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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 4

  4


 無事マグノリア修道院までたどり着けたのはよかったが、まさかなかに入れないとは。


 大輔はううむとうなり、腕を組む。

 そのそばには燿と紫、そして泉の三人がいた。

 三人とも、大輔が修道院のなかに入れないと知って一度外へ出てきたのだ。

 ソフィアたちもそれに合わせて出てこようとしたが、大輔が制して、その四人はすでに修道院のなかに入っている。


「どうするの、先生?」


 燿はちょっと首をかしげて、


「男のひとが入れないなんてねー」

「でもたしかに、修道院のなかで男女がいっしょに生活するのはおかしい気もしますけどね」


 と紫は言って、息をつく。


「どうします? もともとわたしたちは用事もなかったわけだし、このまま別の町を目指してもいいと思いますけど。この街道沿いならたぶんそう遠くない場所に町もありそうだし」

「えー、でもちょっとくらいなか見たくない? なんか楽しそうだったよ、お花畑とかあって!」

「それに、ここまできたのに図書館を見ずに離れるっていうのはなあ」


 大輔もさすがに困ったように言った。


「ここならゆっくりできそうだし、最低でも一週間くらいは滞在していろいろ見てまわるつもりにしてたんだけど――まあ、できないものは言ってもしょうがないしな」

「じゃあ、諦めますか?」


 泉も首をかしげた。


「だったら、なかで次の町の場所とか聞いてきたら」

「いや、どうしても図書館の情報は得たい。でもぼくは入れないから、おまえたちで図書館の書物を調べてきてくれ。ぼくは近くの宿に泊まるから、なにかわかったらそこへ報告する形にしよう。そうすればおまえたちはこの修道院に泊まれるし」

「なるほど――あ、でも、先生。わたしたち、こっちの言葉を話すのはだいぶ慣れましたけど、読み書きはぜんぜんだめですよ?」

「むっ、忘れてた、そうだったな」


 新世界には印刷技術もあったが、まだ一般的に識字率はそれほど高くない。

 日常的に文字を読んでいるのは一部の学者と、それこそ宗教家くらいのもので、町を歩いていても文字に出会うことはあまりなかった。

 そのため、大輔も生徒たちには読み書きを教えていない。


「それじゃあ、意味は理解しなくていいから、そのまま文字の形を書き写すか、暗記して報告してくれ」

「そ、そんなことできませんよ、文字の形を暗記するなんて」

「そうかな、ぼくはできるけど――うーむ、どうしたもんか」


 マグノリア修道院が所蔵する書物は、ぜひとも読みたいところだった。

 紫に言ったとおり、それで地球への帰り方がわかるかもしれないし、帰り方そのものは書いていなくても、地球と新世界の関係についてなにか記してあれば、そこから方法を考え出すことができるかもしれない。


 それに、なにより、大輔はこの世界、新世界についての情報を欲していた。


 新世界は、地球文明が知っているようなものではない可能性がある。

 すくなくとも地球人は新世界の人間に魔法使いはいないと考えていた。

 過去も、現在も。

 しかし大輔は、その目で古代の魔法都市を目撃しているし、現代まで生き残った新世界の魔法使いの一族とも出会っている。

 新世界はおそらく、地球文明が知っているのものとはまったく別の形で存在しているのだろうし、また、存在してきたのだろう。

 もしかしたらマグノリア修道院の書物にそのような記載が見つかるかもしれない。


「それじゃあ、いまからおまえたちにある程度の読み書きを教えよう。古い書き言葉もあるから、ちょっと手間がかかるけど、まあなんとかなるだろ」

「いまからって、そんなにすぐ覚えられるものなんですか?」

「一日十八時間くらいかけて勉強すれば、まあ一週間もすればある程度は――おい、なぜ無表情で遠ざかっていく?」

「い、一日十八時間勉強するなんて、できるわけないもん!」

「いやできるって。自分の身体を椅子に括りつけてだな、寝たら死ぬぞって言い聞かせながらなんとか――」

「そんな死に物狂いで勉強したくないっ」

「ううむ、それが唯一現実的な方法だったのに」

「全然現実的じゃないと思いますけど――」


 泉でさえ引きつった表情だった。

 しかし紫は、なにか思いついたようにぽんと手を打つ。


「先生、ひとついいこと思いつきました」

「お、なんだ、神小路」

「先生、女装すればいいんですよ」

「……あれ、ぼくの耳がおかしくなったのかな、それとも頭がおかしくなったのかな? すまん、神小路、聞き流してしまった。もう一回ゆっくり言ってくれるか」


 紫は言われたとおり、ゆっくり、はっきりと発言する。


「先生が、女装を、すればいいんです」

「いやいやいや、ちょいちょいちょい」

「わあ、それいいかも!」

「よくねえよ! どのへんを理解していいかもって言ったんだよ。あらゆる部分があらゆる意味でよくねえよ!」

「だって、それくらいしか方法がないですよ」


 にやにやと笑いながら紫はしかつめらしいことを言う。


「わたしたちが短期間で読み書きを覚えるのは現実的じゃないし、きっと黙って忍び込むのもむずかしいでしょう。魔法でなんとかするっていっても、そう都合よく魔法があるわけじゃないし。要は先生が男だってところが問題なんですから、先生が女装すれば問題はすべて解決――ぷぷっ――解決するわけじゃないですか」

「途中で吹き出した時点でだめだろ。そうだ、魔法があるんだから、それを工夫すればうまく忍び込める可能性も――」

「ないです、そんな可能性は。女装する以外に手はありません」

「いやいや――いやいや、そんなはずはない。絶対にそんなはずは。考えろ、大湊大輔、考えるんだ、おまえはいま人生の岐路に立たされているんだぞ」


 女装というのは、すなわちなにかしらの死だ。

 男というものが、そのアイデンティティが殺されようとしているのだ。

 それを見過ごすわけにはいかない。

 なんらかの方法で回避しなければ、と大輔はかつてないほどその頭を巡らせたが、修道院に入り込む方法も、そこにある情報を手に入れる方法も思いつかなかった。


 たしかに、女装というのは極めて単純で現実的な回答だった。

 男であることが問題なのだから、男でなくなってしまえばいい。

 非常に根本的であり、スマートで知的な回答である。

 だからといってそれを認めるか否かは別問題であり、大輔は断固として認めるつもりはなかったが、しかし大輔のなかの理知的で冷徹な部分が静かに告げている。


 おまえの目的はなんだ、おまえの目的はマグノリア修道院にある情報を手に入れることじゃないのか、そうだとすればなにを犠牲にしてもそれを成し遂げるべきだ、なにを犠牲にしても――。


「先生、どうしますか?」


 紫は勝ち誇ったように笑っている。


「女装、します?」


 最後の決断を大輔に委ねようとしているのだ。

 決して強制的にさせたのではなく、自分でそう選ばせているのだ――それはこれ以上ないサディスティックなやり口だった。


「う、うう……」

「ねえ、先生、別にわたしたちはどっちでもいいんですけど。ねえ、燿?」

「うんうん」

「泉も、別にこのまま次の町に行ってもいいわよね?」

「う、うん」

「修道院に寄りたいのは先生だけですよ。わたしたちはそれに付き合ってあげるわけで、どうしても先生が修道院に入りたいっていうなら、それはもう、女装するしかないわけです」

「う――で、でも、あれだろ、道具もないし、そんな都合よく女装なんかできるわけ」

「修道院のなかには女物の服なんていくらでもあるでしょう。ここのひとたちはみんな体型のわからないフードつきのローブを着ているみたいですし、それを着て顔を隠せばすこし背の高い女にしか見えませんよ、たぶん」

「な、なるほど――いや待て。万が一、それがばれたとき、どうなる?」

「まあ、そうですね」


 いままでいちばん嬉しそうな顔で紫は言った。


「女だらけの修道院に女装までして入り込もうとした変態男だと思われるでしょうね」

「い、いやだ! 絶対にいやだ! 女装なんか絶対するか、ぼくはあくまで学術的好奇心でなかを見てみたいだけだ、それを変態男だと罵られるなんて絶対いやだからな! そうだ、修道院の責任者に事情を説明すればいいんだ。どうしても図書館で調べ物がしたいって」

「長い歴史のなかで一度も男が入ったことのない修道院ですよ。そんなの、どれだけ頼み込んでも無理に決まってるじゃないですか。さ、おとなしく女装してください。わたしたちはこれから女物の服を調達してきますから。あ、名前はなにがいいですか? まさか大輔なんて名前で呼ぶわけにはいきませんし」

「な、名前はいままでどおりでいいだろ、どうせ先生としか呼ばないんだから――いやいや、まだ女装を認めてないし!」

「先生じゃおもしろくないですから、そうですね、大輔の大をマサルと読んで、それを女の子ふうにしてマサコちゃんってどうですか?」

「いまおもしろくないって言ったろ、おまえの本音はそれだな!」

「いやあ、ほんと、こんなにおもしろい展開になるとは思ってませんでしたけど、先生のためにがんばって女装道具を調達してきますよ。さ、燿、泉、一旦なかに入りましょう」

「う、うう……」


 紫は高笑いしながら修道院のなかへと入っていく。

 そこはもう大輔も手の出しようがない場所だった。


 ひとり残った大輔は、いっそ逃げてやろうか、と考える。

 女装させられるくらいならこのまま逐電してやれ、とよほど思ったが、貴重な情報を得るためだ、と自分の心を自分で殺し、歯を食いしばって紫たちが帰ってくるのを待った。


 やがて紫が戻ってきて、大輔にとっては一大悲劇が、それ以外の人間にとっては喜劇がはじまったのである。



  *



 修道院の入り口をくぐってすぐには中庭があった。


 その中庭には色とりどりの草花が茂り、どうやらそこは薬草に使う植物を育てているらしく、いまも白いローブを着た修道女たちによって手入れと収穫が行われている。


 通路としては、中庭をぐるりと囲むように細い廊下が二本あり、天井は先の尖ったアーチ状になっていて、外観よりも思いのほか陽が多く差し込む明るい雰囲気だった。


 廊下を歩いているのは、もちろん全員が女である。

 修道院の決まりらしく、ほとんどは白いローブを着ていたが、フードは被らず、顔や髪をそのままに見せている女たちがほとんどだった。

 なかにはローブさえ着ていない女たちもいたが、それはどうやらいまやってきたばかりか、これからどこかへ行こうとしている女たちのようで、どちらもローブを着た修道女に導かれて歩いている。


 その案内は、ソフィアたちにもつけられていた。

 しかしソフィアたちは仲間がまだ外にいるから、と案内を断り、中庭に面した一角に立ち止まっていた。


 そこから眺めても、この修道院はいったいどれほど広いのかはまったくわからない。

 中庭だけでもかなりの面積があるが、その左右にも建物があり、部屋が並んでいるようで、さらに中庭の奥にはひときわ大きな建物が立ち、その屋根が天に向かって反り返るようにそそり立っていた。


 広さの見当がつかないなら、そこに暮らしている人間の数もまたよくわからない。

 いま中庭と廊下にいる人間だけでも百人は超えているだろうが、それもごく一部にちがいなく、修道院というよりもはやひとつの城壁で囲まれた国のようなのだ。


 ソフィアはふと、そのうちの何割がもともとの修道女で、何割が自分たちのように革命軍の蛮行によって身寄りを失った女たちなのだろうと考える。

 それは表情を見ればわかりそうなものだったが、じっと観察してみても、露骨に悲しみや感傷を浮かべた女などひとりもおらず、むしろみんなが溌溂と明るく、与えられた仕事に心から打ち込んでいるようだった。


 ここは、女の王国だ。


 ソフィアたちが暮らしていたカイゼルはまさに男の王国だった。


 ここには男そのものが存在しない。

 それが女にとって理想の世界かといえば、あるいはそうではないだろうが、ある種の安心感があるのは間違いなかった。

 ここには男がいない、男という存在に囚われる必要がないのだ、と。


 しかしソフィアは、生活上の敵は男ではなく女なのだと知っている。

 カイゼルでは、とくにそうだった。


 男たちは戦争へ出ていく。

 そのあいだ、女と男の接点はない。

 だからこそ女同士の争いが重要になる。

 その争いは、要するに、だれがいちばん優れているか、ということだった。

 だれの夫が軍人として最高位にあるか、だれがもっとも大きな敷地を有しているのか、だれの家がもっとも洗練されているのか。

 それは、戦争で命を賭けている男たちからすればくだらないままごとのようなことなのかもしれないが、いざその場に身を置けば、命がけの戦争そのものといえる。

 自分が敗北すれば、夫もまた敗北する。

 決して負けられない女同士の争いだったのだ。


 ここには争うべき夫もいないし、敷地もない、内装もない。

 だから戦うべき理由がない、と思えるほど、ソフィアは子どもではなかった。


 戦う理由など、自ずから出現するものだ。

 日々は戦う理由を探しながら生きているようなもので、どんなところにも他人と争う理由は存在している。

 もし存在していなければ、必ずひとはそれを生み出す。


 修道女たちの争いは、おそらく修道院内での位の高さや、だれが重要な仕事を任せられているか、ということになるのだろう。

 そしてそれとは別次元に、あらゆる状況で存在できるいちばんの争う理由は、だれが美しいか、ということだ。


 いちばん美しいのはだれか、というのではなく、自分を基準に、だれが自分より醜く、だれが自分より美しいか。

 そうした俗世的な美醜感覚は、この修道院内でも決して無縁ではないにちがいない。


 あるいは、美しくないことがもっとももてはやされている、という可能性もある。

 美が俗世的なら、その正反対にある醜は俗世からもっとも切り離されたものだろう。

 美しいということが俗世的として忌避されるのなら、醜いということが宗教的に持ち上げられている可能性はある。


 なんにせよ、どこにでも戦いはある。

 これからはこの場で戦っていかなければならないのだ。

 ソフィアはそんな気持ちで修道院内を見回し、修道女たちを眺めていた。


 そこに、一度戻ってきて、また外へ出ていった紫たちが戻ってくる。

 先頭は燿で、相変わらず明るい笑顔を浮かべていたが、不思議なのはいつも笑顔を浮かべているような人間ではない紫まで満面の笑みだということだった。

 唯一笑顔でないのは泉で、どことなく不安げにあたりを見回している。


 そして、彼女たちは三人ではなかった。


「あら――そちらの方は?」


 この修道院の白いローブを着て、フードを目深にかぶっている女が三人のあとからついてきているのだ。


 ソフィアが尋ねると、紫はいよいよにっこりと笑い、言った。


「彼女はマサコちゃんです」

「マサコちゃん?」

「ほら、マサコちゃん、挨拶を」

「う、う……」


 背中を押され、白いローブの女が前へ出てくる。

 そしてソフィアの前で、すこしフードを上げた。


「まあ――」


 ソフィアは思わず声を上げ、向こうはまるで殴りつけられたようなうめき声を上げる。

 しかし引きつった笑みを浮かべて、


「ど、どうも、マサコちゃんです」

「先生、自分でちゃんづけは必要ありませんよ」

「ダイスケさま――なにをしてらっしゃるのですか?」


 まさに「なにをしているのか」だった。


 女物のローブを着て、顔にうっすらと化粧までしている大湊大輔は、それはこっちが聞きたい、と呟いて紅を引いた唇を尖らせていた。

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