それぞれの出陣準備
翌早朝、王宮に滞在していた人々は暗いうちから起き出した。
城中の部屋を開放し、騎士団の官舎や長屋など屋根のある建物すべてを使っても、全員を収容することはできなかった。部屋が足りない分は城下の宿や民家にも協力を乞い、可能な限り寒空の下で眠る人がいないように尽力した。
それには主に、ティンバートン一行のなかにいたロージーと、侍女エイミーの主従が音頭を取ってくれた。
そうして全員が休息を取ると、朝の鐘が鳴る前に準備にかかった。
ライリーがそっと起き上がると、大きな寝台の逆端で寝ていたハリエットが身を起こした。
彼らの間では、再会した両親から夜も離れなかったふたりの子が寝息を立てている。
ふたりは目だけで朝の挨拶をすると、なるべく音を立てずに身支度を整えた。
静かに戸を開けて続き部屋へ行くと、アンナとアルが待っていた。
「なんでアルがいるんだ。もう従者じゃないんだぞ」
「ちゃんと官舎で寝ましたよ。今来たところです。お供するのはこれで最後にしますから」
そう言って新米騎士アルは、笑顔でライリーの甲冑を手に取った。
まだ暗いにも関わらず、城内は人の気配に満ちていた。
ライリー達が廊下に出る頃には子ども達も目を覚まし、寝惚け眼のまま母と乳母の手で着替えさせられた。
いつも出陣式を行う広場には、すでに半数以上が集まっていた。通常は一糸乱れぬ行進をして入場する騎士団だが、今日はばらばらと集まる人々の誘導役であたふたしている。
その広場の一画に、場違いとも言える集団がひとつあった。
女性ばかりの集まりである。
ライリーはアルを促してそちらへ向かわせ、自分もハリエットと共に近づいて行った。
「エイミー」
「アル。おはよう」
こんな日にも明るく挨拶するエイミーに、アルは思わず苦笑してしまう。彼は自分の首元から羊毛を織り込んだ首巻を取り出すと、エイミーの首に巻き付けた。
「……おはよう。首周りが余ってる。痛めちゃうから、これ巻いときなよ」
いつになく親密な行動にエイミーは少し戸惑う様子を見せたが、優しく微笑む青年に素直に頷いた。
「ありがとう」
アルはライリーが何も言わずに、こっそりその場を去ったのを視界の端に捉えた。
気を遣われないといけないことなんか、するつもりはないのに。
内心憮然としてしまったが、まあいいかと気を取り直す。
エイミーは父親譲りで背が高く、骨格もしっかりしている。そのことをいつも気にしていたが、今回生まれて初めて、劣等感を払拭する機会が巡ってきたのだ。
彼女は騎士のように鎖帷子を着て立っていた。着慣れている父は軽いから大丈夫だと言っていたが、エイミーにとっては充分重いし着心地も最悪だ。
「本気で行くの? 今ならまだ、やっぱりやめるって言えるよ」
アルは首巻の具合を気にする体で、エイミーの近くで囁いた。
エイミーは遠慮がちに触れる指がくすぐったくて、首をすくめて笑った。
「何よ今更。もう行くって決めたの」
今回の作戦は、ハッタリが肝心だ。なんでもいい、頭数を集めろ。
武器は扱えなくてもいい。どうせ実際に戦うことはないのだ。とにかく馬と、馬に乗れる人間を集めろ。
大量の寝床の確保に走り回る合間に漏れ聞こえてくる話に、エイミーはなんの気なしに口を挟んでみたのだ。
何やるんですか? あたし、馬なら乗れますよ?
彼女の言葉に、騎士達は動きを止めた。
いやいや、それはさすがに。
……騎士の娘か。体格いいのが多いな。
確かに……いや、いやいやいや。
でも戦場に出る女性の前例は割とあるぞ。
…………本当に乗れるのか。
普通に進むだけなら問題なく。
急遽、馬術の心得があるならば女性も可、と募集したところ、騎士の家族が何人も挙手した。
「昔アルが、馬にも乗れないくせに、ってホークラムに連れてってくれなかったからだよ。あんまり悔しかったから、父さんに教えてもらって練習したの。知らなかったでしょ」
「……知ってたよ」
あのお転婆娘が、今度は乗馬を始めたらしいぞ。と騎士団で噂になっていたのだ。
ウォーレンはその噂に限っては平然としていて、非番のたびに娘を郊外に連れ出し熱心に指導していた。
うちの娘は伯爵令嬢の侍女だからな、乗馬が必要な家柄の方に見初められたときに困らないように、という考えだったらしい。それに感化された別の騎士がうちの娘にも仕込んでおくか、と言い出し、それを見た他の娘があたしもやりたい! と言い出し、一時期騎士家族の乗馬訓練が流行ったことがあるのだ。
その結果が今回に繋がっている。
「なんでもやっとくものね。あたし今まで護ってもらってばっかりだったから、役に立てて嬉しい」
「……君はミアを護ってたじゃないか。エベラルド様をぶん投げて、騎士団との仲を取り持ったのも君だ。充分過ぎるくらい役に立ってるよ」
「そんなの」
「充分だよ。だからエイミー、怖くなったらいつでも言って。すぐに帰れるよう、一緒に頼んであげるから」
「アルこそ、騎士としては初陣になるんでしょ。あたしは救護隊にいるから。泣きべそかきたくなったら来てもいいわよ」
甘やかす言葉に恥ずかしくなって、エイミーはいつもの調子に戻そうとした。
「エイミーがいるなら、救護隊なんて絶対行かないよ。怪我人にトドメを刺さないよう気をつけろよ」
案の定アルが乗ってきたから、エイミーはほっとしたような、少し寂しいような気持ちになった。
そのまま背を向けたアルの黒髪を見送っていたら、彼は急に立ち止まり、くるりと向きを変えて戻ってきた。
そしてエイミーの胸倉を掴んで、
「…………!」
キスをした。
「あ」
「あら」
少し離れた場所でさりげなくふたりを見ていたライリーとハリエットは、口元を綻ばせた。
娘から隠れるように様子を伺っていたウォーレンは、握った右の拳を妻に押さえられている。
おーー。
周囲の騎士が準備の手を止めて、ばらばらと拍手を送った。
騎士団とその家族だけでなく、彼らを知らない各地から集まった志願兵や、傭兵までもが何事かと見守っている。
押し付けた唇を離すと、アルはエイミーの顔を覗き込んだ。
彼女は驚きと羞恥で顔を真っ赤にして固まっている。
「エイミー、好きだよ。帰って来たら、結婚してください」
「!」
口をぱくぱくさせるエイミーを満足気に見ると、アルは彼女の胸倉を掴んだ手を離した。
「って言うつもりだから、返事を考えといてよ」
「あ、あんた、それ」
「じゃあね。せいぜい落馬しないよう気をつけて」
それだけ言うと、アルは戦準備のためにその場を去った。
その背中に向かって、エイミーは叫んだ。
「胸倉掴んで言う台詞じゃないでしょ、アルの馬鹿‼︎」
「なんだぁあいつら。遊びにでも行くつもりか」
「本気であれも連れて行く気かよ。なんかあっても俺達は助けないからな。道連れはごめんだ」
顔をしかめる傭兵の間に割って入ったのはライリーだ。
「あなた方に迷惑はかけませんよ。あれもうちの立派な戦力です」
「おう、赤毛の。ドラゴンは行かねえのか」
「無茶言わないでください。もう八十近い年寄りですよ」
「あれが年寄りってツラかよ」
「アル」
緊張感なく冷やかす声をあしらいながら走り回るアルに、幼い頃から聞き慣れた声がかけられた。
「クロード。どうして?」
実家の旅籠で働く用心棒だ。怪我をするまでは、騎士団に所属していたアルの武芸の師匠。片足を引きずってはいるが、未だにアルは、彼と剣を交えても互角以上にはなれない。
「もう戦場には立てないが、留守を護るくらいならできるかと思ってな。王宮ががら空きなのもどうなんだと親父さんも言うから。おまえも主人の家族が心配だろう」
「……ありがとう。ハリエット様を頼むよ」
「あとな、さっきの。ウォーレンの奴がおまえのこと殺しそうな眼で見てたぞ」
「…………大丈夫だよ。少なくとも戦が終わるまでは」
ハリエットも馬には乗れるが、彼女には王宮に残ってやる仕事がある。
代わりにそこには、エイミーの他にも騎士の娘がずらりと顔を並べていた。
その一画だけが異様なくらい、潑剌として明るかった。
なかでも一際目立っているのが、燃えるような赤い髪の婦人だ。
彼女の名はシエナ・ティンバートン。
五十近い年齢にも関わらず、鍛えた長身で騎乗する姿は凛としていて、周りの娘達は準備の手を止めて見惚れた。
「母上も無茶はしないでくださいよ。もういい歳なんですから」
「誰に向かって物を言っているの。こんな事態になるまで気づかなかったなんて、恥ずかしいと思いなさい」
「返す言葉もございません」
逆らうことなく頭を下げる息子の耳を引っ張って、前伯爵夫人は凄味のある笑顔を見せた。
「馬鹿息子。お嬢さん達のことは、わたくしが責任を持ちます。あなたは後ろのことは気にせず、男共を率いてお行きなさい」
もうすぐ朝の鐘が鳴る。
いつもは起床の合図だが、今日の鐘の音は、死への行進曲となるのだ。
エベラルドの作戦が嵌れば、死者は予定よりもかなり少なくて済む。
それでも、ライリーがこれまで経験してきたどの戦場よりも厳しいものになることに変わりはない。
出立のぎりぎりまで、騎士の家族は父や夫の側にいて、何度も抱擁を交わしていた。
そろそろ時間だ、とライリーは抱いていたソフィアを下ろして、ブラントを抱きしめた。
「ブラント、母上とソフィアを頼むぞ」
「はい、父上」
「ハリエット」
ライリーは妻の右手を持ち上げて、額に押し戴いた。
「はい」
周囲には人がたくさんいた。幼い我が子も真下で見ている。
ライリーは節度を失わないぎりぎりの距離までハリエットに近づいて、低い声でささやいた。
「俺は平凡な男だが、あなたがいてくださるなら、できないことなどありません」
「はい」
ハリエットは微笑んだ。
死地に赴く夫に泣き縋るような無様はしない。それが騎士の妻としての彼女の矜持だ。
「必ず、勝ちます。勝ってあなたの元に帰ってきます」
「無事をお祈りして、お待ちしております」
白い手の甲に唇をつけると、ライリーは微笑みハリエットの手を放した。




