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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
アルカディア
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アルカディア 3

  3


 王座にどかりと腰を下ろした王クロノスはなんとなく不機嫌そうな顔つきだったが、それ以上に臣下であるスピロスが不機嫌そうなのを見て、うっと言葉に詰まる。


「今回は比較的お早いお帰りでしたね、陛下」

「う……」

「どうです、小旅行はご満喫されましたかな? いったいどのようなものを見たのか、あとでこの爺にも教えていただきたいものでございますが、残念ながらいまはそのような時間もなく、またいつか暇ができましたらそのあたりの話もじっくりと伺いたいと思います」

「う……わ、悪かったよ。ちょっと散歩してきただけだ」

「はあ、なるほど、お散歩ですか。それはよいですね。散歩は健康にもよいといいますし、私もできることなら毎日でも散歩したいところですが、しかし兵士も連れず姿も変えて散歩をするのはとくに愉快でしょうね。私も一度同じようにやってみますよ」

「だ、だから、悪かったってば。勝手にどっか行って悪かったよ。いや、一応出かけることを報告しようとも思ったんだけど、ほら、爺は忙しそうだったから、邪魔しちゃ悪いかなと思って」

「なるほど、このような爺にもお気を遣われたのですね。もっとも陛下を捜索することでさらに忙しくなりましたが」

「う――そ、それで、なんかあったのか? わざわざ兵士を使って呼び出すくらいだから、火急の用があったんだろ」


 クロノスが話題を変えると、スピロスもそれに乗らざるを得ず、深々とため息をついて小言と嫌みを諦める。


「陛下が出かけられたあと、アンブロシアが帰還いたしました」

「お、帰ってきたか」


 クロノスは椅子から身を乗り出し、にっと笑う。


「それで、結果は?」

「そのあたりは陛下ご自身でお聞きください――おい、アンブロシアを呼んできてくれ」


 すぐ兵士が動き、数分のうちに若い女兵士アンブロシアを連れて戻ってくる。


 アンブロシアは王座へ続く赤い絨毯のなかほどで膝をつき、クロノスに礼を尽くした。クロノスは煩わしそうに手を振り、


「そういうことは二十年後くらいでいいから――よく帰ったな、アンブロシア。危険な任務だったが、よくやり遂げてくれた」

「はい――なんとか無事に任務を果たして帰ってくることができました」


 顔を上げたアンブロシアの目には、うっすらと涙が光っている。


 それもそのはずである。アンブロシアが特別な任を帯び、この国を出ていったのはもう二年近く前のことだ。それから世界中を転々とし、数々の危険な状況をくぐり抜け、無事に任務を遂行してここへ戻ってきたのである。


 任を受けた二年前と同じようにクロノスの顔を見ていると、まるで二年前に戻ったような、それでいてこの二年間を鮮明に思い出すような心地になって、自然と目が潤んでくる。王の前だと思えば思うほどその感情は強烈になって、アンブロシアは自分を抑えられないまま、しばらく声もなく涙を流していた。


 クロノスは、無言のままそんなアンブロシアを見下ろしている。なにか言葉をかけるより、時間を使ったほうがいいだろうと考えたのだ。


「――ご苦労だったな、アンブロシア」


 ずいぶんと長い時間を置いてから、クロノスは言った。アンブロシアは深く頭を下げる。


「ほかにもおまえと同じ任を受けた者がちらほらと帰ってきている。成功しているものもいれば、失敗したものもいる。なかには帰ってこないものも――その形見だけを別のものが持ち帰ったこともある。おまえはよく帰ってきた。まず無事に帰ってくることが任務成功の第一段階だからな」

「はい――」

「それで、報告を聞かせてくれるか。世界の様子はどうだった?」

「やはりこの二年のうちに、世界中のほとんどすべての国や町は革命軍によって破壊され、支配されてしまいました」


 自らの身体を傷つけられたようにアンブロシアは顔をしかめる。


「いくつも、ひどい光景を目の当たりにしました――家族を目の前で殺される者、拷問じみた仕打ちを受けている者、なにもかも失い絶望のまま正気をなくしてしまう者……まるでこの世の地獄のような光景でした。なにより恐ろしいのは、そうした狂気の中心である革命軍は、日に日にその規模を巨大化していくということです。わたしは、何度か信じられない状況も目にしました。たったいま、愛する家族や自分が住んでいた家を失った者が、革命軍を憎むのではなく、自ら志願して革命軍の一員となるのです」

「むう……」


 傍らで聞いていたスピロスが低くうなる。


「そうして革命軍は破壊を繰り返しながら拡大しています。おそらく、いま現在も――しかしなぜひとびとは革命軍に参加するのでしょう。いまや革命などとは無縁の、無法でとても直視できないほど残忍なひとびとのなかに好んで入っていくなど」

「人間性ってもんだろう」


 王座から、クロノスが呟いた。


「人間にはそういう性質がもともと備わっているんだ」

「残忍な性質が、ですか?」

「ある種の損得勘定ってほうが正しいかもしれないがな。だれだって理不尽は嫌いだ。まじめにやっている人間が損をして、ふざけている人間が得をする。そんな世の中はおかしいと思うだろう。おかしいと思ったとき、その理不尽を是正する方向へ動くか、それともまじめに生きていることがばからしくなるか――まあ、それもある意味では国のあり方次第なのかもしれねえが。結局、そこでふまじめになるやつは、もともとそういう願望を持っている人間なのかもしれねえし、そういう人間にしたのは国であり周囲の環境だろう」


 それは一種の自暴自棄でもある。もうなにもかもなくしてしまったのだから、いまさらまじめな顔をして生きていくのもばからしい、という感情だ。それに、自分ひとりだけ苦しむのは嫌だという人間の悪い意味での連帯意識が重なっている。


 人間が人間である以上、革命軍の暴虐は終わらないし、革命軍に入りたがる人間が尽きることもない。それはいまやグランデル王国を除いたすべての国を支配している欲望であり、自暴自棄なのだ。


「まあ、悪事ってのは大抵単純な理屈でできてるもんだろう。おれが金を払って買っているものを、となりのやつは盗むことで金を使わずに得ている。しかも、その盗みに対する罰がない。それじゃあ金を払って買うのがばからしくなるのも当然だ」

「陛下、すこしお言葉に注意が必要ですな」


 スピロスが抜け目なく言った。


「それではまるで、革命軍というものを仕方ないと容認していると取られかねません」

「いや、おれは本当にそう思っているんだよ、爺。革命軍が存在するのは仕方のないことだ。ただし、だからといって許すというわけじゃない。おれは革命軍を許すつもりはない。罪には罪で返す。それしか方法がないのなら、おれは罪を選んででも革命軍を壊滅させる――アンブロシア、世界の様子はわかった。肝心の任務のほうはどうだ」

「はい――世界中をまわり、われわれに協力してくれそうな人材を探しましたが、もうほとんどの町が壊滅しているとあって、あまり多くは見つかりませんでした。途中で協力を要請した何人かは、すでにここへ到着していると思いますが」

「ああ、二、三人はきたよ」

「それから、わたしが直接、四人の魔法使いを連れてきました」

「ほう、魔法使いが四人も見つかったか。そいつはいい。魔法使いは、普通の兵士よりもはるかに強い。魔法使いが十人いれば兵士百人にも勝るだろう。よくやった、アンブロシア」

「いえ――」


 褒められると、アンブロシアは子どものように顔を赤らめて視線を逸らした。クロノスのほうではその反応にも無頓着に、


「それで、魔法使い四人はどこで見つかったんだ?」

「マグノリア修道院です。ほかの国から避難している魔法使いがいないかと潜入していたのですが、そこで」

「ふむ、なるほど。そいつはうまく考えたな」

「それから、陛下、マグノリア修道院の修道女たちが近いうちにこのグランデル城を目指すようです。到着がいつになるかはわかりませんが、なにしろ大所帯ですから、こちらとしても受け入れを考えておかなければ」

「わかった、受け入れられるように考えておこう。しかしなんでまた、修道女たちが?」

「修道院が革命軍の襲撃を受けたのです。幸い、犠牲者はごくわずかでしたが、修道女たちだけでは革命軍に対抗できないと考えたようです。その襲撃時に活躍したのが例の四人なのです」

「ははあ、そういうわけか」

「四人とも優秀ですが、とくに四人組を率いている大湊大輔という男は、非常に頭が切れます。まあ、自ら天才を称する変わり者ではありますが」

「へえ、自ら天才ねえ……」


 そんな男をどこかで見たような、とクロノスは首をかしげたが、そのときは思い出せずじまいだった。


「それじゃあ、その四人とも一度会おう。それからいまこの町にいる魔法使いとも面会させたほうがいいだろう。いざ革命軍との戦争になれば、彼らは魔法部隊として働いてもらうことになる」

「はい。いまは町の宿に泊まっていますが、近くこの城へ案内します」

「うん、頼んだぞ。しかし長旅で疲れただろう、おまえもすこし休むといい」

「はい――それでは、失礼いたします」


 アンブロシアは再び頭を下げ、王の間を出ていった。そのとき、扉の前で一瞬だけクロノスを振り返り、視線を向けたが、クロノスは気づかないふりをしていた。アンブロシアが出ていくと、スピロスはこれみよがしにため息をつく。


「陛下もなかなかおひとが悪いですな」

「む、いまごろ気づいたか、爺」

「いえ、昔からよく存じておりますが――こと女に関しては、あなたほど非情なひとは見たことがない。とても慈悲深い王と同一人物とは思えませんな」


 クロノスは王座のなかで足を組み、すこし複雑そうな顔をする。


「爺よ――おれはひとつ疑問があるんだが」

「なんでしょう」

「女というのは、いったいなんなのだろうな? いや、理屈ではわかるが、その正体がわからねえんだよ」

「さあ、女の正体が男にわかるとは思えませぬが」

「ううむ、たしかに……だからおれは、女が苦手だ。どうも、な」


 クロノスはぽりぽりと頭を掻く。自分でも女に冷たい男だという自覚はあった。


 もともと、クロノスは鈍い男ではない。アンブロシアの感情や、ほかにも何人かいる女たちの意志には気づいていたが、かといってそれに応えるわけにもいかず、気づかないふりをしてしまうことがほとんどだった。それは男として卑怯なやり方だとも思うが、それ以外にどうしようもないのだ。


 スピロスは、クロノスが自分でも気づいていない女に対する弱さの原因を知っている。それは結局、クロノスのやさしさと未熟さに起因するものである。クロノスはだれに対しても平等で、そうしなければならないと心がけているからこそ、特定の女に愛を注ぐようなことはできない。とくにこの時期、国の行方もわからず、下手をすれば戦争に敗れて首をなくすようなことになるかもしれないのだ。そのとき残される女のことを思えば、一歩が踏み出せないのも致し方ない。


 しかし男なら、こんな状況でも女のひとりやふたりいても当然、むしろ王という器ならそのくらいの余裕があってもらわなければ困る。そのため、本来なら身分違いであるアンブロシアやほかの女たちのアプローチにスピロスも目をつぶってきたのだが、肝心のクロノスがこの様子では女たちも哀れだった。


「まあ、こういうことは焦ってどうにかなるものでもございませんからな。陛下もいつかはご結婚なさる。そのときまでじっくりとお考えになられるのがよいでしょう」

「結婚、ねえ……それこそ、いったいいつの話やら」


 クロノスは無精髭を撫でながら呟き、またスピロスにため息をつかせるのだった。


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