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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 19

  19


 どうして中庭へ飛び出したのか、その瞬間でさえソフィアにもわからなかったが、大輔が屋根の下に避難したとき、ようやくそれが理解できるようになった。


 結局、至極単純な話だ――ソフィアは大輔に生きていてほしかったという、それだけなのだ。


 死はなによりも恐ろしいものだった。

 ソフィアは祖国カイゼルで革命軍によってそれを叩きこまれた。

 死とはなによりも無残なもので、美しい死など、カイゼルの男たちが信じていた名誉と尊い死など存在しないと、いやというほど教えこまれたのだ。


 死はただの敗北であり、すべての動物に約束されたそれと変わりない。

 死んだ人間の姿は、死んだ動物の姿そのものだ。


 ソフィアはなにより、自分はそんなふうには死にたくないと思った。

 だから命からがらカイゼルを逃げ出したのだ。


 しかし、いまは、そんな無残な姿に変わり果てた大輔を見たくないと思う。

 それほど苦しい死を大輔に味わわせたくはないと思う。

 それが叶えられただけでも、ソフィアは満足だった。


 だから、笑顔で死を受け入れたのである。



  *



 叶は中庭を見下ろし、興味をなくしたようにふと視線を空へ向けた。


 黒い雲から、雨がぽつりぽつりと降り出している。

 それが叶の白い頬を伝い、ゆっくりと落ちていく。


「――帰りましょうか」


 叶が言うと、ベロニカはすこし不思議そうな顔をして、


「よいのですか、叶さま。あの図書館の文献は」

「それはあとでもいいわ。雨に打たれるのは嫌だから、いまはひとまず帰りましょう。必要ならまたくればいいだけのこと――だれが何度立ちはだかっても、わたしはわたしが望んだことを通すつもりだから」

「はい」


 叶とベロニカの身体が、さらに上空へと舞い上がる。

 そのまま、ふたりの姿はふと掻き消えた。


 あとにはただ、すこしずつ強まる雨だけが残されていた。



  *



 戦いは集結した。


 結果は、これ以上ない敗北でありながら、最低限の目的は達成できた敗北でもあった。


 この戦いで、修道院から犠牲になったのはたったひとり、ソフィアだけで、あとはひとりの死者も出さなかったのだから、相手を打ち負かすことが目的ではなかった戦いとしては、決して悪い結果ではなかった。


 しかし大輔は、それを勝利だとは決して認めたくなかった。


 敗北は敗北――それも完全な、力で勝負をして、打ち負けたのである。


 ソフィア以外に犠牲者が出なかったのは、単に叶の気まぐれにすぎない。

 もし叶がまだ殺戮を続けるつもりでいたなら、それを防ぐ手立てはなにもなかったのだ。


「――くそ、ぼくが失敗したんだ。ぼくのせいで、彼女は死んだ――ぼくが殺したようなものじゃないか」


 ――戦いが終わった日の夜、大輔は暗い図書館のなかにいた。


 まわりにはだれもいない。

 光もない。

 ただ暗闇のなかに身を沈め、ぶつぶつと独り言を呟いている。


「あのとき、あれ以外に方法はなかったのか? 本当にあれしかなかったのか。だれひとり犠牲にならずに終わる結末はあり得なかったのか」


 それは、考えても仕方のないことだとわかってはいる。

 もうすべて終わってしまったことだ。

 時間を巻き戻し、もう一度選択をやり直すということはできない。

 ただ、そうして考えてしまうことを止めることはできなかった。


 そのとき、ぎい、と音を立て、扉が開いた。


 まだ外では雨が降っている。

 差し込む光もなく、暗闇が暗闇のなかへ滑り込んでくる気配だけがあった。


「――ここにいたのか、ダイスケ」

「グロリアか? まだ歩けるような状態じゃないだろ、なにしてるんだ」


 大輔が慌てて入り口へ駆け寄っていくと、グロリアの白いローブが暗闇のなかにぼんやりと浮かび上がっている。

 グロリアはかすかに笑みを浮かべ、すこし苦しげにうめいてその場に腰を下ろした。


「大丈夫か。きみの傷は、決して浅くないんだ。魔法は万能じゃない。ゆっくり身体を休めないと、また傷が悪化して今度こそ助からないかもしれないぞ」

「わかっている。ただ、きみを放っておくわけにもいかないだろう」

「――そうか。いや、心配をかけるつもりはなかったんだけどな」


 大輔はぽりぽりと頭を掻いて、ため息をついた。


「わたしは、きみよりも年上だ」


 グロリアはやさしい口調で言った。


「別に弱みを見せてもいいと思うが」

「む――ぼくはだれでも、それこそ百歳をすぎたおじいさんにも弱みは見せたくないんだ。そもそも弱みなんてないけどね!」

「ふむ……まあ、きみがそれでいいというなら、いいんだろう」

「そう、これでいいんだ。ぼくだってもう大人だから、わかってる。過去は変えられないし、もしあのときに時間が戻っても、ぼくはきっと同じ行動を取る」


 あのとき――ソフィアが自分の命と引き換えに大輔を追い出したとき、大輔は自ら生きることを選択したのだ。

 自分はまだ生きなければならないと、たとえソフィアを犠牲にしてでも生きていかなければならないのだと決心したのだ。


 そして大輔は生き残った。

 それは、大輔にとってなによりも重要なことだった。


「――これから、きみたちはどうするんだ?」


 グロリアが言った。


「わたしたちは、この修道院を出ていこうと思っている」

「修道院を、出ていく?」

「グランデル王国という国を知っているか。未だ革命軍に抵抗している国だが、そこには世界中から反革命派が集まっている。わたしたちはいままで、どちらの組織にも属さないことで争いを回避してきたが、こうなってはそうも言っていられない――ただ無関係でいるだけでは、自分たちの身は守れないとわかった。だからグランデル王国と合流し、その庇護を求めるつもりだ」

「そうか――そうだな、そのほうがいいと思う。あの女はまだこの修道院にある文献を必要としてるみたいだし、そのときまだここに住んでいたら間違いなく今回の二の舞いになる」

「それで考えたのだが、わたしたちがこの修道院を去るとき、この文献をすべて焼き払おうかと思っているんだ」

「文献を――」


 いままで代々の修道院長が集め、また過去の様々な人間が後世へ託す形で記してきたものを、すべて焼き払う。

 それは一種の破壊に違いない。

 しかし大輔は、ちいさくうなずいた。


「あの女がここにある文献を求めてるってことは、あの女にとってなにか重要なものがここにあるってことだ。それは、世界を滅ぼすための鍵なのかもしれない。だとしたらそれを消してしまうのは有効かもしれないけど――正直、もったいないよなあ」

「わたしもそう思うよ」


 暗闇のなかで苦笑いするような気配がある。


「一度焼き払ってしまえば、これだけの文献が一箇所に集まることは二度とないだろう。いったいどれだけの知識が失われるのか――しかし世界が滅んでしまうことを考えれば、致し方ないとも思う」


 大輔は暗闇のなか、図書館を振り返った。

 本棚や本の様子は見えないが、空気のなかに古い紙の匂いが混じっているのはいまもわかる。

 それがすっかり失われると考えれば、やはりすこし寂しいような気がした。


「――で、きみたちはどうする? これからどこへ向かうんだ」

「さあ、どこかな。まだ決めてないけど、革命軍とは仲が悪いからなあ。まあ、気ままにあちこち行ってみようと思うよ。新世界はまだまだ広い。思わぬところで地球へ帰る手がかりが見つかるかもしれないし」

「ふむ、そうか――それならまあ、そうするのがいいだろう。ところで」


 グロリアがすこし声を張り上げる。


「そろそろなかに入ってきたらどうだ? あまり雨に濡れていると風邪をひくぞ」

「わっ、ばれてた――」


 扉がぎいと開く。

 そのすき間からひょっこり顔だけ出したのは、燿、紫、泉の三人だった。

 どうやら三人とも大輔の様子を心配してやってきたはいいが、なかなか入るに入れないまま図書館の前をうろついていたらしい。


 三人の不安げな、心配そうな顔を見て、大輔はちいさく息をつく。


「あー、心配かけて悪かったな。もう大丈夫だ。しかしもう夜遅いぞ。明日には出発するから、今日はゆっくり寝とけよ」

「はーい!」


 燿たちはぱたぱたと駆けていく。

 その足音が雨音に消えてしまうまで、グロリアはくすくすと笑っていた。


「子守は大変だろうが、あれはとてもいい娘たちだな」

「前半部分は心底そう思うけどね。でもまあ――ある意味では、あの三人は命の恩人だよ」


 もしこの場にあの三人がいなかったら――大輔は、おそらくソフィアに助けられたとき、自ら屋根の下には逃げ込まなかっただろう。


 そうして這いずってでも生きなければならないと感じたのは、三人がいたからだ。

 三人をなんとしても地球へ帰してやらなければという気持ちが大輔を生かしたといってもよかった――もちろん三人は、そんなことは思いもしないだろうが。


「さて、そろそろわたしも寝るとするか」


 グロリアが立ち上がる。大輔はその身体をそっと支えた。


「大丈夫だ。ここまで自分で歩いてきたのだから、部屋までも帰れる」

「ふん、そうか――ま、そうならいいんだ。ぼくはもうすこしここにいるよ。失われる文献を、すこしでも見ておく」

「そうしてくれ。それじゃあ、また明日――今日は、ありがとう」


 白いローブは扉のあいだをするりと抜け、扉がばたんと閉まった。


 大輔はふうと息を吐き出し、暗い図書館のなかを見回して、再び暗闇へと紛れていった。



  *



 翌日。


 夜通し降った雨がうそのようによく晴れた朝である。


 空は青く澄み渡り、雲はひとつも見当たらず、風もからりと乾いて草木を揺らしている。


 大輔たち四人にとっては出立の朝で、見送りには怪我を押してグロリアが出てきていた。


「わたしたちはまだ準備があるから、もうしばらくしてからここを出るつもりだ」


 グロリアは壁に寄りかかりながら言って、四人に改めて頭を下げた。


「今回、こうしてほとんどの人間が無事に済んだのはきみたちのおかげだ。改めて礼を言うよ」

「えへへ、お礼言われちゃったよ、先生」

「あー、そうだな。ま、言われたお礼は素直に受け取っておこう。ってわけで行くぞ。じゃ、グロリア、またいつか会うことがあれば」

「ああ、そうだな」

「ばいばい、ゴロリアさーん!」

「グロリアだが」


 四人は修道院に背を向け、歩き出す。


 いつものように先頭は燿である。

 そのあとに紫と泉が続き、最後に大輔がいる。

 泉は気遣うように大輔を振り返ったが、大輔の表情は至って普通で、一見なにも引きずっていないように見えた。


 しかし、そんなはずはないのだ。


 ひとりの死を、それも自分を守って死んだひとを、なにも思わないはずはない。


 大輔は決して表情には見せなかったが、悲しみはその内側に潜んでいた。


 この一年、いっしょに旅をしてきた燿たちには、その見えない悲しみが見えていた。

 だからこそなにも言わず、大輔が大丈夫だというならそのように振る舞うのが彼女たち流のやさしさだった。


 ――と、その四人の背中に、


「ちょっと待ってください――ダイスケさま、すこしお待ちを!」


 若い女の声がかかって、四人は立ち止まった。


 振り返ると、白いローブを着た修道女のひとりが大輔たちを追いかけてきている。

 立ち止まって待っていると、女は荒い息をつきながら立ち止まり、フードをぱっと後ろへ流した。


 黒髪の、若い女である。

 しかし見覚えはなかった。大輔ははてと首をかしげ、


「どうかしたのか? そもそも、きみ、だれ?」

「も、申し遅れました、わたしはグランデル王国の者です――わけあって、修道院内でもダイスケさまの調査をしていたのですが」

「グランデル王国――じゃあ、何度か修道院で後ろをつけられている気がしたのはきみか」


 女はこくりとうなずき、


「まさか、男性だったとは思いもしませんでしたが、それはともかく――これからどちらへ向かわれるのか、すでに決めておられるのですか?」

「いや、別に決めてないけど」

「それなら、ぜひグランデル王国へお越しいただけませんか?」

「グランデル王国に? それはまたなんで」

「ご存じかと思いますが、いまや革命軍の支配を免れているのは世界中でグランデル王国ただひとつです。そのため、グランデル王国には反革命組織が集結し、革命軍に対抗するための巨大軍団を設立しようとする動きがあるのです――革命軍の蛮行をこれ以上許すわけにはいきません。どうか、われわれにご協力いただけませんか」

「ご協力って、言われてもなあ」


 大輔はちらりと燿たちを振り返った。

 燿は、普段ならすぐさま協力してあげると言い出しそうだが、このときは大輔をじっと見つめて言う。


「先生が決めて。あたしたち、先生が決めたことに従うから――ね?」

「まあ、そういうことです」


 と言う紫のとなりで、泉もこくりとうなずく。


 大輔は腕組みをして、


「どうしてぼくたちがグランデル王国に?」

「修道院での活躍は見させていただきました。あなた方は四人とも本当に優れた魔法使いだと――だからこそ、あなた方にはぜひグランデル王国の軍勢に加わっていただきたいのです。グランデル王国には、ほかにも魔法使いの方が大勢いらっしゃいます。みなさん革命軍に対抗するためにいらしたのです。ぜひ、みなさまにもそこに加わっていただきたいと」

「なるほど――グランデル王国、ねえ」


 革命軍を避けていくなら、いまやもう革命軍に支配されていない国はグランデル王国ただひとつなのだ。

 どちらにせよ、グランデル王国は目指すべきなのかもしれない。


 大輔はふむとうなずき、答えた。


「それじゃあ、グランデル王国まで案内してもらおうか」


 若い女の顔がぱっと輝き、はいとうなずいた。そしてすぐ、北へ向かって歩き出す。


「グランデル王国ねえ――果たしてどんな国なのか」


 それはいまや、この新世界に残された最後の王国である。


 四人は最後の王国を目指し、青空の下をまっすぐ北へと進んだ。



   続く

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