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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 17

  17


 ベロニカの足元には持ち主のない白銀の鎧が散らばっていた。


 それらは先ほどまで鎧兵として動いていたもので、もとはといえばベロニカが革命軍の本拠地からわざわざ運んできたものである。

 ほかにもベロニカの周囲を浮遊し、敵と見るや飛びかかっていた剣や槍、棒の類もすべてベロニカの足元に転がっている。

 もとはといえばそれが正しい姿ではあるが、生物のように飛び回っている姿を見せつけられたあとでは、地面に転がっているそれらはまるで死んだように思われた。


「――さて、どうしよっかな」


 ベロニカは荒れた庭に立ち、ふと空を見上げた。


 北の山から吹き下ろす風のせいか――分厚い雲が、ゆっくりとだが、修道院の真上にも流れ込んでいる。

 黒々とした怪しげな雲だ。一雨くるのかもしれないと考えて、それまでに決着させようと決める。


 雨に濡れるのはいやだ、というただそれだけの理由で、一時間もしないうちに修道女たちを皆殺しにするという決心したのである。


 それを命じた叶はもちろん、平然と実行するベロニカもまた、常人の感覚とは大きくずれている。


 しかし叶とベロニカのあいだにも巨大な隔たりがあった。


 叶は、ひとを殺す、ということになにも感じない。

 喜びも、苦しみも。

 なにも感じず、なにも考えず、なんの目的もなくひとを殺せる。

 それが大湊叶の異常性である。


 しかしベロニカは、ひとを殺すことに喜びを感じている。

 それは直接的な、たとえばひとの命を絶つことに対する喜びではなく、ひとを殺すことによって叶が褒めてくれるだろうという褒美に対する喜びだった。


 言い換えれば、ベロニカは叶に褒められるため、ひとを殺す。

 叶に褒められるためならひとを殺しても構わない、と思っているのだ。

 そこが叶とはまったく異なる。


 叶は、だれに褒められようと、だれに責められようと、まったく気にもしないだろう。

 しかしベロニカは、叶が褒めてくれないのなら、あえてひとを殺す理由はない。

 そもそも個人的な憎しみなど持ち合わせていない他人だ。

 それを単純に殺すだけでは喜びなどあるはずもない。


 そういう意味では、ベロニカは正常な人間だといえるだろう。

 正常な人間がひとを殺すには、そうした報酬が必要なのだ。

 異常殺人者でさえ、殺人という行為そのものによってもたらされる快楽のためにひとを殺す。

 その快楽は、たしかにいびつな形ではあるが、報酬という意味では金のために殺すことも快楽のために殺すことも変わりないのだ。


 ベロニカは視線を空から修道院のなかへと移し、そのままあたりをぐるりと見回した。


 修道女たちは、いったいどの部屋に逃げ込んでいるのか。

 ひと部屋ひと部屋、それを探っていってもいいが、と考えていると、不意に中庭に面した図書館の扉が開いた。


 出てきたのは、


「――やっぱりあんたね、変態女装男」

「その呼び方はやめろっ。女装はいろいろわけあってのことだ、それじゃまるで趣味みたいだろ」


 大輔の後ろから、燿、紫、泉の三人も続いている。

 ベロニカはぱっと腕を振り上げた。それに合わせ、足元にいた鎧兵がむくりと起き上がる。


「あんたたち、魔法使いなの?」

「さあ、どうかな。ま、こっちはきみが魔法使いだってことを知ってるけどな」

「……なにが言いたいわけ?」

「こっちはそっちよりも情報をたくさん持ってるってわけさ。情報の大切さは理解してるだろ?」

「ふん――いくら情報があっても、それをねじ伏せる力の前ではなんの役にも立たないでしょ」


 空中を浮遊する四体の鎧兵が一斉に動く。


「き、きた! 作戦通り行動頼むぞ!」


 四体の鎧兵は、当然のように先頭にいた大輔を狙っていた。

 大輔は横へ移動しても四体とも自分を追ってくることにぎょっとしつつ、とにかく中庭のなかを走り回る。


「な、なんで全部こっち!? 一体くらいあっちにもやれよっ」

「変態男から先に倒すのは当たり前でしょ、女として」

「わかるわー、それ」

「神小路、敵の意見にうなずいてる場合か! わわっ」


 ぶんと風鳴りが聞こえ、大輔は慌てて上半身を倒す。

 そのすぐ上を、大剣が恐ろしい速度で薙いでいく。

 大輔はたたらを踏みつつ、とにかくすぐ近くにあった部屋のなかに飛び込み、木製の扉をばたんと閉めた。


「ふう、危なかったぜ」


 と扉に寄りかかったまま額の汗を拭うが、その拭った腕のすぐ横に、扉を貫いた剣先がぬっと飛び出してくる。


 まさに間一髪、ほんの数センチずれていたら腕を貫通していただろうという位置で、大輔は慌てて扉から離れた。


 四体の鎧兵の前には、木製の扉などなんの意味もない。

 扉はあっという間に串刺しになり、最後には内側へがたりと外れ、足音もなく鎧兵たちが入り込んでくる。


 その顔もない甲冑は、なにか亡霊に操られているようですらあって、ただ浮遊しているだけでも不気味だった。大輔はううと身体を震わせ、


「ぼく、こういうやつ苦手なんだよなあ……わっ、きた!」


 四体のうち、二体が扉の前に立ち、もう二体が距離を詰めてくる。


 大輔は部屋の隅に追い詰められたような格好だった。

 二体の鎧兵はするすると近寄り、剣がひとりでに動いて、真横にぶんと振られる。

 大輔は地面にぴたりと吸い付くように倒れたが、それを読んでいたように、もう一体が思い切り剣を振りかぶって、縦に一刀両断しようとしていた。


 しかしそう仕向けたのは大輔である。大輔は鎧兵の下からにっと笑顔をこぼした。

 鎧兵はその笑顔に向かって剣を振り下ろしたが、ぎんと硬い音が響いて、その剣はいつまで経っても大輔まで降り注がなかった。


 思い切り振りかぶった剣先が、天井の石にぶつかり、食い込んでいるのだ。

 大輔は鎧兵の下から這い出し、そのまま扉の前に立つ二体へ突っ込む。


「攻撃するときはちゃんと部屋の狭さを考えなくちゃだめだぜ! ひゃははは」


 扉の前を守る二体は同時に剣を振るった。

 左右からの攻撃である。

 大輔は身体をぐっと倒し、扉に向かってすべり込むようにその攻撃を躱して中庭へ飛び出した。

 鎧兵たちも、そのあとを追って続々と部屋を出ていく。


 一方、中庭では、ベロニカと燿たち三人がにらみ合いを続けていた。


 鎧兵の四体は大輔にかかりきりだが、ベロニカの周囲にはまだ無数の武器が渦を巻くように飛び交っている。

 なにかあればすぐさまそれが飛び出し、攻撃や防御に回るのだ。


 燿たちからすれば、うかつに近づくわけにはいかないし、背中を見せるわけにはいかない。

 睨み合う以外、できることがないのだ。


「あんたたち、あの変態男の部下なの?」


 蔑んだようにベロニカが言う。

 なにか反論しようとする泉を制し、紫はこくりとうなずいた。


「たしかにあの変態男の部下よ」

「おい聞こえてるぞ神小路!」


 中庭の端から叫び声が返ってくるが、全員でそれを無視して、


「だけど、変態女の部下よりはずっとマシでしょ」

「――だれのことを言ってんの?」

「あんたの上司の変態女よ」

「その口、二度と動かないようにしてやる!」

「わっ、ゆかりん、怒らせちゃだめだよ!」

「しょうがないわよ、事実なんだから――」


 抜身の剣がひゅんと鳴り、三人に飛びかかる。

 紫はその動きを冷静に見極め、最低限の動きで回避したが、燿と泉はわあわあと声を上げながら逃げ惑った。

 すると、剣はそれ以上ふたりを追い回さず、ベロニカの前で平然としている紫に焦点を絞り、攻撃をはじめた。


「まずはあんたから切り刻んでやるわ。心配しないで、仲間もあの変態男もすぐ同じようにしてあげるから」

「別にそのへんは心配してないけど。ただ泉のかわいい顔に傷つけたらほんとマジでぼこぼこにするから」

「ちょ、ちょっと紫ちゃん、恥ずかしいよ」

「いいのよ、恥ずかしがってる泉もかわいいから」

「そういう問題?」


 一本の剣と、一本の槍である。


 それがひゅんひゅんと音を立てて紫のまわりを飛び交っている。


 高速で移動し、攻撃の瞬間をごまかそうとしているらしいが、紫はその思惑も理解しつつ、まったくなんの抵抗もなく腕を組んで立っていた。


 なにしろ、ここまでは予定どおりなのだ。


 大輔が複数の敵を引き受け、さらに紫、燿、泉の三人で敵の勢力を分散させる――といっても、敵はベロニカひとりで、残りはすべて武器なのだが、それでも分散されることに意味はある。


「――見たところ、やつはたったひとりであれだけの武器を操ってる。ほかに、操る専門の人間はいないらしい」


 図書館での会議で、大輔はそう切り出していた。


「ってことは、それだけすごい魔法使いってこと?」

「いや、まあ、それはそうなんだけど、重要なのはそこじゃない。あいつの鎧やら武器やらは、決して自律してるわけじゃないってことだ。つまりあの子の意志で、あの子の手で操られてる。ということはつまり、どういうことかわかるかね、諸君」

「はいはい!」

「七五三くん」

「武器とかを全部倒したら、あの子はなにもできなくなる!」

「それも間違いではない。しかしもっといい方法があるのだ。岡久保くん、わかるかね」

「え、えっと……武器には痛みもないし、意志もないから、それは無視して先にあの女の子を倒す、ですか?」

「なるほど、それも正解にかなり近いが、どうやって武器を無視して本体を狙うかが問題だ。では神小路くん、正解をどうぞ」

「……操っている武器をできるだけ分散させて、敵の注意力をあちこちに向けさせる?」

「はい正解! みんな神小路くんに拍手」

「わー、すごーい!」

「拍手は別にいいですけど、先生、ほんとにうまくいきますか? 結構綱渡りですよ。だって相手がほんとに注意力散漫になってくれるかもわからないし、そこに賭けるのはリスクが高いんじゃ」

「ハイリスク・ハイリターンだ。賭ける価値は充分にある。考えてみろ、たとえばおまえたちの手足がそれぞれ十本ずつ増えたとしたらどうする? いまは両手足の四本に注意を払うだけでいいが、それが二十四本に注意しなきゃいけないようになるんだ。どの手でなにをして、そのあいだほかの手はどうしておくか――考えるだけで頭がこんがらがりそうだろ。あの子は、それをやってるんだ。それも戦闘のなかで。きっと焦りもある。完璧とはいえないだろう」


 大輔はそう言ってにやりと笑ってみせたが、状況はまさにそのとおりだった。


 ベロニカはいま、大輔を追いかける鎧兵四体と武器を同時に操っている。

 先ほど鎧兵が天井に剣をぶつけて振り下ろすことができなかったのは、そうした細かいところまでベロニカの意識が行き渡っていないせいなのだ。

 大輔が鎧兵のあいだをすり抜けられたのも然り、紫がある程度余裕を持って攻撃を躱せたのも然り――もしどちらかに専念していれば見せなかったような隙を、ベロニカは見せているのである。


 紫は、自分の周囲を飛び交う武器たちをじっと見つめた。

 それはただひゅんひゅんと飛び回っている時点では隙もないが、攻撃の瞬間、必ずそこに意識が集中し、もう一方の動作が緩慢になるはずだった。


 事実、剣の動きが一瞬ぎこちなくなる。

 そのとき槍は真後ろにあった。

 紫はすかさず身体を横へ倒す。

 その脇を、槍が鋭く抜けていく。


「――とまあ、こういうことね」


 紫は勝ち誇ったように笑った。

 ベロニカは当然、かちんとくる。

 そうして冷静さを失えば失うだけ、操るほうが雑になっていく。


 そもそも魔力を糸のように使ってなにかを操るというのは、恐ろしく繊細な技術だった。

 常に一定量の魔力を維持しなければならず、その先にある状況を想像し、操らなければならないわけで、それは普通の魔法使い、魔術師ならじっと集中してようやくできるほどのことなのだ。


 ベロニカはそうやって鎧兵や武器を操っているだけで充分に魔術師としての実力を証明している。


 しかしこれは試験ではない。どんな方法でも最後に立っているものが勝ちという実戦なのである。


 紫に意識を集中するベロニカの後ろに、燿がこっそりと近づいていた。

 ベロニカはまったくそのときには気づかず、燿がすぐ後ろから、


「わっ!」


 と大声を出したときにはじめて気がつき、全身をびくりと震わせた。


 その瞬間、いままで保っていた緊張の糸がぷつりと途切れる。

 操っていた武器ががらんと音を立てて地面を転がり、すこし離れたところで大輔を追い回していた鎧兵もただの打ち捨てられた鎧と化す。


「しまった――」


 ベロニカは慌てて魔法を再会させる。

 すでに魔術陣はあるし、呪文も唱えてあるから、あとは意識を集中させるだけでよかったが、すべての武器や鎧兵に意識が行き渡るまではすこし時間があった。


 そのあいだに、燿たちは大慌てで呪文を唱えはじめる。

 三人で手をつなぎ、その足元には、紙に書かれた魔術陣があった。


 その魔術陣がかっと光を放つのと、武器や鎧兵が再び空中へ舞い上がるのはほとんど同時だった。


「いけ、さんだーあたーっく!」


 燿が叫び、ぴっと指を差す。すると、頭上の分厚い雲のなかがぱっと輝き、修道院の中庭めがけて稲妻が落ちてきた。


 その光はあたりを一瞬白に染め上げ、ベロニカの武器に直接落ちて、すぐに消える。

 何億ボルトという強烈な電撃は、人間ならひとたまりもないが、果たして武器にはどうか――雷を浴びた剣や槍は、ほんの一瞬その衝撃に震えたように見えたが、雷が去っていくとまったくそれまでと変わらない様子で浮遊していた。


 ベロニカはにやりとして、武器を操る。


「人間が振り回してるわけじゃないんだから、電撃なんか効くわけないじゃん」

「な、なんでー! 必殺のサンダーアタックだったのに!」

「そのダサい名前がだめだったんじゃないの?」

「え、ダサくないよ! サンダーアタックだよ!?」

「いや超ダサいじゃん」

「ダサくないったら!」

「はい、時間稼ぎご苦労さん」


 紫がぽんと燿の肩を叩く。

 ベロニカと燿が言い合いをしているあいだに、新しい魔術陣が足元に用意されていた。

 三人は再び手をつなぎ、呪文を唱える。


 しかし今度は、すでにベロニカも攻撃準備を整えている。


「遅い!」


 呪文を唱えている三人に、すべて武器、剣や槍、棒などが凄まじい速度で降り注いだ。

 しかし三人は焦らず、その攻撃が届くまでしっかりと呪文を唱え終え、剣先が触れるかという瞬間、三人の中央から巨大な炎がぼうと立ち上った。


 武器が早いか、炎が早いか――炎のほうがわずかに早い。


 炎は武器が三人に触れる前にそれを飲み込んでいた。

 しかし槍や棒はともかく、剣を炎で止めることは不可能だと考えて、ベロニカは口元を歪めた。

 同時に、紫もまたにやりと笑っている。

 ベロニカはそれを不審がって笑みを消した――そのせい、というわけではないだろうが、炎のなかで、剣ががらんと地面に落ちる。


「なんで――あっ」


 剣そのものは、多少の炎でどうにかなるものではない。

 しかし剣を操っているのは魔力であり、魔力で操るためには、剣のほうにも細工が必要だった。

 その細工というのが、武器に貼りつけてある紙に書かれた魔術陣である。


 炎は剣そのものではなく、そこにつけられた魔術陣を焼き払ったのだ。


 一斉攻撃のつけとして、ベロニカの武器はすべて無力化された。

 ベロニカはいまやただひとりで立っている無力な少女であり、直接攻撃を加えてくるものに対してはなにも手立てがない――いや、まだひとつ、その方法が残されていた。


 鎧兵である。


 大輔を追い回していた鎧兵は、炎による攻撃を受けていない。

 そして鎧兵さえいれば問題はないと考え、鎧兵を呼び戻そうとしたが、それより早く、ベロニカは背後から聞こえた足音に気づいてびくりと振り返った。


「――これでチェックメイトかな?」


 いつの間にか、大輔がベロニカまであと一歩というところまで近づいていた。


「いったい、いつの間に――」

「きみがうちの生徒三人に気を取られてるあいだ、だよ。もともと、それだけが目的だったもんでね」

「――はめられたってわけ?」

「はめられたきみが悪いんじゃない。ぼくが、あまりに天才す――」

「先生、後ろ!」


 紫が叫んだ。

 なにも大輔の決め台詞を邪魔してやろうとしたのではなく、大輔のすぐ後ろに鎧兵が迫っていたのだ。


 大輔は決め台詞を途中で引っ込め、代わりに懐から一枚の紙、魔術陣を取り出し、そこに手のひらを押し当てた。


「てえい!」


 さまになっているのかなっていないのか定かではない声を上げ、大輔は魔法を発動させる。


 魔術陣がかっと輝いた瞬間、はっきりわかるほどあたりの雰囲気が変化した。

 いままで周囲に満ちていた魔力が、さらに大量の魔力によって塗り替えられ、世界の色が赤から青に、あるいは白から黒に変わってしまったような感覚である。


 ベロニカもはじめて感じる感覚だった。

 そしてそのあとに起こった光景もまた、見たこともない異様なものだったのだ。


 まず、いちばん近くにいた鎧兵が、なんの衝撃を受けたわけでもないのに、がらんと音を立てて崩れた。剣は地面に落ち、甲冑は土の上を転がる。


「な、なんで――」


 そして次に、燿たちが作り出した巨大な炎が、急激に燃焼する酸素を失ったように消え失せた。


 ベロニカは再び鎧兵のコントロールを取り戻そうと意識を集中させたが、魔力がまったく伝わらない。

 それどころか、身体から魔力が発散された瞬間、まったく別の魔力によってそれがかき消されてしまうのだ。


「まさか――」


 ベロニカも魔術の専門家である。

 原因はすぐにわかった。


 大輔の使った魔法により、ありとあらゆる魔力が上書きされてしまっているのだ。


 状況から考えて、そうとしか思えない。

 しかしほかの魔法をキャンセルさせる魔法など聞いたことがないし、それが実行できるとも思えない――いったいすべての魔法をキャンセルさせることに、どれだけの魔力が必要になるのか。

 しかし魔法をキャンセルさせるには、原理的には魔力で上書きするか、すべての魔力を吸い尽くすかしかないのだ。


 大輔は、ベロニカに一歩近づいた。

 ベロニカはすべての攻撃、防御手段を失ったことを理解し、反射的に後ずさる。


「これできみの勝ちは絶対になくなったわけだ」


 大輔は言って、ちいさく息をついた。


「ぼくたちは四人、きみはひとり。魔法が使えない以上、この人数差を逆転させることは不可能だ。それは、頭のいいきみなら充分にわかるだろう」

「――あんた、何者? 魔法をキャンセルさせるなんて、聞いたことない」

「そりゃそうだ、あれはぼくのオリジナルだからね」

「オリジナル――オリジナルの魔術陣を作り上げたっていうの?」

「天才はきみだけじゃないってことさ。おとなしく捕まるんだな」


 ベロニカはぐっと唇を噛んだ。


 決して頭が悪い少女ではないからこそ、自分の敗北が理解できるのだ。

 たしかに魔法が使えないのでは戦いようがない。

 それは大輔たちも同じことだが、大輔たちには数の利があり、修道女たちまで含めるならそれは決して魔法なしではひっくり返しようがない差だった。


 敗北を認めるしかない。

 失敗を、叶の命に背くということを認めるしかないのだ。


 ベロニカは、屈辱と後悔のなかでちいさくうなずいた。


 そのときである。


「だめよ、ベロニカ、そう簡単に諦めちゃ」


 女の声が、頭上から降ってきた。

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