修道院にて 10
10
大輔は与えられた四人部屋に入ると、ようやくフードを脱いだ。
「革命軍が攻めてきたって話だけど、本当なのか?」
「たぶん、ほんとだと思う」
燿は何度もうなずいて、
「さっきね、ゴロリアさんのところにいたんだけど、報告してたもん」
「ゴロリア? グロリアじゃなくて?」
と紫が首をかしげると、燿も首をかしげて、
「だから、ゴロリアさんでしょ?」
「いやグロリアさんでしょ?」
「うん、だから、ゴロリアさん」
「ゴロでもグロでもどっちでもいいけど、とにかく革命軍が攻めてきたんなら、ぼくたちもこうしちゃいられないぞ。修道院側と協力してこの修道院を守るんだ」
「はい――ここのひとたち、みんなすごくいいひとですもんね」
泉はうなずき、使命感でも覚えるようにぐっと拳を握った。
しかし燿はぶんぶんと首を振る。
「なんかね、大丈夫だって言ってたよ、ゴロリアさんが」
「だからグロリア――」
「大丈夫ってどういうことだ?」
「わかんないけど、自信満々だった! 相手も七十人くらいしかいないんだって」
「七十人? そいつはまたずいぶんすくないな――そうか、もしかしたら革命軍っていうのはそう名乗ってるだけなのかもしれないな」
「そう名乗ってるだけ?」
「革命軍はひとつの団体じゃない。そう名乗って活動してる組織が世界中にある。だからこそ同時に世界中の国を落とせるわけだけど、なかにはあの女から直接命令を受けて動いてるやつもいれば、まったく関係ない、田舎の犯罪者の集まりみたいなものが革命軍を名乗ることもある。もちろん、本当に革命ってものを志して革命軍を名乗る人間たちもいるだろうけど」
「今回は、その田舎者ってことですか?」
「わからないけど、七十人っていうなら叶の命令を受けた本隊じゃないだろうな。もしこの修道院を本気で潰すつもりなら、七十人どころじゃない。かといってただちょっかいを出すだけには数が多いし、その意図もよくわからない。だから、今回の革命軍は叶とは無関係な組織だろう」
「それじゃあ、わたしたちが出る幕はないってことですね」
紫は息をつき、ベッドに腰を下ろした。
「様子見、ですか」
「そういうことになるだろうな。でも、もしなにか起こりそうだったらすぐに行動をはじめるぞ。三人ともそのつもりで、前に渡しておいた魔術陣もちゃんと持ち歩くように。もしかしたらぼくは直接指示できない状態にあるかもしれないから」
「女装がばれますもんね」
「う、ま、まあ、そういうことだ。それじゃあ、三人とも頼んだぞ」
「はーい」
大輔はうんとうなずき、再びフードをかぶり直して、部屋の扉を開けた。
すると、まるで逃げるように白いローブの影が遠ざかっていくのを見つける。
「――なんだ、あれ?」
その影は振り向きもせず一目散に逃げていって、すぐに背中も見えなくなった。
大輔は首をかしげつつ、それどころではないと思い直して、修道院の入り口近くに陣を張った修道女たちの様子を見に向かった。
*
「敵はこちらを襲う意志がある男たちだ。遠慮することはない。徹底的に叩きのめし、追い払ってやれ」
「はい!」
「油断するなよ。これは訓練ではない。実戦だ。やられれば、怪我では済まない。そしてわたしたちの後ろには戦う力もない修道女たちが大勢いるんだ。敵を一匹も通すな。すべて追い返し、いつものようにマグノリア修道院の強さを見せつけてやれ」
「はいっ!」
修道院の前、街道に面した場所に、白いローブを着た女たちがずらりと並んでいる。
全部で五列、およそ百人の女たちである。
同じ格好で、みな同じ棒を持ち、背筋をぴんと伸ばして身じろぎもせず立っている様子は半ば恐ろしいような緊張感に満ちていた。
単日の曇り空。
日暮れには早いが、すでにあたりはどんよりと薄暗い。
その薄く墨を引いたような風景のなかに、輝くような白いローブの列が整然と見える。
大輔は修道院の入り口から外の様子を見て、感心したように息をついた。
修道女というより半ば軍隊のようだが、それだけ統制が取れていて、戦略的に動かせる人員ということだ。
「なるほど、たしかにこれなら、七十人くらいの相手には――」
「――そこのきみ、なにをしている?」
まるで叱咤されるように声をかけられ、大輔は慌ててフードを目深にし、俯いた。
近づいてくる足音がする。
ちらと見上げれば、別段怒ったふうでもない、このマグノリア修道院の院長グロリアが立っていた。
グロリアもほかの修道女たちと同じく、純白のローブを着ている。
フードは被らず、黒髪を背中へ流し、切れ長の目で大輔をじっと見下ろしていた。
「きみも戦うか?」
「い、いや、あの、ぼく――じゃない、わたしはその見学というか、なんというか」
「見学? きみ、名前は」
「え、だ、だいす――ちがう、えっと、ま、マサコです、はい」
なんという屈辱だろう。
他人に呼ばれるのならともかく、自分から名乗らなければならないとは。
大輔は相変わらず慣れない女のふりに、そっとため息をつく。
グロリアはほうとうなずいて、
「きみか。きみとは一度話してみたいと思っていたところだ」
「え、わ、わたしとざますか――な、なぜ?」
「ヒカリにいろいろと話を聞いた。きみはヒカリたちの教師だそうだな。いちばん地球のことをよく知っているということだ」
「は、はあ、まあ、そんなようなところではあるかもしれませんけど」
「しかし間が悪い。いまはゆっくり地球の話を聞いている時間もないんだ」
「そ、それはもちろん――あの、大丈夫ですか」
「ん?」
「いえ、か、革命軍がくると聞いたものですから」
わざと甲高い声を作って喋っていると、自分がなんだか愚かになったような気がしてくる。
とくに堂々としているグロリアの前では。
「革命軍といっても、たかだか七十人だ」
グロリアは言って、胸を張り、整列した修道女たちと、人気がなくなった街道を眺める。
「本隊がきたというならともかく、七十人程度ならなんの問題もない」
「そ、そうですか、それなら――」
「ところで、きみは戦闘というものをどう見る?」
「は?」
「わたしは、ものを考えることが好きだ」
明るい横顔で、グロリアは言った。
「人間とはいったいなにか。この世界とはなにか。地球とはなにか。もしあるのなら、神とはなにか。異世界人とはなにか。そういった、答えもないようなことを考えるのが好きだ。そのひとつに、戦闘に関するものがある。たとえば、あらゆる場面に対応し、あらゆる戦力差をひっくり返せるような、戦争の必勝法とも言うべき理想の戦術、戦略はあるだろうか? それとも、そのような絶対的な戦術はなく、その場面に適応した、いわば相対的な理想の戦術というものを選択すべきなのだろうか。きみはどう思う」
「は、はあ、あの、まあ……必勝できる方法は、なくはないと思う、ざますが」
「ほう、どんな方法だ、それは?」
「相手よりも多くの戦力を持ち、相手よりも有利な状況で戦うこと」
グロリアはちらりと大輔を見て、笑い声を上げる。
「なるほど、それはたしかに必勝法だな。きみは非常に興味深い。きみの言うとおり、確実に相手に打ち勝つには相手よりも強くあればいい。相手が十なら、こちらは百、あるいは千で叩く。そうすればいいだけのことだ。しかしそれほど大きな戦力がない場合はどうすればいいか。わたしは、こう考える――相手の攻撃が届かない距離から攻撃すればいいのだ、と。究極的に言えば、相手の攻撃が一撃も当たらなければ、こちらの損害は必ずゼロで抑えられる。相手の攻撃が当たらない以上、こちらが負けることは絶対にない。だからわたしは、修道女たちに棒術を教える。男たちが使う基本的な武器は剣だ。ここの女たちが持っている棒は、剣の倍の間合いを持つ。つまりこちらの攻撃は当たるが、向こうの攻撃は決して当たらない間合いというものが存在するわけだ。その間合いで戦う以上、理屈では、わたしたちは決して負けない」
たしかに、理屈ではそうなるだろうと大輔は思う。
しかし実戦というものは、予想外の出来事が多く起こる。
単に間合いという問題ではなく、相手の心理や状況まで読まなければ、思わぬところで足をすくわれる可能性もあるのだ。
「まあ、女たちの戦いぶりを見てみるがいい」
グロリアは自信に満ちあふれた表情で風に髪を揺らす。
「どうやら革命軍のお出ましのようだ」
その風上から、かすかな足音が響いていた。
目を凝らせば、街道をまっすぐ修道院へ向かって歩いてくる影が見える。
ひとつやふたつではなく、集団である。
革命軍、と書かれた旗印も見えた。
その旗印だけでも、やってくるのが革命軍の本隊ではなくそう名乗っているだけの集団なのだとわかる。
革命軍の目的は破壊と殺戮だ。
大義名分などとうの昔に失っていて、いまやそのふたつだけが存在意義になっている。
だからこそ、本当の革命軍は自ら旗印を掲げたりしない。
その旗印を見て逃げられたのでは意味がないのだ。
本当の革命軍なら、旗印よりも白旗を上げるだろう。
そうして油断させ、近づいて、相手が逃げられない距離になると襲いかかる。
それがいまや破壊と殺戮の風と化した革命軍のやり方なのだ。
グロリアは白いローブの列を抜け、その先頭に立つ。
近づいてきた男たちは、すでに相手が待ち構えていると察知して立ち止まった。
男たちのなかから、ひとり代表者らしい人間が出てくる。
髭を生やした中年の男で、格好はみすぼらしかったが、背中に自ら革命軍の旗印を差していた。
男はにやつきながらグロリアに近づき、二メートルほど距離を取って立ち止まる。
「あんた、修道院の女だな?」
男は黄ばんだ歯を見せ、にやりと笑う。
「あー、見てわかると思うが、おれたちは革命軍だ。この田舎にも伝わってるだろ、おれたちの噂は」
「革命軍の噂ならよく聞く」
グロリアは、男の態度をあざ笑うように言った。
「しかしおまえたちのようなくだらない集団の噂は聞いたことがないな」
「――おいおい、女が調子乗ってんじゃねえぜ。たしかにこの一帯を仕切ってるのはあんたらだろうさ。女が武器なんか持って、一端の兵士を気取ってやがる。しかし所詮は女、力で男に勝てると思ってんのかよ。それに、おれたちの後ろには何十万って数の革命軍が控えてるんだ」
「何十万控えていようと、いまおまえたちの戦力はせいぜい七十人だろう。こちらは百人用意してある」
「女百人か? そいつは楽しめそうだな」
「楽しむ余裕があるなら、存分に楽しむといい」
「そうさせてもらうぜ――おい、かかれ!」
その合図で、男たちが一斉に剣を抜いて雄叫びを上げた。
同時に修道女たちも動いている。
グロリアの掛け声はなく、しかしまるで一本の糸で操られているように陣形を崩さず前進し、先頭から揃って棒を構えた。
大輔はその集団の後方に立ち、様子を見ている。
グロリアは修道女たちのあいだを抜けて下がり、大輔の横に並んだ。
「指揮は、しなくてもいい――んでざますか」
「指揮を取る必要もないだろう」
どことなく、失望したような口調だった。
その気持ちはわかる、と大輔は目深にかぶったフードのなかでうなずいた。
どうせ戦わなければならないのなら、戦う相手はこちらが気に入る人間のほうがいい。
おそらくグロリアにとって山賊あがりの革命軍では力不足なのだ。
白いフードの集団と、薄汚れた男たちが接触する。
接触した、と見えるのは、一見正しいが、本当の意味で触れ合ったわけではない。
男たちは、女たちに触れることさえ許されていない。
「なんだ、こいつら――ちくしょう」
「突っ込め、突っ込め! 間合いに入っちまえばいいんだ!」
男たちの声は盛んに聞こえてくるが、女たちの声はほとんど聞こえてない。
叫んで、自らを奮い立たせる必要すらなく、淡々と対処しているせいだ。
男たちは剣を抜き、型もない、ただ振り上げて振り下ろすというだけの動作を信じきって距離を詰めてくる。
長い棒を持った女たちはしっかり脇を締め、棒をまっすぐ前に突き出し、そんな男たちを待ち構えた。
男の剣は、腕からさらに一メートルほど先にしか届かない。
しかし棒は、腕を伸ばした距離より二メートルは先に届く。
必然的に、男の剣よりも先に女たちの棒が相手に到着し、無防備な男たちの身体を棒の先がどんと突き、あるいはくるりとひねって腕をしたたかに打ち付け、剣を払いのける。
男たちはなんとかその間合いの奥へ飛び込もうとしているようだが、密集陣形で棒をかいくぐることができず、剣を落としたり、肩や首を打たれてひっくり返ったり、よくても間合いから外れて様子を見ているだけだった。
まるで大人が子どもをあやしているような光景である。男たちはまるで女たちの相手になっていない。
一方的に攻め立てられ、じりじりと後ずさり、修道院から遠ざかっていく。
「生きていくには、正しいだけでも、清くいるだけでもだめだ」
戦闘の様子を眺めながら、グロリアが言った。
「この時代、生きていくには強さが必要だ。女なら、男に負けない強さが。そうしなければ修道女といっても生きてはいけないんだよ」
わっと女たちの声が上がる。
男たちは、結局修道女に一撃も加えられないまま這々の体で逃げていったのだ。
あれだけ強く冷静に戦闘していた女たちも、歓声を上げれば若く黄色い声だった。
大輔はふむとうなずき、呟く。
「まったく、参考になる逞しさだ。たしかに生きていくためには強くなくちゃな」
「そのとおり――しかしきみ、ずいぶん声が低くなったな」
「はっ――そ、そんなことないざますよ、おほほほ」
大輔はぎこちなく高笑いし、逃げるように修道院のなかへ戻っていった。
グロリアはすこし首をかしげたが、深く考える前に戦闘を終えた女たちが戻ってくる。それを母親のような笑みで出迎えて、
「よくやった。男なんてあんなものだ。さあ、なかへ戻って安全になったことを知らせてやろう」




