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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
アルカディア
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アルカディア 9

  9


 魔法部隊は、城下町にはいなかった。


 その近くにあるちいさな農村にいるらしく、そこまでは馬を使って数時間だったから、大輔は賢治の案内に従い、その日の早朝から馬の背に乗って揺られていた。


「うう、馬の背中って意外と高くてびびるんだよなあ……」


 栗毛にしがみつく大輔が泣き事のように言うと、となりの馬に乗った賢治はからからと笑う。


「先生は、高い場所が苦手ですか」

「いやいやまさか、この天才大湊大輔に苦手なものなどひとつもありませんよ、あっはっは――わわっ、危ねえ、落ちるとこだった」

「そう、先生にはそれくらいでいてもらわなければ。なんといっても、二百人あまりの魔法使いを率いることになるんですからね」

「むう、それですけどね、七五三さん」


 大輔はすこし身体を起こし、


「本当にぼくでどうにかなりますかね。もちろん協力はしますが、それなら表としては引き続き七五三さんが代表者として、ぼくが裏でなにかと動くほうがいいように思えますけど」

「それではみな不審に思うでしょう。もともとわたしたちは戦うべくして集められたわけではない。みんな地球へ帰れなくなり、仕方なくこの国へやってきて、自分の身を守るために戦うことを決意しているわけです。言うなれば、強い仲間意識があるわけではなく、利害の一致で共闘している仲ですから、不審があれば動きが鈍る。動きが鈍っては、作戦も立てづらいでしょう?」

「うーむ、まったくです。これは一か八かの賭けですね。みんながぼくを認めるか、ぼくを認めずに瓦解するか」

「先生なら大丈夫でしょう」

「ま、たしかにぼくは天才ですが――しかしぼくは肝心の魔法がちょっとね」

「ふむ、そうでしたね」


 賢治はちらと大輔を窺う。


「いまもやはり魔法は?」

「基本的には使えません。いざというときの裏技はありますが」

「裏技?」

「オリジナルの魔術陣で無理やり魔法を使う方法です。そうすれば魔法も使えるんですが、だいたい一回で体力を使い切るからいざというときにしか使えないんですよ。いままでも基本は生徒に任せきりできましたから」

「そうでしたか――ところで、大湊先生」

「はい?」

「正直なところ、どう思います?」

「娘さんのことですか? いやあ、正直あの前向きさはたまに鬱陶しく……」

「そうではなく、地球のことです」

「ああ、地球の――さっきの言葉は忘れてください。で、地球のなんです?」

「〈扉〉はすべて破壊されてしまったとおっしゃっていましたね。ということは、世界中のどこにも、もう〈扉〉はないということだ。だとしたら、わたしたちは二度と地球には帰れないし、地球から新世界へくることもない、ということですか。それともほかに地球と新世界を行き来する方法があると?」

「なにかしらの方法はあるんじゃないかと思ってますよ。それが具体的になんなのかはわかりませんけど、〈扉〉だけが唯一の方法だとは思えない。なぜなら、あの〈扉〉は間違いなく古代の魔法使いが作ったものです。扉、という発想はある程度文明が成熟した人間にしか思いつけない。つまり、古い時代のだれかがあの〈扉〉を作った。それならいまのぼくたちに〈扉〉が作れないと決めつける理由はない」

「なるほど、たしかにそうですね。では、戦争がひと段落したら新しく〈扉〉を作る方法について考えるわけですか」

「そうなります。もしかしたら、やつが探しているナウシカもそれに関係しているのかもしれない。あいつは地球と新世界の謎につながるものと言っていましたから」

「ふむ――」


 賢治は手綱を掴んだまま、すこし押し黙った。


 もともと、大湊叶は賢治の教え子だった。もう十年以上も前のことで、ダブルOの隊員はみな新人教育を一度は担当することになっているが、賢治の指導を受けていたのが叶だったのだ。


 叶はそのころから不思議な少女だった。なにを考えているのかわからず、行動に伴う理由も定かではない。しかし魔法の能力に関してはとにかくずば抜けていて、はじめから教師役の賢治をはるかに凌いでいた。


 魔法使いとしての叶の能力は、まったく異次元のものだ。どんな魔法でも魔術陣を一目見れば再現できたし、そのために魔術書をぱらぱらとめくるだけで叶は何十、何百という数の魔法を学んでいた。そして根本的な魔力量も莫大で、何度魔法を使っても使い切るということがない。


 もし叶が正規の隊員となっていたら、疑いなくダブルOで最強の魔法使いになっていただろう。しかしそうはならなかった。叶はまだ賢治の生徒だった十代の半ばで地球に反旗を翻し、そのまま新世界へ消えてしまった。自分の両親を殺して。


「――大湊先生、いや、大輔くん、私はね、きみに謝らなければならないと思っていたんだ」

「うちのばかな姉のことですか? それならお気遣いなく」


 上下に揺れる馬の上から、大輔はきっぱりと言う。


「あれは、だれのせいでもない。生まれつきああいうやつなんですよ。七五三さんの教育が悪かったわけじゃない」

「しかし私には責任があった。きみの両親が死んだのは、私のせいだ」

「ちがう。あのふたりが死んだのは、だれのせいでもない。ただ自分の任務を全うしようとしただけです。そういう意味では、あのばかな姉のせいでもない」

「大輔くん、きみは――」

「いや、ちがいますよ、なにも無理にそう思い込もうとしているわけじゃなくて――なんて言えばいいのかな」


 大輔は首をかしげたあと、自嘲するように笑った。


「そうだ、こう言えば話は早い――ぼくとあの女とは血の繋がった姉弟です」


 それだけで、賢治はと胸を衝かれたように息を呑む。


「結局、血筋なんでしょう。ぼくは、両親が死んでもさほど重大な問題とは思えなかった。というより、そのころのぼくはだいたいのことに無関心で――いまのあいつほどじゃないですけど、ま、似たようなもんでしたから、両親が死んでもそうかとしか思えなかったのが本当のところです。たぶん、あいつも同じ気持ちだったんでしょうね。自分で殺したのか、その手下が殺したのか、そのへんのところはわかりませんけど、死んだと聞いたときの感情は簡単に想像できます――ああそう、と事実をただ理解しただけですよ」

「――しかしきみは、彼女のように非道ではないし、ひとを思いやる気持ちを持っているじゃないか」

「両親が死んで、ぼくはこの世界が自分に無関係でないことに気づいたんです。自分の意志とは関係なく動いているものだからといって無視できるものじゃないってことに。まあ、当たり前といえば当たり前ですけど、それを現実として認識して、そこで生きていかなければと思えば、非社会的な人間ではいられない。あの女はそのきっかけがなかった。最後まで自分と世界を切り離していたし、もしかしたらその自分というものすらないのかもしれない。この社会で生きていかなければ、とは思わなかったんでしょう」


 それは納得できる分析だった。


 大輔には、魔法使いとしての才能がない。生まれながらにして魔力の保有量がすくなすぎるのだ。正規の方法では魔法を使えないため、ダブルOに身を置きながらもほかの子どもたちのように新世界で実習を行うことはなかったし、任務を引き受けることもなかった。


 大輔には、人間社会以外逃げ込める場所がなかったのだ。だから人間社会に適合する必要があった。


 大輔や叶の場合は極端かもしれないが、人間はみなそうだろうと賢治は思う。子どものころ、保育園や幼稚園、小学校で家の外にある社会というものを学ぶ。はじめはだれでもその社会に適合できない。わがままを言ったり、暴れたり、自分の思い通りにならないことを認められない。それまでは自分を中心とした世界に生きていたのだから、当然のことだ。しかしすこしずつ自分が他者に合わせるのだということを学び、人間社会に適合した人格になっていく。


 長く文明と隔離されていた人間が粗暴になるのは、その適合ができないせいだ。そしてなかには、適合しているように見えても心がそれと相反したところにあるということもある。叶はともかく、大輔はおそらくそうした人間だったのだろう。


 しかし大輔は、両親を失い、ひとりで人間社会に放り込まれた。そこに適応できなくても、家のなかへ逃げ込む、ということができなくなったわけだ。だから大輔は人間社会に適応したが、叶の場合、新世界へ逃げることができた。


「――彼女のあの能力は、すべてにおいて彼女のためではなかったのかもしれないな」


 もし叶に魔法使いとして桁違いの才能がなかったら、両親も殺していなかっただろうしこんな状況にもならなかっただろう。おそらくはすこし変わった魔法使いでしかなかったはずだ。


 しかし叶には自分のわがままを通す能力がある。だれに従う必要もなく、自分を中心に世界を回せる力がある。その力が叶の性格形成に影響を与えていることは間違いなかった。


「まあ、あいつはあいつなりに生きてるってことですよ」


 馬の足音と風音に負けないように大輔が叫んだ。前方にはちいさな町の影が見えはじめている。


「それに、ぼくはぼくなりに生きてる。人間はみんなそうだ。結局のところ、自分のやり方に従うしかない。あれがあいつのやり方で、これがぼくのやり方――だから七五三さんにはなんの罪もない」

「ふむ――ありがとうございます、大湊先生。やはり燿の先生があなたでよかった」


 手綱を引くと、馬がすこし速度を緩める。そのまま町のなかに入っていった。


 町は、ちいさな農村だ。まわりには畑があり、家畜を飼っているらしい小屋があり、水車がある。魔法使いたちがこの町のどこに暮らしているのかといえば、町の奥にあるいくつかの大きな家に分かれて暮らしているらしかった。


 大輔たちは馬を下り、そのなかでもいちばん大きな家に入る。すでに今日尋ねることは伝えてあったから、家のなかには新しい代表者の顔見せに参加したがった魔法使いたちが集結していた。


 場所は、部屋ではなく玄関ホールである。傍らには階段があり、そこにも何人かが座っている。全部で四、五十人というところだろう。大輔は自分に集まった視線を意識しながら、ゆっくり全員を見回した。


「集まってくれてありがとうございます」


 とまずは賢治が口を開いた。


「すでに話は届いていると思いますが、われわれの代表者として、新しく彼を迎えることになりました。私の知り合いでもあり、私の娘の教師でもある大湊大輔くんです。まだ若いが、その能力は私が保証します」

「あー、どうも、みなさん」


 大輔は政治家になった気分で片手を上げる。


「ただいまご紹介に預かりました大湊大輔です。えー、まあ、突然やってきて代表者なんて認められるかってひとも大勢いるとは思いますが」


 わずかに皮肉が含まれた台詞に、何人かが笑い、何人かが顔をしかめる。その顔をしかめた人間を、大輔はしっかりと記憶しておく。


「代表者だからといってなにがどうこうってわけでもありません。行動の方針は原則全員で相談し、決定することになるでしょう。ま、雑用みたいなもんだと思ってください」

「あんた、日本人か?」


 赤毛の、なにやら軍人めいた雰囲気のある男が前に出てくる。そのままずんずんと近寄り、巨体を大輔の目の前まで持ってきて、ほとんど真上から大輔を見下ろした。


「そういうあんたはアメリカ人っぽいなあ」

「ふん、正解だ」

「ついでに言うと元軍人でいまはフリーの探検家ってところ?」

「……なんでわかった?」

「軍人のままなら、絶対に日本人の指揮下には入らないだろ。いくら七五三さんがいいひとでも、だ。渋々にせよ従ってたってことは、いまは軍から離れているにちがいない」

「ふむ――なるほど」


 男はじっと大輔を見下ろしたあと、不意に笑顔になって大輔の肩を叩いた。


「悪くねえ、気に入ったぜ」

「はあ、そいつはどうも――ほかにぼくのことが気に入らないひとは遠慮なく言ってくれ。そのときは、ぼくと勝負しよう」

「勝負?」


 大輔はにやりと笑い、持ってきた荷物を漁る。そのなかにはグランデルの城下町で見つけた掘り出しもの、地球でよく使われるチェス盤と駒が入れてあるのだ。


「チェスでぼくに勝てたら、ぼくは代表者をやめよう。かといってぼくが勝ったらなにかしろ、というわけじゃない。ただ自分の能力を知ってほしいだけだからね」


 この挑戦的な台詞で何人かがやる気になったらしい。さっそく前に出てくると、多くの観衆を集めてのチェス大会がはじまった。


 この状況で勝負を挑んでくるというのは、多かれ少なかれチェスに自信がある者である。賢治はふと心配になり、大輔に耳打ちする。


「大丈夫ですか、大湊先生」

「ふふふ、大丈夫、まったく問題なしですよ、七五三さん」


 大輔は自信ありげにほほえみ、手のなかで駒をからからと回す。


「この超天才大湊大輔に不可能はないのです。まあ、見ていてください」


 大輔の自信過剰はいまにはじまったことではないが、本当に大丈夫かな、と賢治は首をかしげる。いざというときは自分もどうにかしなければと考えてはいたが、しかし結局、その心配は無用だった。


 チェス大会がはじまったときはみなこれはひとつの茶番だろうと考えていた。大輔が自分から切り出した以上、大輔に自信があることはたしかだが、それと同じだけ自信がある人間がそのなかにも何人かいたのだ。


 ひとりふたりには勝てても全勝することなど不可能――とだれもが思っていたが、大輔がそのにやにや笑いを消さずに駒を動かすうち、チェスに自信がある人間から順番に表情が真剣になっていく。直接対決しなくても、駒の動かし方を見れば実力を計ることは可能なのだ。


「これはなかなか――」

「いや、まぐれということもある」

「しかし、ある程度やることはたしかなようだ」

「これは一筋縄ではいかないぞ」

「気を引き締めなければ」

「うまく相手のミスを誘えば」

「運がよければ勝てるかもしれない――」


 そんな台詞はしばらくすると聞こえなくなった。話す余裕もなくなり、全員が盤上に視線を注いで必死に頭を動かす。


 無言の、しかしひりつくような時間がすぎる。


 三時間か、四時間か。希望者全員と対戦を終えたあとも大輔はその表情を変えなかった。


「さて」


 と大輔は立ち上がる。その対戦相手は、まだなにか挽回できる手があるはずだとじっと盤上を見つめていた。


「それじゃあ、一度城下町に帰りましょうか、七五三さん」

「あ、ああ、そうですね――」


 呆気に取られる賢治を連れ、大輔は家の外へと出て大きく伸びをした。それから家のそばにつないでおいた馬の背をぽんぽんと叩き、いかにもぎこちないへっぴり腰でその背に乗り込む。


「大湊先生――あれは、本当なんですか?」

「本当?」

「いや、その」


 と賢治はわずかに視線を逸らして、


「いかさまかなにか、裏があったのではないかと」

「いやいや、いかさまはなしです。でもまあ、そうですねえ……」


 大輔は空を見上げ、芝居がかった仕草で笑った。


「ひとつ、いかさまがあったとすれば、ぼくの頭がよすぎることでしょうね――わっ、おい、まだ動けなんて言ってないぞ――ぎゃっ、は、早いっ!」


 馬の背にしがみついて情けない声を上げる大輔と、先ほどまでチェスの盤上で天下無双の強さを振るっていた大輔が同じ人物とは思えず、賢治は本当にいかさまがなかったのかと首をかしげつつも大輔のあとを追っていくのだった。


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