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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
洞窟の人々
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洞窟の人々 8

  8


 小人たちの住む洞窟の奥深く、その暗闇に紛れるようにして存在していたものは、地球上のどんな生物とも類似が見られないような、奇妙な外見の生物だった。


 まず、異様に大きい。


 高さと幅がそれぞれ二メートルほどある洞窟を完全に塞いでいる。


 そして手足か、あるいは触手か、太い腕のようなものが数えきれないほど生えていて、それがナマズのようにうねうねと動き、洞窟の地面や壁を這い回っている。


 そうした触手は紫色の体毛で覆われていて、ところどころに白い斑点があった。


 触手はどこから生えているのかといえば、胴体ともいうべき丸いもので、直径一メートル半ほどの丸い物体には紫色の体毛が生えていない。

 しかしその代わり、表面にびっしりと赤い突起物が並んでいて、それがなにかといえば、すべてぎょろぎょろと動く目なのである。


 強いていうなら水中で暮らすイソギンチャクのような、その中央に充血した禍々しい目を数えきれないほど並べたような生物だが、その異様さや大きさを見るとイソギンチャクと似ているとは思えなかった。


 とくに、そんなお世辞にも美しい外見とはいえない生物が暗闇からぬっと現れ、数千個の目を同時にぎょろつかせ、数十本の触手をうねうねとくねらせているのを見れば、だれでも背筋にぞくりとしたものを感じざるを得ない。


「う――こ、こっちにきてからいちばん気持ち悪い生き物かも」


 基本的にどんなものにも順応できる燿でさえ、その生物には頬を引きつらせて身を引いた。

 人間基準で見れば、それほど醜悪な生物なのである。


 一方叶は、とくに不快そうな顔も見せず、しげしげとその生物を眺めて観察している。


「いったいどこから現れたのか知らないけど、結構この環境に適応した身体なのね。あの目は、この暗い洞窟のなかですこしでもよく見ようとしてるんだろうし、腕だって視力に頼れない分あたりを探る必要があるからああなってるんでしょうし。でももともとはもうすこし光がある場所に住んでたんでしょうね――そうじゃないと、光がまったくないこの環境なら目は進化じゃなくて退化していくはずだから」

「れ、冷静に分析してる? お姉さん、すごいなあ……」

「でも、あなた、あれと戦うのよ」


 叶は横目で燿を見て、にやりと笑った。


「ちなみにわたしは手を貸さないから、がんばってねー」

「え、た、助けてくれないの?」

「ここで見てるわ。もし食べられたりとかしても、ちゃんと大輔には伝えておくから」

「う、うう……」

「だめよ、そんな捨てられた子犬みたいな目で見ても。わたしサディストだから、余計に苛めたくなるし」

「さ、さでぃすと……」


 燿は叶の説得を諦め、松明を握り直して、改めてその奇妙な生物を見た。


 普段、光がまったくない場所で生活しているらしいその生物には、松明の光が眩しすぎるらしい。

 無数の目を慌ただしくぎょろつかせ、触手を動かして光を遮ろうとしているようだった。


「あ、あの、お名前は?」


 燿が言う。

 その生物は、もちろん答えず、ただ燿から逃れるようにほんのすこしだけ後ずさった。


 その分、燿が一歩前に出る。

 しかしそれは不用意に近づきすぎていた。


「あっ――」


 触手の一本が、素早く地面を這う。

 そして鞭のようにしなり、燿の目の前でぐっと立ち上がって、その手を弾く。


 唯一の光源である松明がからんと落ちた。

 その音に反応したのか、別の触手が動き、松明をさらに奥へと弾き飛ばす。


「あ、あ――取られちゃった」


 明かりを失って、燿は困ったように自分の両手を見下ろした。


 松明は、その生物よりも奥のほうでまだ燃えている。

 そのおかげで視界がまったくないというわけではなかったが、まるで武器を取られたような心細さを覚えて、燿はわたわたとあたりを見回す。

 変わって武器になるようなものはないか、と考えて、足元に転がっていたちいさな石を拾い上げた。


「こ、これで攻撃してやる……えいっ」


 石はぽんと飛んで、空中で触手に弾き飛ばされ、砕け散る。

 燿は触手の力を目の当たりにしてその場に立ちすくんだ。


「う、ど、どうしよう……」


 燿が立ちすくんでいるあいだ、その生物のほうから攻撃を仕掛けてくるようなことはなかった。

 しかしだからといってこのままで済むはずもなく、この生物をなんとかしなければさらに奥にあるという薬も手に入らないし、リリたちとの約束も果たせない。


 しかし武器もなくこんな生物を倒せるものだろうか。

 燿は考えながら、無意識のうちに叶へと視線を向けている。


 叶はまさに我関せずというように壁にもたれかかり、腕を組んで、ぼんやり燿を眺めていた。


「あら、どうしたの、もうおしまい? 薬は諦めたのね」

「うっ……ま、まだがんばるもん。でも、どうやって倒したらいいの?」

「弱点がないわけじゃないでしょう。どんな生物にも弱い場所はあるわ。そこを突けばいいんじゃない?」

「弱い場所?」


 薄闇に蠢く紫色の生物を見る。


 はじめて見る生物の弱点がどこか、など、そう簡単に見抜けるものではない。

 もしかしたら触手のどこかに弱点があるのかもしれないし、触手ではなく胴体のどこかにあるのかもしれない。

 たとえば、胴体の裏側とか、と燿は考え、ありそうな話だとひとりでうなずくが、ではどうやって胴体の裏側を攻撃するかといえば、なんの案も浮かんでこなかった。


「う、うう……」


 そもそも、燿は戦いというものが苦手だった。


 性格的に好きではない、ということもあったが、それ以上に周到に作戦を練るということが苦手で、ひとつの物事を考えつつ別の進行も頭の片隅に置きつついろいろな状況を想定する、ということができないのだ。

 それを日常的にやっている大輔や紫は、燿からすればちょっと頭がおかしい人間たちだった。


 もちろん、戦いに作戦が必須というわけではない。

 作戦を立てないなら、圧倒的な力で押し切ればいいだけのことだ。

 しかし燿には、それだけの力がない。

 考えなしに突っ込んでいって、この生物をどうにかするだけの力は。


 燿ひとりでは、魔法を使うこともできない。

 魔法を使えない魔法使いは、ただの非力な人間だ。

 それも、この状況から逃げ出すこともできない非力な人間。


 それでも燿は必死に考える。

 あの生物に、なにか弱点はないか。


 燿がじっと考えているあいだ、その生物もまた、なにか深く考え込んでいるかのように動かず、無数の目だけを慌ただしく動かしている。


「う、じゃ、弱点なんかわかんないよっ。ねえ、なにかヒントは?」


 すがるような燿の視線に、叶は腕を組んで、


「戦いの基本は、相手の物理的に弱い場所を狙うってことだけどね」

「物理的に弱い場所?」

「身体的な欠点といってもいいけど。たとえば、相手が攻撃範囲の狭い武器を持っていれば、その間合いの外から攻撃する。反対に攻撃範囲が広い武器なら、いっそ距離を詰めて、相手の理想的な間合いより近い位置で戦うようにする」

「な、なるほど……」


 その状況をいまの相手に当てはめるなら、この生物の武器はやはり触手だろう。

 触手の長さは一本あたり三、四メートルはありそうで、反対に燿の間合いは両腕が届く範囲、一メートルを切った距離である。

 これでは、敵の間合いの外から攻撃を加えることはできない。


「つ、つまり、こういうこと!」


 燿は意を決し、ばっと駆け出した。


 相手の間合いのほうが広いなら、そのさらに内側、触手の根本まで行ってしまえばいいのだ、と考えたのだ。


 しかし、燿がその奇妙な生物の胴体に到達する前に、無数の触手がうねうねと動いて燿の足を絡め取った。


「ぎゃああっ、ぜ、ぜんぜんだめじゃん!」

「あはは」

「騙されたー! う、わっ、うう、ぬめぬめしてて気持ち悪いっ」


 触手は燿の足にするすると巻き付き、まるでタコのように締め付けてくる。

 しかもその触手の表面は粘液のようなもので覆われていて、手で解こうにもぬるぬるとしていて掴むことさえできなかった。


「わっ、わっ――」


 触手は燿の両足を捕らえ、さらに身体へ巻き付こうとしている。

 その力は恐るべきもので、締め付けられた足に激痛が走った。


「ちょ、ちょっと、待って――こ、このっ」


 とくになにを目的としたわけではないが、燿はとにかく足元にあった石ころを拾い上げ、胴体に向かって投げる。

 すると一瞬、触手の拘束が緩くなって、そのあいだに慌てて這い出し、距離を取った。


 足を見ると、巻き付かれていた部分が鬱血している。

 ほんのわずかな時間でもそれだけの強さで締められたのだ、全身を締め付けられれば、身体中の骨は数分も保たないにちがいない。


「う、お、お姉さんの嘘つきっ」

「あなたが遅いのよ」


 叶はけらけらと笑う。


「方法自体は悪くなかったわ。ただ、もっと早く相手の間合いに入らなきゃ、そりゃあただ捕まるだけでしょ」

「う、それもそうかも……」


 しかし燿としては全速力で駆け寄ったつもりだった。

 それ以上に素早く相手の間合いに入るなど不可能なのだ。


 紫色の生物は、また触手をうねうねと波打たせて様子を見ている。

 燿は荒く息をつきながら必死に作戦を立てようとしたが、これといってなにも浮かばず、ただ時間だけが過ぎる。


 そうしているあいだにも大輔は病に苦しんでいるのだ。

 一刻も早く薬を持って帰らなければならない。

 しかしそのためには、この生物をどうにかしなければ。


「――考えててもしょうがないや。とにかく、突っ込めー!」


 燿はわあと掛け声を上げ、再び紫色の生物に突っ込んでいった。

 そうするしか、方法はなかったのだ。



  *



 洞窟の奥から掛け声や叫び声、悲鳴のような声まで、いろいろな声が聞こえてくる。


 暗闇のなか、ある程度ならあたりを見通せる小人たちだが、洞窟の奥でいったいどのような戦いが起こっているのかはわからなかった。


「あの子ら、大丈夫なんかなあ……」


 リリは心配そうに呟き、洞窟の奥を見た。


「あのばけもん、結構強いで。さすがに魔法使いでも、あかんのとちゃうかなあ……」

「しかし、わしらでも敵わんからな」


 ビルダッドはいくらか現実的に、しかしやはり心配そうな色も見せ、腕を組んだ。


「あいつのせいで、わしらはひどい目に遭うとる。あいつがきてからわしらの町まで魔力がこんようになっとるからな。なんとかしてあいつを退けな、わしらが息絶えてまうんや」

「それはそうかもしれんけど……でもやっぱり心配やなあ」

「そりゃあ、心配や。悪い子やなさそうやしな。わしらのためにも、あの子らのためにも、なんとか無事に倒してほしいもんやけど――」


 本来ならそれは、小人たちがするべきことだった。


 しかし平均慎重が十四センチの小人たちにとって、二メートルを超えるくだんの生物は、とても自分たちでどうにかできるものではない。

 高度な文明を持ち、武器もあるが、それでも小人だけでは限界があるのだ。


 だからといって、そう簡単に外の人間に頼ることもできない。

 小人族と外の人間たちはすでに関係を経っていて、突然人間たちの村へ押しかけて「助けてくれ」とは言えない。

 だからこそ、燿と叶の存在は渡りに船だった。

 ふたりが魔法使いだというのも、ほとんど奇跡的な偶然だ。


「なあ、あたしらはなんか協力してあげられへんのかな?」


 リリが言う。

 ビルダッドはううむとうなって、


「協力してやりたい気持ちはあるんやけどなあ。変にあの場所におったら、それこそ足手まといやろ。魔法使いの戦いに参加できるわけでもないし」

「うーん、そうやなあ……」

「わしらにできること言うたら、外の人間より穴掘りがうまいことくらいやからな」

「う、なんとなく情けないような……」


 しかしふと、リリは思いついた。


 穴掘りが得意なら、それで燿たちを助けることができないか。

 自慢の掘削機を使えば、大きな穴でも簡単に開けられる。

 穴を開けることがなんの役に立つかはわからないが、ここでぼんやり突っ立っているよりは、いくらか燿たちの協力になるのではないか。


「お父ちゃん、ちょっと町に戻って、みんなと相談してみいへん? なんかええ案が出るかもしれへんし」

「そうやな、それがええかもしれん」


 と返事をしたあと、ビルダッドはふとリリを見て、


「おまえ、ほんまにわしの娘か? なんかリリにしては賢すぎるような……」

「実の娘ばかにすんなや! あたしは天才やっていっつも言うてるやろ」

「おお、リリか。賢いこと言うから別人かと」

「んなわけあるか。あほなこと言うとらんで、はよ町に戻るで」


 リリはくるりと踵を返し、もときた道を戻りはじめる。

 ビルダッドは娘の成長にうれしいような寂しいような気持ちになりながら、そのあとを追った。


 リリが不意に立ち止まったのは、洞窟をしばらく戻ったところだった。


「どうした、リリ?」

「なんか聞こえへん?」

「ん?」


 言われて、ビルダッドも耳を澄ませる。


 すると、たしかになにか聞こえていた。

 足音のようなものだ。

 それは洞窟の入り口のほうから聞こえていて、ひとつではない。


「人間の足音やな――だれかくるぞ。リリ、隠れろ!」

「わかってる――わっ、おっとっと」

「あほか、転けてる場合かっ。はよどの穴でもいいから入れ!」


 ふたりは傍らにあった、いまでは使われていない都市へ続く穴へ入る。


 それからしばらくして、そこに足音が近づき、そしてゆっくりと、ぎこちなく通り過ぎていった。


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