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人質の生活

 離宮には、ミアと、騒動の中生まれた子、デイビスの妻と孫、エイミーの全員が揃っていた。

 アデラは必要な物資を運んで来たり、あれこれと気を配ってくれているそうだ。

 ふたりの子を持つ彼女はミアの出産も手伝っており、ずいぶんと頼られている様子だった。

 外の喧騒はここまで届かない。戦時下にあるとは思えない和やかな空気に、アルは戸惑ってしまう。

「ミアは何も知らないって?」

「そうなの。エベラルド様の言うことを信じてるみたい。ザック様が大変な任務に就いていて、残してきた妻にも危険が及ぶことを心配している、安心させるために隠れてなきゃいけないって」

 身重の身にも、産後の身体にも、心に負担をかけるのはよくない。

 マイラは孫をエベラルドに取られて仕方なくついて来たのだが、ミアの前では話を合わせている。

 それでも出産という大仕事を終えた直後はミアも心身共に不安定になり、エイミーが連れて来られた。

 彼女は結婚に際しても力になってくれた友人の顔を見て落ち着きを取り戻し、ゆったりと我が子の世話をして過ごしている。

 輿に乗せられて連れて来られた場所が王宮内にある離宮で、目と鼻の先に夫が囚われの身となっているとは夢にも思っていないのだ。

「でもやっぱり、不安になるときがあるみたい。時々赤ちゃんを抱いたまま泣いてるの。なんか変だって、薄々気づいてるのよ。ザック様が信じてるエベラルド様を信じなきゃって自分に言い聞かせてるの」

 エイミーにできることは、明るく振る舞って、身体が回復していないミアを元気づけることくらいだ。

「……君も大変だっただろう」

「ミアほどじゃないよ。アルも来てくれた」

 アルにもそれが強がりだと分かった。だけどまだ、強がったままでいてもらわなければならない。

「君が強いのは知ってる。もう少しそのままここにいて。全部終わったら、エイミーに言わなきゃいけないことがあるんだ」

「……あたしだって、アルに言うことがあるよ。言おうと思ってたのに、アルがそんな格好で来るから」

「悪かったって言ってるだろう」

 アルはすぐそこにある唇に触れたいと思った。

 だけど今は我慢だ。ぎゅう、と強く手を握るだけにしておいた。

 昔から、手だけはアルのほうが大きかった。

 エイミーは彼よりも小さな手で、逞しく育った昔馴染みの青年の手をしっかり握り返した。



 離宮での日々は穏やかに過ぎていった。

 生活の中心は二歳になるデイビスの孫娘、アデラのもうすぐ歩き出しそうな娘、ミアの生まれたばかりの娘だ。

 小さな女の子ばかりが三人、世話をする大人は五人。

 エイミーはまだ横になっていることが多いミアとその子の世話を中心に、アルは主に家事をするようになった。

 アルは大量に出る赤子の洗濯物を黙々と洗い、一日三回、大人の食事と、それとは別に幼い子どもが食べやすい料理も用意した。

 来てくれてよかった、アルはいいお嫁さんになれるよ、とアデラに肩を叩かれたときは、どうも、とだけ返した。

 アデラは毎朝、食材や必要物資を抱えて離宮に現れ、暗くなる前には王宮内に用意されているらしい自室に帰っていった。

 五歳の息子が、母と妹の帰りを待っているらしい。

 人質の世話をするアデラも、人質を取られているということなのだろう。彼女に現状を打破するための協力を頼むことはできないということだ。

 戦時下であることを忘れてしまいそうな日々を送りながらも、アルは時折くるぶしまでを隠すコットを着て城内を歩いて廻った。何度かエベラルドに遭遇しそうになって、慌てて隠れることはあったが、それ以外に危険な目に遭うことはなかった。

 エイミーを襲った兵士に、規律違反であるとしてエベラルドが下した罰は重く、恐れた他の兵士は、城で働く者に不用意に近づかなくなったのだ。

 騎士団長の従者として王宮に通っていたアルの顔を覚えている女官も多い。女装姿に驚きながらも、彼女達はアルに城内で見聞きした情報を流してくれた。



 王宮占拠から二十日。

 外では雨が雪に代わり、地面を白く染めるようになった。

 その日、侵入に成功した地下牢は凍えるような寒さだったが、ライリーとザックは不平を洩らしながらも気力を失っていなかった。雪の中の行軍や野営よりは、屋根があるだけややマシ、だと笑う元気も残っていた。

 アルが離宮に戻ると、マイラと孫の姿が消えていた。

「アル。アル、どうしよう。あいつが来てマイラ様を連れて行っちゃったの」

 縋りついてくるエイミーを受け止めて、アルは顔を歪めた。

 エベラルドがここに来たのは、エイミーとアルを連れて来たときだけだ、というマイラの言葉に油断してしまっていた。彼は来ないものだと決めてかかっていた。

 まさかまた攫いに来るとは考えもしなかった。

「どこに向かった。何か言ってたか?」

「旦那に会わせてやるって言ってた。デイビス様への脅しに使うつもりなんだよ」

 貴族棟か。

 籠城をやめない王子とデイビスに痺れを切らして、降伏勧告をすることにしたか。

 エベラルドは国王を斃したが、その継承者が生きていれば、キャストリカに国を取り戻されてしまう可能性が残るのだ。なんとかしてふたりの王子とその子を手に入れたいはずだ。

「……僕が行ったら、今度は君かミアが連れて行かれるかもしれないのか」

 エイミーは不安な顔をしている。

 マイラのことは心配だ。でもアルが離れている間にまた何かあったらと思うと怖い。エイミーだけでは、ミアと赤子を守れない。

「マイラ達は大丈夫だよ。心配なら行って来てもいい。エイミーとミアのことは、あたしが守ってあげるから」

 アデラがなんでもないことのように口を挟んでくる。

 彼女は命じられているだけなのかもしれないが、敵側の人間だ。信用するわけにはいかない。

「…………君を連れ帰るのが最優先だ。ライリー様にそう命じられてる。僕はもうここから離れないよ」

 ここに武力を行使する人間が現れたとき、抗う力を持つのはアルしかいない。

 デイビスの妻と幼い孫娘。ザックの妻子とエイミー。

 別の場所にいる両者を守ることはアルにはできない。どちらかを選ばないといけないのなら、アルはエイミーを選ぶ。

 アルの選択に、エイミーは異を唱えることはできなかった。

 彼女は、アルが握り締めた拳を両手で包んだ。

「……こんなときに、離れててごめん。油断してた僕の責任だ」

「違うよ。アルは悪くない。あたしがもっと引き留めておければよかった。ごめんね」


 泣きそうな顔で手を取り合うふたりを気まずそうに見てから、アデラが明るい声を出した。

「大丈夫だって言ってるでしょ。もうあたし嫌になってきちゃった。ふたりに内緒にしてた話を教えてあげるよ」

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