アルカディア 5
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王の間に、全部で七人が椅子も使わず輪を作るように座っている。
大輔はなんとなく居心地が悪いような気がして何度も姿勢を正し、ちらちらと周囲を盗み見ている。クロノスはふむと息をつき、その場の全員を見回して、王らしく口を開いた。
「整理すると、だ――大輔と賢治はもともと知り合いだったってことか?」
「知り合いというか、なんというか」
「まあ、知り合いといえば知り合いかなあ」
大輔のふたつとなりに座っている中年の男は、大輔を横目で見てにっと笑った。
「いつも娘がお世話になっております」
「い、いや、ほんとに、いつもお世話してます――しかしまさか、七五三の両親がこっちにきてたとはなあ」
王の間に入ってきた五人のうち、三人は燿、紫、泉だったが、残りの中年の男女にも大輔は見覚えがあった。とっさに名前が出るほどではないが、地球の学校で何度か顔を合わせたことがある相手――つまり、七五三燿の父親と母親、七五三賢治と七五三紗友里なのである。
たしかに、ふたりとも新世界での活動を主とする秘密組織ダブルOの隊員ではあるが、偶然あのとき新世界にいて、しかもこのグランデル王国で魔法部隊の代表をやっているとは思いもよらない事実だった。にわかに授業参観のようになってしまった雰囲気に大輔はなんとなく調子を狂わせつつ、とにかくクロノスを含んでの話し合いもしなければならないから、とその場に腰を下ろしたのだ。
当然、父親についてここまでやってきた燿もそこにちょこんと座る。そうなると紫と泉だけ追い出すわけにもいかないから、結果として七人の輪ができたのだった。
大輔はちらりと揃って座っている七五三夫婦を盗み見る。
ふたりとも歳相応の外見ではあるが、どこか若々しい雰囲気をまとっていた。とくに父親の七五三賢治は、メガネをかけたすらりとした男で、知的な空気を醸し出している。母親の七五三紗友里は一転してにこにことよく笑うひとで、大輔に向かっても笑いかけているし、クロノスに向かっても笑いかけていた。その笑顔は燿によく似ていて、どうやら遺伝子的には母親のほうが強そうだ、と内心呟く。
「私もまさか、燿がこっちにきているとはまったく知りませんでしたよ」
と賢治は燿の頭をぽんと叩いた。燿はなんとなく恥ずかしそうな顔でその手を振り払う。どうやら友だちや大輔の前で子ども扱いされるのが嫌らしい。
「てっきり燿は、地球で私たちが帰ってこないのを心配しているものと思っていましたからねえ、あっはっは」
「笑いごとなのか、それは……いや、ほんと、この天才大湊大輔がついていながらこんなことになって、申し訳ない」
「いやいや、むしろ先生には感謝していますよ。ねえ、紗友里」
「ええ、本当に」
紗友里はにっこりと笑う。その胸元には、赤い花が一輪揺れていた。服の装飾とも思えないが、なぜそんなところに花を差しているのかといえば、今日は地球暦で言うところの十月二日、ふたりの結婚記念日なのである。そのために賢治と紗友里は花屋の前にいたのだが、王に呼び出されていたことを思い出して慌てて娘たちを連れてここまでやってきた、というのがこの状況の発端だった。
「もし先生がいらっしゃらなければ、この新世界で一年以上も生きていくことはできなかったでしょう」
賢治は燿を見て、しみじみと言う。
「ここへたどり着くまでにはいろいろなことがあったでしょう。つらいことも、悲しいこともあったはずです。しかし燿の顔を見ればそこに喜びや楽しさがあったこともわかります。それも先生のおかげです」
「七五三の場合は持って生まれた性格のおかげって気もするけど――」
「まあ、つもる話もあるだろうが、まずはこっちの話をさせてくれ」
クロノスは苦笑いするように言った。
「賢治、今日からこの四人が魔法部隊に入ることになった。おれたちに協力してくれるってことだ。なにかと世話を頼む」
「ほう、わかりました――いや、それならいっそ、魔法部隊の指揮官は大湊先生にしたほうがよいかもしれません」
「へえ、そう思うか?」
「はい。もともと私はだれも代表がいなかったために任された代理のようなものですし――能力でいえば、大湊先生のほうが優秀です。加えて一年間この新世界で生き抜いてきたという経験があれば、指揮官は大湊先生が適任でしょう」
「なるほど、わかった。大輔はどうだ」
「うーん――」
大輔は腕組みしてすこし考える。
指揮官ということはつまり、グランデル王国側、正義軍側に所属している魔法使い全員の命を預かるということである。それができるか、というのは、即答できるたぐいの問題ではない。
しかし結局、大輔はうなずいた。そうせざるを得なかった。自分が指揮官になることで救われる人間がひとりでも増えるなら、それを断る権利は、大輔にはないのだから。
「できるだけのことはやってみよう。ふさわしくないと思ったらすぐに解雇してもらって構わないから」
「よし、じゃあこれからの司令官は大輔に頼もう。しかしひとりでできる仕事じゃねえから、賢治も助けてやってくれ」
「はい、わかりました」
「ってことで決まりだな。今日は顔合わせだけのつもりだったが、ある程度進展できてよかった。あとはおまえたちで話し合ってくれ。またなにかあったらここへ呼ぶことになるだろうし、そっちでもなにか思いついたりわかったことがあったらいつでもここへきてくれ。おれがいないときは爺が――スピロスが話を聞く」
「りょーかい」
「じゃ、今日は解散だ。お疲れさん」
クロノスはひらひらと手を振りながら立ち上がった。大輔たちも立ち上がり、王の間を出る。
外の廊下を進んでいると、賢治がするすると大輔に近づき、囁いた。
「大湊先生、よければこのあと、一杯行きませんか」
「お、いいですね、行きますか」
男ふたりがにやりと笑う後ろで、燿はぴょんと跳ねて、
「あたしも一杯行くー!」
「いやおまえは無理だろ」
「じゃあ二杯!」
「増えてる増えてる。おとなしく宿に帰ってなさい。ねえ、七五三さん」
「そうそう、燿は先にお母さんと帰ってなさい」
「むう、なんか仲間はずれ……」
「あと五歳年取ったら仲間に入れてやるよ。酒なら、宿の近くの飯屋がなかなかうまかったなあ。あそこ行きますか」
「いいですね、あそこはたしかにおいしい」
大輔と賢治はふふんと笑い、並んで歩き出す。その後ろ姿を、妻の紗友里や紫が苦笑いしながら見送るのだった。
*
料理屋は、食事時をすこしすぎたせいか、いくつか空席が見える。その奥のテーブルに大輔と賢治は腰を下ろし、料理はつまみ程度にして、赤く澄んだ酒をゆっくり喉の奥へ流し込んでいた。
「なんというか、不思議なもんですなあ、世の中というのは」
賢治はちびちびとコップの中身を減らしながら言った。
「まさか新世界で燿と会えるとは思ってもみませんでしたよ」
「いや、それはこっちも同じです。まさか新世界に七五三さんたちがいるとは。なにしろ例の断絶以降、地球とはまったく連絡が取れない状態でしたから、だれがこっちにいるのかもわかりませんからね。それでもまあ、無事にこうして再会できてよかった」
「まったく――大湊先生のおかげです」
「いやいや」
と大輔はさっそくコップの中身を半分ほど減らし、笑いながら首を振る。そしてふとまじめな顔になり、
「おふたりは、地球へ戻れなくなってからずっとこの国に?」
「いや、私たちもはじめは別の国にいたんです。そこで遺跡の調査をしていましてね。私はダブルOでも考古学が専門ですから。妻はそれに付き合う形だったんですよ」
「ははあ、なるほど」
言われてみればたしかに学者然とした雰囲気だ、と大輔はうなずく。
「それでまあ、例のことが起こりまして、革命軍もあってこのグランデル王国へやってきたんです。それでも、もうここへきてから半年以上は経ちますか。ところで大湊先生――」
賢治もわずかに声を潜め、瞳の奥に真剣な光を宿す。
「世界を渡る扉がすべて破壊されたのは、もしかして――」
「いや、おそらく想像されているとおりです。うちのばかな姉のせいですよ」
「ふむ、やはりそうですか――叶ちゃんとは何度かしか会ったことがありませんが、いまでも新世界にいたのですね」
「いたどころか、いまや新世界の支配者になってますよ。ほんとになにを考えてるんだか――いったいなんのために扉を破壊したのかもいまもってわからないし」
「もともと彼女は、地球に対してなにか思うところがあるのかもしれませんね」
大輔を気遣ってか、賢治は静かな、どことなくやさしさを含ませた口調で言った。
「以前、新世界を独立させようとしたときもそうでしたが……新世界と地球を完全に分離させるということが目的なのかもしれません」
「いや、だとしたら、自分自身も地球へ引っ込むべきなんですよ。なにしろあいつだって地球人なんだから。たぶん目的はそういう殊勝なものじゃなくて、もっと個人的なもののはずです。あるいは、目的なんかなにひとつないのかもしれませんけど」
「目的なんかない?」
「気の赴くままというか、風に吹かれるままに行動してる可能性もあります。でも、いままでの動きを考えると、それにしてはすこしなにかの意志を感じさせる部分が多いけど……とにかく、地球との扉を壊したのは、これ以上地球の魔法使いを新世界へ入れないためでしょう。魔法使いは大きな戦力になりますから、新世界を支配したいならできるだけ魔法使いはすくないほうがいい」
「ふむ、なるほど。しかし新世界の支配が目的なら、もうすでに達しているのでは? グランデル王国を潰し、完全に支配したいということでしょうか」
「さて、どうでしょう――新世界の支配が目的っていうのもどこか引っかかるんだけどなあ」
大輔はううむとうなり、ふと顔を上げる。
「そういえば、七五三さんは新世界の考古学が専門でしたよね。だったら、ナウシカという名前を聞いたことはありますか?」
「ナウシカ?」
賢治は一瞬首をかしげ、なにか思い出したように瞬きをした。
「どこかで聞いたことがあります――なんだったかな、昔なにかの文献を調べていたときだったか。ナウシカ、そう、知っていますよ。古代にあった、なんらかの装置では」
「なんらかの装置?」
「詳しいことはわかりませんが、なにかの文献で、ナウシカを使用して、という文面があったような気がします。おそらく道具が装置の類だと思いますが、それがどうして?」
「いや、やつが言ってたんですよ。ナウシカを探してるって」
「叶ちゃんが?」
ふたりは顔を見合わせ、しばらく言葉を失う。そのあいだも店内には喧騒があったが、ふたりの周囲だけはなにか不思議な静寂に包まれていた。
「なぜ、叶ちゃんがいまになってナウシカを」
「さあ、そこまではわかりません。ナウシカがなんなのかもよくわからないし。なにかの装置だとしたら、いったいなにをどうする装置なのか。それがわかればあいつの目的もすこしはわかるのかもしれませんけど」
「ナウシカか。なにかありふれたものの名前なのだと考えていましたが、そうでないのなら、もっとしっかり調べておくべきでしたね」
「ぼくも一応調べてはみたんです。マグノリア修道院の図書館にもそれらしいものはあったんですが」
と大輔が言うと、賢治はぐっと身を乗り出し、目を輝かせた。
「あ、あのマグノリア修道院の図書館に入ったんですか! それはすごい、私もどうしても見てみたいと申し出たんですが、あそこは原則女性しか立ち入れないために断られたんですよ。いったいどうやってなかに?」
「え、いや、まあ、それはあの、そういうまあ、いろいろで」
ごほんと咳払いし、視線を逸らす。
「と、とにかく、図書館の文献をあたってみたんですが、ナウシカに関する決定的な情報はなくて。ほかにヴェーダという町でもナウシカについて聞いたんですけど」
「べ、ヴェーダですって? そそ、それは本当ですか。ヴェーダといったら古代の文献においてもっとも優れた都市と評される超古代都市ですよ、そ、そんなものがまだ実在していたなんて。ああなんてことだ、私はそもそもヴェーダという謎めいた都市に惹かれて考古学を学んだようなもので、いつかは新世界のどこかからヴェーダを発掘するのが夢だったんですが、そうですか、やはり実在していましたか、ヴェーダは。いや、近ごろの新世界考古学界では、ヴェーダの非実在説などもあって、それはまあ笑止千万というところなんですが、いやあしかし、ヴェーダはありましたか」
賢治は興奮冷めやらぬように椅子へ戻って、にこにこと笑いながらコップのなかにあった酒を一気に飲み干した。そしてコップをどんとテーブルへ置き、大輔を見る。
「そ、それで、ヴェーダはどんな遺跡でしたか?」
「遺跡というよりは、いまでも充分に生活できるような都市でしたよ」
「ほ、ほう、なるほど――場所は?」
「えっと、アリシア山脈の西側です。針みたいな細い山の上にあって、雲よりも高い位置なんですけど」
「ははあ、そんなところに――道理で土を掘っても見つからないわけですね。それで、いったいどうやってそんなところまで上ったんです?」
「あー、それはですねえ……」
と古代の魔法都市ヴェーダについて話すことしばらく、賢治はすっかり満足した顔でふむふむとうなずき、反対に大輔は説明疲れで椅子の背もたれにぐったりともたれかかっていた。
「ヴェーダはやはり凄まじく文化が発達した都市だったのですね。しかし魔法を使った都市があったとは、これは考古学的に大きな発見ですよ。下手をすればいままで作り上げてきたものがすべてひっくり返されるかもしれない。地球に帰ったら忙しくなりそうです。しかしヴェーダが失われてしまったのは本当に残念ですね。それだけすばらしい都市なら、まだたくさんの考古学的発見があったでしょうに――私も一度そこへ行って、ヴェーダの瓦礫や残されたものを探さなければ。おっと、私ばかり話してすみません、考古学になるとつい興奮してしまってね」
賢治は二杯目もゆっくりと飲み干し、すこし赤らんだ顔をほころばせた。
「しかし今日はいい日だ。燿とも再会できたし、ヴェーダに関していろいろ知ることもできたし――ねえ、大湊先生、今日はすばらしい日だと思いませんか?」
「は、はあ、そうですね、たしかに……いやぼくはちょっと疲れましたけど」
大輔がため息をつく向かいで、賢治はにこにこと笑っている。その顔を見て、大輔はこの親にしてあの子どもだな、と妙に納得したような気になったのだった。




