アルカディア 7
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大輔、七五三賢治、クロノス王、その他数名の大臣や軍を率いる大将たちが部屋に集まっている。
長方形の大きなテーブルがひとつ置かれている部屋で、そのテーブルには作戦会議と言いながらもフルーツが並んでいて、女中たちがひっきりなしに行き来してグラスの酒を満たしたりフルーツの皿を変えたり、忙しく給仕をしている。
言ってみればそれは顔合わせのようなもので、正式な作戦会議と呼べるものではなかった。そのため、大輔もひとり深刻そうな顔はせず、まわりに合わせてフルーツをつまみながら酒を飲んでいる。クロノスもそうしていて、ほかの政治家や軍人たちのなかにはさっそく顔を赤らめている者もいた。
「しかし、爺のやつ遅いな」
クロノスは部屋のいちばん奥に座っていたが、腕を組んで眉をひそめた。
「普段ならいちばんにくるはずなんだが。ま、もう年だから、反応が鈍いのかもしれねえな」
「そんなこともないだろ。なにか理由があるんだよ」
大輔はとりなすように言ったあと、ふと視線を落とした。
「なんか、いやな予感がするなあ……」
「いやな予感?」
「根拠はないけど、普段とちがうことが起こるっていうのは大抵なにか水面下で起こってる証のような気がするんだよなあ――何事もなきゃいいけど」
と大輔が呟いた、ほんの数分後である。
給仕のために廊下で待機していた女中たちが、不意にばたばたとどこかへ駆けていった。その足音だけが室内に聞こえてきたのだ。その場にいた全員は首をかしげ、顔を見合わせたが、その理由はすぐにわかった。
こつこつとだれかの足音が近づいてくる。そして、開け放たれた扉からひょいと顔を出した。クロノスはほっとしたように息をつき、
「なんだ、爺か。どうした、遅かったな」
「は、はあ、それが、陛下、あのですね」
「どうした、早く入ってこい」
「いや、それがその――」
スピロスはすっと視線を横に向ける。扉の影にだれかいるらしいのだ。クロノスは首をかしげ、
「なんだよ、どうした?」
「じ、実は、先ほど城の前で――」
「詳しいことはわたしから説明します」
女の声である。
軍事会議の場に、女中以外の女の声があるはずはなかった。
全員が怪訝そうな顔をする間もなく、扉の影から足音を響かせ、女がひとり現れる。
全身血のように赤いワンピースを着た女だった。足元も赤いピンヒールで、それがこつこつと鳴っている。足や腕は青白く、細い首元には青い宝石つきのネックレスが輝き、唇もうっすらと赤い。
新世界的というより、地球的な衣装の女だった。
その会議に参列していた人間のうち、一目で女の正体には気づいたのは大輔と賢治のふたりだけだ。残りは、いったいこの女は何者だという顔で見ている。
現れた女はそんな視線を浴びながら堂々とした態度だった。ゆっくり参列している人間を見回し、大輔で視線を止め、赤いルージュを引いた唇をきゅっと釣り上げる。
大輔は反射的に立ち上がった。椅子がひっくり返り、その騒音に全員が身体を震わせる。
「どうした、大輔?」
「クロノス、この女は――」
「あなたがクロノス王ですね」
女は大輔の言葉を冷徹に遮り、クロノスに向かってゆっくりと頭を下げた。
そして、言う。
「わたしは革命軍の総司令官、大湊叶です。お目にかかれて光栄です」
「――革命軍の総司令?」
クロノスの視線が立ち上がった大輔に向かった。大輔ははっきりうなずく。それで全員が、その女は敵だ、と認識した。
とたん、半分ほどが椅子を蹴って立ち上がる。残りの半分は政治家で、椅子のなかで身を縮ませた。
「なにをしにきた、革命軍!」
「おまえたちの悪行は絶対に許されるものではない!」
血の気の多い軍人たち、そのなかには傭兵も含まれるが、そうした人間たちが口々に叫んだ。まるでからかうような赤いドレスに身を包んだ叶は、ゆっくりと手を上げる。それだけで全員が口を閉じ、攻撃を受けたように身体の動きを止めた。
実際はなにも起こってはいない。しかしそこにいるだれもが、叶のその動作だけでなにかが起こる予感を覚えたのだ。
「――なんのためにきた、大湊叶」
いまや椅子に座っているのはクロノスだけだった。クロノスは机に肘をつき、じっと叶を見ている。
「挨拶をしようと思ったのよ。せっかくこういう関係になったんだし」
「挨拶、ね――そのために、敵の本丸へひとりで乗り込んできたのか?」
「そうなるわね。ここはいいお城だわ。わたしもこういうところに住もうかしら」
「ふん、おれたちを追い出して勝手に住めばいいさ。追い出せるもんなら、だが」
「あなたたちを追い出してもここに住むつもりはないわ――ところで、うちの弟がお世話になってるみたいね」
「だれが弟だ。あんたは、ただの他人だ」
大輔が言うと、叶はふふんと鼻を鳴らした。
「まあ、別になんでも構わないけど。あなたは最後までわたしの敵になるのね」
「当たり前だろ――ほんとに他人ならあんたなんか放っておくけどな。そういうわけにもいかない。姉の尻拭いをさせられる弟の気持ちがわかるか」
「はじめから尻拭いなんかしなきゃいいのよ。わたしといっしょにくれば話は早いわ」
「前にも言っただろ。ぼくは、あんたに負けたり、あんたに従ったりするくらいなら死んだほうがマシだ」
「素直じゃない子ねえ……」
「これ以上ないほど素直だっての」
「叶ちゃん」
いままで黙って見ていた賢治が一歩前に出る。叶はそちらにちらと視線をやって、恭しく礼をした。
「お久しぶりです、七五三先生――何年ぶりかしら?」
「きみが学生だったころだから、もう十年以上前か。いまではうちの娘が大輔くんの生徒だよ」
「あら――そうだったの。名前は知っていたけど、名字までは聞いていなかったわ。そう、でもきっとあの子、燿ちゃんがそうなんでしょうね。言われてみれば先生の面影があるわ」
「ふむ、私は母親似でよかったと思うけれどね」
「あの子が先生の子どもなら、もっといじめておけばよかったわ」
心から後悔するように叶は細く息をついた。
「一応いじめたことはいじめたけど、いっそのことあのとき殺しておいたほうがおもしろかったかしら」
その場の空気が不気味に凍りつく。淡々とした叶の口調が妙な真実味を与えていて、同時に目の前にいる女が見た目通りの性格ではないのだと理解するのに充分すぎる言葉だった。
賢治も、ぐっと苦痛に耐えるように下唇を噛む。
「きみは――なぜそうなってしまったんだ?」
「なぜ? さあ、なぜかしらね。でも先生、ひとつ言えることは、先生のせいでこうなったわけじゃないってことよ。わたしは、生まれつきこうなの。先生のせいでも、だれのせいでもない」
「それじゃあどうして地球を憎む?」
「地球を憎む?」
叶は首をかしげたあと、けらけらと笑い出した。
「わたしが地球を憎んでいるなんて、だれが言ったの?」
「――ちがうのか? しかしきみは以前、地球に対して戦争を仕掛けた。今回も地球と新世界を完全に断絶させたじゃないか」
「前に戦争を仕掛けたときは、ただ退屈だっただけよ。今回〈扉〉をすべて壊したのは憎しみとはなんの関係もない。ただこうして革命軍を進めるときに、地球から無限に魔法使いが入り込むのが面倒だっただけ。わたしは地球を憎んでなんていませんわ、先生。わたしはなにも憎んでいない。ただ、なにも好きじゃないだけ。地球も、新世界も、人間も、魔法使いも」
「だからすべてを壊すのか……ひとびとの生活も命も踏みにじって」
「生活にも命にも興味はないの。だって先生、道端に生えている雑草の生活なんてだれが考えるの? 先生はいちいち足元を見ながら、なにも踏み潰さないように生きてきたの?」
「それは――雑草と人間を同じ次元で語ることはできない」
「わたしにとっては同じなんですよ、先生」
叶の薄い微笑みが見ているものに寒気を催させる。
「ちいさな蟻の命と人間の命は等価です。そしてわたしは、そのどちらにも興味はない。邪魔なら踏み潰すし、邪魔にならないなら見向きもしません。ここにいるあなたたちは、わたしの前に立ちはだかっている。だからわたしはここにいる全員を殺さなきゃいけない」
「いったい目的はなんだ?」
クロノスが言う。
「なにが目的で、なにを目指している?」
「そう――あなたなら知っているかもしれないわ。ナウシカのことを」
「ふむ、ナウシカか」
クロノスはちいさくうなずき、にやりと笑った。
「たしかに、ナウシカのことなら知っている。代々王家に伝わる秘密だ。なるほど、それを目当てにやってきたんだな」
「――ナウシカはどこにあるの?」
すっと細められた叶の目がクロノスを射抜く。
「言えねえなあ」
クロノスも挑戦的に笑ってみせた。
「この国じゃおれしか知らねえ秘密だ。知りたきゃおれに吐かせるしかないが、おれはどんな方法でも喋るつもりはない。つまりだ、ナウシカについて知りたきゃ、おれと取り引きしろ」
「取り引き?」
「革命軍を解散させるんだ。あんたにとっちゃ、革命軍はナウシカを手に入れるための手段でしかなわけだろ。革命軍なんか使わないままナウシカを手に入れられるとなったら、もう革命軍は必要ないはずだ」
「――なるほど、そういうことね」
叶はゆるやかに首を振る。
「残念だけど、あなたと取り引きすることはできないわ」
「そうするとナウシカは手に入らねえぜ」
「あなたと取り引きをしても手に入る保証はない。それに、ナウシカがこの世界のどこかにあることはわかっているわ。いざとなったらこの世界中を破壊してからゆっくり探してもいい。この世界に生きる人間や動物をすべて殺し尽くして、だれも邪魔する者がいなくなった世界でね」
「革命軍を使ってそんな世界を作るつもりなのか」
「革命軍は関係ない。わたしがひとりでやることよ。わたしにはその能力がある――たとえばこの瞬間、ここにいる全員を殺せるくらいの能力はね」
「き、きさま!」
何人かの軍人が身構える。それは、叶の言葉がはったりではないと理解していることを意味していた。
「もうすぐ戦争がはじまるわ」
叶は静かに言った。
「今日はその打ち合わせのためにきたのよ。革命軍は、もうひと月もすればこのグランデルへたどり着く。あなたたちもそれに合わせて準備をしているでしょう。お互いに大軍となれば、戦う場所も選ばなくちゃいけないわ。戦場は、ここから北へいった海沿いでどうかしら。場所も広いし、海水だけど水もある。ほかの場所がいいなら、それでも構わないけれど」
「……わかった、あのあたりを戦場としよう」
「開戦は今日からちょうど一ヶ月後。革命軍は東に陣を取るわ。それを奇襲するのか、それとも正面から迎え撃つのかはあなたたちの自由にするといい――どうせ大輔がなにか策を考えるんでしょうけど、大輔ならどんな策も圧倒的な力には敵わないってわかっているでしょう」
「――うるさいな、ばーか。やってみなくちゃわからないさ」
「ふうん、それじゃあ存分に試してみるといいわ――勝敗は、もちろん片方の全滅。革命軍は最後のひとりまで戦い抜く。あなたたちも後ろにこの町が控えている以上、そうするしかない。二十万、三十万の軍隊がぶつかり合って、六十万の人間が相手がいなくなるまで戦い続けるのよ。戦いが起こった真の目的も知らずに、ね」
くすくすとからかうような声があたりに響く。しかしそれは一種のポーズでしかない。
大湊叶という人間は、ひとびとの殺し合いに興味を見出すような人間ではなかった。たとえ何億という人間が殺し合い、最後にただのひとりも残らなくても、叶は表情ひとつ変えずその様子を眺めているだろう。
愉快でもないし、不快でもない。
ただ自分の外側で起こっている出来事、風が吹いたり雨が降ったりすることとなんら変わらない出来事でしかない。
「おまえは、ひとの命をなんだと思っているんだ?」
さすがに怒気を含ませ、クロノスが立ち上がる。
「ひとの命はひとの命よ。それ以外のなにものでもない。ただわたしは、そのひとの命というものに興味がないだけ。そこにあっても、そこになくても、別にどちらでも構わない」
「自分の命は別にして、か」
「わたしの命も、よ。なんなら、わたしを殺してみたら? わたしは、わたしの命なんてまったく必要ない。ただ自由に動く身体が必要なだけ。命をなくしても自由に動く身体があれば、命なんていらないわ」
「――そこまでしてなにを求める?」
「ナウシカを」
「おまえがナウシカについてどれだけのことを知っているかわからねえが、それほど大したもんじゃねえぜ、ナウシカなんて」
「あなたこそ、ナウシカについてなにも知らないのね。ナウシカは、いうなれば神の道具よ。なぜこの世界はこんなふうになったのか。なぜ地球と連結されているのか――ふたつの世界の疑問は、すべてナウシカにつながっている。まあ、あなたがもしそれを知っていたとしても、あなたにはなんの使い道もないものでしょう。魔法使いでなければ、ナウシカは使えない」
「ふむ、すこし安心したよ」
「安心?」
「おまえも人間だってことがわかった。本当になんの目的もなく戦争を起こしたわけじゃない。人間に対する価値観は歪んでるんだろうが、人間を認識していないわけじゃない。おまえにはひとつの目的がある。そのために人間を使って戦争を起こしたんだろう。それならおれは、人間としてそれに対抗してやる。戦争に勝って、おまえの思惑を潰してやるさ」
「ただの人間が、わたしに勝つ?」
「人間もそれなりに力はあるもんだぜ」
「それならやってみるといいわ――どうなるか、楽しみね」
叶はくるりと踵を返した。赤いワンピースの裾が揺れ、その名残を残しながら扉の向こうへ消える。
しばらく全員は呆然としていたが、すぐ軍人の何人かが気づき、あとを追うように部屋を飛び出した。その騒がしい足音が響き、やがて、全員が戻ってくる。
「もうどこにもいませんでした。いったいどこへ消えたのやら――」
「ふむ、まあいい。とにかく敵の情報が手に入ったんだ。それだけでもよしとしよう――爺、あの女はどこにいたんだ?」
「はあ、それが城の前におりまして。息子とともにここへ急いでいる途中だったのですが」
スピロスはちいさく首を振る。
「ここへ通すべきではなかったのかもしれませぬ。あのような不審な人物を」
「いや、会ってよかった。やっぱり敵が明確にわかっていたほうが戦いやすい。それに日時も決まったしな」
「あれは本当の日時でしょうか?」
政治家のひとりが言う。
「ああやって嘘の情報を教え、まだ準備を整えていないわれわれを奇襲する気では」
「ふん――まあ、大丈夫だろう。あれだけ自信満々なんだ。奇襲で勝つなんてことはないだろうし、その気ならここに乗り込んできた時点でおれたちはみんな死んでるさ。戦争のほうはまじめにやるんだろう」
「一ヶ月後、ですな」
スピロスが低い声でうなる。
「さて、そこが正念場ですぞ――われわれが消えるか、革命軍が消えるか」
「もちろん、消えるのは革命軍だ」
クロノスはにやりと笑う。
「おれたちはなにがあっても負けやしねえさ」




