねてきた帰りだ」
「素直に出席すれば堂々と飲めたのに」
「年寄りにああいう場所は辛いんだよ。俺は明日朝には発つからな。あとはおまえら若いのがしっかり働いて、俺の老後の安寧を守ってくれよ」
背筋が伸びた立ち姿に、白髪以外の老いは見当たらない。
だが、ライリーの縦の成長が止まった十年前、大叔父の目線は同じ高さにあったはずだ。久しぶりに会った彼は、少しだけ小さくなっていた。
昼間見せたような動きをするのは、もう辛いはずだ。
「……傭兵が待っているんでしたっけ」
「ああ。約束だからな、仕方ない」
傭兵はルーファスに会わせることを条件に、バランマスに手を貸した。
ルーファスは旧友である彼らとの間に密約を交わし、最後まで戦に付き合うことを確約させたのだ。
「なんか父や兄のように思ってる、なんて彼らは言ってましたけど。何しに行くんですか?」
「今回来たあいつらは本当の子じゃないけどな。俺の血を引く子とその母親が会いたがっているらしい」
どこか近いところで、ごっ、と何かがぶつかったような音がした。
ライリーは不審に思って周囲を見回したが、灯が少ない廊下は遠くまで見通せない。それよりも今は、突然見知らぬ親戚の存在を明かされたことのほうが重大だ。
「じいさま結婚してたんですか⁉︎」
「してない。あいつらの身内の女に、強い男の子を産みたい、種だけでいいから寄越せと言われてな。あいつらには世話になったし、まあいいかと思ったんだ。大昔の話だ」
「えええぇ……」
「幻滅しましたか」
含み笑いのルーファスに、ライリーは怪訝な顔になった。
「今更それくらいで。じゃあその、母上のいとこに当たる人物に会いに行くんですね」
「そういうことだ。どこか遠いところでぽっくりいくことがなければ、またティンバートンに帰ってくる」
「年寄りが言うと笑えませんよ。やっぱり誰か連れてってくださいよ」
いくら常識離れした老人でも、八十に近い歳なのだ。いつ何があっても不思議ではない。
「必要ない。ライリー。母親はともかく、父親孝行はしてやれよ」
「じいさまは昔から父上贔屓ですよね」
「あいつは大した男だ。俺のせいでキャストリカから睨まれていたティンバートンに婿に来て、地味に目立たず立ち回っていつの間にか家を立て直しやがったんだ」
「……それ褒めてます?」
「当たり前だ。ロバートは父親に似たから心配いらないが、おまえは母親似だから、何をしでかすか分かったものじゃない」
「褒めてます?」
ぬけぬけと返すライリーに、ルーファスは苦笑した。
「まあな。ほら、婦女子をいつまでも立たせておくものじゃないぞ」
「え」
「ハリエット様。こいつは俺には劣るがそこそこの騎士だし、余所に子どもをつくるような男じゃない。夫にしておくにはそう悪くないと思いますよ」
「ハリエット!」
柱の影に、普段の夜会より地味に装った妻を見つけてライリーは一瞬で距離を詰めた。
生地を贅沢に使った袖ごと手首を捕まえる。
今までにない強引さに、ハリエットは驚いて身を引こうとした。ライリーはそれを許さない。
「っ離してください」
心なしか気弱な口調のハリエットを見て、ルーファスはその場を去ってしまった。
「嫌です」
ライリーは言い切って、そのままハリエットを抱え上げた。腕の自由が効かないように肩を押さえ、揃えた膝裏を脇に挟むようにして拘束する。そのままライリーは歩き出した。
知らない人が見れば人攫いだと叫びそうなものである。
だがそんな彼らを見つけたのは、仲間の騎士だけだった。
異国からの客人が通らない通路のため、警備中だというのに緊張感がない。余興の続きと勘違いしているかのように、女性を攫う最中の騎士に喝采を浴びせる。
ぴぃーいと指笛が鳴らされるなか、ライリーは飲酒の疑いのある騎士達を見回した。
「竜が出たぞー!」
「団長、今日はちょーかっこよかったっすよ!」
「おう、ライリー。とうとうかどわかしか」
「ええ、まあ。ウォーレン達は?」
「官舎で祝杯を挙げてるんじゃないか」
「騎士様方、助けてください!」
「すみません、夫人。竜には勝てないっすよ。そろそろ許してやってください。そいつも反省してますよ」
「!」
弱者の味方であるはずの騎士に見放され、ハリエットはわずかに手足をばたつかせた。
そんな可愛らしい抵抗は意にも介さず、ライリーはそのまますたすた歩いた。
途中で主を探しにやってきたアンナも、それ以上夫妻に近づくことはなかった。
「ああ、アンナ。すまないが今夜は子ども達を頼む。明日朝家に連れて帰ってきてくれ」
「承知しました」
ハリエットに忠実な乳姉妹までライリーの言うことを聞く。ハリエットは、ようやく観念して大人しくなった。
それに気づいたライリーは、彼女を抱えたまま走り出した。
「よう、楽しそうだなライリー」
「あれ、団長仲直りできたんすか?」
「これからだ。邪魔するなよ!」
「しねえよ。がんばれよライリー!」
今日の式典の一部である馬上槍試合は大成功だった。騎士団の力を効果的に見せつけ、帝国に釘を指すことができた。
キャトリカの騎士団が護るバランマスに手を出すな。
強く思い知らせることに成功した。
エルベリーとの戦から今日まで、休む暇なく働き続けたライリーの功労だ。彼はこれまで何よりも優先してきた妻との仲の修復を後回しにして、奔走し続けた。
やっと、ライリーが愛する妻を追いかける時間がやってきたのだ。
彼の邪魔をする者などどこにもいなかった。
「……もう逃げませんから。降ろしてください」
「嫌です。もう二度と放しません」
明るい声で、ライリーは拒否した。
何かを吹っ切ったような妙な明るさだ。
ライリーは吹っ切ることにしたのだ。
普段はぼんやりした火しか灯されない騎士団官舎は何本もの蝋燭が贅沢に使われ、煌々と明るかった。がやがやと賑やかな一室の扉を音を立てて開けると、そこには幹部七人が全員揃っていた。
籤で外れを引いた騎士は、会場の警備に就いている。彼らは入れ替わり立ち替わり、騎士団の祝宴に参加している。
順番に警備に就いている騎士の代わりに、室内には従軍した騎士の娘達の顔もあった。
「ライリー! お疲れさん。向こうはもういいのか」
「多分。あとはエベラルドが勝手にやればいいでしょう」
適当なライリーの返事に、すでにだいぶ出来上がっていた男達はげらげら笑った。
「ははっ。まあな。で、どうした。とうとう仲直りか」
「ウォーレン。デイビス、マーロン。ロルフ、ピート、ニコラス、ザック。全員揃ってますね」
晴れやかな表情で、ライリーは幹部の顔を順に見回した。
「なんだ。何かあったか」
ザックが座ったまま、へらへらと上官を見上げた。
「俺、団長辞めます!」




