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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 14

  14


 大輔たちが悲鳴を聞く五、六分前のこと。


「それにしても、院長さまはよく働かれるわね」

「本当に。いつ眠っているのか不思議なくらい。それでもあれだけ溌溂としてらっしゃるんだから、本当にすごいお方だわ。男なんかより、よっぽど頼りがいがあるし」

「そうそう、男よりもずっと強いしね」


 防具と武器の整備を任された数人の女たちは、そんな話をし、笑い合いながら順調に手入れを進めていた。


 手入れといっても、専門の技術が必要なものではない。

 せいぜいやわらかな布で鎧の表面を拭い、鏡面のように自分の顔が映り込むまで磨いたり、槍の刃を同じように磨き、柄にすべり止めとして巻いている布を新しいものに変えるというくらいのもので、扱いが素人の女たちにもできることではあったが、なんといってもひとを殺傷できる武器を扱っているのだ、そう気楽な仕事ではないが、慣れてくると軽口のひとつも出てくる。


「修道院の、前の院長さまが亡くなられたときは、この先どうなるかと思ったけれど」


 四十がらみの修道女は布で刃を磨き、そこに映り込む自分の顔にため息をつきながら言った。


「いまの院長さまなら、マグノリア修道院もまだまだ安泰ね」

「そうかしら。わたしはすこし心配だけど」

「いまの院長さまが?」

「だって、革命軍のせいで修道院の人間がどんどん増えているでしょう。働けない子どもやお年寄りも大勢いるし、これ以上増えたら養っていくだけでも大変になるわ。でもあの院長さまのことだから、この修道院にすがって旅をしてきたようなひとを断れるはずもないし」

「たしかに、それはあるかもしれないわ」


 院長グロリアのやさしさは、だれもが知っている。

 この修道院にいる全員がグロリアのやさしさのおかげでここにいられるといっても過言ではないのだ。


 だからこそ、このまま修道女の人数がふくれ上がっていったとき、果たしていまのままやっていけるのかと心配になる。

 いまの修道院自体、周囲の治安を守るという名目で街道沿いの商店などから寄付をもらっていたり、用心棒の真似事の儲けで成り立っているようなものだった。

 昔はさらにほかの国からの寄付などもあり、それがどちらかといえば主となる財源だったのだが、世界中の国が転覆しているいま、修道院に寄付をする余裕がある国はひとつもなくなっているのである。


「まあ、院長さまのことだから、心配はいらないわ。きっとうまくやってくださるでしょう」

「そうならいいけれど――」


 話がちょうどひと段落したとき、武器庫の扉がぎいと開く音がした。

 手入れをしていた修道女たちが振り返ると、白いローブが基本のこの修道院において、黒いワンピースを着た少女が立っていた。


「あら、あなた」


 何千人といる修道女たちだが、さすがにいつも黒いワンピースを着ているその少女の存在は目立つ。

 ごく最近この修道院にやってきた少女である。


「どうかしたの?」

「あたしも手伝ってあげようと思って」


 少女は人懐っこい笑顔を浮かべ、言った。

 それを聞いてほかの女たちも笑顔になり、それなら、と比較的簡単で安全な、布の巻き直しを任せる。


 少女は武器庫にすたすたと入り、任された槍をひょいと持ち上げた。その柄に、すこし黄ばんだ布が巻きつけてある。

 それを新しい白い布に巻き直すのが仕事だったが、少女はそれをはじめるでもなく、槍を持ったまましげしげとあたりを眺めていた。


「どうしたの、やり方がわからない?」

「ううん、考えていただけよ」

「考えていた?」

「どうやってここにある武器を全部奪おうかと思って」


 その場にいた女たちは顔を見合わせ、一斉に笑った。

 少女の言葉を、なかなか周囲と馴染めない新人の精いっぱいの冗談だと受け取ったのだ。


 少女もいっしょになってちいさく笑う。しかしその笑いだけが異質で、やがてただならぬ雰囲気を感じ取り、ほかの女たちが笑うのをやめても少女だけはくすくすと笑い続けた。


 少女の笑いが武器庫にゆっくりと満ちる。

 それはまるで致死性の毒がするすると這い寄るようだった。


「なんだかんだって言っても、ここの人間はみんな素人ね」


 少女は言って、手に持っていた槍をくるんと回した。

 その刃が天井から床へ向かい、そして、磨かれた鏡面のような刃先が近くの女をぴたりと狙う。


「あ、あなた、なにを――」

「訪ねてくるものはだれでも受け入れるのがこの修道院の決まりなんでしょう。たとえ、それが敵でも。ほんと、そういうやり方でよくいままで無事にやってこれたよ。でもこれからの時代はだめ――叶さまが支配する時代は、そんなにやさしくないんだから」

「いったい、な、なにをする――あっ」


 鋭い刃先がひゅんと動いた。

 赤く鮮やかな鮮血がぱっと飛ぶ。

 女のひとりは浅く斬られた腕を押さえてうずくまった。


 悲鳴が上がったのは、次の瞬間である。


 無事だった女たちが一斉に立ち上がり、武器庫から駆け出していく。

 少女はけらけらと笑いながら、傷ついて逃げ遅れた女を、自分の母親よりも年上の女を見下ろした。


「武器も防具もここにあるのに、逃げていくなんてほんとばかな素人。いま全員であたしを囲めばなんとかなったかもしれないのにね」

「あ、あなた――いったい、なんのためにこんなことをするの」

「わたしは革命軍の一員なの。昨日きたみたいな偽物じゃなくて、本物のね。革命軍のいちばんえらいひとから直々に、このマグノリア修道院を落とせって命令されてきてるんだよ」

「か、革命軍――だ、だれか! だれかきて!」

「そう、いまのうちに好きなだけ叫んだらいいわ。どれだけ数がきても、あたしが負けることなんかないんだから」


 少女は再び槍をくるりと回した。

 女はその刃がまた自分を狙うのかと思い身をすくめたが、少女は女にはすっかり興味を失ったように背を向け、武器庫のなかに並んだ武器を眺める。

 そして、剣や棒、槍の柄に、白い紙を貼りつけはじめた。


 この少女は、いったいなにをしているのだろう。

 作業が済むと、少女は何事もなかったかのように武器庫を出ていった。


 腕に傷を負い、座り込んだままの女は、それ以上危害を加えられなかったことに驚きながら少女を見送る。

 しかし次の瞬間、女はさらなる驚きに打たれて目を見開いた。


 壁に立てかけられていたり、床に寝かせられていた武器が、まったくひとりでにかたかたと揺れはじめたのだ。


 まるでちいさな動物が地団駄でも踏むような音が続き、やがて壁に立てかけられていた槍の何本かが倒れ、がらんと床に転がった。

 そして、不意にそれらがふわりと宙に浮き上がり、幻のように空中を浮遊して、出ていった少女のあとを追うように武器庫の外へ向かって飛び立っていったのである。



  *



 ベロニカが武器庫を出たとき、外はまだ騒ぎというほどではなかった。


 先に逃げた何人かの女たちは、口々に危険を叫びながら奥へと逃げていく。

 しかしまわりの修道女はその意味がわからないようにぽかんと口を開け、立ちすくんでいた。


 ベロニカは、いつものように白いレースの襟つきワンピースに黒いエナメルの靴という格好だった。

 蝋のような青白い手足が服の袖や裾からすらりと出ていて、外見はか弱い少女そのものだった。

 しかしその顔には、凶悪といってもいいような笑顔を貼りつけている。


「――きたか」


 ベロニカの後ろから、無数の武器がひゅんと音を立てて飛んできた。

 槍が十、剣が八、棒が十五という数で、それらはベロニカの周囲を囲うように浮遊する。


 その異様な光景を見て、ようやく修道女たちもなにか恐ろしいことが起こったのだと知ったようだった。

 またたく間に悲鳴と騒乱が起きる。

 ベロニカを中心に、修道女たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていくが、動いたのはベロニカではなく武器のほうだった。


 槍である。

 空中でくるりと回転し、刃先をひとりの修道女に固定し、そのまま打ち出されたように飛び出した。


「ああっ――」


 槍の刃先が後ろから修道女の肩を貫通し、その衝撃で修道女がどっと倒れる。

 それは槍というより、大口径の大砲かなにかのようだった。


 赤い血がじわりと地面に広がった。

 それを見て、いよいよ修道女たちの混乱が強くなる。


 叫び、嘆き、中庭の植物を踏み潰しながら逃げていく。

 ベロニカはその後ろをゆったりと歩き、ときおり浮遊する武器をけしかけ、逃げる修道女の背中を剣で切りつけたり、棒で打ったりしながらさらなる騒動を巻き起こしていた。


 今日は珍しく風が強く、修道院のなかにまで吹き込んでいる。

 その肌寒い風を感じ、ベロニカはなんとも心地よい気分になった。


「武器を持て、けが人を奥へ! 防具をつけろ、取り囲むんだ!」


 厳しく威圧感のある声が響く。ベロニカは後ろを振り返った。

 図書館の扉を出たところに、院長のグロリアが立ち、命じているのだ。


 グロリアはまっすぐベロニカを見た。

 武器も持たない修道女を傷つけられ、さぞ憤慨しているかと思いきや、その目にはほんのわずかの怒りもない。

 ただ、青い炎のような、押し殺されたなにかしらの感情が瞳から見え隠れしていた。


 ベロニカは、まずグロリアを始末することに決めた。

 この修道院の中心は間違いなくグロリアであり、それを早くに倒してしまうことで修道女たちを統率もなにもない素人の集団にしてしまえる。

 しかしグロリアがいるかぎり、ここの修道女たちはまるで神の加護でも受けているかのように立ち向かってくるのだ。


 剣と槍が、同時にグロリアへ向かって飛び去った。

 ベロニカが投げたわけではない、空中を浮遊していたそのふたつの武器がひとりでに方向を定め、恐るべき速さで飛んでいったのだ。


 その異様な光景に、グロリアはわずかに眉をひそめた。

 しかしその後の行動は迅速で、グロリアは後ろや横へ躱すのではなく、自ら前に飛び出した。


「むっ――」


 剣と槍のうち、前へ出たことによって槍が先にグロリアへ到達する。

 グロリアはその刃先を紙一重で躱し、柄を掴み、一瞬あとに迫りくる剣を一撃で打ち落とした。


「へえ、さすが」

「きみか――数日前にきたんだな。なぜこんなことをした?」


 グロリアは槍を持ったまま、冷静に言った。


「なぜって、はじめからそのつもりだったんだから、当たり前でしょ?」

「ふむ――では修道院を内側から攻めるために入り込んだのか」

「そういうこと。すこしは博愛主義を反省した?」

「いや。わたしは自分の判断が正しかったと信じている」

「おめでたいやつね――でも、背中に気をつけたほうがいいよ」

「なに――」


 グロリアは振り返って確認するより先に、本能的に横へ飛んでいた。

 それでも後ろから飛んできた剣は横腹をかすめ、地面に転がったグロリアは苦痛に顔を歪ませた。


 もし後ろを振り返っていれば、その剣は間違いなくグロリアの背中から腹を貫いただろう。

 どこからきた剣かといえば、先ほどグロリアが打ち落とした剣であり、投げたわけではない剣は打ち落としてもその動きがまったく失われるわけではないのだ。


「傷はまだ浅いか。残念」


 ベロニカはふうと息をつく。

 立ち上がったグロリアの白いローブが、赤く染まっていた。


 すかさず修道院から出てきた修道女たちがグロリアの左右に立ち、その身体を支える。


「いったい、なんのためにこんなことをする?」


 グロリアは熱い息をつきながら言った。


「このマグノリア修道院は、国ではない。革命軍が関与すべき場所ではない。われわれには王も国民もないんだ。それをなぜ」

「革命軍、というのは都合がいいからそう呼んでるだけ。別に革命なんか望んでないわ」

「では、なにを望む。なにを望んで、町を焼き、ひとを殺す?」

「さあ、知らない」

「知らない?」

「叶さまにはなにか目的があるのかもしれないけど、そんなこと、あたしの知ったことじゃないもん。あたしは叶さまが言うとおりにするだけ。叶さまはこのマグノリア修道院を攻め落とせとあたしの命じたんだよ。だから、あたしはここを落とす。それだけのことでしょ?」


 からかうつもりでも、ましては挑発するつもりでもない。

 ベロニカは本心からそう言っているのだ。


 ベロニカには、あえてこの修道院を攻撃する理由も、ひとを殺す理由もない。

 ただ、叶がそう命じたから、そうするだけだ。

 叶の目的がベロニカの目的であり、叶の手段がベロニカ自身なのである。


 理解できないというようにグロリアは首を振った。

 ざっと足音が聞こえ、ベロニカはあたりを見回す。


 一度は逃げていった修道女たちが、思い思いの武器や防具を身につけて戻ってきていた。

 グロリアの一声で修道女たちは鉄の勇気を手に入れたのだ。


 長い棒の先端がベロニカに向かっている。

 ベロニカを中心として、まるで花びらのように白いローブの修道女たちが取り囲んでいた。


 ベロニカは自分に向けられた敵意を受け止め、恐怖に顔をひきつらせるのではなく、むしろ微笑んでみせた。

 その表情にだれもがどきりとして気圧される。


「どうしたの、攻撃してくれば?」


 ベロニカは両腕を広げ、言った。


 その周囲には、まだ槍や剣がふらふらと浮遊している。

 もう一歩でも近づけばそうした武器たちが弾丸のように周囲を穿つだろうということは明らかだった。


 だれも近づけない。

 しかしだれも退けない。


 沈黙と静寂が下りる。


 膠着は、しかしそう長くは続かなかった。

 グロリアの傷は明らかに重傷で、立っているのもやっとなほどで、知らず知らずにため息とうめき声が漏れる。

 そのうめき声を聞いた修道女たちは顔を見合わせ、覚悟を決めたようにうなずき合った。


「やあっ!」

「はあっ!」


 修道女たちは一斉に声を上げ、四方八方同時にベロニカへ向かって飛びかかった。


 ベロニカはにやりと笑い、その周囲を囲む剣や槍がぶんとうなる。


 長く粗雑な棒が振り上げられ、ベロニカの頭上を狙う。

 それを、鋭い剣がひゅんと空気ごと切り裂き、棒を両断してなお止まらず、そのまま修道女たちのほうへ向かっていった。


「あっ――」


 何人かが反射的に声を上げる。

 剣がうなり、それに絶叫が重なる横では、何人かの修道女が棒をしっかり持ったままぶるぶると震えていた。


 恐怖でも、武者震いでもない。

 持っている棒の先端はまっすぐベロニカに向かっている。

 しかしベロニカと棒とのあいだに、槍が立ちはだかっている。


 ただふわふわと宙に浮いているだけのように見える槍だが、実際に棒が触れると、まるで鉄の壁のように強固で、全身の力を振り絞ってもぴくりとも動かないのである。

 それどころか、すこしでも気を抜こうものなら反対に押しきられそうになる。

 押し切られればどうなるか、その磨き抜かれた刃の餌食になることは考えるまでもないことだった。


 修道女たちは全身に汗をかき、なんとか押し切られまいと棒を構え続ける。

 しかし人間の体力には限界があり、人間が操っているわけではない槍には無限の持久力があって、やがてはその棒が弾き返され、それに合わせて修道女たちも後ろへ吹き飛んだ。


 そのあいだ、ベロニカは指一本動かしていない。


 ただそうした輪の中央に立ち、ただぼんやりと様子を眺めているのみである。


 傷を追った修道女たちが後ろへ下がると、それと入れ替わりに無傷で体力も充分にある修道女たちが前へ現れ、再び棒を構えた。

 修道院全体の数を考えれば、まだまだ戦える勢力はあるということだ。


 ベロニカはすこしため息をつく。


「さすがにこれじゃきりがない。じゃあ、こっちも手駒を入れよっかな」

「手駒?」


 ベロニカがすっと手を上げた。


 その青白い手に導かれるように、全員が視線を上げた。


 場所は中庭、頭上には青空が開けている。

 その青空の片隅が、なにかの反射できらりと光った。


 銀色の光だ。

 それが真っ逆さまに降ってくる。


「あっ――」


 何人かが驚いたように声を上げた。

 それをかき消すように、ずんと低い衝突音を立て、空から降ってきたものが地上へ降り立つ。

 土埃が舞い上がり、そのなかで鈍い輝きがうごめいて、やがて土煙が晴れると、その正体が見えてきた。


「な、なに、あれ――」


 思わず修道女が呟く。

 それも無理はなかった。


 現れたのは、白銀の鎧である。


 眩しい陽光を受け、表面を輝かせている白銀の鎧である。


 鉄仮面があり、胸当てがあり、脚当てがある。

 しかしその奥にあるはずの人体がない。

 まったく空の鎧甲冑が四体、ベロニカの四方を囲むように空から降ってきたのだ。


 鎧甲冑はがちゃりと音を鳴らしながら立ち上がり、あたりを見回すようにゆっくり身体を動かした。

 そして、腰に帯びていた剣を抜く。

 常人ではとても扱えない、二メートル近い大剣である。


 抜く、といっても、その抜く手すらない甲冑で、剣はひとりで鞘から抜け落ち、まるでなにかが握っているように宙でぴたりと静止した。


 その姿はベロニカの護衛でもしているようである。

 実際、それはベロニカを守るために宙を飛んできたものであり、ベロニカに武器を向ける修道女たちを完全に敵だと認識していた。


 ベロニカは女王のようにすっと腕を伸ばす。


「あいつらを倒してやりな」


 甲冑ががちゃりと動いた。


「できるだけ距離を取って戦うんだ、近づきすぎるな!」


 グロリアの叫びに、修道女たちはぐっと腰を沈め、構えを深くした。


 そうして戦いははじまった。

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