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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
修道院にて
66/109

修道院にて 1


   万象のアルカディア



  0


 清く、正しく、美しく。

 そしてだれよりも強くあらんことを。

 ――マグノリア修道院



  1


 ほったて小屋のような、ちいさく小汚い宿である。


 とある山道の中腹にぽつんとあるそこは、旅人にとっては一種の道標のようなもので、街道沿いにはそうした店が点々と存在している。

 なかでもその小屋は比較的大きく、またこざっぱりしていて、居心地は悪くなかった。


「なにより料理がうまいよなあ」


 大湊大輔は麺をずるずるとすすりながら呟く。

 その料理、具体的な料理名は不明だが、地球でいうところのスパゲティのような、太い麺にソースと具材が絡んでいるものは、なかなかうまい。

 どちからというと地球的な味で、薄味が多いこの新世界にあっては珍しく、すこし地球へ帰ってきたような心地がするのだ。


「でもさー、せんせー」


 七五三燿も同じ料理をフォークにくるくると巻きつけながら、あたりを見回す。


 周囲、同じ食堂のなかには、彼らのほかに何組かの旅人たちがいる。

 あまり広くない食堂内はすべての席が埋まっていて、山を下ったところにあるなんの変哲もない街道沿いなのに、なかなか儲かっているようだった。


 燿はそうした客たちを見回し、呟く。


「なんで旅人って、身体がでっかくて髭生やしたおじさんばっかりなの?」


 そうなのだ。

 大輔たち以外の客はみな、むさ苦しい男ばかりなのだ。

 大輔はそれを視界に入れたくないというように見向きもせず、


「そりゃあ、おまえ、考えてみなさい。旅ってのはそう簡単なもんじゃないんだ。ぼくたちの場合は魔法があるからいいとして、もうじゃないときは野宿ひとつでも大変だぜ。寝てるあいだに猛獣に襲われるかもしれないし、山賊が出てきて身ぐるみ剥がされるかもしれないし。そういうなかでも旅をするってなったら、そりゃあ筋骨隆々のむさ苦しいおじさんになるだろうさ。それもふたり、三人組のな」

「ふうん、そっか。じゃあ先生なんか恵まれてるよね」

「恵まれてる?」

「だって、いっしょに旅してるのが美少女三人なんだもん」

「お、おう、自分で言うのか、それを」


 でもたしかに、と大輔は食事の手をすこし止め、同行者を見る。


 となりにいるのが、七五三燿である。

 地球にいたころは肩に触れるかどうかという長さだった髪は、このあいだ伸びて鬱陶しいという話になって生徒同士で切り合っていたから、いまでもほとんど変わらない長さのままだ。

 前髪は横へ流し、その下から好奇心旺盛な、きらきらとした大きな目が覗いている。

 たしかに、美少女と呼べないこともない、と大輔はうなずく。

 そして真向かいに座っている岡久保泉に目をやった。


 泉は話の流れを聞いていたから、品定めされるような気分でぴくりと身体を震わせる。


 岡久保泉はショートカットで、三人のなかでいちばん小柄かつ童顔な少女だった。

 その分、小動物的な印象が強い。

 ちいさくなってぷるぷると震えているような雰囲気が常にあって、地球にいたころはともかく、この新世界へきてからはずいぶん精神的に成長してはいたが、それでもまだまだ子どもの域を出ない十六歳である。

 これも、美女とは到底言いがたいが、美少女というならうなずいてもよかった。


 最後に、斜め向かいに座っている神小路紫。大輔が目を向けると、紫はにたりと笑った。

 ゆっくり品定めしてください、とでもいうような笑みだ。

 神小路紫は、そういうところがある少女だった。


 外見的に言えば、三人のなかでいちばん髪が長く、いちばん背も高い――といっても燿と二、三センチしか変わらないが。

 目は切れ長で、いつも涼しげだが、細められると涼しいを通り越して冷たくなるのが玉に瑕だった。

 大輔はむしろ、冷たい視線のほうが馴染みになっているくらいだったが、それはともかくとして、性格を考えないなら紫もたしかに美少女といえる。


 三人とも教え子で、美人かどうかというのはどうでもいい話だったが、たしかにいっしょに旅をするにおいて筋骨隆々で髭を生やした男たちといっしょよりは、彼女たちといっしょのほうが気分はいい。

 その分、子守が大変なところもあって、結局はどっこいどっこいという気もしたが。


「そういえば、先生」


 紫は長い指でフォークを持ち、意味ありげにくるくると麺を巻きつけながら言う。


「聞いたことなかったし、比較的どうでもいいっていうか、別になんの興味もない話ではあるんですけど」

「そんなに嫌々なら聞くなよ」

「先生って、恋人とかいたんですか?」


 からん、と音が響く。

 大輔のフォークが皿に落ちた音である。

 大輔はフォークを拾い上げ、はっはっはと笑う。


「当たり前だろ、恋人のひとりやふたり、この超絶大天才大湊大輔にかかれば」

「手が震えてますけど?」

「生まれつきなんだ、知らなかったか?」

「なるほど、いないんですね。もしかして、いままでできたことないとか?」

「ま、まさか。冗談だろ。そんなわけないって。いやマジで」

「いなかったんですね――かわいそうに」

「かわいそうって言うなっ。ばかにしていいけどかわいそうって言うな!」

「でも先生、結構モテそうなのにね?」


 無邪気な目で燿が言う。

 その無邪気さが、いまの大輔にはナイフのように突き刺さる。


「頭もいいし、顔はまああれだけど」

「あれってなんだよ。そこまで言ったんならはっきり言えよ」

「顔はまあ普通です」

「なんでそんなにうれしそうなんだ、神小路? おまえはあれか、ひとが苦しむのを見てにたにた笑うタイプだな?」

「そんなことありませんよ。ひとが苦しんでいたら手を差し伸べるのがわたしの信条です。ただ例外がある、というだけで」

「ぼくは例外かい――ふ、ふん、別に女なんかどうでもいいんだ。じゃあ言わせてもらうけど、女と付き合ったらなにかいいことがあるのか? 爆発的に頭がよくなるとか、雪だるま式に資産が増えるとか、そういうなんか心惹かれるような特典があるのか? ないだろ、別に。だからぼくはあえて女とは付き合わないようにしているのだ。いいか、あえて、だぞ」

「あー、はいはい、あえて、ですね」

「めんどくさいみたいな言い方すんなっ」

「先生、学生のときからそんな考え方なの?」

「う――な、七五三にまで憐れまれるとは。うう、ぼくはもう生きていけない」


 椅子に座っていなければ膝でも抱えてうずくまりたい気分だった。

 しかしふと気づいて、顔を上げる。


「ぼくの話はともかく、おまえらはどうなんだよ。そこまで言うんだったら、恐ろしい数の体験談があるわけだろ?」

「え、た、体験談?」


 泉がぴくりと肩を震わせる。

 紫はその背中をぽんぽんと叩きながら、平然と、


「わたしたちはまだ若いですから、そんなもの必要ありません。放っておいてもそのうち向こうからくるでしょうし」

「ぐ、ぐぬぬ、こんなときばっかり正論を言いやがって……」

「ねえねえ、付き合うならどんなひとがいい?」


 燿が机に身を乗り出す。

 紫はうーんと考えて、


「まあ、とりあえず、普通以下のひとがいいわ」

「えー、普通以下? 普通よりできないってこと?」

「そう。だって普通以下の男なら、なんでも従ってくれそうでしょ。わたし、完全に支配したいのよね」

「わー、ゆかりんっぽい!」

「……それは付き合っているというのか?」


 主人とペットの関係ではないか、と思うが、指摘するとごく当たり前のように肯定される気がして、恐ろしくて口には出せなかった。


「泉ちゃんは? 付き合うならどんなひとがいい?」

「え、あ、あんまり考えたことないけど……やさしいひと、とかかなあ? あと、あんまり怒らないひととか。燿ちゃんは?」

「あたしはねー」


 燿はなぜかうれしそうな顔をして、明るく答える。


「強いひとがいい!」

「強いひと? 戦ったら強いってこと?」

「なんか、強そうな感じのひと。角とか生えてたりして」

「それはもはやひとではないけどな」

「そういう強そうなひとがいいなー」


 夢見るような燿の目つきだった。

 そういう意味では少女らしいが、見ている夢がどうにもずれているようで、大輔はため息をつく。

 燿はその大輔に目をやって、


「先生は?」

「あ?」

「先生はどんな女のひとが好きなの?」

「あー、そうだなあ」


 大輔は腕を組み、何気なく三人を見る。


 いったいどんな異性が好みか。

 それはなかなかむずかしい問題だった。

 そもそも人間、自分の好みをしっかり理解するということがむずかしく、本当に自分にあった人間というのはどんなものなのかは、そうそう気づけるものではない。


 ただ、言えることは、


「とりあえず、おまえたち三人のだれとも似てないひとがいいな」

「えー、なんでー」

「おまえたちのだれに似ててもめんどくさいだろ、あらゆる意味で。あとあれだ、大人がいい。ちゃんとまっとうに生きてる大人の女のひとがいいな。頭がよくて、っていうのは別に学歴とか知識云々じゃなくて、他人の言うことを理解できる程度には頭がよくて、まあ顔は別にどうでもいいけど、落ち着きがあってしっかり自立してるひとがいい」

「先生先生、そんな高望みしてるから彼女ができないんですよ」

「う、うるせえ! 真実はときにひとを傷つけるんだぞ」


 そもそもなぜこんな話をしているのだ、と大輔は疑問に思い、皿に残っていた麺を平らげる。

 それと同時に、離れた机からわっと声が上がった。


 なにかと振り向けば、いかにも旅人ふうの、日に焼けた屈強な男たち三人がひとつのテーブルを囲むように立っている。

 男たちの格好はいずれもぼろぼろの服で、髭を生やし、その顔にはにたにたとなんとなくいやらしい笑みを浮かべていた。


「別にいいだろ。なにもしやしねえさ。いっしょに飯でも食おうってだけじゃねえか、なあ?」

「そうさ。おれたちがおごってやるよ。気楽に食って飲もうぜ」

「で、ですから――」


 男たちに埋もれるように、女の声が聞こえてくる。


「その、困ります。わたしたちはなにも――」

「おれたちだってなんにもしやしねえよ。あんたら、旅人だろ? おれたちといっしょだ。仲間みたいなもんさ。仲良くやろうじゃねえか」

「しかしその格好、修道院にでも行くのかい? やめときな、そんなところへ行くのは。修道院なんかぬるま湯みたいなもんさ。刺激もなにもねえぜ」

「それよりおれたちといっしょにいたほうがいろんな刺激に満ちあふれて楽しいと思うけどな。あんたらもまだ若いんだしよ」


 品のない笑い声が響く。

 男たちの影からちらりと見えた女たちの表情は、いずれも困ったような、怯えているような顔だった。


 彼らはずいぶん前からその女たちを取り囲み、ちょっかいを出していたらしい。

 そのときまで大輔も、客のなかに女がいるとは気づいていなかった。


「燿、強そうって、ああいうやつらのこと?」


 紫が男たちの背中に軽蔑の視線を向けると、燿もぶんぶんと首を振る。


「あんなのちがうよっ。あれは偽物だもん。ほんとに強いひとには角が生えてたり鱗があったりするんだから」

「それひとじゃねえよ。ま、気にすんな、こっちもさっさと食って出よう。まだまだ先は長いんだし」

「え、む、無視するんですか?」


 泉がじっと大輔を見る。

 気が弱い泉からしてみれば、男たちにちょっかいを出されて断りきれない女たちがかわいそうに見えるらしい。


「無視ってことはないけど、ああいう厄介なことに自分から首を突っ込んでるときりがないだろ。いままさに首を切り落とされようとしてるなら無視するわけにもいかないけど、あれはそこまで切羽詰まってるわけじゃないし」

「で、でも――」


 まだなにか言いたげだが、言葉がうまく出てこない。

 そんな泉に、紫がなにか耳打ちをした。

 泉はすこし戸惑ったような顔をしたが、結局意を決して、大輔に向かって言う。


「そ、そんなだからモテないんですよ、先生」

「それ神小路に言えって言われただろ!」

「だって、先生、あのひとたち、かわいそうですよう」

「そりゃかわいそうだとは思うけど、ま、旅をしていればこんなこともある。女だけの旅は、だから危ないんだ」


 新世界の住人がそれを知らないわけではないだろうに、と大輔はもう一度女たちに目を向けた。


 男たちのすき間から見える女たちは、全部で四人で、どれも喪服のように黒い服を着て、頭を黒い布を覆っていた。

 喪服にしてもこの地方では見かけない風習だから、おそらくはどこか別の土地からやってきたのだろう。


 女四人、いくら四人いっしょでも危ないことはわかっているだろうに、それをなぜ強行したのか。

 途中で同行者の男がいなくなったのかもしれない。

 否応なく女四人での旅を強いられているのだとすれば、たしかにこんな道端の宿でだれの助けもなく男たちに絡まれているのはかわいそうだった。


 とはいえ、結局かわいいのは我が身であり、ここで正義の味方として割って入るほど、大輔は他人思いではなかった。

 男たちに絡まれているだけならなんとかなるかもしれないし、騒ぎになるようなら店主も見逃さないだろう。

 なにも自分が出る幕ではない、と大輔は前に向き直り、う、とうめいた。


 三人の教え子の、なにかしてやれよ、とでもいうような視線を真正面から浴びせかけられたのだ。


「で、でも、見ろよ、ぼくのこのひ弱な身体を。この身体で、あいつらに敵うと思うか?」

「先生ならできるよ、きっと!」

「おい他人事だな七五三」

「女のために殴られるのもときには必要ですよ」

「殴られる前提やめてくれる? あの腕で殴られたら首飛んでっちゃうだろ」

「先生……」

「う――お、岡久保、そのうるうるした目でじっと見つめるのはやめろ。自分が凄まじい悪党になった気がする――わ、わかったよ、なんとかしてくりゃいいんだろ? あーもうめんどくさい」

「わあ、さっすが先生、かっこいいー!」

「調子がいいやつらめ……」


 はあ、とため息をつき、仕方なく大輔は立ち上がった。


 大輔たちが座っていた机から男たちが囲んでいる机まではそう離れていない。

 どうしようかな、と腕を組んで三歩ほど歩くと、もうその背中に到着してしまう。


「あー、諸君、紳士諸君、ちょっといいかな」

「あ? なんだ、てめえ」


 ただ話しかけただけなのに、男たちはじろりと大輔を睨みつけてくる。


 まず背丈からして大輔とは大きく差があった。

 大輔は日本人として平均的な身長だったが、男たちはひとりひとりが二メートル近い。

 それが日に焼けた丸太のような腕を見せつけ、ぐっと睨みつけているのだ。


 大輔は、恐ろしいとは思わない。

 肉弾戦では適わないし、魔法でどうにかするには準備が足りないこともわかっていたが、しかし負けるとは思っていなかった。


「ぼくは通りすがりの天才だけど、どうやらそのひとたちも困っているみたいだし、ここはひとつ紳士らしく振る舞ってみてはどうかね」

「うるせえな、てめえには関係ねえだろ」

「なるほど、そうきたか。しかし関係ないわけじゃなくてね。実はその淑女方は、ぼくの妻なんだ」

「はあ? うそつくんじゃねえよ。てめえ、さっきまであっちでガキといっしょに飯食ってたじゃねえか」

「ぼくたちは大陸の東にあるスージーというちいさな島の出身なんだけど、そこじゃ夫婦は決して同じ机で食事しないんだ。スージーにはいくつか掟があってね、それを律儀に守っているわけなんだけど、まあそういうわけで勘弁してくれないか」

「どういうわけで勘弁しなきゃなんねえんだよ?」

「だから、こういうわけさ」


 大輔は男のひとりが腰に帯びていた剣をするりと抜いた。

 男たちが身構え、周囲の客が争いの気配を察して慌ただしく遠ざかる。


「てめえ、やる気か!」

「おっと、誤解をしてもらっちゃ困る。きみたちに敵意はないんだ」


 大輔はにこりと笑い、剣を持ったまま両手を上げ、男たちのあいだをすり抜けた。

 そしてなにをするかといえば、その剣先を、怯えた顔の女にすっと向ける。


「お、おい!」


 焦ったように声を上げたのは男たちだった。

 大輔は平然と、青白い顔をした女を見下ろす。


「うちの島では、こういうしきたりなんでね。妻が不貞を働いたとき、罪があるのは相手の男じゃなくて妻のほうだ――たとえそれが力づくだったとしても。不貞を働いた妻はその場で斬首と決まっている。だから、この場で四人の妻たちの首を斬らせてもらう」


 大輔の感情が存在しないような目は、とても冗談を言っているようには思えなかった。


「じょ、冗談じゃねえ、おまえ、おかしいぜ――おい、やめだ、行くぞ」


 男たちは恐れをなしたように机から離れた。

 大輔は剣を男に返し、にこりと笑う。

 それさえも恐ろしいらしく、屈強な大男たちは逃げるように店を出ていった。


 まわりの客はもちろん、助けられた女たちですら状況がわからないようにぽかんと口を開けていた。

 大輔は説明もせず、席に戻って、息をつく。


「これで満足かい、お嬢さんたち」

「先生すごい! あっという間に追い払っちゃった」

「だろう、だろう。もっと尊敬したまえ。そして叫びたまえ、全宇宙的天才にして人類叡智の極点、あとにも先にも比類ない神にも等しい存在、大湊大輔大先生と――」

「あの!」


 大輔の口上を、後ろから女の声が遮る。

 なんとなく邪魔をされた気持ちで大輔が振り返ると、くだんの四人組の女性が立ち上がり、長く黒い裾を引きずりながら大輔たちの席に近づいてくる。


「あの――ありがとうございました」

「いや、ぼくは助けるつもりなんてなかったから、お構いなく」


 四人とも、二十代半ばから三十前後程度の女である。

 たしかに旅をするには若いし、またなんとなく気品があり、美しい。

 日ごろ女に飢えた男たちが群がるのもうなずけるような四人組ではあった。


 女だけの奇妙な四人組だが、それを言うなら大輔たちも男ひとりに少女三人という奇妙な四人組である。

 女たちはしげしげと大輔たちを眺めたあと、ようやく本題を切り出した。


「あの、あなた方をとても親切で聡明な方とみてご相談するのですが」

「聡明というか、まあ、超聡明とでもいうか」

「先生、ちょっと黙っててください」


 紫がぴしりと言って、


「それで、どうかしたんですか?」

「はい、あの――なぜこのような女四人で旅をしているのかと不思議に思われるでしょう。女四人だけだからあのようなことになるのだ、と。わたしたちはいま、ある修道院を目指しているのです」

「修道院?」


 肌が青白く、なんとなく病の気配が感じられるような女がこくりとうなずく。


「マグノリア修道院という場所なのですが、ご存じありませんか」

「ああ、マグノリア修道院――」

「知ってるの、先生?」

「もちろん直接見たことはないけど、名前と噂は聞いてる。マグノリア修道院っていえば、この地方どころか大陸でいちばん大きな修道院だよ。そういや、たしかこのへんだったな」

「へえ――」

「そうです、その修道院を目指して、無力な女四人で旅をしているのです」

「なるほど、ちょっとは理解できた。それにしても、女四人の旅は危険だ。せめて金で用心棒を雇うなりなんなりしないと、この先も同じことの繰り返しになる」

「はい、わたしたちもそれはわかっているのですが――」


 女たちは目を伏せ、悲しみに唇を震わせた。


「もとはといえば、わたしたちは大陸の西にあるカイゼルという国の人間でした」

「あの軍事大国の」

「そうです――そこでわたしたちは比較的高い地位にありました。わたしたち四人の夫はみな軍人で、カイゼルでは軍人の地位がもっとも高いわけですから、必然的になに不自由ない暮らしをしていたのです。しかしそこへ革命軍が攻めてきて、すべては変わりました」

「革命軍――」


 燿たちは顔を見合わせる。


「革命軍は、カイゼルのすべてを破壊しました。市街地は瓦礫で埋まり、ひとびとは殺され、王宮は占領され――わたしたちの夫もみな革命軍との戦いのなかで倒れました。わたしたちの子どもも」

「ふむ――」

「わたしたち自身はかろうじてカイゼルを脱出できましたが、しかしカイゼルを出たところでなにができるというわけではありません。革命軍には殺されずに済みましたが、金もなく、家もないわたしたちにはどうすることもできないのです」

「なるほど、そりゃまあ、お気の毒に」


 いま、世界中で革命軍が動いている。

 そのなかでこうした悲劇は決して珍しいものではないだろう。

 そして同時に、こうした悲劇を好ましいものとして受け取る人間もいる、ということだ。


 彼女たちは、カイゼルではいわゆる富裕層だった。

 平民の生活など知らずに生きていたにちがいない。

 そこで革命が起こり、富裕層は急激に身分を落として路頭に迷うことになったわけだ。

 革命前の平民や、カイゼルという軍事大国に苦しめられた経験のある国のひとびとはその出来事に「ざまあみろ」と言うだろう。


 悲劇のあり方はひとつではない。


 そして悲劇は特別な存在ではない。


 どこにでもあり、どのような見方もできるが、共通しているのは本人が悲劇だと感じるそれが悲劇なのだということだ。

 本人にとっては決して笑いごとではない、自分の身に迫った重大な問題なのである。


「そうして革命軍に家と家族を奪われたひとびとは大勢いるそうです」


 女たちは続ける。


「カイゼルにも、革命軍に対抗する組織の一員と名乗るひとがいました」

「革命軍に対抗する組織?」

「グランデル王国をご存じですか。かつてはさほど大きい国というわけではなかったようですが、革命軍が世界中で猛威を振るうに従い、その難民などを受け入れ、巨大化し、いまや革命軍に対抗できる軍隊を持っている唯一の国です」

「へえ、そんなものがあるのか。それで、その国の人間がカイゼルにも?」


 女はこくりとうなずいて、


「壊滅したカイゼルで、わたしたちのように夫や子ども、家をなくした者や、反対に両親を失った子どもの世話をしていました。その方に、マグノリア修道院のことを聞いたのです。そこにはわれわれのようにすべてを失った女たちが大勢いて、くるものは決して拒まないと。そこへさえ行けば、細々とでも生きていくことはできるだろうと――それでわたしたちはマグノリア修道院を目指して、たった四人で旅立ったのです。もちろん用心棒を雇うお金もありません。こうして食事ができることすらまれで、だれか親切な方に恵んでいただくしかありません。もちろん女四人ですから、山賊のような男たちに狙われることも今日がはじめてではありませんでした。いままではなんとか無事にやり過ごしてきましたが、これからも同じようにやり過ごせる保証はどこにもありません。むしろいままでが幸運すぎたのでしょう」

「うーん、まあ、そうかもしれないなあ」


 話を聞きながら、大輔はまずいなと感じている。

 話の流れからして女たちがなにを「相談」したいのかは明らかだったし、大輔はともかく、ほかの三人、燿、紫、泉がそれにどう反応するかも手に取るようにわかるのだ。


「だから、お願いです」


 女のひとりが腰をかがめ、座っている大輔の手をぎゅっと握った。

 顔色が優れないわりには、情熱的なしっとりとした手だった。


「どうかわたしたちといっしょにマグノリア修道院まで行っていただけませんか。報酬は、なにもありませんが――」

「マグノリア修道院まで、ねえ……」


 無駄だと思いつつ、大輔はちらりと三人を見た。

 燿、紫、泉の反応は予想通りだ。

 助けてやろう、そうしなければ、という顔で大輔を見ている。


 大輔としては、いちばん優先すべきは自分たちの安全である。

 そのためには厄介事に首を突っ込まず、どんな状況も見て見ぬふりで通り過ぎるのがいちばんだが、それは理想論でしかなく、現実的にそれが可能かといえばまったく可能ではない。


 自分たちの安全は、つまり、自分たちが健全に生きていること、と言い換えてもいい。

 健全に生きるとは肉体がただ存在しているだけの状況ではない。

 より能動的な生、精神に含んだ生を、健全に生きているという。


 この場合、もしこの四人組を見捨てたなら、肉体は無事かもしれないが、精神が健全ではなくなるのだろう。

 自分たちが見捨てたせいであの四人組になにかが起これば、より健全な精神状態ではなくなる。


 つまるところ、優先すべき自分たちの安全は、厄介事でも首を突っ込み、とにかく困っているだれかを助けることで守られるのだ。


「はあ――しょうがないなあ」


 大輔はぽつりと言った。

 仕方ないのは、もちろん生徒たちのことだ。


「わかったよ。あなたたちを無事にマグノリア修道院まで送り届ける。報酬は別に必要ない。どうせぼくたちもあてがある旅じゃないし、それに、マグノリア修道院にはぼくも興味がある」

「本当ですか――ありがとうございます」


 女たちはその場に跪き、深々と礼をする。

 それは男系が強いカイゼル王国の、女だけが行うへりくだった礼の仕方だった。

 大輔はどうもそういうものに慣れず、ぽりぽりと頭をかく。

 そのとなりで、燿はにこにこと笑い、大輔の腕を引っ張った。


「せんせ、せんせ」

「なんだ?」

「先生、やっぱり格好いいよ!」

「はあ? そりゃあおまえ、ぼくは超絶天才なんだから格好いいだろうさ」

「超絶天才とかどうでもいいけど」

「いやよくない、よくないぞ」

「先生、やっぱり基本的にいいひとだもん。困ってるひとを見捨てたりできないひとだもんね」

「それはおまえらだと思うけどな」

「またまた、尊敬しちゃってー」

「それを言うなら謙遜な。おまえほんとばかだな」

「ば、ばかじゃないもんっ」


 困っているひとを見捨てられない、というのは燿の思い違いだと大輔は思う。

 本当の大湊大輔という人間は、それほどやさしくもないし、慈悲深くもない。


 そのことを説明するのに、あの大湊叶の弟なのだ、といえば簡単だろうと大輔は思うが、燿にはそんな説明も通じそうにはないし、通じたとしても意味はないから、わざわざ言うことではなかった。


 しかし本当の大湊大輔は、燿たちが見ている大輔の心の奥にある。

 ひとつ目的を決めれば、そこへ向かっていくことに手段は選ばない。

 冷徹だが、強固な人間。

 冷徹な人間というのは、周囲に奪われる熱がない分、強く独立しているといえる。

 温かな人間は、持っている熱量は多いが、それを周囲に振りまいたり奪われたりして、結局自分のために使えるエネルギーがすくなくなってしまうのだ。


 もちろん、ひとに好かれるのは温かな人間だろう。

 触れて氷のように感じられる人間より、毛布のような温かみのある人間のほうがいいに決まっている。


 要は、どちらを取るか、という話だ。

 ひとに好かれる弱さを選ぶか、ひとに嫌われる強さを選ぶか。


 大輔は強さを選んだ。

 そう自分では思っていたが、この新世界にきてから、そうでもなかったのかもしれない、と思うようになっている。


 行動の発端はもちろん燿や泉の親切だが、そうやって自分に関係ないことに首を突っ込み、たとえばだれかの苦悩をひとつ取り除けたとして、そこに喜びのようなものを見出している自分もいるのだ。

 すくなくともすべてが終わったあと、こんなものは完全な無駄足だった、とは思わない。

 こういう経験を積んでいくことも必要だ、と肯定的に捉えている時点で、冷徹にはなりきれていない。


 大湊叶は、そのあたりが徹底している。

 なにかの理由で親切をしたとしても、そのあとに満足感を覚えることなどないだろう。

 やってもやらなくても同じ、つまり道端の石に目をやるか、それとも無視して通り過ぎるかという程度の差に過ぎず、どちらを選んでも精神状況は変化しない。


 叶は冷徹だ。

 だからとてもなく強い。

 だれにも頼らず、自分ひとりだけで圧倒的な強さを発揮できる。

 本来周囲へ費やすエネルギーを自分のためだけに使えるせいだ。


 大輔はその強さを羨ましいと思っていた。

 その強さに対抗するためには、自分も同じように強くならなければならない、と。

 しかし同時に人間味を捨ててはならないとも感じていたから、それは矛盾した試みで、結局その矛盾は解消されないまま、叶に対抗できるような強さは得られなかった。


 そうではないのだ、と大輔は不意に気づく。


 叶に対抗するためには、同じ方法で強くなるのではない。

 おそらくはその反対、叶が選ばなかった方法を突き詰めた先に、叶に対抗できる手段が見つかるのだろう。

 叶が選んだ道は、すでに叶が頂点を極めている。

 たったひとりで、冷徹に、だれの手も取ることなく進むというやり方は。

 生まれつき人並み外れた叶だからこそ極められた道にちがいないから、生まれつき人並み以下の才能しかなかった大輔があとを追っても追いつけるはずがないのだ。


 まったく別のやり方で、叶に対抗する手段を探す。

 それは冷徹になり、強さを得るのではなく、ひとりの人間としての温かみを持ちながら、それで得られるものを武器として使うということなのかもしれない。


 そうだとしたら、ここで彼女たちを助けるのは、決して燿たちの心のためだけではない。自分が強くなるために必要なことだ。


「――マグノリア修道院か。よし、いっちょ行って、見学してやるか」

「本当にありがとうございます」


 女たちは深々と頭を下げ、燿たちはわっと声を上げる。

 大輔はその状況を見ながら、さっそくマグノリア修道院に思いを馳せているのだった。

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