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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
アルカディア
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アルカディア 10

  10


 ニコロスはあの日以来、本当に体調を崩して数日間は寝たきりの生活を送っていた。


 食事などもほとんど取らず、起き上がることもせず、なにをしているのかといえば、一日中つきっきりのキラに向かってうわ言のような言葉を呟いているのだ。


 それは一種の哲学だったが、ニコロスにとってはすでに問題でもなんでもないことだった。体験的に理解したことを、再び言語として理解するために呟いているのである。


「すべての問題はそこに集約される。そしてすべての問題を解決する鍵はそこにある。その一点さえ認められれば、この世の中に存在するありとあらゆる問題を解決することができるんだ。ぼくはそのことに気づいた。もはやぼくの前にはどんな悩みもない。どんな苦痛もない。わかるか、キラ」

「はあ、ニコロスさま」

「たとえば、父上はいま、戦争の準備を進めていらっしゃる。戦争は避けられぬものだと考えておられるんだ。しかしそうではない。戦争というのは、所詮すれ違いでしかないんだ。ふたつの組織の利害が、あるいは理解がすれ違っている。だからこそ争いが起こる。ぼくはね、キラ、世の中に争いなど存在すべきではないと思っている。どんな種類の争いも、だ。金儲けもあっちゃいけない。欲望もあるべきではない。ただそこに愛があればいい。あるいは恋をしていればいい。ひとびとはなぜそのことに気づかず、貴重な時間を費やして金を儲けたり、互いに殺し合ったりするのだろう。なぜひとびとは愛を知らないのだろう。キラ、ぼくの愛や恋は果たしてこの世界を救えるだろうか? ぼくにはその義務があるような気がするんだ。ぼくは真実に気づいた。ぼくが気づいた真実を、みんなにも伝えなければならない」

「ニコロスさま、すこしお休みください。そうしないとまた熱が出ますよ」

「大丈夫だ、ぼくは寝入っている場合では――」


 外の廊下をぎしぎしと上がってくる足音がする。キラが振り返ると、開け放たれた部屋の入り口にスピロスが立っていた。


 キラは立ち上がり、スピロスに場所を譲る。スピロスは外出用の、さらに言えば登城のための正式な洋服を着ていた。そのために座りはせず、立ったままベッドに仰向けになったニコロスを見下ろす。


「調子はどうだ、ニコロス」

「父上――」

「起きずともよい」

「いえ、そういうわけには」


 ニコロスはぐっと腕をつっぱり、何日かぶりに上半身を起こす。それだけでもひと苦労だというように息をついて、


「父上は、いまから城へ?」

「そうだ。いまがもっとも忙しいのだ。ひと月先だと思っていた戦争も着実に近づいておるからな。まだまだやらなければならんことが多い」

「父上、ぼくも城へ行きます」

「おまえも?」


 スピロスは驚いた顔をしたが、いままでそうした仕事にはまったく無関心だった息子にもなにか変化があったのだろうとうなずく。


「身体は大丈夫なのか」

「大丈夫です。もう熱もありません。キラ、身体を支えてくれ。まっすぐ立てれば、城まで歩いて行けるだろう」


 キラのちいさな身体に支えられながら立つ。数日寝たきりになっただけで足の筋肉はずいぶん衰えていたが、まったく歩けないというほどではなかった。


 ニコロスはすぐに服を着替え、一階で待っていたスピロスと共に家を出る。


 城はすぐ左手にある。ほとんど真下から見上げると、いくつもの尖塔が天に向かって伸び、それがあまりに鋭利で長く伸びているため、ある地点で青空と一体化してしまって、実際に尖塔がどこまであるのかわからないほどだった。


 城は古い建物だ。この町と同様、何百年どころではない昔から存在している。しかし不思議と建物は劣化せず、いまもまるで建てたばかりのような一種の光沢を放っていた。


 ひとびとはそれを、王の奇跡と呼んでいる。王が住む場所だから、ほかの場所と違って朽ちることがないらしいのだ。ありそうな話だとニコロスはうなずく。尊いものが住む場所は、もちろん尊くなければならない。それはどちらが先という話ではなく、尊いものが住む場所ははじめから尊いし、尊い場所には尊いものが住むようになっているのである。


 城を周回するようにぐるりと回って、正面からなかに入った。普段は閉じられている門が、いまは出入りが激しいせいか、常に薄くだが開かれている。そこから身体をすべり込ませ、広い城の敷地内へ入った。


 スピロスは階段を上がり、まっすぐ二階へと向かう。ニコロスも階段ではぎこちなくよろめきながらあとを追い、あの日から作戦会議室と化している王の間へと足を踏み入れた。


 ニコロスが記憶しているかぎり、そこはなにもない部屋だった。赤絨毯と王座だけがある、あとはがらんとした広い部屋だ。しかしいまは、赤絨毯が取り払われ、王座も部屋の隅のほうへ押しやられて、部屋の大部分を大きな机が占めている。


 そしてかつては神聖だった王の間が、いまは兵士やら政治家やら女中やらがひっきりなしに出入りする騒がしい会議室になってしまっている。机には書類が溢れ、いくつかの棒きれが用意されてそこには巨大な地図が貼り出されていた。話し声や紙を扱う音も絶えない。ニコロスはその雑音に頭痛を感じて、許可も取らず端のほうにあった空いている椅子に腰を下ろした。


 スピロスはまっすぐ部屋の奥、貼り出された地図の前に立っている男に近づく。大勢の人間にまぎれていてはわかりづらいが、王のクロノスだった。クロノスは振り返り、ニコロスのほうへ目をやって、近づいてくる。


「久しぶりだなあ、ニコロス」

「は――ご無沙汰して申し訳ございません、陛下」

「相変わらず他人行儀なやつだな」


 クロノスとニコロスは同じ年の生まれである。だからといって、もちろん友人ではない。ニコロスはあくまで一市民であり、クロノスは王だった。


 それに、とニコロスは思う、自分よりよっぽどクロノスのほうがスピロスの息子らしい。クロノスは、スピロスを爺と呼ぶ。たしかに孫がいてもおかしくはない年で、ニコロス自身スピロスがかなり年を取ってから生まれた子どもだが、クロノスほど気軽に自分の父親に話しかけたことは一度もなかった。


 ニコロスは、クロノスを現実的な人間だと見ていた。現実世界、つまりこの世界で巧みに生きていける能力を持つ人間だ。それはつまりニコロス自身とは対極に位置する人間ということになる。クロノスはだれにでも愛されるが、ニコロスはそうではない。そしてクロノスは、ニコロスを友人のように扱う。ニコロスがそうできないことがわかっているにも関わらず。


 ニコロスは頭痛をおして立ち上がり、正式な礼としてクロノスに頭を下げた。


「ここ数日、体調が優れずに登城できず申し訳ございませんでした」


 クロノスはいかにも嫌そうな顔で首を振る。


「身体は、もういいのか?」

「はい。熱も下がりましたし、それ以外に不調もありませんから」

「ふむ、そいつはよかった。爺も心配してたぜ。まあ、ゆっくり座ってろよ」

「いまは作戦会議の途中ですか?」

「いや、途中といえば途中だが、別に会議って決まりがあるわけでもない。最近はずっとこうだよ。全員がひっきりなしに新しい情報を持ってくる。そうすれば自然と何人かが集まって話し合って答えを出すんだ。全員揃ってじっと座ったまま会議をするってのはどうも苦手でな。この部屋もずいぶん居心地がよくなった。そうは思わねえか?」


 ニコロスは正反対の感想を抱いていたが、曖昧にうなずいた。そこにばたばたと兵士が駆け込んでくる。クロノスはおうと気楽に手を上げ、そちらへ近づいた。


「どうだった?」

「できるかぎりのことはしましたが、なにしろもう二十日程度ですので、いったいどこまで可能か……」

「まあ、間に合わねえならしょうがねえさ。とにかく反革命派で生き残っている人間や組織に連絡をつけてくれ。どんなに遠くの町でもいい、どんなに遠くの人間でもいい。いまはひとりでも仲間がほしい。そうでなきゃ、あいつには勝てねえだろう」

「陛下」


 とまた別の兵士。


「先ほど斥候部隊が戻りました」

「お、きたか。それで?」

「敵、革命軍の本隊を発見、たしかに目標地点である北の海岸付近へ向かっているということです。その数は、およそ三十万」

「ふむ、数の上でも不利か」

「革命軍の本隊は、付近にある町を襲いながら進んでいるということです」

「わかった。敵が進行する道筋を予測して、その線状にある町の住民をすべて避難させろ」

「了解しました。すぐとりかかります」

「陛下、ただいま城下町にマグノリア修道院の修道女たちが到着したということです」

「わかった。一度城下町で一休みさせてから予定通り近くの町へ案内してやれ」

「はい」

「クロノス、ちょっといいか」


 王に向かって、そんなふうに声をかける男がいる。ニコロスは驚いて顔を上げた。クロノスもちょっとニコロスを見て、その男を紹介するために手招きをする。


「ニコロス、おまえはまだ会ってなかったな。彼は大湊大輔、魔法部隊を取り仕切ってる。ついでに作戦についても協力をしてもらってるんだ。大輔、こいつは爺の息子のニコロスだ」


 大湊大輔という男は、一見なんの変哲もない、メガネをかけた男だった。ニコロスにはまったく見覚えがなかったが、向こうはニコロスを見てあっと声を上げる。


「あんた、前に料理屋で倒れたひとじゃないか? そうか、スピロスさんの息子だったのか――」

「ああ、あの料理屋にいたんですか」


 ニコロスは立ち上がり、大輔の手を握った。


「あのときはどうも、みっともない姿をお見せしましたが――」

「いや、もう体調は大丈夫なのか? ううむ、近くで見ればいよいよ美形だな、憎たらしい」

「はい?」

「いや、こっちの話。とにかく、よろしく――で、クロノス、さっきの話だけど、やっぱり魔法部隊の位置はむずかしいよ。魔法は前から言ってるように発動までにすこし時間がかかる。できるだけ部隊は後方に配置したいけど、後ろに下げると前線の様子がわからなくなるんだよ。戦場予定地の詳しい地形が書いてある地図はないかな?」

「地形か――たしかに必要だな。おいだれか、手は空いてないか」

「陛下、なんでしょう」

「ちょっくら海岸あたりまで行って、地形の測量をやってきてくれ。だれか適当に連れて行っていいから、可能限り詳細なものがいい」

「は、わかりました。すぐに」

「やっぱり各部隊の位置がいちばんの難問だなあ」


 クロノスと大輔は地図の前に立ち、首をひねる。ニコロスは口をはさむこともできず、その後ろ姿をぼんやりと見ていた。


 頭痛が続いている。こめかみから、きりきりと針を刺し込まれているような痛みだった。この騒がしい空気のせいだ、とニコロスは考え、席を立って、外の廊下に出た。


 廊下はまだ騒がしく、階段あたりまで移動して、ようやく静かになる。同時に頭痛も止んだ。ニコロスはため息をつき、なぜ騒がしさで頭痛が起こったのかを考える。


 おそらくあの場の、一種の陽の雰囲気がニコロスに頭痛を催させたのだ。


 戦争というひとつの一大事業を前にして、全員が団結して行動している。それはほとんど喜びや楽しみのようなものだ。忙しくしながら、だれもが充実した気持ちを抱いている。ニコロスにはそれが不愉快に感じられて仕方ない。


 戦争というものは所詮殺し合いにすぎない。


 どんな名目があろうと、どんな正当性を証明しようと、それは現象としては人間同士の殺し合い以外のなにものでもない。その殺し合いを楽しもうという空気が不愉快なのだ。


 彼らはまるでパーティーの打ち合わせでもしているようだった。だれだれの席はあそこでなければならない、しかし別の席もあの場所でなければ失礼にあたる、というような打ち合わせをしながら、そうして打ち合わせていることに満足を抱いている。


 それは人間の歪んだ自己肯定機構のせいだろう。


 人間は常に自分自身を肯定しながら生きている。自分を常に否定しながら生きるということは不可能で、自己否定をする場合、自己否定している自分を肯定しているにすぎない。


 この場合、忙しくしているということをいま自分はだれかの役に立っていると錯覚することで自己肯定が成立している。なんのために忙しくしているのか、自分の行動がどんな結末につながっているのかは考えもしない。


 大抵の人間はあらゆることに無自覚だ。その無自覚が罪を生み出す。必要のない争いを生み出す。


 ニコロスは、これだけ人間が集まっていながら、だれひとり戦争を回避する方法を考えないのが不思議だった。スピロスに言わせればもうその段階は過ぎたということなのだろうが、ニコロスは、そうは思わない。いまからでも戦争は回避できるはずだ。なにしろ戦争はまだ起こっておらず、もとはといえばほんのすこしのすれ違いで起こっていることなのだから。


 そしてニコロスは、赤い服の女を思い出している。


 あの赤い服の女は、自ら革命軍の総司令を名乗っていた。つまり革命軍の頂点に立つ女だ。あの女になら、話が通じるかもしれない。すくなくとも戦うことしか考えていない、戦うという前提に立って物事を考えているクロノスたちよりは、まだまともな会話が成立しそうだった。


 ニコロスは廊下を戻り、王の間に入る。とたんにまた頭痛が起こる。それを堪えながら、クロノスに近づいた。


「陛下――」

「おう、どうした、ニコロス」

「あの女性は――いまどこにいるのでしょう」

「あの女性?」

「先日、この城へやってきた……革命軍の女性です。赤い服を着た」

「ああ、あいつか。さあ、どこにいるのかはわからねえよ。わかってたら、いまのうちにひっ捕らえておくんだが。まあ、たぶん革命軍の本隊といっしょに行動してるんだろう――それがどうかしたのか?」

「いえ、別には――あの陛下、申し訳ありませんが、やはり体調が優れませんので、今日は帰らせていただいてよいでしょうか」

「ん、ああ、別にいいけど、大丈夫か? ちゃんと医者には見せたのか」

「いえ、それほど大したことではありませんから」

「それでも一度は医者に見せておけよ。薬をもらえばあっという間に治るかもしれねえし、油断して長引くのも問題だ。早く治して、おまえも会議に参加してくれ」

「はい――では、失礼いたします」


 ニコロスは頭を下げ、よろめきながら部屋を出た。階段を一段一段たしかめるように降りていると、兵士のひとりが心配し、肩を貸してくれる。そうすると急に元気づけられた気がして、門まで肩を貸してもらうと、あとはひとりで歩くことができた。


 人気のない、真っ昼間の町を歩きながら、ニコロスはどうすれば戦争を回避できるだろうと考える。


 まずは、話し合いをすることだ。


 話し合いをすれば、絶対に戦争は回避できるとニコロスは信じていた。つまり、ニコロスは人間はすべて正義的な生物であり、相互理解が可能で、だれもが正しいことには従うのだと無邪気に信じていたのだ。


 そしてその信仰が、のちに思わぬ行動を招くこととなる。


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