洞窟の人々 7
7
「小人さんたちは、みんなこの洞窟に住んでるの?」
「洞窟に住んどるわけやないで。もっとおしゃれな家があるんや」
燿の肩にちょこんと座り、足をぶらぶらと揺らしながら、リリは自慢げに胸を張った。
「洞窟のなかにところどころ穴があったやろ?」
「そんなのあったっけ?」
「なんや、気づかへんかったんか。注意力が足りへんなー。とにかく、洞窟のいろんなところに穴があるんや。そこから、もっと地下の空間につながっとる。そこに町があるわけやな」
「へー、もっと下に町があるんだ。小人の町、行ってみたいなー」
「残念やけど、そのでかい身体やったら無理やろうなあ。でも、たしかに見てみる価値はあるで。なんちゅーてもあたしらの町やからな。そりゃあもう、おしゃれやし近代的やし、外の人間の町なんか遠く及ばんくらい芸術的やしな! たとえば、階段とかあるやろ、それが乗ったら自動で動き出すようになってるんや。足場なんかふわふわ浮いてるしな」
「へー」
「あいつ、絶対に見られへんと思って好き放題言うとるなあ」
叶の足元をとことこと早足でついてくるのは、リリの父親、小人のビルダッドである。
「ほんまは階段も動かへんし、なにも飛んでへん普通の町やけどな」
「お父ちゃん、そんなほんまのこと言うたらあかんねんで! 夢はもっと高く広く持たな!」
「夢っていうかおまえのは嘘やろ」
「う、嘘ちゃうで、あれや、希望的観測ってやつやもん」
「いくら希望でも町は空飛ばへんやろ」
「と、飛ぶかもしれへんやろ。明日朝起きてみ、めっちゃ飛んでるから」
「あー、期待しとるわ」
「ぐ、ぐぬぬ、むかつく反応や……なんか投げつけるもんないか」
なんとなく空気が湿気たような薄暗い洞窟も、よくしゃべる小人ふたりを連れていけば怪しげな雰囲気は一切なくなる。
燿にはそのほうが好都合らしく、松明をかざして先へ進みながら、けらけらと笑っていた。
洞窟内の分かれ道まで戻り、そこから燿が選ばなかった左側の道へ進みはじめてから、かれこれ二十分ほど経っていた。
そのあいだ、洞窟の様子にはほとんど変化がない。
相変わらずでこぼことした道が続いていて、ときおり、その地面や壁に穴が見られる。
それらのすべて町なのかと叶が聞くと、ビルダッドは首を振って、
「あれは古い町やな。もういまは使ってへんねん」
「古い町?」
「ここはご先祖さんが作った土地やからな。いまは使ってへん古い町がいくらでもあるんや。まあ、大抵はどっか崩れとったりして、やむなく町を移動させた場合がほとんどやから、古い町言うても入られへんところのほうが多いけどな」
「ふうん――それじゃあ、あなたたちは代々この洞窟に暮らしているのね」
「甘いなあ、お嬢ちゃん。わしらは洞窟に暮らしとるんやなくて、わしらが暮らしてる場所が洞窟になるんや。このへんの土はみんなご先祖さんが掘り返したもんやからな。それが積み重なって山になり、居住区のあいだを行き来するための巨大な通路としての洞窟ができたわけや」
「じゃあ、山って小人さんのおかげでできたの?」
燿が言うと、リリはそのとおりと胸を張る。
「小人を舐めたらあかんで。外の人間にはできへんようなことも小人にはできるからな」
「洞窟に住み着いた化け物は倒せないけど?」
「う……い、言うやないか、カナエ。でもな、ひとつ教えたる。あたしらはばけもんを倒せへんわけちゃうねん。あえて倒さへんねん――いまあたしええこと言うたで。そうや、倒されへんのやなくて、倒さへんのや!」
「なんのために?」
「へ?」
「なんのために化け物を倒さないの? 結構化け物のために苦労してるんでしょ」
「う――そ、それは、あれや、なんていうんか、勝者の余裕ってやつやな、うん。あたしらがやったら、そりゃあもうぼこぼこのべこべこやから、ばけもんがかわいそうやろ。だから勘弁したってんねん」
「ところで、洞窟のなかに化け物がいたらどうして困るの? そのあたりをまだ聞いてなかったけど」
「無視か! 無視はあれやで、いちばんやったらあかんやつやで!」
「直接的な被害があるわけやないんや」
「う、お父ちゃんまで無視するか……」
かわいそうに、と燿は指一本でリリの頭を撫でる。
「や、やめえや、力の加減間違えたら首ぐきってなるから。現時点でも結構首ぐりんぐりんなってるし。もう一回言うで、首ぐりんぐりんなってるし」
「まあ、ひとつの間接的被害っちゅーんか、ばけもんのほうでも自分がわしらを困らせてるとはわかってへんと思うけどな。お嬢ちゃん、外の人間やからわからへんかもしれんけど、わしらは基本的に魔力っちゅーもんで生きとるんや」
「へえ、そうなの。小人って魔力で生きてるのね」
「お、なんや、魔力がわかるんか」
「わたし、魔法使いだもの。一応、そっちの子もね」
ビルダッドは叶と燿を交互に見て、ははあ、と息をついた。
「そうやったんか。いや、見た目によらんもんやなあ」
「どう見えてたのか気になるけど、まあ、とりあえずそれは置いとくとして――小人には魔法使いがわかるのね」
「当たり前や。いや、外の世界ではもうほとんどがおらんようになったって聞いとったもんやからな。そうかそうか、魔法使いがまだおったか。それは心強いな。魔法使いやったらあんなばけもんもイチコロやろ」
「――まだ、って、どういう意味?」
「ん? そりゃあ、昔はようけおったやろ、魔法使いが。でもいまはほとんどおらんっちゅー話や」
「昔はたくさんいた、ね――じゃあ、あなたたちもそのころからこの土地に住んでいた」
「ご先祖さんがな。わしらはそこまで長生きちゃうで。ま、それでも人間よりは長生きやけど」
「――もしかしたら」
「ん、なんや?」
「この洞窟に万病に効く薬があるっていうのは、そのことだったのかもしれないわ」
「どういうことや、お嬢ちゃん」
「つまり、魔力がすべての病気や長寿に効く薬ってこと。魔力は、言ってみれば生命力の過剰分だから、生命力が足りない人間にはそれを補充してやればいいってことね。なるほど、それなら納得できるわ。わたしが言ってたのもあながち冗談じゃないみたい」
「お嬢ちゃんが言うとったこと?」
叶はビルダッドを見下ろし、にこりと美しい笑顔を作って、
「小人を食べたら大きくなるって話。さすがに大きくはならないでしょうけど、魔力を多く持っている小人を食べたら、長寿くらいにはなるかもしれないわ」
「いい笑顔でなに怖いこと言っとるんや!? お、お嬢ちゃん、なかなか愉快な性格しとるなあ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「ううむ、その受け取り方は間違いやと思うが……」
ともかく、人間ふたり、小人ふたりの計四人は洞窟のなかを歩いていく。
途中、再び分かれ道があった。
小人の案内でそこをさらに左へ行ったが、仮にその案内がなかったとしても、紫と泉には左側の道にはなにかあるとわかっただろう。
洞窟のなか、風はない。外へは繋がっていないのだから、当たり前だ。
しかし左の道からは、冷気のように魔力がするすると這い出していた。
普段から魔力に接し、その扱いに長けた魔法使いでなければわからないほどだが、たしかに左の道からは周囲よりも濃い魔力が感じられるのだ。
炎は、その見えない魔力を感じ取っているかのように慌ただしく揺れている。
というのも、魔法で作った炎は、本物の炎のように見えて、性質が大きく異る。
言ってみれば本物の炎のように見えるだけの「もの」であり、その本質はといえば、爆発的に拡大した魔力が再び収縮し、具体的に形を取ったものにすぎない。
要は人間の目に見えるようになった魔力だ。
だからこそ、魔法使いが望めば、その炎はどんな形にでも姿を変える。
燿が松明として使っている枝があっという間に燃えてしまわないのは、それ以上は燃えないように調整しているおかげだ。
やろうと思うなら、触れても熱くない炎さえ作ることができる。
魔法を使えば様々なものを作り出すことができるが、魔法で作り出したものはどれも本質的には変わりない。
炎、雷、石ころ、水、風、なんにしても、それは魔力である。魔力の見え方が様々になるだけで、中身はすべて同じものだ。
魔法使いは、言い換えれば魔力を様々な形に変形させられるものだった。
魔力という意味では魔法使いは万能だが、魔力がまったく存在しない世界、たとえば地球では、魔法使いはその力を使えない。
魔力に満ちた新世界でしか、魔法使いはなんの役にも立たない。
しかし、新世界に暮らしている人間には、なぜかその魔力というものが理解できないらしい。
身の回りになんにでも使える魔力が存在しているというのに、新世界の住民はまったくそれには気づかず、低い文明レベルで生きている。
それは魔法使いから見ればおかしな話だった。
魔力さえ活用すれば、地球文明よりさらに進んだ都市や生活を実現できるのに、と。
実際、世界中に存在する超古代の遺跡には、魔力を生かした都市作りの片鱗が見られる。
完全な形で残っている遺構はすくないが、それでもいくつかの遺跡には、明らかに魔力の使用を前提とした都市の名残があるのだ。
そうした超古代都市は、いったいだれが作り上げたのか。
地球からやってきた人間たち、つまりいまでいう魔法使いたちが、自分たちの能力を使って作り上げたのか。
それともかつてはこの新世界の人間も魔力を使うことができたのか。
もしそうだとしたら、なぜいまのひとびとは魔力を使えなくなったのか――。
その疑問は、叶が探し求めているナウシカにもつながっている。
ナウシカ。
それがいったいどういうものなのかはわからない。
新世界で見つけたある古文書に、その名前が出てきただけだ。
その古文書に、ナウシカは「世界を破壊する、あるいは世界を創造するもの」と書かれている。
つまり、それだけ巨大な兵器か、あるいはなんらかの力を宿した宝というわけだ。
世界を破壊するだけの兵器なら、叶も興味はない。
世界を破壊するだけならいまの叶でも容易に可能だ。
しかし世界を創造するとなったら、魔法使いには不可能な、神の領域となる。
「――ねえ、小人さん」
「ん?」
「あなたたち、ナウシカを知っている?」
問いかけながら、叶はビルダッドとリリの反応を注視していた。
しかしふたりは顔を見合わせ、首を振る。
「なんや、それ。だれかの名前か?」
「まあ、そんなところよ」
ふたりとも嘘をついているようには見えなかった。
本当にナウシカについては知らないのだ。
小人のあいだにも伝わっていないのか、あるいはこのふたりが知らないだけなのか。
「しかしお嬢ちゃんらが魔法使いやったとはなあ。まだようけ仲間がおるんか?」
「んー、いまのところいっしょに旅をしてるのは、あたしを入れて四人だよ」
燿は松明を振りながら言った。
「お姉さんはね、いまだけいっしょにいるの。ね?」
「そう。普段は敵同士だから」
「敵同士? なんや、ややこしい関係やな」
リリは燿と叶の顔を交互を眺める。
「別に仲悪いようには見えへんけどなあ」
「仲が悪いわけじゃないのよ。とくに、この子とはね。この子の仲間に、わたしのことを大っ嫌いな人間がふたりいるってだけ」
「あー、なるほどなー。嫌われるのわかるわ」
「頭から丸かじりしてあげましょうか」
「や、やめてや! うう、考えただけでもぞっとするわ」
リリは燿の肩で身体をぶるりと震わせる。
燿はそれを笑って、
「お姉さん、そんなに悪いひとじゃないよ。たぶんね、いいひとだと思う。あんまりよく知らないんだけど」
「あんまりよく知らんのによう言うたな――お、そろそろやで。ここらへんからは慎重に進んだほうがええな」
燿はぴたりと立ち止まり、松明をすこし身体から離して、洞窟の先を照らした。
道はまだ続いている。
一見、変わりはないが、すこしずつ魔力が濃くなっているのは叶も感じていた。
新世界には、こうした魔力の溜まり場のような場所が何箇所か存在する。
この洞窟の奥や、ほかには大陸ドラゴンの巣があるアリシア山脈の一部などがそうで、そうした場所には伝統的に魔力を必要とする生物が住み着いていることが多い。
小人たちもおそらくその理由でずっとこの洞窟で暮らしているのだろう。
化け物というのも、魔力に惹かれてやってきたのかもしれない。
「す、進んでも大丈夫かな?」
珍しく不安げに、燿が叶を見る。
「歩いてたら、突然下からばくって食べられたりしないかな?」
「そういうこともあるかもね」
「あ、あるの?」
「安心して。もしあなたが食べられても、大輔たちにはわたしからちゃんと、あなたはこういう生物に食べられましたって報告してあげるから」
「そこは助けてよっ。うう、やっぱりお姉さん意地悪だ……」
「それがわかってていっしょにきてほしいって言ったんじゃないの?」
叶は腕を組み、すこし勝ち誇ったように言った。
「それとも、ほんとにわたしがあなたを助けると思った?」
「う――思った、っていうか、いまでも助けてくれると思ってるよ」
赤い炎に揺れる瞳が、まっすぐ叶を見つめている。
「お姉さんは、先生のお姉ちゃんなんだから、きっといいひとだもん」
「ふうん――大輔もよくそこまで信用されたものね。まあ、わたしには期待しないほうがいいわ。もしかしたら気まぐれで助けることはあるかもしれないけど、基本的にあなたを助ける理由はないし、あなたがどうにかなって大輔が怒ったり泣いたりするほうが楽しそうだし」
「げ、外道やな、あんた」
リリが身を引きながら言う。
しかし燿はうんとうなずいて、
「その気まぐれに期待してるね」
そして、ゆっくり先へと進んでいった。
松明の炎の揺らめきが、そのままおうとつの大きな壁に映っている。
足跡はふたり分、いままでよりも速度を落とし、一歩一歩を確かめるように鳴らしていた。
――と、すこし前方の闇が、ずるりと動いた。
燿がびくりとして立ち止まる。
その肩に座ったリリも緊張したような表情で、叶の足元にいるビルダッドはさっそく後ずさりはじめている。
「例のばけもんは、この先におる。わしらは邪魔せんようにちょっと戻ったところにおるから、心置きなく戦ってくれ。リリ、下りてこい」
「う、うん、そしたら、がんばってや。応援してるで!」
リリはするすると燿の身体をすべり降り、父親といっしょに暗闇の道を戻っていった。
そして燿と叶はふたりきりになる。
燿は叶をちらと見て、叶はその視線に気づかないふりをして前方に視線を向けている。
暗闇のなかに、なにかがいる。
それもちいさなものではない。
なにか大きなものが蠢いているのがわかる。
しかし物音は聞こえず、ただわずかな空気の流れと気配を感じるのだ。
「じゃ、じゃあ、行くね」
燿はごくりと唾を飲み込み、できるかぎり松明を前方に突き出して、また一歩、踏み出した。
松明の明かりが一歩分だけ未来を照らす。
そこにはまだなにもいない――しかし一瞬、紫色のなにかが明かりの隅をかすめていった。
もう一歩、燿は進む。
松明の明かりも一歩分進んで、かろうじて、紫色の物体が照らし出された。
「わっ――な、なに、これ」
「――なるほど」
叶は思わずうなずく。
そこにいたのは、たしかに「化け物」だった。




