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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 3

  3


 マグノリア修道院が近づいてきたことは、その建物を目視する前からわかっていた。というのも、修道院に近い街道には、常に修道院へ向かうひとの波ができているのだ。


 大輔たち八人は、それまで山間の細い道を選んで進んできたが、途中で大きな街道へ出て、そこからは行き来する人波に従って進むようにした。

 辺鄙な街道は追い剥ぎの絶好の餌食だが、ここまで人通りが多いと、むしろそこに紛れてしまったほうが安全だと考えたのだ。


 街道をまっすぐ進めば、五分に一度くらいはだれかとすれ違う。

 それは荷物をたんまりと積んだ商人だったり、剣を帯びた旅人だったりするのだが、なかにはまったく武装していない女たちも見かけて、そういう女たちは決まってマグノリア修道院を目指していたり、そこから諸事情あって別の町へ使いに出ている途中だったりする。

 それだけひとの行き来が多い街道には宿も多く、ほとんどなにも困ることがない旅だった。


 大輔が宿で聞いた話では、山賊や追い剥ぎのたぐいもこのあたりではまったく出ないらしい。


「女ひとりでも問題なく旅ができるほど平和ですよ、このあたりはね」


 恰幅のいい宿の主人は、なんとなく顔をしかめるようにそう言った。

 大輔はふと首をかしげ、


「平和だったら、なにか困ることでもあるのか?」

「いえいえ、平和はいいことですよ。おかげでこうして安全に商売ができるわけですしね。ただ、まあ、男にとっちゃ、なかなか肩身が狭いのもたしかですがね」

「肩身が狭い?」

「なんせ、ここはマグノリア修道院のお膝元だ。マグノリア修道院という巨大な国のね」


 別の客が入ってきたせいでそれ以上店主の話を聞くことはできなかったが、たしかに、そうした視線で見てみればこのあたりにいる女たちはみな堂々としていた。


 基本的に新世界の国では男尊女卑が多い。

 カイゼルほど極端ではないが、依然として男系が多いのはたしかであり、また力の世界でもあるから、男に比べて身体的な力が劣る女が堂々とひとり旅をできるような世界ではない。


 しかし街道を行き来している女たちは、とくに武装しているわけでもないのにやけに胸を張っていて、山賊や追い剥ぎに対する恐怖など微塵も感じていないようだった。

 かといって男たちも同様かといえば、剣を帯びている男でさえなんとなく手持ちぶさたというようにぼんやりしていたり、昼間から酔っ払っていたりして、むしろしゃんとしているのは女たちのほうだった。


 そのことになんとなく違和感を覚えつつも、とにかくマグノリア修道院までもうすこし、休憩もそこそこに八人は街道を進む。


 先頭にいるのは、いつものように好奇心だけで生きているような燿だった。

 そのとなりには女四人組のうちのひとりが立っていて、話をしながら歩いている。

 燿のすごいところは、そうやって話をしながら歩きつつ、すれ違う初対面の人間にでも平気で話しかけるところだった。


「あいつの社交性は、なんていうか、ときに恐ろしいな」


 八人集団のしんがりにいる大輔がぽつりと呟くと、そばにいた紫も実感を込めてうなずく。


「一種の才能ですよね、あれは」

「だなあ。社交性って意味では、さすがのぼくもあいつには負けるな。それ以外のすべての面ではぼくが勝ってるけど」

「先生、頭がおかしい発言もほどほどにしないと、きれいな奥さま方に笑われてしまいますよ」

「頭がおかしい発言ってなんだよ、ぼくは事実を述べたまでだ」

「だから頭がおかしいんですよ」

「なにをう」

「まさか先生、燿のかわいさより自分のかわいさが勝っていると思っているんですか?」

「う……」

「燿より自分のほうがよっぽど愛らしいと思っているんですか?」

「ぐ、ぐぬぬ……」

「まさか燿より自分のほうが愛でて楽しいなんて思ってるんじゃ――」

「わかったよ、もうわかった! ああそうさぼくはあらゆる点で七五三より劣っているさ!」

「ほら、そんなにすねないでください。ところどころは勝ってますよ。身長とか体重とか」

「十六歳の女と二十四歳の男で比べるポイントか、それは」

「じゃあほかには……うーん」

「思いつかへんのかーい! やめろ、えせ関西弁でつっこませるのは」

「先生が勝手にやったんじゃないですか」


 紫はつんと前を向いている。

 新世界へきて約一年、紫のそうした性格にはまったく変化が見られないと大輔はため息をつく。

 普通、大人になったら性格というのは多少なりとも丸くなるものだが。


 そういう意味でいちばん大人になったのは泉かもしれないな、と大輔は考え、泉に視線を向けた。

 泉は集団の中ほどで、ソフィアやほかの女たちと並んで歩いている。

 このところ歩き続けで弱っている女たちに比べると、泉はさすがに元気だ。

 約一年の旅ですっかり歩くことに慣れているということもあるし、魔法使いだから、周囲の魔力を酸素とともに吸収することで常人よりは回復も早い。

 泉はさり気なくほかの女たちを気遣い、歩く速度を合わせながら進んでいた。


 地球にいたころの泉なら、そうはいかなかっただろう。

 地球にいたころの泉はよくも悪くも自分にしか目が向かなかった。

 第一に自分があり、そのことで精いっぱいで、周囲をゆっくりと眺めて他人を認識する余裕などなかったのだ。


 それがいまは、自分のこと以外にも注意を向けられるほど余裕ができている。

 それはやはり大人になったということなのだろう。

 外見的には変化というほどのものは見られないが。


「先生」

「ん?」

「セクハラです」

「なにが!?」

「いま泉の後ろ姿をいやらしい目で見たでしょう」


 見れば、紫はじっと大輔の横顔を見つめている。

 もちろん温度というものがまったく感じられない氷のような目つきで。


「それは恐ろしい誤解だぞ、神小路」

「いえ、たしかに泉はいいお尻をしてますよ」

「なんの話?」

「こう、きゅっと上がったいい感じのお尻ですけど、先生がそれを見るのはセクハラです」

「いやたしかにセクハラだろうけど、まずおまえのその意見はどうなのかと問いたい。おまえ実はぼくより年上のおっさんだろ」

「この可憐な美少女を捕まえておっさんとは何事ですか」

「自信過剰か、おまえ」

「先生にだけは言われたくありません」

「ぐ、ぐぬぬ……」

「ところで先生」

「なんだ、またセクハラか。どこも見てないぞ」

「ちがいますよ。修道院のことです。マグノリア修道院、でしたっけ。どんなところなんですか?」

「さあ、ぼくも詳しいわけじゃないけど」


 と大輔は地球で読んだことがある文献を思い出す。


「なんでも、大陸でいちばん歴史が古くて大きな修道院らしい。ただそれ以上に知られてることがあってな、それでぼくも興味があるんだ」

「そういえば、興味があるって言ってましたね」

「うん。なんせ、その修道院には美女と美少女が何万といるって話だからな。そりゃあ、興味も湧くさ」


 沈黙が下りる。

 大輔はちらりと紫の横顔を見て、


「おい、なんかつっこめよ。これ以上ないほどわかりやすいボケだっただろう」

「あ、ボケたんですか。本気で言っているのかと。だとしたら会話もしたくないほど汚らわしかったので、無視しました」

「そんなに?」

「とくに先生がそんなことを考えているのかと思ったら、同じ星にはいたくないくらいの気持ち悪さでした」

「おいおい、おまえのなかのぼくっていったいどういう存在だよ」


 大輔はため息をつき、続ける。


「興味があるっていうのは、その建物だ」

「建物?」

「建築ってわけじゃないよ。まあ、たしかに古い建物らしいから、それはそれで興味はあるけど、そうじゃない。ぼくがどうしても見てみたいのは、マグノリア修道院のなかにある図書館だ」

「図書館――」

「この世のすべてがあるという図書館――修道院としてより、その図書館のほうが世界的には有名だね。地球でいえば、アレクサンドリア図書館みたいなもんだよ。この新世界にあるすべての文献が、それこそ古今東西問わず揃ってるって話だ。これはひとりの研究者として興味を覚えずにはいられない」

「へえ、そんなものがあるんですか」

「もしかしたらそこで地球への帰り方もわかるかもしれないぜ」

「地球へ――ですか」


 なんとなくすねたように、紫はすこし足を速める。

 そして振り返らないまま、


「先生、わたしたちって地球へ帰らなきゃいけないんですか?」

「え?」

「――いえ、なんでもありません。忘れてください」


 紫はそのまま足を進めて、泉と並ぶ。しんがりには大輔ひとりだけが残った。


 ――地球へ帰らなければならないのか。


 それは、地球には帰りたくない、という意味に受け取れる。

 大輔は紫の背中を見て、本当に地球には帰りたくないのだろうかと考えた。


 この新世界の生活は、お世辞にも気楽とはいえない。

 常に命の危険があるし、ベッドでゆっくりと休める日はごくまれにしかない。

 その点、地球の生活は気楽だ。ある程度の安全は保証され、食事と寝床も用意されている。

 なにも考えなくても生きていけると言ってもいい。

 どちらの生活が楽かといえば、間違いなく地球の生活のほうが楽ではあるだろう。


 ただ、楽しいかどうか、といえば、それは他人にはわからない。

 地球でなに不自由ない暮らしをすることが楽しいと感じられるかどうか。

 新世界での決して落ち着かない慌ただしい毎日に喜びを見いだせるかどうか。


 紫は、新世界での生活が好きなのかもしれない。

 しかし大輔としては、すくなくとも生徒三人は地球へ帰す義務がある。

 どうしても新世界で生活したいというなら、一度地球へ戻ってから、改めて新世界へ入るしかない――しかしそれはおそらく、紫が望む新世界の生活とはちがうのだろうということも、なんとなくわかっていた。


 八人は街道を進む。


 前から、頭をすっぽりと覆うフードをかぶった女たちの集団がやってきて、すれ違った。

 それからしばらくすると、街道の果てに修道院の陰鬱な影が見えてきた。



  *



「でっかーい!」


 修道院のすぐ近くまでたどり着いた八人のうち、最初に声を上げたのは燿だった。

 それ以外の人間も、一週間ほどの旅を経てたどり着いた目的地だけに、ほっと安堵したように息をつき、まるで輝かしいもののように修道院の威容を見上げる。


 しかし実際のマグノリア修道院は、輝かしいというよりは、むしろ影が目立つ、陰鬱な雰囲気を漂わせていた。


 というのも、修道院はとにかく巨大な建造物だが、その建造に使われている石材は、すべて漆黒の石材なのだ。おかげで双日の昼間でもその周囲だけ怪しい夜の雰囲気が漂い、気温もすこし低く、足元を冷気がするすると抜けていくような錯覚さえ感じるほどだった。


 マグノリア修道院は、地球のゴシック建築に似た構造をしている。


 建物はいくつかに分断されていて、街道に面した建物には三つの尖塔があり、その先端は針のように尖ってすこしでも空へ近づこうとするように青空へ鋭く伸びていた。


 出入り口や窓も、単なるアーチ型ではなく、上部が鋭く尖ったスペードのような形をしている。


 修道院という性質上もあるのだろうが、その建物はとにかく上へ上へと意識が向くようになっていて、建物を眺めていると自然に視線が引き上げられて、いつの間にか首が痛くなるほど見上げているという有り様だった。


 しかし上へ上へと向かっているわりに、建物そのものはひどく重たい雰囲気になっている。

 漆黒の石材のせいでもあるのだろうが、それ以上に全体が重々しく、窓もちいさめで、ごてごてとした装飾もただその重たい雰囲気を強調しているだけだった。


 規律が厳しい修道院らしいといえばらしいが、ここは刑務所だ、といわれても納得してしまいそうな建物である。


 大輔たちはその足元でしばらく立ち止まり、建物の威容に意識を奪われたあと、ようやく我に返ったように視線を下げた。


 街道から、細い道が修道院の入り口へ向かって伸びている。


 修道院の入り口には扉がなく、幅三、四メートルほどのアーチになっていて、そこにふたりの門番らしい人影があった。

 見ているあいだにも何人かがその門番のすき間を抜けてなかに入ったり、なかから出てきたりしていて、出入りに際してなにか書類でも提示しなければならないというわけではないらしい。


「とにかく、無事にたどり着けて本当によかった――」


 ソフィアは深く息をつき、それから大輔に向き直って、深々と頭を下げた。


「何事もなくここへたどり着けたのはあなた方のおかげです。本当にありがとうございました」

「いや、まあ、お互いの利害が一致したってことで充分だよ」


 大輔はぽりぽりと頭を掻き、ソフィアはそんな大輔の様子をくすくすと笑う。

 大輔はごほんと咳払いして、


「とにかく、なかへ入ろう。なかの様子も見てみたいし、安心するのはここなら大丈夫そうだと確信してからだ」


 街道から逸れて、修道院の入り口へ続く細い道を行く。

 あっという間に門番の前にたどり着き、一同は立ち止まった。


「あの――」


 とソフィアが代表してふたりの門番に話しかける。

 その門番は白いフードをかぶり、それぞれに長い物干し竿のような棒を持っていたが、いずれも若い女のようだった。


「わたしたちはカイゼルで革命軍に家も家族も破壊され、ほかに身寄りもない女たちなのですが、ここへくればすくなくとも衣食住は用意していただけると聞きました。もちろん、それに見合った働きはするつもりです。どうかなかに入れていただけませんか?」


 門番ふたりはフードをすこし上げ、ソフィアを見つめて、にっこりとほほえんだ。


「カイゼルでの悲劇は聞いています――ここまでもおつらい旅だったでしょう。どうぞ、なかでゆっくりと休んでください。働くことなど考えなくてもかまいません。まずは身体と心をゆっくり安めてください。さあ、どうぞ」

「あ――ありがとうございます」


 国でのつらい出来事、そしてここへ至るまでの旅を思い出したのか、女たちの目にうっすらと涙が浮かぶ。

 門番はそれを慰めるようにそっと背中に触れ、女たちを修道院の庇護のもとへと招き入れた。


 まずはカイゼルの女たち四人が通り、続いて燿、紫、泉の三人も門番のあいだを抜けて、最後に大輔も続く。

 しかし大輔が門番のあいだを通り抜けようとした瞬間、門番が持っていた二本の棒が大輔の前にがちりと立ちはだかった。


「わっ――な、なんだ?」

「いったいなにをしていらっしゃるのです?」


 門番がじろりと大輔を見る。

 それはまるで不倶戴天の敵を見るような目だった。

 大輔は思わず後ずさって、


「な、なにって、別になにもしてないけど――なにか失礼なことをしたかな?」

「失礼というなら存在からして失礼ですが」

「存在から!?」

「なぜ修道院のなかへ入ろうとなさったのです?」

「なぜって、そりゃ、なかが見てみたいし、そのためにここまできたんだし」

「ふむ――では、あなたはご存じないのですね」


 すこし警戒を解いたように門番は棒を引っ込める。


「ご存じないとは?」

「マグノリア修道院は、古くから絶対的な男子禁制です。いまだかつてただのひとりも男性が立ち入ったことはありません。ですから、残念ですが、あなたは修道院のなかに入る資格を持ちません」

「し、資格を持たないって」

「残念ですが、お引き取りください」


 門番ふたりは揃ってぺこりと頭を下げた。

 それはほとんど事務的な動作で、大輔はぽかんと口を開けたまま、澄ました顔の門番ふたりを眺めるしかなかった。

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