再会
謁見からきっかり二刻後、エベラルドは約束通りハリエットを部屋まで迎えに来た。
キャストリカの騎士が扉の前に立っている。その護衛然とした姿に、エベラルドは一瞥をくれただけだった。
騎士が彼の来訪を室内に告げると、アンナが細く開けた扉からするりと出て来た。
「主人は体調を崩して伏せっております。どうかお引き取りを」
騎士姿の侍女のいつも通りの無表情に、エベラルドは顔を引き攣らせた。
「……いつだったか聞いたような話だな。あんたの主人は昔それをやってしくじってんだろ。過去から学べよ」
「なんの話でしょうか」
騎士姿とはいえ、武器を所持している様子のない女性が相手である。力尽くで押し退けるわけにもいかず、エベラルドは低い声で恫喝した。
「いいからそこをどけ」
アンナに怯む様子はない。
「黙って引き下がって、次の日見舞いに行くぐらいしろよ。……と申し上げたらよろしいのでしょうか」
「分かってんじゃねえか! ってか、なんでそれあんたが知ってるんだ」
「旦那様が、よくおっしゃっていましたので。今の幸せがあるのは、エベラルド様の助言のおかげだと」
ライリーの名を聞いて、エベラルドはすっと表情を無くした。
「……夫人はいつ頃快くなられるご予定だ」
目をわずかに細めて、アンナは答えた。
「地面に積もった雪が解ける頃、でしょうか」
対するエベラルドは、口の端を持ち上げるのと同時に、右脚を持ち上げた。
アンナの左右に立つ騎士が制止する前に、アンナの左腕にぎりぎり当たらない軌道で、扉を強く蹴りつける。
だんっ! 重厚な造りの扉が壊れることはなかったが、か弱い貴婦人が怯えるには充分な音が響いた。
「…………雪が解ける前に気が変わったら、いつでもお呼びくださいと、あんたの主人に伝えてくれるか」
その蛮行にアンナが見せた反応は、わずかなものだった。
片眉だけ上げてみせる仕草は彼女の主によく似ており、エベラルドの気持ちを逆撫でするのに大いに役立った。
「承りました。そちらも、雪が解けたような気がしたらお知らせくださいませ」
エベラルドは手をあげてしまう前にと、黙って背を向けた。
彼はアンナさんかっけえ、とはしゃぐ若手騎士の声は無視したが、ばーかばーかと背中に向けられた幼稚な罵倒には、ひと睨みするのを我慢できなかった。
ぴしりと固まって口を閉じる騎士に鼻を鳴らして、今度こそエベラルドはその場を去った。
「若いのの緊張感が足りないんじゃねえか。どうなってんだ」
廊下を曲がったところで、エベラルドは口を開いた。
「そちらには関係のないことだ」
顔をしかめながら言ったのは、ハリエットの部屋を陰から見張っていたウォーレンだ。
「……あんたなら知ってるか? 外の傭兵はどうやって雇った。いくら夫人でもそこまでの金は用意できないだろう」
「さあな、と言いたいところだが、そちらのおかげだとだけ言っておこうか」
謎掛けのような言葉に、エべラルドは片目を細めて不快感を示した。
ウォーレンがこのように人を小馬鹿にした喋り方をすることができるとは知らなかった。少年だったエベラルドを見守ってくれていた彼は、当時すでに大人で、面倒見のいい男だった。
エベラルドは、知っているようで知らなかった、かつての仲間の姿をこの二ヶ月でたくさん見てきた。
それはウォーレン達も同じように思っていることだろう。
エベラルドがこんなことをする奴だとは思ってもみなかった。
こうなってから毎日考えているはずだ。
謁見の間での出来事の後、用意された部屋で横になったハリエットは、毛布にくるまって腹部を撫でた。
長い間止まらなかった出血だが、サイラスの手を借りて馬に乗り、アンナと再会する頃にはだいぶ落ち着いていた。それでも長期間伏せって過ごしたために体力はなかなか戻らず、謁見の間での遣り取りの最後には倒れてしまう寸前の状態だった。
食事も、少しずつしか喉を通らない。
(ライリー)
生きていた。遠くから見た夫は元気そうだった。髪と同じ赤色の髭が若々しい顔に全然似合っていなくて、思わず笑ってしまった。
雪が解けるまでハリエットがこの部屋から出ずにいれば、ライリーはエベラルドとの賭けに勝って牢を出てくる。
ライリーは今もエベラルドを信じているのだ。
彼の兄分は、約束を守る男だった。一度言い出したことを、自ら破るような真似はしない。
雪が解けるまでハリエットが自由の身でいて、それまでライリーが牢を出なければ、エベラルドはそれ以降手出ししてくることはない。
アンナがエベラルドを追い返す声が聞こえる。
せせら嗤う侍女の態度に苛立ち、怒鳴るエベラルド。
余裕を失くしているのだ。傲岸な態度でキャストリカに仕える人々を見下してきた彼が、昔のように人間臭い言動をとっている。
余裕がないのはハリエットも同じだ。ただ踏んできた場数が違う。
エベラルドは戦場での振る舞いは一流なのかもしれないが、武器を持ち込まずに行われる会談は不慣れなのだ。そしてそれは、ライリーもだ。
だからここからは、ハリエットの出番だ。夫の不得手を埋めるのは、妻の仕事だ。
一時的に現役復帰といきましょうか。
騎士団を引退したサイラスとそう言い合わせて、ハリエットは再び立ち上がったのだ。
身体を休めていたハリエットは、そのうち眠ってしまった。
話し声に気づいて目を開けたときにはすでに部屋は薄暗く、隅に立つライリーの姿がぼんやり見えた。
「…………ハリエット」
ライリーの隣に立っていたアンナが、静かに控え室に退がった。
寝台に身体を起こしたハリエットの側に、ライリーが移動してきた。
肩の上で揃えた毛先を巻き込んで、大きな掌がこけてしまった両頬を包んだ。
手入れを怠っている頬のかさつきに気づかれなければいいけれど、とハリエットは頭の片隅で考えた。考えたが、待ちわびていた手を拒絶することはできなかった。
「ライリー」
後が続かないライリーの代わりに、ハリエットが言葉を次いだ。
「ライリー。誉めてくださいな。あなたによくやったと言っていただきたくて、ここまで参りました」
夫が涙を流すのを見るのはこれが初めてかしら。ハリエットは彼を見上げて思い起こしてみた。
やっぱり思い当たらない。
結婚して八年経っても、夫にはまだハリエットには見せていない顔があったようだ。
「よくやった。よく、やってくれました。ハリエット、あなたはいつだって俺の誇りです」
痛いほどの強さで抱きしめられながら、ハリエットは自分にも涙を流すことを許した。
「…………もう、泣いてもいいですか」
泣きながら、ハリエットは夫に縋りついた。
「ええ。ご存分に。俺の泣き虫姫」
「わたしの騎士様のほうが先に泣いてるわ」
言われてライリーは、慌てて涙を拭った。
「俺はもうおしまいです。どうぞお好きなだけ泣いてください」
夫の胸の中で泣きながら、ハリエットは少しだけ笑った。
あまりゆっくりしていられる時間はない。
泣き虫姫にしては控えめな時間、そうして涙を流して、不安だった気持ちも一緒に流してしまった。
ライリーが生きていた。温かい腕に包まれて、その鼓動を感じて実感できた。
もうハリエットは大丈夫だ。このまま、ちゃんと自分の足で立っていられる。夫に寄りかかっているばかりでは、歳上の妻の名がすたるというものだ。
手巾で涙を拭って、ハリエットは顔を上げた。
「ブラントとソフィアは、ロブフォードに置いてきました」
「! ハリエット、ウィルは」
「ええ。弟がごめんなさい。でも大丈夫。あの子達はあそこにいれば安全です」
「……あなたが、そうおっしゃるなら」
ハリエットは夫を見上げて手を伸ばし、その頬にそっと触れた。
「先ほどよりもすっきりしたお顔ですね」
「ああ、せっかくだから残そうかと思ったのですが。時間がないので全部剃ってしまいました」
「賢明な判断です」
「えっ。駄目ですか、髭」
「無いほうが素敵ですよ」
えええ、と落胆するライリーを、ハリエットはにこにこと微笑んで見ていた。変わらない夫の姿が、何よりも嬉しい。
「……あなたは、この髪はどうなさったのですか」
ライリーは慎重に、妻の短くなった金髪の毛先に触れた。
「あなたが心配するようなことは何もありませんよ。囮を頼むときに目印になるものがあったほうがいいかと思って、切って渡しただけです。残りの髪は、逃亡資金が心許なかったので売ってしまいました。やっぱり変ですか?」
酷い目に遭ったのではと心配していたライリーは、安心して笑顔になった。後頭部を優しく撫でて、頭の天辺にくちづけを落とす。
「可愛いです。ソフィアとお揃いだ」
貴族女性としては異形とも言える姿になってしまったが、彼に気にする様子はなかった。
あなたが無事ならそれでいい。
ライリーの気持ちが伝わってきて、ハリエットも髭の剃り残しがある頬にキスを返した。
「これから、やらなくてはならないことがたくさんあります」
「はい。俺も牢に戻る前に、打てる手は打っておきます。あなたの護りは、外の騎士が固めます」
「……牢には、戻られるのですね」
ライリーは風呂に入って髭を当たり、さっぱりしてしまっている。牢を出たのは一目瞭然だ。
今更ではないかとハリエットは思うが、ライリーはきっぱり言い切った。
「湯と剃刀の差し入れがあったことにすれば問題ないです」
いや、あるだろう。
ハリエットは突っ込むのはやめておいた。夫の気の済むまでやればいいと思うことにした。
「……では、雪解けまでわたしも牢で過ごそうかしら」
「それは駄目です」
「言ってみただけです」
笑うハリエットに、ライリーは念押しした。
「来たら駄目ですよ。汚いし臭いし、とにかく不衛生な場所なので」
「そう思うなら、もうおやめになったらいかがですか」
「……ごめんなさい。もう少しだけ。これが終わったら、エベラルドを嗤ってやれたら、……俺は、彼に手を貸します」
ライリーは、ひどく難しいことを言うように言葉を絞り出した。
「ええ。あなたは、そうおっしゃると思っていました」
「……俺は」
ライリーの唇に指を当てて、ハリエットは寝台から降りて立ち上がった。
「さあ、騎士団長。作戦会議をしましょうか」




