アルカディア 15
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革命軍は、すでに陣を形成している正義軍から一キロほど離れた場所で立ち止まっていた。
そこで陣を整え、あとは互いに突撃するのみである。
ベロニカは陣の最後方、魔法部隊のなかにいた。そこから中央突破、さらには各個撃破向きの中央が厚い革命軍の陣形を眺め、ほんのすこし不安を覚える。
兵士の人数は革命軍のほうが五万ほど多い。しかしそれは、さほど大きな差とはいえない。
それだけの戦力差でもっとも単純な中央突破を成功させれるか。それはベロニカの指揮にかかっている。突撃のタイミング、方々への指示、支援、すべてがうまくいけば中央突破も成功するだろう。
相手はどんな対応を取るか。すでに斥候が出ていて、報告に戻ってくる。
「敵も中央を厚くしているようです。しかし決して突破できない人数ではないかと」
「魔法部隊の位置は?」
「わかりません。目視できませんでした」
「敵は防御体制を取ってるのね」
「はい」
つまり一般的な対応策ということだ。中央突破には、中央を厚くし、敵の勢いを殺す作戦を取る。
この場合鍵となるのは魔法部隊の活躍だった。魔法部隊がうまく活躍すれば、敵を散らしてその隙に中央突破が可能となる。
戦争は、すべて賭けだ。すこしでも可能性の高いほうへ賭けるしかない。
「予定どおり、突撃準備」
ベロニカは言った。
「魔法部隊の合図と同時に突撃を開始、なにがあっても退かずに、相手の中央を突破するまで足を止めないように。あとは、好きなだけ殺し尽くせばいい」
「はっ」
ベロニカは自分の周囲にいる魔法使いたちを見回した。
二百人あまりの魔法使いは、当然すべて地球人である。地球で犯罪を犯し、この新世界へ逃げてきたような人間もいるし、まじめな理由で新世界へきていたが、革命軍の蛮行を目の当たりにしてその仲間入りした人間もいる。
結束はないが、個々の欲望は強い。仲間同士の結束などというあやふやなものよりよほど信じられるものだ。
「魔術陣の準備をして。こっちから仕掛けるから」
魔法使いたちはなにも言わずに準備をはじめる。魔術陣は予め、ベロニカが制作して魔法使いたちに渡していた。地球で一般的に扱われている魔術陣よりも協力で、効率がいい魔術陣だ。それも叶に言われてベロニカが改良したものだったが、いま考えてみればベロニカ自身がそれを望んでいたのだろう。しかしいまとなってはどうでもいいことだった。
魔法使いたちが準備を終える。ベロニカは指示を出した。
「攻撃開始」
魔法部隊は、複数の班に分けられている。ひと班は三人、それが全部で六十ほどあって、その三人は手をつなぎ、魔力を交換し合いながら魔法を発動させる。
あたりにむっと濃い魔力が立ち込める。それが指向性を帯び、細い光の筋となって空へ放たれた。
革命軍の深い場所から、五、六十の光の筋が一斉に空へ舞い上がる。それは放物線を描いて正義軍の真上に降り注ぎ、上空でぱっと爆散して、広範囲へ飛び散った。
それらの光は強力な熱を帯びている。触れれば、火傷では済まない。言うなれば正義軍全体に降り注ぐ炎の雨だ。
光が放たれると同時に、革命軍の地上部隊も突撃を開始する。
両翼の騎兵隊が土煙と雄叫びを上げながら飛び出し、その土煙の奥から歩兵たちが絶叫しながら続く。
ベロニカは目を閉じ、魔法を使って敵味方双方の様子を眺めている。
先制攻撃の魔法は、正義軍の魔法部隊によって防がれたようだった。薄い青色のヴェールのようなものが正義軍全体を覆っている。それに光のひと欠片が当たると、蒸発したように消え去る。そして正義軍も正面へ向かって突撃を開始していた。
一キロ離れていたふたつの軍は、あっという間に激しい衝撃を起こしてぶつかり合う。
ベロニカは再び魔法攻撃を指示した。しかしそれより早く、正義軍から無数の火球が飛んでくる。
狙いは、衝突した地上部隊ではない。その後方で動かない魔法隊を直接狙っている。
ベロニカの指示より早く、魔法使いたちが自己判断し、魔術陣を変えて防御魔法を放っていた。
三人の魔法使いで作る輪から強風が吹き上がる。竜巻のような渦を巻く強風で、それは落下してくる火球を防ぐどころか、海のほうまで吹き飛ばした。
どちらの攻撃も決定打にはなっていない。それははじめからわかっていたことではある。重要なのは魔法部隊ではなく、地上軍だ。ほぼ同数の魔法部隊は相手の魔法部隊を無力化することで手一杯になり、地上軍の攻撃まではできないだろう。魔法部隊がやりあっているあいだに地上部隊がどこまで進めるか、それが勝利の鍵となっているのだ。
ベロニカは、ふと空を見上げた。
いまにも雨が降り出しそうな分厚い雲が立ち込めている。その空のどこかで叶が見ているのだろうかと考えた。
もし叶が見向きもしていないとしても、戦いは続けなければならない。そうしなければ、自分というものを失ってしまうのだから。
*
革命軍、正義軍の両軍が入り乱れる最前線では、すでに死屍累々、血みどろの惨状が起こっていた。
ふたつの軍の頭上を光や炎がびゅんびゅんと通り過ぎていく。しかしどちらも地上軍そのものには攻撃を加えられていなかった。だからこそ、ふたつの地上軍は頭上で起こっていることを無視し、戦っている。
現時点、死者は革命軍のほうが多い。しかし勢いでも革命軍は勝っている。
革命軍の兵士たちは、目の前で仲間がやられてもまったく動揺することなく押し寄せてくる。むしろ倒れた仲間を踏みつけ、乗り越え、がむしゃらに敵へと迫っていた。
それはまるで、理性をなくして戦うこと以外のすべてを失った動物のようだった。
剣が揺れ、輝き、血しぶきが飛び、どうと倒れる。倒れた身体を邪魔だと蹴り飛ばし、後ろから別の兵士がやってくる。
彼らには訓練された戦闘技術もない。鎧もろくになく、武器も手入れが行き届いているとはいえなかった。刃こぼれを起こし、サビが浮かんだ剣を、型もなにもなく敵へ向けて突き立てるだけだ。
それでも一撃は一撃であり、刃物で受けた傷は致命傷になりうる。正義軍の兵士たちにも犠牲が出て、革命軍より犠牲者はすくないはずなのに、動揺が広がっていた。
「魔法部隊はなにをしているんだ? 援護に回るはずじゃなかったのか」
「魔法部隊は敵の魔法部隊を封じ込めるので手一杯だ!」
叫んだ兵士の左から革命軍の兵士が迫っている。正義軍の兵士は左へぶんと剣を振るった。磨き、研がれた剣は振りかぶられた敵の腕を両断する。相手の腕から血が吹き出し、どっと倒れた瞬間、正義軍の兵士は後ろからぶつかられたような衝撃を感じた。
見下ろせば、自分の腹から血に濡れた剣がぬっと生え出している。振り返る間もなく地面に倒れた。けたけたと笑う革命軍の兵士を、別の正義軍の兵士が後ろから袈裟斬りにする。
まるで際限のない殺し合いだ。
正義軍の兵士たちは、まるで地獄のようだと感じる。互いに殺し合うことを命じられた刑罰のようだ。殺しては殺され、また別の誰かが殺す。その連鎖が最前線を中心として広がっていく。
そこに憎しみはなかった。いちいちそんなものを抱いていては、行動する前に殺される。生き残るためには考える前に行動する必要があった。
中央を厚くしている革命軍は、全体が後ろから押し出されるように前へ前へと進んでいた。正義軍はそれを押しとどめようとするが、革命軍の勢いを止めることができない。じりじりと後退しながら戦闘を繰り返している。
前進と後退では、後退のほうが戦いづらいし、立地も不利になる。味方の撤退に遅れれば敵の大軍に囲まれた状態で取り残されることになるのだ。
戦闘が起こって二十分あまり、正義軍の前線の位置は衝突した場所よりも百メートルほど後退していた。革命軍はひたすら数と勢いで押してくる。
と、不意に地面がぐぐと震えた。地震のような地鳴りが起こり、剣がぶつかり合う音が一瞬止む。すると、地面が大きく裂け、そこから巨大な植物が現れた。
深い緑色の蔦のようなものである。
場所は革命軍のど真ん中だった。
革命軍が物珍しげに足を止める。巨大な蔦は人間を遥かに越え、数十メートルにまで伸びて、不意に鞭のようにぶんとしなった。
風を切り、兵士の何人かが飛ばされる。兵士たちは慌てて蔦から遠ざかったが、別の場所では細い糸のような蔦が足に絡みつき、身動きが取れなくなっている兵士たちもいた。
勢い任せで進んできた革命軍の足がぴたりと止まる。その瞬間、正義軍は反転攻勢に出た。
攻められると守りに入るのは動物の本能である。さすがの革命軍も身を引き、防戦一方になる。そのあいだも蔦は暴れ、革命軍の兵士たちは大きく弾き飛ばされたり、動きを封じられて手も足も出せなかったり、その数をぐんと減らした。
突如現れた蔦は、正義軍による魔法攻撃のひとつだった。それは何人かの指揮官によって提案された罠で、予め植物の種を前線近くに植えておき、そこに対応する魔術陣を記して、魔力を注ぎ込んで一気に成長されたのだ。
攻撃に魔法を使った分、魔法に対する守りがわずかに薄くなる。そこを狙い、革命軍の魔法部隊が攻撃を仕掛けてきた。
無数のちいさな影が曇り空の下を飛ぶ。弓矢である。ただの弓矢ではない。魔法の風によってより遠くへ、勢いよく飛ばされた弓矢だった。
それは最前線を越え、未だ戦闘に参加せず控えている正義軍の部隊に降り注いだ。指揮官はすかさず盾で屋根を作るように命じたが、それでも犠牲者は出る。彼らは攻撃する機会も与えられずに戦死した者たちだった。
ほかにもけが人が続々と下がってくる。自力で歩ける者は怪我の程度も低いもので、数人の仲間に引きずられて戻ってくる者も多かった。そうした兵士は、緊急の手当てをしても手遅れになっていることが多い。
空がかっと輝く。そして世界を引き裂いたような轟音。雷だ。革命軍の奥へ、幾筋もの雷が落ちている。それが敵の魔法部隊に命中しているのかどうかは前線で戦っている兵士たちにはわからなかった。
いままさに剣を振るっている彼らには、なにも考えるひまがない。とにかく、生き残ることしか考えられなかった。
矢が飛んでくる。銃声が響く。返り血にぎらつく目がある。白刃のきらめきを見る。その風鳴りを聞く。足元には仲間の死体がある。血をかぶった植物たちがなまめかしく輝いている。地面が血でぬかるんでいる。這いつくばって助けを求める敵味方がいる。そのどれにも意識を注ぐことは許されず、自分の周囲に神経を集中させる。
足音などあてにはならなかった。
最前線には、絶叫やぎいんという高い金属音、どさりと身体が倒れる音や雄叫びが満ち溢れている。そのなかで自分に近づく足音を聞き取ることなど不可能で、頼りになるのは死角だけだった。すこしでもほかの感覚に頼ろうものなら知らぬうちに敵の接近を許し、敵だと気づく前に倒されている。
兵士たちは血走った目を忙しく動かしていた。前後左右、常に動き続け、敵を探す。そしてこちらに気づかず油断している敵を見つけた瞬間、生き残りたいという恐怖心が一瞬にして殺意に変わる。
存在の気配を消しながら敵に忍び寄るとき、この戦争に勝ちたい、生きて帰りたいという気持ちは消え去っていた。ただ、殺してやる、と考える。それは唐突に第三者から植えつけられたような殺意だったが、だれひとりとして不可解だとは思わなかった。
後ろからそっと忍び寄る。敵が振り返る。同時に、その背中へ向かって剣を振り下ろしている。手応えはあった。しかし振り返ったせいでうまく切りつけられず、相手の肩に深く剣が食い込み、抜けなくなる。
敵はうめき、絶叫し、その場に倒れこんだ。その勢いに剣を持っていかれそうになり、慌てて敵の上に覆いかぶさって剣を抜こうとすると、その背中を別の兵士に斬りつけられる。
いくら剣でも、よほどでないかぎり敵を即死させることはできない。そのため、地面には死者よりも死にきれずにもがき苦しんでいる人間のほうが多かった。そしてだれも、そんな悲鳴には耳も貸さず、手も貸さない。
矢が降ってくる。それが頭部を貫通し、後ろ向きに倒れる。その身体を避けながら兵士たちが進む。
「応射、射て!」
自分たちの後ろからも矢が放たれる。ひゅんと弦が風を切り、敵の大軍に向かって山なりに飛んでいく。狙いを定めるひまはなく、落ちた場所に敵がいることを願いながら放たれた矢だった。
「前進、前進!」
両軍は前へ前へと進んでいく。正義軍の目標は、敵魔法部隊の発見と掃討だった。そして革命軍も同じく正義軍の魔法部隊を狙っていたが、革命軍の魔法部隊が陣の後方にあるのに比べ、正義軍の魔法部隊は見たところ陣のどこにも存在していなかった。
しかし魔法は発動している。降り注ぐ硝酸のような雨を薄いヴェールがすべて防いでいた。
革命軍の兵士たちは、頭上でなにが起こっているのか、また背後でなにが起こっているかも気にしていなかった。ただ前へ進み、敵を殺す。それだけのためにそこに立っているのである。
しかし兵士たちの性質はひとつではない。そうやって恐怖心もなく進んでいくものもあれば、自らの命が危険にさらされ、目を覚ましたように恐怖心を覚えて前へ進めなくなる兵士もいる。
いままでの革命軍は、戦争という戦争をしてこなかった。いままでのものはすべて殲滅戦であり、同等の力を持った相手ではなく、格下の勢力としか戦ってこなかったのだ。
そのなかでは死の恐怖もない。一方的な殺戮があり、暴虐を尽くすことに不安はなかった。しかしいまはちがう。力で押せば、ほとんど同じだけの力で押し返してくる。一方的な殺戮ではなく、こちらが敗北する可能性もある、つまり死の可能性もある戦争なのだ。
周囲を見回せば、それがすぐにわかる。
剣でやられた者、矢でやられた者、魔法でやられた者、死体は数えきれず、けが人も地面に這いつくばって血でぬかるんだ土を掴んでいる。
そうした光景を見た瞬間、怖じ気づく人間がいたとしても決して不思議ではなかった。
革命軍のなかから離脱者が出はじめたのは、戦闘がはじまってすぐのことだった。
離脱者は時間を追うごとに増えていったが、なかには降参の意図を表して武器を捨てているのに正義軍の兵士に切り捨てられたり、逃げ出そうとして味方に斬られたり、戦いに巻き込まれて傷を負うということも珍しくなかった。
中央突破を目指した革命軍は、真上から見ると、ほとんど平らになるほど左右に広がっている。中央の守りが固く、そこを抜くことができないまま、奥の兵士たちが好き勝手に戦うために左右へ伸びてしまっているのだ。
必然的に、軍団の中央部が弱くなる。
正義軍の兵士たちは持ち場を忠実に維持し、いまだに中央に厚く兵を持っていた。
ベロニカは魔法の目を使ってその様子を見ていた。命令に従う気すらなさそうな革命軍の兵士たちには舌打ちをしながら、それははじめからわかっていたことだと自分に言い聞かせる。
まだ負けではない。すべてはまだはじまったばかりだ。ベロニカはにやりと笑い、魔術陣の用意をはじめた。




