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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
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修道院にて 2

  2


 マグノリア修道院は、四人組の女と大輔たちが出会った小屋からまっすぐ北へ向かったところにあった。


 それは大陸の北西で、もともと大輔たちがこの世界へ現れたのは南の砂漠だったから、途中大陸ドラゴンに乗って移動したとはいえ、ずいぶん遠くまできたものである。


 時間も、それ相応に流れている。


 大輔たちが地球からこの新世界へやってきて、帰れなくなってから、そろそろ一年が経とうとしていた。


 もし地球にいたなら、燿たちもいまごろ学年をひとつ上がり、十七歳になっていただろう。

 ここでも時間の流れは変わりないが、日付が正確にはわからないから、いったいいつ誕生日を迎えたのかは定かではない。

 しかしそう考えてみるなら、燿たちも地球にいたころよりすこしは大人らしくなったようだった。


 まあ、それは新世界での経験もあるのだろうと大輔は思う。


 地球にいては一生かかってもできないような様々な経験を、新世界で過ごした一年でずいぶん体験している。

 その経験は、なにも知らなかった少女をほんのすこし大人にするには充分すぎるものだ。


「――それにしても、なんつー道だ」


 大輔は前方に続く風景を見て、思わずため息をついた。


 それはマグノリア修道院へ向かうための、唯一の道らしいのだが、山間を抜ける小川のような細い一本道だった。


 途中何度も曲がりくねり、山に沿ってあちこちへ抜けて、それでもなお続いている。

 すこし高い場所から見れば、まるで山のあいだを這いまわる細い蛇のようだろう。


 大輔がその道程を眺めていると、同行者である四人組のうちのひとり、ソフィアが背中に近づいて、同じように目を細める。


「修道院はまだ見えないでしょう」

「まったく。山のなかにあるんだろ、それは」

「山のなかというより、山のすき間というほうが正しいそうですが、わたしも詳しくは――なにしろ国から出るのもこれがはじめてなものですから」


 ソフィアは四人のなかでもいちばん年長で、意見をまとめて大輔に伝える役割を担っているらしかった。

 必然的に、会話の数はソフィアがいちばん多くなる。

 しかし大輔は、そのソフィアという年上の女性がいまだにはっきりと理解できなかった。


 やさしく、穏やかなひとであることはたしかだ。

 いっしょに旅をはじめて一週間ほど経つが、そのあいだ、環境やらなんやらでほかの三人には苛立ったり悲しんだりする様子が見られても、ソフィアだけはいつも毅然として、むしろ微笑んでさえいる。

 その心の強さは伊達ではない。

 それだけに本心というものがわかりづらく、正直に言って、大輔はソフィアが苦手だった。


 とくに、ソフィアは四人のなかでもっとも美しい顔立ちをしている。

 歳相応の落ち着きがあり、同時に蠱惑的な、なにか魔女的な雰囲気すらあって、大輔は経験的に美女にはなにかあると知っていたから、そういう意味でもさり気ない警戒を向けているのだ。


「本当にありがとうございます」


 不意にソフィアが頭を下げる。


「こうしてあなたたちがついていてくださると、それこそ大船に乗った気分でいられます」

「ほんとに気分だけだと思うね。あんまりぼくたちを信用しすぎないほうがいい」

「あら、またそんなことをおっしゃる」


 ソフィアはくすくすと笑って、その笑いは山間を抜ける強い風にすぐかき消された。


「あっ――」


 風は、ソフィアが頭に巻いている喪を表す黒い布さえ軽やかに解く。

 ソフィアはすかさず髪を押さえ、大輔は宙に舞った布をひょいと掴んだ。


「ありがとうございます――なんだかお礼を言ってばかりね」


 漆黒に塗りつぶされた布の下にあるソフィアの髪は、それとは対照的に輝くような金髪だった。

 その青白い肌も、しばらく付き合ってみれば色素が薄いせいだとわかる。

 黒い服を着ていたり、可能なかぎり肌を隠しているのは、喪に服す意味も群がってくる男たちをさらに刺激しないせいという意味もあるだろうが、それ以上に彼女自身の身体を守るためという雰囲気だった。


 ソフィアは慣れた手つきで布を巻き直し、また青い瞳で大輔を見る。


「あなたは、自分たちを信用しろ、とは言わないんですね。大抵の男はそう言います。自分たちはなにもしない、自分たちは信用しても大丈夫だ、と。だからこそ信用できないと思うのですが」

「あなたはひねくれてるね」


 大輔はちいさく笑う。


「そういう男たちのことは、ま、信用しないほうがいいと思うけど、信用しろっていうのはあなたに信用してほしいわけじゃなくて、自分たちはあなたを信用している、と伝えたいんだよ。こっちは敵じゃないと思ってるんだ、だからおまえたちもおれたちを敵だとは思わないでくれ、って」

「なるほど――男性の理屈ですね」

「もともと理屈は男のもんだ」

「それじゃあ、あなたは、わたしたちを信用していない、ということになりますね」


 その結論をなんとも思っていないように、ソフィアは平然と大輔と並んで立っている。


「わたしたちのことは信用していない、だから自分たちのことを信用する必要もない、と」

「そういうことだ。ま、七五三たちはともかく」


 と大輔は後ろを振り返った。


 一団は、ちょうど小休憩の途中である。

 丘に座り、身体を休めているが、燿を先頭に、三人は新たなに同行者となった「お姉さんたち」に興味津々で、話に夢中だった。

 その様子は、外見の違いを除けば仲のいい姉妹にしか見えない。


 ソフィアもその様子を振り返り、口元を緩める。


「とてもいい子たちですね。心がまっすぐで、芯が強い」

「あの子たちの強さは、あなたの想像をはるかに超えてると思うけどね。でもたしかに、この状況でああやって日常をやっていられる強さは偉大だ」

「あなたはそうではないと?」

「どう見える?」

「あなたも飄々として見えますわ――でも、たしかに、ほんのすこし、そういうふうに演じているところも」


 だからこのひとは苦手なのだ、と大輔は改めて思う。

 見抜かれたくないところまで見抜かれてしまうのは、男にとってあまり気分のいいものではない。


「あなた方は異世界人なのでしょう。向こう側の世界とは、どんなところなのですか?」

「別にどうというわけじゃない。ここと変わらないといえば変わらないし、なにもかもちがうといえばなにもかもちがうね」

「また、そういう言い方」


 ソフィアはすこしすねたように唇をとがらせる。


「本当はちがうことを考えていらっしゃるんでしょう?」

「む――そういうわけじゃないんだけどな。町の景色は、まあ、ちがうよ。こっちとは大きくちがうけど、それじゃあ住んでる人間までちがうのかっていえば、そういうわけじゃない。ここにいるような人間は向こうにもいるし、こっちにいないようなやつは向こうにもいない。人間に違いはないんだ」

「悪いひともいれば、いいひともいる?」

「そう。そしてほとんどはその中間だ」

「わたしの住んでいた場所とは、やはりちがいますね。わたしが住んでいたのは、右か左かのどちらか一方で、その中間はいませんでした。つまり、軍人か、そうでないか、ですけれど」

「カイゼルのことは詳しくないけど、軍人はえらいんだろ?」

「はい。いちばん上はもちろん国王ですけれど、その次にいるのは政治家ではなく軍人です。だから、軍人の娘として生まれた女は、必ず別の軍人の妻として嫁ぎます。それ以外の身分に嫁ぐことはありません。軍人の妻として、平民の女が選ばれることもありませんし」


 なるほど、と大輔はうなずく。

 同じ階級同士で繋がり合うからこそ、価値観がひとつに固定されるのだろう。

 それが強い男尊女卑が存在する理由なのかもしれない。


「そいつはいい世界だ、って言ったら怒られるんだろうな」


 大輔が冗談のように言うと、ソフィアもくすくすと笑う。


「本当にそう思っていらっしゃるわけじゃないでしょう」

「まあね。ぼくはだれかに頭を下げるのは嫌いだけど、頭を下げられるのも好きじゃない。ま、どっちか選べっていうなら、そりゃもちろん頭を下げられるほうを選ぶけどね。案外みんなそういうものなのかもしれない。笑い合えるのがいちばんだけど、どっちか選ばなきゃいけないってなったら」

「でも、その権利があるのは男だけです。女たちには、できれば笑い合いたい、などと思う権利もありません。カイゼルでは、女というのはただ子どもを生むだけの存在です。その子どもさえ、生まれたらすぐに取り上げられてしまう」

「子どもを取り上げられる?」

「立派な兵士に育てるため、子どもは必ず父親が育てるしきたりなのです。女と長く時間を過ごせば軟弱になってしまう、と。もちろん、女の子は別ですけれど――男の子は、まだ自分で歩けるようになる前から戦場へ連れて行かれ、命を理解する前に他人を殺してしまう」

「ふむ、なるほど。世界中、いろんなやり方があるもんだな。でもたしかに、ひとつの思想で染めてしまうのは効率的といえば効率的なやり方だ。人間的かどうかはともかく」

「もちろん、カイゼルで女たちがそれほどひどい生活をしているわけじゃありません。夫や子どもが戦争へ出ているあいだ、妻はただ広々とした家のなかでのんびりと過ごしているだけでよいのです。妻が妻としての役目を果たすのは、夫が家にいるときだけですから」


 その言葉の意味くらいは、大輔も理解できる。

 しかしかける言葉は見つからなかった。

 それは大変だったね、といえるほどカイゼルのやり方を理解しているわけではないし、反論したいわけでもない。

 ただ、理解しているかどうかはともかく、ここで適当にでも相槌を打って慰めるほうが男としてはいいのだろうという気もした。


 結局、大輔はなにも言わず、ただ振り返る。


「おーい、そろそろ行くぞー」

「はーい」


 燿たちの明るい声が返ってきて、ソフィアも一団に戻る。

 再びひとりになった大輔はこれから歩いていくうねうねと曲がりくねった道を眺め、まだまだ先は長そうだと息をついた。



  *



 いまはなきカイゼル王国の広い土地は、いまや革命軍の本拠地となっている。


 城下町のほとんどは破壊され、無事に残っているのは王宮くらいのものだったから、革命軍の本拠地といっても野営で、木の柵に囲まれた広大な敷地には四十万とも五十万ともいわれる革命軍の兵士たちが暮らしていた。


 一方、宮殿には革命軍の司令官、大湊叶とごく数名の幹部が住み着いていて、この日叶は宮殿の外までベロニカを見送りに出ていた。


「本当にいいの? 魔法で送ってあげるわよ」

「大丈夫です、歩いて行きます。いつまでも叶さまに頼ってちゃだめですから」


 いつものように黒地に襟だけが白いワンピースを着て、背中に自分の身体ほどもある大きな荷物を背負ったベロニカは、背伸びするように胸を張った。

 叶はちいさく笑い、その頭を撫でる。


「兵士も連れて行かなくて大丈夫なの? 戦闘そのものはいいとしても、途中でなにがあるかわからないわよ。あなた、かわいいんだから、山賊にだって襲われるでしょうし」

「山賊ごときには負けません。大丈夫です、ひとりで行って、マグノリア修道院を落としてきます」

「そう――でも、荷物持ちは連れていったほうがよさそうね」

「う……」


 身の丈ほどもある荷物によろよろとしていたのを見られたらしい。

 ベロニカがほんのりと頬を赤くして俯くと、叶はほかの兵士に命じて馬を一頭用意させた。

 その馬に荷物を移し、ベロニカはそのとなりに立つ。

 ベロニカの背丈よりもずっと大きい、栗毛の馬だ。

 しかし瞳は穏やかで、進めと命じないかぎり、辛抱強くベロニカのそばでじっと待っている。


「マグノリア修道院に着いたら――」


 と叶は目を細め、


「まず、そこにいる人間をすべて皆殺しにしなさい」

「――はい、叶さま」

「あの建物には使い道がある。可能な状況が続く以上、なかにいる人間だけを排除し、修道院そのものには攻撃しないように。もちろん、その状況が不可能になったら建物ごとすべて破壊しても構わないわ」

「はい。わたしも修道院のなかには興味があります。できるかぎりなかを調べて、それから攻撃をはじめたいと思います」

「そうね、そうしてちょうだい」

「では、叶さま、行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 ベロニカは馬の首のあたりを軽く叩いた。

 それだけで馬はゆっくりと歩き出す。

 背中に乗っているのは荷物だけで、ベロニカはそのとなりを歩いた。


 宮殿が見えなくなるまで、ベロニカは振り返らない。

 もう充分見えなくなっただろうというところでようやく振り返り、叶の姿が見えないことにほっと息をついた。

 もし見送る姿を見てしまったら、名残惜しくなってしまう。


 もう叶の庇護からは離れたのだ。

 これからは自分の力ですべてを行わなければならない。

 ベロニカは気合いを入れ直し、ワンピースのポケットを探った。


 そこには何枚かの魔術陣が入れてある。本来はふたり以上でなければ発動させられない魔法を、ひとりで使えるようにするための魔術陣である。

 ベロニカはそれを独力で作り上げ、その功績で革命軍のなかでも破格の扱いを受けていた。


 魔法使いが主流のいま、ベロニカは数少ない魔術師である。


 魔法も使えるが、それはあくまで自分の考えた魔法を実験するためだけにあり、本当にやりたいのは新しい魔術の研究だ。

 古い魔術式を分解し、構成を理解し、それを改良して、新たな魔術陣を作り上げる――そこまで可能な人間は、おそらく百年にひとりも現れないだろう。

 加えてまったくゼロから、つまり現存の魔術陣を参考にせず、新たな魔術陣を作り出した人間は千年にひとり、二千年にひとりというほどなのだ。


 おそらく魔法使いとしては人類史上最強である叶にさえ、新しい魔術陣を作成することはできない。

 その必要がない、という意味でも。


 ベロニカは一大都市と化した野営を過ぎ、まばらに植物が生える野原へ出た。

 その途中に大きな川があり、それを遡るように方向を変えて、川沿いを進む。

 途中、一度立ち止まって馬を休ませ、また歩き出すと、地面は前方に小屋のようなものが見えてきた。


 まだ休むには早いが、しかし次の小屋はいつになるかわからないし、休めるときに休んでおこうと決めて小屋に近づく。

 すると、その入り口にいかにも山賊ふうの男たちが四人、立っていた。

 山賊ふう、というのはつまり品のない、にたにたと笑うような表情と、常に酒に酔ったような目をしている男たちのことで、彼らはベロニカに気づくとまるで知り合いのように親しげな表情で近寄ってくる。


「よう、お嬢ちゃん、ひとりでなにしてるんだい。親はどこかな?」

「親はいない」


 ベロニカは立ち止まり、男たちを見回しながら言った。


「あたしが五歳のときに死んだもん」

「おっと、そいつは失礼。悪いことを聞いちまったな。お詫びになにか奢らせてくれ。ほら、馬はここに置いとけばいい。そのへんに生えてる草でも食ってるだろ」

「――あんたたち、らしくないね」

「らしくない?」

「なにが目的なのか、はっきり言えばいいのに――なんにしても、あたし、気に入った人間としか食事しない主義だから。あなたたちみたいな下品な男性と食事するくらいなら、餓死を選ぶわ」

「気の強いお嬢ちゃんだな、まったく」


 茶化すように言いながら、男たちの目に剣呑な光がぎらりと灯る。

 ベロニカはため息をつき、仕方なくポケットから魔術陣を描いた紙を取り出した。


「なんだ、そいつは?」


 男たちは不思議そうな顔をする。

 もし彼らに勝機があったとすれば、ベロニカが紙を取り出し、そこに手のひらを押し当てるまでの時間だけだった。


 ベロニカが魔術陣に手のひらを押し当て、ちいさく呪文を呟いた瞬間、その紙が宙に舞い上がった。

 男たちの視線がそれを追う――と、空中にふわりと浮かんだ紙から、鋭い刃先が無数に飛び出し、剣の雨となってあたりに降り注いだ。


「な、なんだこりゃ――」


 魔術陣がくるくると空中で回転するたび、遠心力で弾き飛ばされるように刃渡り二十センチほどの剣が飛び出してくるのだ。

 男たちは泡を食って逃げ出し、そのまま姿も見えなくなる。

 すると魔術陣はまたベロニカの手元に戻って、何事もなかったかのようにベロニカはそれをポケットにしまった。


「さ、行こ」


 馬の首をぽんと叩くと、馬はちいさく首を振って歩き出す。

 ベロニカはそのとなりに並び、小川のせせらぎを聞きながら北東へ進んだ。

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