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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
洞窟の人々
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洞窟の人々 5

  5


「――あれ、人形?」


 燿がそう声を上げると、横たわったちいさな人間は、びくりと肩を震わせた。

 それは明らかに人間的な反応だが、人間というにはあまりにちいさすぎる。


 頭から足先まで、わずか十五、六センチだ。


 ともすれば間違えて踏んづけてしまいそうなほどちいさく、そこらへんにいるミミズのほうが大きいだろうというような人間である。


 しかし見れば、各部位は細かくできていて、髪も一本一本が流れているし、うつ伏せになった背中から足、靴に至るまで、人間をそのままちいさくしたようだった。


 まさか、それほど精緻な人形がこんなところに落ちているはずもない。

 そもそもそれは、燿の言葉に反応してぴくりと動いたのだ。


 そのちいさすぎる人間は、白いTシャツのようなものとジーンズのようなものを身に着けている。

 靴も履いているし、長い髪の後ろには洗濯バサミのような髪飾りをつけていて、下手をすれば新世界の住人よりも地球人に近いような身なりだった。


「人形……じゃない気がするけど、でも、人間じゃないよね?」

「ひっ――」


 そのちいさなものが、またびくりと動く。

 おまけにちいさく声まで上げた。


 ははあ、と叶はうなずき、にやりと笑って、燿の肩を叩く。


「あれ、人形よ」

「え、ほんと? さっき動いてなかった?」

「気のせい気のせい。ねえ、気のせいよねえ?」


 ちいさな人影はぴくりとも動かない。

 まるで人形になりきっているように。

 叶はくすくすと笑いながらその人形に近づき、ひょいと拾い上げた。


「わわっ――」


 ちいさな人間は思わず声を上げたが、しまったという顔で自分の口を塞ぎ、それから人形だという設定を思い出して、両手をだらりと下げてされるがままになる。

 しかし緊張しているのか、その顔を汗がたらりと伝っていた。


「ほら、人形よ」

「えー、ほんとに?」


 燿も叶の手のひらにいるそれを覗き込んだ。

 指先で、頬をつんつんと突く。

 もちろん、それはやわらかい弾力を返してきて、突かれたほうはしばらく耐えていたが、あまりに何度もしつこくつついたせいか、ついに、


「ええい、やめろ! 首がもげるわ!」

「わっ、しゃべった――人形じゃないよ、これ!」

「だれが人形や、あほ! あたしらは誇り高きナーガや! 人形とは失礼やなっ」


 ちいさな人間はきいきいと高い、しかしちいさな声でまくし立て、叶の手のなかでじたばたと暴れる。


「ええい、離せやあほんだら! いつまで掴んでんねん、離せ、離せ!」

「ふうん、小人のくせに偉そうね。なんならこのまま握りつぶしてもいいけど」

「ひ、ひいっ――あんた鬼か? それとも悪魔か? うう、たしかに根性悪そうな顔してるなあ」

「あなた、どんな生き物でも長生きはできないわね。じゃ、ひと思いにぐしゃっと」

「や、やめえや! 冗談や、ちょっとした冗談やないか、まったく、これやから外の人間はあかんねん、冗談やってことくらい目ぇ見たらわかるやろ、あほやなあ」

「いったいなにが冗談なのかわからないけど、まあ、手が汚れるのも嫌だし、握りつぶすのは勘弁してあげるわ」

「そ、そんな理由!? 恐ろしいやっちゃで、ほんまに――」


 ちいさな人間は無事地上に降ろされ、ふうと額の汗を拭う。

 燿はその場にしゃがみこみ、体長十五センチの小人を眺めた。


「わあ、ほんとにちっちゃい。かわいー。でも人間といっしょだね」

「当たり前や、ちっちゃいからってばかにすんなよ」


 小人は腰に手を当て、きっと燿を睨みつける。


「そもそも、なんや、あんたら。ここはあたしらの縄張りや。勝手に入り込んで、態度でかいんとちゃうか。でかいのは身体だけにしときや」

「ここ、あなたたちのおうちなの?」


 燿はあたりを見回す。

 しかしどこにも家らしいものはなく、ただ洞窟の地面や側面に二十センチ程度の穴が空いているだけだった。

 その穴も、家というにはあまりに味気ない。


「あの穴のなかに暮らしてるの?」

「あほなこと言いな、ここ全体があたしらの家や」

「全体?」

「つまり、ここはあなたたちの巣ってことね」


 叶は納得したようにうなずく。


「そもそもこの洞窟や外の小山は、あなたたちが地面を掘って作ったり、その土を積んだりしてできたものなのね。道理で自然にできたにしてはおかしいと思ったわ」

「へー、この洞窟、あなたたちが作ったの? すごいねー。ねえねえ、ちっちゃいけど、飛んだりとかできるの?」

「ばかにすんなよ、ジャンプくらいできるわ。ほれ」

「わっ、かわいい!」

「ぎゃあっ、触んなや、力の加減ってやつを考えて!」

「なるほど、ちいさいけど人間と同じようによくできてるのね」


 しげしげと小人を眺め、叶はふと呟く。


「そのちいさな脳みそじゃろくな思考ができるとは思えないけど。どっちかっていうと生物で重要なのは脳の総量じゃなくて身体を占める割合だっていうけど、それにしても絶対的にちいさすぎるものねえ。一匹解剖して確かめてみようかしら」

「あ、あんたなに怖いこと言うてんねん。っていうかさっきからあんただけナチュラルに怖いで!?」

「それにしてもよくしゃべる小人ねえ。ちょっとうるさいから口を塞いで、と」

「いやいやいや! 発想が悪党すぎるやん!」

「冗談よ、そんなに逃げなくたって」

「冗談には聞こえへん迫力があるけどな……と、とにかく、あんたら、さっさとここから出ていき。どうせこの奥は行き止まりやし、外の人間がほしがるようなもんなんかないで」


 燿と叶は顔を見合わせる。


「ねえ、小人ちゃん」

「だれが小人ちゃんや。あたしには歴とした名前があるんやで」


 ちいさいながら、小人は胸を張る。

 外見を見るかぎり、まだ少女のような年ごろだったが、しかし小人の年齢による変化は叶もわからないから、本当にその個体が若いのかどうかは未知数だった。


 そもそも、本当に小人のようなものが存在していると確信できるだろうか。

 叶はふと、これは幻覚かもしれないと考える。

 魔法を使えば、複数の人間に同じ幻覚を見せることは可能だ。

 決して一般的な魔法ではないが、過去、革命軍に一時身を寄せていたブラックという魔法使いは、そうした魔法を得意にしていた。


 燿はともかく、叶は命を狙われる理由ならいくらでも存在する。

 間接的にせよ、直接的にせよ、叶はいままで数えきれないほどの罪を犯してきたのだ。

 そのうちひとつでも取り上げれば、復讐の理由になる。


 しかし燿は、そこまでは考えず、目の前にいるものをそのまま受け入れているようだった。

 燿はぺたんと床に座って、できるだけ小人と視線を合わせて――といっても十五センチのものと視線を合わせることは困難極まるが――名前を尋ねた。

 すると小人はふんと鼻を鳴らし、


「ひとに名前を聞くときは、まず自分から名乗るべきちゃうんか。そんなことも知らんとは、外の人間は程度が低いなあ」

「さあ、とりあえずうるさい小人は踏みつぶして先へ進みましょうか」

「ぎゃああっ、じょ、冗談やんか! さっきからあたし冗談しか言うてへんし! 名前くらいいくらでも教えたるやん、そんなぴりぴりせえへんくてもええやろ――あたしの名前はリリや」

「へー、リリちゃん。かわいい名前だねー」

「せやろ。ま、あたし本人のかわいさには遠く及ばへんけどな! で、あんた、名前は?」

「ヒカリっていうの。こっちのひとは、カナエさん」

「ヒカリにカナエか。ふうん、どっちもまあまあの名前やな。顔もまあまあやし、お似合いやけど――な、なんや、また踏むんか? ほんまに冗談通じんやっちゃなあ」

「小人の戯れ言はどうでもいいんだけど」

「戯れ言!?」

「わたしたち、あるものを探してるのよ」

「そう!」


 燿も目的を思い出したようにぱちんと手を打つ。


「リリちゃん、あたしたちね、苔を探してるの」

「苔? なんや、それ」


 小人のリリは不思議そうに燿の顔を見上げる。


「外の人間は、苔なんかほしがってるんか?」

「外の人間っていうか、あたしたちがどうしてもほしいんだけど――ねえ、この洞窟にあるかな? なんでも病気が治るっていう苔なんだけど」

「病気が治る苔ぇ?」


 リリは驚いたように言って、それからけらけらと笑い出した。


「そんなもん、あるわけないやろ。苔で病気が治ったら苦労せーへんわ。どこでそんな話聞いたんか知らんけど、そんなもんないで。残念やったな」

「えー、ないの? ほんとに?」

「ほんまほんま。そんな苔なんか聞いたことはないわ」


 燿は叶を見る。

 叶は首をすくめた。


「単なる伝説だからね。まあ、ここに住んでいる小人がないっていうなら、本当にないんでしょう」

「そうそう、これは冗談ちゃうで。しかしそんなもん探しにきたんか?」

「うん……大事なひとがね、病気なの。それで、どうしてもその病気を治せるものが必要なんだけど」


 燿はうつむき、悲しげに呟く。

 その表情にリリはうっと後ずさって、


「ま、マジなやつやん、それ。勘弁してほしいわー、冗談にできひんやつやん。そんなにひどい病気なん?」

「うん、熱も高いし、意識もあんまりないみたいだし……」

「あー、それはあかんな。あかんやつや」

「うう――」

「わっ、な、泣くんか? 泣くなや、冗談やん。大丈夫やって、そんなんすぐ治るって。一日寝たらさっぱりや。病気っていうんはそういうふうにできてねん。だからあんまり気にせんとき。どうせ生き物はいつか死ぬんやし」

「あなた、一言多いわよねえ」

「ねえ、ほんとになにもないの?」


 燿は真剣な顔でリリを見下ろす。


「病気を治すもの、本当に知らない?」

「悪いけど、これは冗談やなくて、ほんまにどんな病気でも治す苔なんか知らん――」


 とリリが言いかけたときだった。


 叶の後ろから、声が響く。


「それはもしかしたら、グリムのことちゃうか?」


 振り返った先に立っていたのは、髪を短く切り、こざっぱりとした身なりの四十歳前後の男だった。


 しかしもちろん、その大きさは十六、七センチであり、人形のようにちいさい。

 そんな男が洞窟の地面や側面に無数に空いている穴のひとつから現れたのだ。


「わ、男のひともちっちゃい」

「グリムか。なるほどなー、それやったらたしかにわかるわ」


 リリがうんうんと頷いているあいだ、現れた男は燿と叶をじっと見上げて、


「外の人間は久しぶりに見るけど、やっぱりでかいなー。いったいなに食ったらそんなでかなるんや?」

「主に栄養豊富な小人かしらね」

「こ、小人を食うんか!?」

「それで、ちっちゃいおじさん、グリムってなんなの?」


 燿が男の前にちょこんと座って言うと、男はうむとうなずいて、


「グリムなら、たしかに大抵の病気を治せるで。あんたんのとこの病人が治るかどうかは知らんけど、まあ、普通の薬よりは効き目があるやろ」

「そのグリムって、どこにあるの? どうしてもそれを持って帰らなきゃいけないの」

「洞窟の途中に分かれ道があったやろ? あんたらはその右を選んだこっちにきたと思うけど、あそこを左にずっと行くんや。そしたらその行き止まりのところにある。ただ――」


 男は、ふと顔を伏せる。

 その仕草で、叶はだいたいのことを理解した。


「なにか問題があるってことね」

「そうや。そこは、外の人間たちからしたらただの行き止まりに見えるかもしれんが、わしらにとっては重要な場所なんや。でもちょっと前からそこに妙なもんが住み着いてな、わしらではどうしても退かせられへんし、かといってこのままずっと住み着かれるわけにはいかへんしで、困っとったんや。でも外の人間のあんたらなら、あれを退かせられるかもしれん」

「ちょっとお父ちゃん、そんなん勝手に言うてええん?」


 とリリが言うと、その父親らしい男は首を振って、


「勝手に言うとるわけやないんや。おまえがごちゃごちゃしとるあいだに、奥でみんなで話し合って決めたことやからな」

「つまり、そのグリムってものを受け取る代わりに、あなたたちにとって邪魔なものを排除してほしいってことね。もしかしてそのためにここで待ってたの?」


 リリは一瞬ぎくりとした顔をしたが、すぐに平静を装い、胸を張る。


「ま、まあな。そういう計画のもと、ここであんたらを待ち受けとったんや」

「嘘つけ。外の人間がきた言うて逃げたときに、おまえ、ただ転けて逃げ遅れただけやろ」

「お父ちゃんがなんか喚いとるけど気にせんといて。あのひと、ちょっとおかしいねん。最近暑いしな」

「父親をおかしいひと扱いすなっ」


 リリの父親は深くため息をつき、改めて燿と叶を見た。


「どうや、ふたりとも。そっちはグリムを探しにきたんやろ。どっちみち、グリムを採ろうと思ったら例のばけもんを始末せないかん。グリムは例のばけもんが住んどる奥やからな。ただ、グリムは採るだけやったらどうにもならん。それを薬に加工せないかんねん。もしあんたらがばけもんをどうにかしてくれたら、わしらが責任を持って薬を作ったる。どうや?」

「どうって言われても――」


 燿は叶を見た。叶は首を振り、


「あなたが決めるべきよ。わたしは別になにもしないもの。あなたが考えて、あなたがいいと思うことを選びなさい」


 小人たちはどうやら、さほど悪い連中でもないらしい。

 しかし小人たちのために洞窟の奥に住むという「化け物」を倒すとなったら、倒れた大輔のほかに、もうひとつ余計なものを背負うことにもなる。

 そうしたものは背負えば背負う分だけ重たくなり、動きが鈍くなって、最後には進むことも退くこともできなくなるものなのだ。


 しかし、と叶は思う、燿はおそらく最初から決めているだろう。

 燿の性格を考えれば、助けてくれ、と言われて断れるはずがない。


「――わかったよ。その化け物っていうのをなんとかすればいいんだよね?」

「そうや。頼むで。わしらも困っとったんや。薬のほうは任しとき。ま、その薬であんたんとこの病人が治る保証はないけど、できるかぎりのもんは作る」

「うん、お願いね。じゃ、さっそくその化け物さんを退治しに行こー!」

「おお、前向きやなあ、お嬢ちゃん。よし、途中まで案内しよか。リリ、おまえもいっしょにこいよ」

「そりゃええけど、結構遠いでー」


 リリは面倒そうな顔で言って、ふとひらめいたように、燿の足元へ寄っていく。


「ちょっと、あんた、手ぇ出し」

「手?」

「そうや――ちがう、だれがグーで出せ言うたんや。手ぇ出せ言うたら普通パーやろ――せやからなんで縦やねん! チョップちゃうで、手のひらを上に向けるんや。そうそう」


 リリは燿の手のひらに乗って、にっと笑う。


「このまま連れていってもろたら疲れへんやん。うわ、あたし天才やな。さ、ばけもん退治に行くで。待っとけやばけもん、あっちゅーまにぼこぼこにしてやるからな!」


 調子がいいリリに、父親は呆れたように首を振っている。

 燿はけらけらと笑い、リリを手のひらに乗せたまま立ち上がって、洞窟の分岐点まで戻るために歩きはじめた。


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