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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 9

  9


 緊急事態を意味する鐘が鳴り響き、修道院のなかはにわかに慌ただしくなる。


 修道女たちが廊下を行き交い、その足音がばたばたと響き、掛け声のような大きな声もあちこちから飛んでいた。


「だれか院長へ報告を! 武器庫の鍵を開けて!」

「はいっ」

「新入りや子ども、老人は修道院の奥へ避難させて! 若い人間が率先して世話をするのよ」


 何人かの若い修道女が子どもの手を引き、老人に肩を貸して修道院の奥へと進んでいく。

 それと入れ替わりに、鍵が開いた武器庫から続々と長い棒が運び出され、戦う意志がある修道女たちの手へと渡っていった。


 マグノリア修道院は、決して無力な修道女の集まりではない。

 それは、このあたりに住んでいる人間ならだれもが知っていることだ。


 マグノリア修道院に暮らしている修道女たちは、並の男よりはるかに強く、気高いものなのだと――。



  *



 燿は突如鳴り響いた鐘の音に驚き、ソファから飛び上がってあたりを見回したが、グロリアのほうは平然とソファに座ったまま報告がやってくるのを待っていた。


「ご、ゴロリアさん、これ、なんの音なの?」

「敵襲を知らせる鐘の音だよ。わたしはグロリアだけどね」

「てきしゅう?」

「院長!」


 扉が開き、白いローブの修道女が駆け込んでくる。


「近くの宿から連絡があり、革命軍と名乗る男たちが近づいていると」

「数と距離は?」

「店主が言うには、数は百人以下、おそらく七十人ほどで、距離はまだすこし先です。しかし街道をまっすぐ、この修道院を目指して進んでいると」

「準備する時間はたっぷりあるということだ」


 グロリアは満面に自信を漲らせ、ソファから立ち上がった。


「すぐに武器庫を解放し、戦う意志がある者だけを表に。それ以外の者は修道院の奥へ逃すか、もし望むのなら修道院からの離脱を認め、食料と路銀を持たせてやれ。それから、図書館を一時閉鎖、なかの書物を守るためにも何人か見張りをつけ、残りはすべて修道院の前に」

「はい、すぐに手配します!」


 修道女は入ってきたときと同じ勢いで出ていって、グロリアもそのあとを追うように院長室を出た。

 必然的に、燿もそのあとをついていく。


 修道院のなかはすっかり騒がしく、戦場のようになっている。

 グロリアはそこの主にふさわしい堂々たる態度で進み、その表情を見るかぎり、この敵襲に関して不安など微塵も感じていないようだった。

 むしろ燿を振り返り、言う。


「不安か、ヒカリ」

「え、う、うん。だって、革命軍だよ?」

「革命軍にもいろいろだ。本隊となれば数万、数十万という規模だから、仮に本隊が丸ごと襲いかかってくるなら勝ち目もないが、今回はそういうわけでもないらしい。七十人足らずの男たちならなんの問題もない」

「そ、そうかなあ……」


 革命軍の強さ、ある意味での恐ろしさを知っている燿は首をかしげる。


 たしかに、数では修道院側が大きく勝っている。

 相手が本当に七十人あまりの集団なのだとしたら、こちらは数千人の規模なのだ。

 しかし問題は戦闘が可能な人間の数で、修道院には子どももいるし、老人もいて、傷を負っている人間もいる。

 仮に若く元気な者だけを集めても、それらはすべて筋肉では男に劣る女ばかりなのだ。


 燿は、本当に大丈夫だろうかと首をかしげ、それから紫たちはどうしているのだろうと考える。

 グロリアと話しているあいだ、紫たちは部屋にいたはずだが、この状況にどう動くか。

 もしかしたら魔法使いとして修道院側といっしょに戦うかもしれない。それには、なによりもまず、大輔の指示を仰がなければ。


「あ、あの、ゴロリアさん、あたし、ちょっと向こう見てくるね!」

「あ、おい――わたしはグロリアなんだが」


 グロリアは何度か首を振り、それから指導者の顔となって、戦闘準備を進めた。



  *



 革命軍がやってきた、と聞いてだれより不思議に思ったのはベロニカである。


「革命軍? まさか、そんな」


 一瞬、叶は自分を信用せず、自分のあとから軍を派遣したのだろうかと考える。

 しかしそうでないことは、叶の性格を考えればすぐにわかった。

 叶は、よくも悪くも嘘をつけるような人間ではない。

 というより、嘘をつく必要性を感じないだろう。

 もしベロニカでは力不足だと思ったならベロニカを気遣う前にそう口にしているだろうし、あえてベロニカには黙って軍を派遣する理由もない。


 攻めてきた革命軍というのは、世界中に存在する「革命軍」と名乗っているだけの組織にちがいない。


 ほとんどの人間は、革命軍とは同じ思想のもとに集まった一枚岩の組織だと考えている。

 しかし本当は、そうではない。

 革命軍というのは世界中にいくつも存在する犯罪組織、あるいは革命主義者の総称であり、叶と会ったこともなければ叶が司令官であることさえ知らないような田舎の組織でさえ革命軍を名乗っているのだ。


 理由はもちろん、革命軍と名乗ることで自分の後ろには巨大なものが控えているのだと思わせ、略奪やその他の犯罪行為を容易にするためである。

 単独ではその国の兵士や自衛団に返り討ちにされてしまうが、革命軍と名乗り、自分たちに手を出したらどうなるかわかっているだろうな、と脅すことで、実体以上の組織に思わせているのだ。


 ベロニカは、そうした偽革命軍ともいうべきものを嫌っている。

 所詮自分の力ではなにもできない小物たちだ、と。

 しかし叶はなんとも思っていないらしく、革命軍と名乗る連中には、そのまま革命軍と名乗らせていた。


 いまやってきた連中も、本当に叶の命を受けてベロニカがここへきていることも知らない地方の悪党なのだろう。

 それが図に乗って、このマグノリア修道院を攻めてきた。ベロニカはため息をつき、床にしゃがみこんでいる大輔になにか言おうと口を開いたが、言葉が出るよりも先に大輔は廊下を駆け出していた。


「あ、ちょっと!」


 大輔は廊下の端から梯子を使って駆け下り、そのまま図書館を出ていく。

 どうやら図書館は閉鎖されるらしく、全員が外へ出るようにと指示があったが、大輔はそのなかでもいちばんはじめに図書館から飛び出していった。


「逃げた――ってわけでもなさそうだけど」


 まあ、なんにせよ、ここは様子を見るのがいちばんだろう。

 ベロニカも図書館を出ながら、そう考える。


 いくら相手が気に入らない偽革命軍でも、まさか修道院側に協力して戦うわけにはいかない。かといって偽革命軍と協力するのもごめんで、そうなれば修道女のなかに紛れて様子を見る以外になかった。


 それに、図らずもだが、修道院側の戦闘能力を内側から見極めることができる。

 もちろんそんなことをしなくてもベロニカには圧勝する自信があったが、修道院内にある図書館の興味深い文献を確保しながら勝利するのなら相手の出方を読む必要があった。


「ま、お手並み拝見ってとこか」


 ベロニカは呟いて、ほかの修道女といっしょに、修道院の奥へと避難していった。



  *



 革命軍、という旗印が風にはためいている。


 鎧はなく、身なりは粗雑で、蓬髪の男たちがぞろぞろと群れをなして歩いていた。


「修道院ってのは、この先にあるんだろ?」

「ああ、そうらしいぜ。このへんでも修道女はちらちら見るがな」

「でかい修道院だ。なにか金目のものもあるだろう」


 なによりも若い女たちがいる、と男たちはにやつき、革命軍の旗印の下を進む。


 街道には、いくつもの宿や商店が並んでいる。

 そうした男たちがやってくるという話はすでに伝わっているらしく、宿も商店も軒並み店を閉め、まるで無人のように静まり返っていた。


 しかし、と先頭をいくリーダー格の男は思う。

 本当に無人なのではなく、この静寂は恐怖によるものだ。

 革命軍、という一種の病魔にも似た恐怖がこの街道を支配している。

 無力な人間たちはその病魔が自分のほうを見ないように、息を殺して物陰に隠れるだけで精いっぱいなのだ。


 男は革命軍という旗印を見上げる。

 それを掲げる前、男が率いていた組織は、単なるちいさな山賊にすぎなかった。


 あまり人通りの多くない街道の横に身を潜め、武装が完全でない商人などを襲って商品を奪い取るか、金を奪い取るかという恐ろしく単純な作業の繰り返しである。


 男はそもそも、あるちいさな村で育った平凡な人間だった。

 悪事を働くようになったのは、ある失敗から勘当され、家を追い出されたあとだ。

 はじめのころは、それこそ、これは命がけの仕事だ、と感じていた。

 商人に襲いかかるとき、剣を抜くとき、その瞬間自分の命は最大限の危機を直面していると感じ、それが一種の快感ですらあったのだが、その危機は偽物なのだと気づくまでにはさほど時間もかからなかった。


 それは一種の出来レースだった。


 もちろん、襲われる商人と山賊のあいだになにか取り決めがあるわけではない。

 言葉の取り決めはないが、お互い長くその仕事をやっていると、なんとなく親近感のような、敵同士でありながら不思議と理解し合える部分が生まれてくる。


 たとえば、山賊としては、ほしいものは商人の持っている品物であり、商人の命ではない。

 商人もまた、品物を失うくらいなら死んだほうがいいと思っているわけではなくて、命がなければ商売もできないと考えている。

 そしてお互いにそれを理解している。

 商人は、いくら脅しても山賊が意味もなく商人を殺したりしないということを知っているし、山賊もまた殺すまでもなく商人は品物を差し出すということを知っている。


 そうしたお互いに理解のもとでなにが起こるかといえば、山賊たちがぞろぞろと街道へ出て商人を取り囲むと、商人はまるで常連客と会ったような笑顔を浮かべ、なんの抵抗もなく品物を差し出すのだ。

 山賊たちもまったくそれを疑わずに品物を受け取り、なんなら町まで行くのに商人が困らないよう、多少の路銀は残して解放してやる。


 そうした出来事の、いったいどこに危機があるだろう。

 命のやりとりなどしやしないのだということに気づくには、なにも聡明である必要もない。


 男は、そんな山賊稼業にうんざりしていた。

 商人から品物を奪い取っても、商人は微塵も恐怖など感じていない。

 むしろ、品物さえやればおとなしく撤退する連中だ、と蔑んでいるような目つきすらする。それがどうにも許せないのだ。


 革命軍の噂を聞いたのは、そんなときだった。


 革命軍は、世界中の国を荒らしまわっている。

 それは山賊たちがやるような偽物の略奪ではなく、本当の略奪と本当の殺戮である。

 人々は本心から革命軍に恐怖し、革命軍の行く先を注視している。


 まさにそれこそ、男が求めているものだった。


 男はすぐに革命軍の旗印を作らせ、それを掲げることで山賊稼業をやめ、革命軍の一員となった。

 はじめは数人しかいなかった仲間はあっという間に五十人を越え、文字通りひとつの軍隊のようになって、いくつかの町を襲い、そこで本当の略奪を行った。

 下手をすれば殺されるという状況での本能的な悪事は、男に得も言われぬ快感をもたらし、男は革命軍での行動に夢中になった。


 彼ら革命軍は、軍隊としてはさほど大きなものではないが、なにより革命軍という名前がもっともよく効いた。

 その名前を見れば、みんなが逃げていく。

 どんな屈強な男たちでさえ、革命軍には立ち向かってこない。

 一方的な略奪や殺戮でありながら、もし立ち向かってきたら激しい戦闘になるだろうという危機感がある。

 そのなかでの悪行こそ、人間が本質的に求めている解放なのだ。


 男たちはいくつかの町を襲ったあと、満場一致でマグノリア修道院を襲撃することに決めた。


 理由は単純で、そこには女がいくらでもいるし、山賊をやっていたころ、マグノリア修道院の修道女たちに追い払われたことがあって、その復讐も兼ねている。


「進め! 修道院はもうすぐだぞ」


 男が剣を抜き払い、ぴっと前方を示すと、後ろの男たちも野太い声を上げた。

 そうして革命軍は街道を進んでいくのだ。

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