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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 11

  11


 修道院内は、戦闘が終わって無事に追い返したと報告が広がったときだけ歓声が上がったが、それからあとはまた普段どおりの静かな修道院に戻っていた。


 あくまで浮かれることなく、勝利におごることもなく、しっかりと地に足をつけて生きていく。

 それが院長グロリアの方針で、修道女たちはそれを体現しながら生きている。

 大輔としては、さすが、といわざるを得なかった。

 男としては、二重の意味で肩身が狭い部分はあったのだが。


 ときは夜。

 地球とちがって月のない、単日の夜である。


 普段なら空はこぼれ落ちそうな星に覆い尽くされるが、今日はまだ雲が粘っていて、ところどころ、その切れ目からちいさな光の欠片が除き、またたいていた。


 それはまるで透明なグラスについた水滴のようだった。

 夜空に無数の水滴が付着し、流れ落ちたり、光の角度できらきらと輝いたりする。

 それは雨のようにいまにも地上に降り注いできそうな雰囲気だったが、星はあくまで星であり、ゆっくりと場所を変える以外は何万年と変わらず輝いている。


 ――そんな夜、大輔はひとりこっそり、図書館のなかに忍び込んでいた。


 一応、図書館は、夜になると戸締まりがされることになっている。

 その鍵は院長室にしかないのだが、数日かけ、大輔は扉の鍵に細工をして、ちょっとした衝撃で外れるようにしておいたのだ。


「こうでもしなきゃ、ゆっくり見ることもできないからな」


 まっ暗な図書館のなかでフードを外し、古い紙の匂いを肺いっぱいに吸い込んだ大輔は、思わずふふんと笑った。


「いやあ、実にいい。学問の匂いがする。さて、さっそく調べ物をはじめますかね」


 大輔はローブのなかに手を突っ込み、百円ライターと蝋燭を取り出した。

 百円ライターは地球から持ってきていたもので、煙草がなくなったいま使い道はないように見えて、火を使う分なかなか用途は多い。

 しかし空になっては意味がないから、要所要所ですこしずつ使ってきたものだった。

 蝋燭は昼間のうちに修道院内の倉庫からこっそり拝借したもので、太く、長持ちするものを選んでいる。


 ライターの炎を蝋燭に移し、そのあかりであたりがぼんやりと赤く照らされる。

 大輔はにひひと怪しい笑い声を漏らし、図書館の奥へと進んだ。


 一階部分は、主に現在流通している書物や文書が並んでいる。

 とくに聖典は充実していて、原稿は同じでもいくつかの版や異なる出版元のものがずらりと並んでいたり、それだけで棚をひとつ占領しているものもあった。

 そうしたものにも興味はあったが、優先順位をつけるならあまり高くはないほうで、大輔は梯子を使って二階へ上がる。


 二階、三階は、かつて流通していた古い書物が多い。

 とくに三階は古代文字で記されているものがほとんどで、内容がわからないために分類もできないのか、棚に平積みされているものも多かった。


 大輔は、二階の奥のいちばん人気がない棚に自分の興味がある本だけを集めておいてあった。

 もともと分類もされていない、だれも読まない古代文字の文書がほとんどで、製本されていないものは黄ばんだ紙のまま置かれていたり、筒状の容器に入れてあったりして、本というよりは怪しげな道具を集めたような一角にも見える。


 その一角に大輔はどしりと腰を下ろし、蝋燭を傍らに置いて、さっそく書物を調べはじめた。


「えっと、昼間はどこまで読んだっけな――そうだ、ここだ。ここで、ベロニカが邪魔しにきたんだ」


 大輔が興味を持っているのは、主に歴史である。


 書物のなかには魔法や魔術に関するものもあり、それもやはり興味はあるのだが、それよりもこの世界の歴史について知る必要があると考えていた。

 あるいはそれが、地球へ帰る手がかりになるかもしれないのだ。


 そもそも、世界を渡る扉とはなんなのか。


 もちろん自然発生したものでないことは明らかである。

 「扉」という形を取っている以上、そこに人間が介在していることは疑いようもなく、つまりだれかが地球と新世界のあいだを繋いだと考えられるのだ。


 もしそんなことができるとすれば、科学ではなく魔法をもってしてだろう。


 超古代の魔法使いが、新世界と地球を扉という形で繋いだのだ。

 その扉が現在にまで残っていて、そして叶がそれを断ち切った。

 魔法使いによって作られたものなのだから、魔法使いによってすべて破壊され得るものだというのは理屈としては正しい。


「問題は、だれが、なんのために扉を作ったのかだ」


 そして、その「だれか」とは、どちら側の人間だったのか。


 地球人だったのか、それとも新世界の住人だったのか。


 魔法使いなら地球人だと考えることもできるが、かつてこの新世界にも独自発展した魔法があったこともたしかなのである。


 もし古い歴史書があれば、そのあたりのこともわかるかもしれない。

 もちろん有史以前の出来事、という可能性もあるが、扉の形状を考えれば決して原始的な社会ではなかったはずで、あるいは現代の地球よりも優れた文明があったかもしれず、そうだとすればその記録がまったく残っていないことなどあり得ないだろう。


 大輔はぱらぱらと紙をめくる。

 黄ばんでいて、字もかすれているが、それはいまから三千年ほど前の出来事を記録したものだった。


 記録のほとんどは戦争のことだ。

 いつどこでどのような戦争があり、勝敗はどうなったか。

 それが淡々と、しかし執拗に繰り返される。

 どの時代も世界は荒れている。

 当時の戦争を列挙するだけでも歴史のために与えられた欄の大半を使ってしまうだろう。

 それでもそこになにか手がかりがあるはずだと、大輔は読んでいく。


「――拡大した領土を分割し、戦争が集結。しかしのちにこの土地は独立を果たし、中央の国と呼ばれるようになる、か」


 そうした歴史も興味深いが、いま探しているのはそれではないのだ、と紙をめくって、あっと声を上げる。


 その紙のはじめに、このような一文があった。


『独立した〈中央の国〉はまたたく間に力をつけ、周囲の国から領地を奪いはじめた。彼らは少数だったが、古代から続く〈奇跡の一族〉が存在し、そうした一族にとってみれば武装した兵士など赤子のようなものだったのである』


 奇跡の一族。魔法使いのことにちがいない、と大輔は確信する。三千年前の時点で、すでにその家系は「古代から」続いていたのだ。


 地球からやってきたのか、それともこの土地で芽生えたものか。

 しかし、ひとつの文献をそのまま鵜呑みにすることはできない。

 歴史というものは往々にして勝者の改ざんを受けるものであり、当時の王侯貴族の出自を高貴とするため、本来無関係な人間や一族同士が結びつけられることもある。


 奇跡の一族、というのは明らかに肯定的な捉え方をしている。

 この古代文書が書かれた当時の為政者は、その一族の血を引いているとでも自称していたのかもしれない。

 その自称を支えるため、奇跡の一族の出自をさらに古く創作したとしてもおかしくはないのだ。


「――でも、この当時に魔法使いがいたことはたしかだ」


 大輔はひとまずその紙を横に置いて、また別の古代文字が書かれた書簡を調べはじめた。

 別の観点から同じ出来事を観測することで可能なかぎりの客観視を得ようとしたのだが、そう都合よく同じ出来事を書いた文章など見つからず、どうしたものかと首をひねったころ、ようやくそれらしいものが見つかる。


 地球ではイリア文字という文字群に分類されている古代文字である。

 新世界の古い遺跡、とくに約千年前の遺跡のなかでも、新世界の南部でしか確認されていない文字だが、そこに似たような記述が見られた。


 それは、歴史書というより当時の風土を記したようなもので、自国を客観的な視点で評価する論文のようなものだった。曰く、


『わが国には複数の人種が存在し、人種ごとに階層をなしている。ガンボリアヌスと呼ばれる人種は最底辺の生活を強いられている人種であり、彼らはかつて大陸の北で暮らしていた一族の末裔だが、奇妙な能力を使って人心を乱すため、どの国でも差別的に扱われている。わが国を見て、彼らの生活がいかにひどいものに思われても、よその国での彼らよりは幸福だろう。わが国のガンボリアヌスたちは服を着て、飯を食べている。それだけでも他国よりはいい待遇というわけだ。ガンボリアヌスに続いて低い地位にあるのは、これはかつて海の民と呼ばれていた一族の末裔であり――』


 ガンボリアヌスというのがいかなる人種なのか、それ以上の言及はなかったが、「奇妙な能力を使って人心を乱す」という一文で、それは魔法なのではないかと疑える。


 三千年ほど前の出来事では「奇跡の一族」と呼ばれていたものが、それから二千年ほど経つと社会の最底辺に落ちてしまっている。

 それも特定の国で差別を受けているのではなく、多くの国でそうした差別を受けているようなのだ。


 二千年のあいだに、なにかがあったのか。

 あるいは世界の流れのなかでそうなってしまっただけなのか。


 地球でもいわれのない差別を受ける人種というものは存在するが、かつては尊敬と畏怖の対象だったはずの人種が差別を受けるまで落ちてしまうというのは不思議な気がした。


 おそらく、そこになにかがあったのだ。

 地位の逆転を起こすようななにかが。


「――地位の逆転?」


 たとえば、革命のような。


 大輔はそのあいだにある二千年の記録を探したが、手元にある文献のなかには見つからなかった。

 三階へ上がり、もうすこし文献を拾ってこようかと立ち上がったとき、図書館一階でことりと物音が鳴った。

 反射的に大輔は叫んでいる。


「確保ー!」

「へーい!」

「わっ、きゃあっ――」


 短い悲鳴と、いくつかの足音。

 大輔は蝋燭を咥えて梯子を下りる。


 一階では、燿、紫、泉の三人が怪しい影をしっかり捕らえていた。

 燿が後ろから羽交い絞めにして、紫と泉でそれぞれに腕を押さえるような格好である。

 大輔はふふんと笑いながら近づいて、


「このところ怪しい影がつきまとっているのを感じていたのだ。何者の仕業か知らんが、ぼくの素晴らしい罠には敵わなかったようだな、わっはっは!」

「わー、せんせー、悪役っぽい――む、この不審者、なかなかの巨乳だ!」

「なに、くそ、ぼくが羽交い絞めにする役をやればよかった」

「先生?」

「う、嘘だよ、冗談だっての。神小路は声でも怖いのがわかるもんな――」


 捕らえられた不審者は、なにか言葉にならない声を漏らしながら暴れている。

 大輔はそこに近づき、蝋燭を掲げた。


 赤くやわらかな光がぱっとあたりを照らす。

 そこに現れた不審者の顔を見て、大輔たちはあっと声を上げた。


「そ、ソフィアさん? こんなところでなにしてるんですか」

「な、なにって言われても、その――」


 泉の言葉に、羽交い締めにされたままのソフィアはもじもじと恥ずかしそうに身体を揺らす。


「あ、あの、眠れなかったからちょっと外にいたら、みんなが図書館に入っていくのを見たものですから、なにをしているんだろうと思って。あ、あの、覗き見るつもりはなかったんですけれど――」

「なんだ、そうだったのか――よし、解放だ」

「はーい」


 ようやく身体が自由になり、ソフィアは白いローブの裾と髪を直し、ふうと息をつく。

 大輔はすこし首をかしげて、


「それじゃあ、このところなんとなくぼくの様子を窺ってたのも?」

「い、いえ、それはわかりませんわ。あとをつけたりしたのは、今日がはじめてですし」

「ふうん、じゃあ真犯人は別にいるってことだな。ま、男だってことがばれたわけじゃなくてよかったよ。そういう意味じゃ犯罪者はぼくのほうってことになっちゃうし」

「はあ――あの、こんな時間にみなさんはなにを?」

「ぼくは調べ物。ほかの三人は、不審者を捕まえるためにこっそり連れてきたんだ」

「ほんとは眠たいんですけど」


 と紫はあくびをして、


「先生の安全とか先生の姿がばれるとは心底どうでもいいですし」

「いやいや後者はともかく前者は気にしろよ――眠れないなら、本でも読んでいくかい?」

「はい――あ、でも、わたし、文字がわからないから」

「ふうん、そっか」

「あの――」


 ソフィアは輝くような金髪を揺らして、小首をかしげる。


「よかったら、となりで見ていてもいいでしょうか?」

「ん、ぼくが調べ物してるのを?」

「はい」

「まあそりゃ、別に悪いことはないけど。見てて楽しい作業じゃないよ、別に。ただ文献を見るだけだから」

「いいんです、それで」

「ふうん――じゃ、とりあえず三階へ上がろうか」

「はいっ」


 ソフィアはうれしそうにうなずき、蝋燭を持った大輔の後ろを歩いていく。

 そのふたりを見ながら、紫は腕を組んで、


「なーんか、あのふたり、あれよね」

「あれって?」

「だから、あれよ」

「あれっていうのは、だから、まあ、そういうことよ」

「ああ、そういうこと……え、どういうこと?」

「だから――」


 ふたりがぶつぶつと言っている横で、泉はふと、後ろを振り返った。


 一瞬だが、なにか後ろから気配のようなものを感じたのだ。

 しかし振り返っても暗闇があるだけで、そこでなにかが動いたわけでもなさそうだし、修道院の入り口はしっかりと閉じられている。


 気のせいかな、と泉は首をかしげ、それから梯子を登っていくふたりをぼんやりと見上げた。


 蝋燭の炎が揺らめきながら暗闇を動く様子は、なんとなく、ロマンチックな雰囲気があったのだ。



  *



 暗闇で目立つ白ではなく、黒いローブを羽織った影は、泉の視線から逃れるために扉の陰に身体を隠し、ちいさく息をついた。

 ほかのふたりはともかく、泉は勘が鋭い、それを注意しなければならない。


「――しかし、やはり、そういうことか。なにかおかしいとは思っていたが」


 人影はぽつりと呟き、さらなる調査を実行するため、図書館の入り口の扉を薄く開け、なかを覗き込むのだった。

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