雪が解けたら
ハリエットが王宮に現れてから、それまで城門の通行を許されなかった騎士団も、自由に王宮を出入りするようになった。
こうなってしまえば、彼らはいつでも王宮を取り返すことができる。異国の騎士を追い出し、エベラルドの首を挙げて、正統なる王位継承者を迎えに行けばいい。
だが、ハリエットに禁止された騎士団は行動を起こさなかった。
エベラルドは変わらず支配者として王宮に君臨し、キャストリカの騎士は敢えて彼に逆らうようなことはしなかった。
城の奥に幽閉されていた近衛騎士も解放された。彼らは護衛対象である王族を失い、希望者は暫定的措置としてデイビスの隊に組み込まれた。短期間ではあるがデイビスが指南役にあったためか、案外あっさりと隊に馴染んだ。
騎士団は通常任務である王宮警護は拒否し、毎日畑仕事や狩りなどの食糧調達と鍛錬に明け暮れた。
そこここで両国の騎士が睨み合うような危うい均衡ではあったが、王宮は見せかけの平穏を取り戻していた。
騎士団長代理の登城から九日目。
前日から降り続く冷たい雨が、王都の雪を完全に溶かしてしまった。
エベラルドは地下牢でライリーとザックに賭けの期日到来を告げ、負けを宣言した。
彼は幽閉生活が長期間に渡った割にこざっぱりとしているふたりを見て顔を引き攣らせはしたが、そのことについて言及はしなかった。鍵を開けたのは彼自身なのだ。
「まずは風呂」
「だな。あとまともな飯を喰いたい」
「俺ちゃんとした寝台で寝たいです」
「俺酒」
エベラルドの横を通り過ぎ、ふたりはスタスタ歩いて地下を出た。
足腰が弱った様子は見られない。狭い牢に閉じ込められていた人間にはまずあり得ないことである。
「酔っ払う前に、奥方と娘さんを迎えに行きましょうか」
「ああ。おまえんとこの従者も待ちくたびれてるだろうよ」
「どうでしょう。やっとエイミーとどうにかなって、楽しくやってるんじゃないかな」
「…………おい」
後ろからかけられる声を無視して、ライリーは離宮に足を向けた。一度だけ姿を見せたアルが、そこにいるのだと言っていたのだ。
エベラルドは舌打ちして、控えていた兵に指示を出した。
「何か?」
前方から複数の槍を突き出され、ようやく振り返ったライリーは、表情のない目をエベラルドに向けた。
「夫人が先だ。夫が出てくるまで、交渉を進める気はないらしい」
焦りを隠せないエベラルドに、ライリーは嘲笑を見せた。
似合わない表情だな、と隣で見ていたザックは思った。
「へえ。あんたの顔を見たくないのかな。色男が嫌われたものだな」
「理由はなんでもいい。早くしろ」
「なら先に湯の用意をしてくれ。髭は好きじゃないらしいから、剃刀も」
ライリーの台詞に、エベラルドは一瞬黙った。顔をしかめて顎髭を撫で、ぼそりと呟く。
「……そんなに駄目か? これ」
「いや、そんなことはない。ありだと思うぞ」
思わずザックが憧れの髭を肯定した。
「はい。ありです」
ライリーも頷いた。
「でももしかして、俺も剃ったほうがいいのか?」
「あー……、奥方は分かりませんが、赤子は嫌がるかもですよ」
「おう……」
ザックが珍しく真剣な顔で悩みだした。
「……なんでもいい。急げ」
「ザックは先に離宮に行ってください。後は俺とハリエットで」
「馬鹿野郎。湯が必要なのは俺だ。赤子に初対面するのに、汚かったら抱かせてもらえないだろ」
青筋を浮かべるエベラルドに急かされながら身支度を整えたふたりは、ハリエットに用意された部屋の扉の前に立った。
結局ザックも、さすがにこっちが優先だろ、と最後まで付き合う姿勢だ。
扉を護っていた騎士が、室内に来訪者の存在を告げる。
ややあって開かれた扉からアンナが出てきた。今日は見慣れたいつものコット姿だが、エベラルドに向ける視線は騎士姿のときと変わらず鋭い。
彼女は身綺麗にしたライリーを見て、少しだけ表情を和らげた。
「夫人の具合はいかがか」
エベラルドが問うと、アンナはこう答えた。
「雪が解けて、すっかり快くなられたようです」
「それは良かった。では条件とやらを聴かせてもらおうか。支度が終わったら声を掛けてくれ」
待つのはこれが最後だと言わんばかりに、エベラルドはその場を動かない姿勢だ。
ライリーがその不作法を咎める前に、扉が開いた。
現れたハリエットは、頭の天辺から足の先まで隙なく武装していた。
短い髪は結い上げて飾り網を被せることで、違和感を無くしている。眉はきりりと真っ直ぐ描いて、大きな瞳に宿った光を強調する化粧は、こけた頬を目立たなくしていた。
瞳と同色の青い上着に、騎士団の群青色の外套。
先端が細い靴は、戦いには適さない繊細な造りだ。
これが、ハリエットの戦闘服だ。
ライリーはエベラルドを押し退けて前に出ると、ハリエットの手を取った。
エベラルドはあっさりと身を引き、彼らに背を向けて歩き出す。
「騎士団長、もう少しわたくしが代理を務めさせていただいてよろしいでしょうか」
ハリエットがおっとりと微笑みかけると、ライリーは真面目腐って応えた。
「ええ。あなたに全権を委任いたします」
「いっそのこと、ずっと代理でいいですよ」
「そうそう。夫人が号令してくださるなら、俺らも士気が上がる」
扉を護っていたふたりが、そのまま後ろに付いて護衛騎士役を務める。
「うるさい。そんなこと絶対させるか」
軽口を叩きながらも、彼らは臨戦態勢を崩さない。




