第一報
ひと足先に戦死者を家族の元へ連れ帰っていた騎士が、混乱したまま馬を走らせて戻ってきた。
本陣は、あと一日もすれば王都の入り口が見えてくるところまで帰ってきていた。
「どういうことだ」
ライリーは間の抜けた返しをした。
報告に走ってきた騎士の言葉の意味をすぐには呑み込めなかった。
「分かりません……! 俺達が王都に着く前に、王都から逃げてきたという職人家族が言っていたんです。俺達が王都を発った後に現れた軍勢が、王宮を占拠した、と」
従騎士含めて三千三百を超える軍団を泊める余裕のある街など存在しない。
ライリー達は明日中に王都に辿り着くことを目指して、街に入る手前で野営地を張ったところだった。
雨は上がっていたが、可能な限りぬかるみを避けて天幕を張り、従騎士が簡単な食事の準備をしていた。
そこに飛び込んできた騎士は、ライリーを見つけると眼前で力尽きたように膝を突き、しどろもどろの報告をした。
ライリーはアルに大隊長を集めるよう指示すると、ウォーレンと共に報告の続きを促した。
「他には何か聞いてないか」
「それだけです。遺体は遺品だけ残して、森に埋葬しました。三人ばかり王都に事実確認に走っています。とにかく早く一報をと、おれだけですぐに引き返してきました」
分かったことは、王宮が何者かに占拠された、それだけということだ。
「よし分かった。おまえ達の対応で間違ってない。よく報せてくれたな。もうすぐスープができるから、飲んで温まってろ」
少しでも早くと、甲冑も置いて軽装で駆けてきた若い騎士を労って、ライリーは副官の顔を見た。
「分かったよ。確かにおまえが一番早く向こうに着ける。小隊だけでも連れて行け」
「何も言ってませんが」
「うるさい。大将が顔を読ませるな」
血相を変えて集まってきた大隊長五人を見渡して、ライリーは片手を挙げた。
「ニコラス、小隊をひとつ借りて行きます」
半年ばかり前までライリーが直接率いていた小隊を呼び出して、ライリーはすぐさま馬上の人となった。
「俺達もすぐ追いかける。現状把握だけにしとけよ」
アルから王宮占拠の旨のみ聞いた大隊長達は、速駆けの名手であるライリーを引き留めはしなかった。
「分かってますよ。あなた方は明日の朝一で出発してください。無理をしたら肝心なときに役に立たなくなる」
冷静な騎士団長の言葉に、マーロンが苦虫を噛み潰したような顔で了承する。
「はっ」
「ウォーレン、後は頼みました」
「はっ」
「あ、やばい。口止めしてなかった。まだ全体に知らせる必要はないでしょう。混乱するだけだ。情報の差し止めもお願いします。じゃ! 行って来ますね!」
慌ただしく十三騎のみを引き連れて駆けて行った騎士団長を見送り、大隊長ははやる気持ちを抑えつけてライリーの指示に従った。
今、この国では何が起こっているのだ。
幹部達の胸には、同じ疑問が渦巻いていた。
不可解な戦は、王宮の護りを手薄にするための囮だったのか。
では首謀者はエルベリー? 彼の国にそこまでの戦力があっただろうか。
王都に残してきた家族は、騎士団は、これからどうなってしまうのだろう。
その答えを見つけるために、彼らの団長が夜の中を駆けて行ったのだ。
これから何をすべきか。ライリーには全く見当も付かないが、とにかくそれを考えるための情報が必要だ。
まず王都に向かう。そこで見たものを判断材料に、自分と騎士団のすべきことを決めるのだ。
あまりに現実味のない話に、ライリーは慌てることすらできずに却って冷静なままだった。
きっとこれは、エルベリーとの戦の続きなのだろう。キャストリカはまだ戦時下にあるのだ。ならば騎士団に休む暇などない。騎士団長たるライリーは、国のために誰よりも働かなければならない。
彼は自分が冷静でいられる理由が分かっていた。
家族が王都にいないからだ。寂しい気持ちを押して早々にホークラムに送り返しておいてよかった。もしかしたらまだサイラスも一緒かもしれない。だとしたら、彼と彼の家族にとって何よりの僥倖だ。
最強の前騎士団長が共に在るならば、家族の無事は保証されたようなものだ。
ずるい考えだ。
ザックは身重の妻を王都に残してきた。事が起きたときは、もしかしたら出産の最中だったかもしれない。
ウォーレンの家族は今も王宮の長屋に住んでいる。
他にも王都に家族や恋人、友人を残して出征命令に従った騎士はたくさんいる。
ひとりで安心している暇があるならば、一刻も早くみなの心の安寧を図ってやらなければならない。
騎士はその身の安全を祈られることには慣れているが、その逆の経験はほとんどないのだ。危険に身を晒すのは騎士の仕事で、その家族は安全な場所にいるべきだ。
それなのに。
無事を祈る側と祈られる側の立場が逆転するなど、あってはならないことだ。
間もなく後ろから小隊が追い付いてくるだろうが、ライリーは単騎のまま王都の手前で馬脚を止めた。彼の予想通りならば、一番に追い付いてくるのは、途中で騎馬隊を追い抜いたアルだ。
ライリーは街道から森に入って馬を木に繋ぎ、戦装束を解いた。
もうすぐ夜が明ける。木々の隙間から注視していると、読み通り従者姿の青年が走る姿が見えた。
「アル!」
慌てて呼び止めると、彼は驚いて引き返してきた。
「早速で悪いが、手伝ってくれ」
甲冑は着るのはともかく、脱ぐのはひとりでも可能だ。だが手間がかかるのに変わりはない。そのための従者だ。
アルは息を整えるのと同時進行で、慣れた手付きでテキパキと主人から甲冑を脱がせると、いつものように整えて、繋いだ馬の近くに置いた。
ライリーが雨水を溜めておいた水袋を差し出すと、アルは礼を言って喉を潤した。
「これからどうすればいいのでしょう」
「ひとりで王都に入ったら、後からまたどやされるだろう。小隊がじき追い付いてくるだろうから、ここで身軽になって待たせておけ。俺は今からヒューズの家に行ってみる」
本心を言えば今すぐにでも王宮に向かいたいが、王都に入った途端に拘束されてしまっては目も当てられない。
街から少し外れた家で隠居生活を送る前副団長であれば、状況を把握しているかもしれないと思いついたのだ。
「おひとりで大丈夫ですか」
「さすがに引退した騎士の家で待ち構える奴なんかいないだろう」
ライリーはそう言い置いて、一度だけ訪ねたことのあるヒューズの家に向かった。
前副団長夫妻の隠居宅は、馬を繋いだ場所からそう遠くない場所にある。朝まだきの森は薄明るいというよりも薄暗いといったほうが近いが、夜通し馬を駆った目には充分明るい。
王都の端からは徒歩の距離だ。周囲を警戒しながら進むライリーは、木造二階建ての家の全貌を視界に入れたところで、木陰から現れたヒューズに声をかけられた。
「なんで団長がひとりで歩いてんだ」
「ヒューズ!」
少し前まで毎日顔を突き合わせていた彼の変わらぬ姿に、ライリーは安堵の息を吐いた。それと同時に、自分で自覚していた以上に気持ちが張り詰めていたことに気づく。
「おまえなあ。こんなときに単独行動を」
「こんなときってどんなときですか? 今それを調べるために急いで戻ってきたんです」
それこそこんなときに始まりかけた説教を遮って、ライリーはヒューズに詰め寄った。
「分からん。もう十二日になるか。おまえ達が出てから六日後の朝だ。王城の旗が変わったんだ。それでやっと、何かが起きてると気づいた」
「何故。どこの誰が、どこから現れたんですか」
王宮を占拠するほどの軍勢が、忽然と現れるわけがない。
「旗はバランマスのものだ」
「バランマス? 今更? とうに滅んだ国でしょう!」
「俺が知るか。バランマスの誰かは分からんが、急に王宮に現れたってんならどこからかは決まってるだろ」
「地下通路ですか? 誰がそんな情報を掴んで、というかあれは王都の外までは繋がってなかったはず」
昔、ウィルフレッドが見つけた地図を元に、調査をした上で遊びに使ったことがある。
「おまえらが馬鹿騒ぎしやがったんだろうが。あれだけの人数に知られたら、どこから情報が漏れてもおかしくない」
「でも、だってあれは。使うことはないだろうって封鎖したはず」
「出てきた地図がすべてじゃなかったってことだろ」
「そんな」
「俺はもう民間人だ。女房とここを離れる前に、おまえ達に情報だけ渡そうと思ってな。そろそろおまえらが帰ってくる頃だろうと、今朝もこんな刻限から外で待ち構えてやってたんだ。いいか。おまえ達が発って六日後ってことは、ちょうど開戦の時機だったんだろう。エルベリーが噛んでるんだ。おまえらに王都の情報が届かず、例え届いても身動きが取れないときを見計らって来やがったんだ。エルベリーはどんな具合だった」
「……妙でした。最初から最後までおかしかった。時間稼ぎが目的だろうって、一気に叩いて終わらせて来ました」
「ただの時間稼ぎに犠牲者は出したくないだろうよ。すぐに退いたんだな。何か言ってたか」
「ええと、総指揮官は、上に言われて来ただけだと。ただ、傭兵の隊長らしき人物が」
「傭兵?」
「はい。デイビスよりも年嵩の化け物みたいな男です。彼が、大公の狙いは隠し姫だと」
「! それは確かなのか」
「おそらく本当のことを言っていたと」
「おまえ、……知らないのか」
「隠し姫ですか? なんのことか分からないので、帰ったら宰相補佐にでも調べてもらおうと思ってたんですが」
ヒューズは複雑な表情でライリーを見ていたが、諦めたというふうに頭を振った。
「……おい。もう出て来ていいぞ」
ヒューズが家の中に呼びかけると、五十がらみの女性が姿を現した。
「ヒューズ夫人!」
ライリーは自然に手を伸ばしたが、はっとしたように自分の掌を上衣の裾で擦ってから、夫人の右手を取った。彼は流れるような動作でその手を額の前に押し戴いて、目上の貴婦人に対する敬愛を表した。
「ご無事で何よりです」
うふふふ、と嬉しそうに笑って頬を染める妻に、ヒューズは白い目を向けた。
「小娘みたいな反応をするな」
夫人はライリーから隠そうともせず、ヒューズの手の甲をつねり上げた。
「うるさいわね。ライリー様こそ、お元気なご様子で安心いたしました」
「ええ。イーサンも無事ですよ。おっつけ全軍到着します」
彼らの息子はロルフの隊に所属しており、今回の戦にも参加しているのだ。
「……ああ。ここまで戻ってきてもいいものか。エルベリーが噛んでるって話まで終わったな。王都は静かなもんだ。城下に兵が降りてくることもない。旗が揚がらなかったら、誰も異変に気づかなかった。王都の住人が旗に気づいて騒ぎ始めたときに、今度は表から軍勢が現れた。バランマスの旗を掲げて、五百程度の隊列を組んでこの街道を進んでいた。俺が気づいたのはそのときだ。奴らは真っ直ぐ王宮を目指したらしい」
「城門を閉じてるんですか」
「いや。五百の隊列が入ってすぐに閉じられたが、翌日からはいつも通り朝には開いた」
「王宮内にも入れるってことですか?」
「難しいな。奴らが城門を守ってる。いちいち用件を確認して、許可を得ないと入れなくしているらしい。内には味方もいるからな。農夫の代わりに警邏隊が食糧を運んだりしているが、通用門の外で受け取って帰されてる」
ヒューズが知り得るすべての情報を受け取ると、ライリーは深く感謝して頭を下げた。
彼はもう民間人だ。戦が始まる前に、一刻も早く夫人を安全な場所に連れて行きたい気持ちを抑えて、待っていてくれた。
何も分からない状態で王都入りするより時間を無駄にしなくて済むし、気の持ちようがだいぶ違ってくる。
帰都した騎士団のすべてで王宮に近づくのは危険だ。王宮を占拠している敵を刺激するのは避けたい。
敵の手中にある国王とその後継者に手を掛けられてしまえば、キャストリカの滅亡は決定的なものとなる。もうすでに決しているという見方もあるが、可能性がゼロでない限り、慎重に行動する必要がある。
これからの騎士団の動きに、国の存亡がかかっているのだ。
そして、王宮内に住む人々の身の安全が。




