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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
洞窟の人々
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洞窟の人々 3

  3


 紫、泉、そして倒れた大輔と分かれ、森のなかを歩き出して十分ほど。


 燿は何度か後ろを振り返り、もう見えなくなった三人の様子を探すようにじっと視線を送っていたが、やがて諦めたように前を向いた。

 そのとなりには叶が歩いていて、叶はすこし不思議そうな目で燿を眺めている。燿はふとその視線に気づいて、


「どうかしたの?」

「いいえ、別に。この状況でも楽しそうね」

「え、楽しそうな顔、してた?」


 燿は自分の頬に手を当て、むにむにと揉んで表情を崩す。


「だめだめ、楽しそうな顔しちゃ」

「まあ、暗い顔よりいいと思うけど――それにしてもあなた、大輔の生徒とは思えないくらい前向きね」

「どういうこと? 先生の生徒だと、前向きじゃないの?」

「あの子、暗いでしょ」

「えー、そんなことないよ?」

「ほんとに? じゃあ、あなたたちの前では明るく振る舞ってるのね」


 叶はくすくすと笑う。


「ほんとはあの子、めちゃくちゃ暗い子なのよ。子どものときからずっとそう。ぜんぜん笑わないし、怒りもしない。ただずっと悔しそうな顔してる――そういう子だったんだけどね」

「へえ……いまの先生と、ぜんぜんちがうね」

「いまの大輔は?」

「えっとね、自信たっぷりで、ぼくは天才だっていつでも言ってて、結構ふざけたりするけどたまにまじめで、授業は厳しいけどそれ以外は優しくて……そういう先生、かな?」

「なるほど、がんばって先生をやってるわけね」


 しかしそれは大輔の本性ではないだろう。

 叶は、人間は変わらないものだと確信している。

 その人格形成は子どものころに完成し、あとはそれをごまかしたり、ねじ曲げたりする術を身に着けていくだけだ。

 心の根っこの部分は、たとえ八十になっても九十になっても変わらない。


 そういう意味では、人間の精神は永遠に進化しないといえる。

 人格が年齢や経験とともに変化し、理想化されていくならやがて人類全体の精神はさらに段階を上がるだろうが、子どものときに完成したものが二度と変化しないなら、何世代、何百年と繰り返したところで人類の精神は進歩しない。

 それは歴史を見ても明らかだ。人類は場所と時間を変え、同じ争いを繰り返してきた。

 変化したのはその効率、つまり武器の変化だけで、相手を殺してやりたいと思う気持ちはいつの時代でも同じ強度で存在する。

 二千年も前にいた哲学者が、二千年後の現代でも賢人とされていることからして、人間の精神がいかに進歩していないかわかるというものだ。


 大輔の本性は、子どものころからなにも変わっていない。

 いつも悔しそうな顔をしていた凡人の少年。

 その本性を隠すために身につけたのが「天才」を自称することなのだとしたら、それほど皮肉なことはない。


「ねえ、お姉さんはどうして革命軍を指揮してるの?」


 警戒心のない、無邪気な燿の瞳が叶を見つめる。

 そのまっすぐな目を見る度、叶はなんともいえない加虐的な気持ちになって、だれよりもまっすぐな心が歪む瞬間を見てやりたくなった。


 しかしいまはそのときではないと自分を制し、叶は笑う。


「理由はないわ。なんとなく、そうなっただけ。十年前もそうだったし」

「十年前? あたし、まだ六歳だ」

「あら、ほんとに? 道理でわたしも年をとるわけねえ――十年前、わたしはあなたと同じくらいの年だったわ。そのときにも一度、革命軍は生まれてるの。まあ、革命軍っていう名前じゃなかったけど」

「へえ、聞いたことないや」

「まだ新しい歴史だから、教えていないんでしょうね。地球と新世界の戦い――新世界は地球よりも文明水準が低い。だから、必然的に新世界の人間は地球人よりも知識で劣っている。地球人が新世界へやってきたら、新世界のひとつの町くらいは簡単に支配できるってわけね。それって不公平だと思わない?」

「うーん、たしかに」

「だからわたしはその不公平を解消してあげようと思ったの」


 まあ、実際は成り行きのようなもので、新世界と地球の公平さなど叶にはどうでもいい話ではあった。

 ただ、そのころは叶もまだ若かった。

 自分に与えられた強大な才能の全容を知らず、一度、全力で戦ってみたかったのだ。

 地球の支配を受けたくないという新世界の一部勢力とただ強い相手と戦いたいという叶の思惑は偶然に一致し、共闘することとなって、結果的にはそれが現在まで続く革命軍の基盤となっている。


「それで、どうなったの?」


 物語の続きをねだるように燿が言う。


「どうなったと思う?」


 くすくすと叶が笑うと、燿はちょっと考え込んで、


「地球が爆発しちゃった!」

「あら、そうなったらあなたはどこで生まれたの?」

「あ、そっか。お話じゃないんだっけ」

「そう、現実にあったことよ。実際はまあ、地球は爆発しなかった。新世界もね。わたしは地球ごと始末してやりたかったんだけど、そうはならなくて、結局地球側が勝利したってことになってるわ」

「へえ、そうなんだー」


 地球側が勝利するのは、ある意味では当然のことだ。

 新世界には武器もなく、魔法もない。

 地球側は新世界の人間が見たこともない火器を投入できるし、魔法使いもずらりと揃えることができる。

 はじめから戦力がちがいすぎるのだ。


 それでも叶は、ただ負けただけではなかった。

 大湊叶という戦力は地球人のどんな火器にも魔法使いの軍団にも負けなかったが、自分の実力を把握して戦いの目的を達した叶は、あっさりと負けを認めて姿を消したのだ。


 地球側からすれば、なにからなにまで唐突な出来事だった。

 新世界からの唐突な宣戦布告、慌てて地球軍ともいうべき連合体を作り、新世界へ乗り込んだはいいが、たったひとりの天才魔法使いに敗北寸前まで追いやられ、最後は「もう飽きた」と一言残して叶が姿を消し、集結する――それが十年前に起こった「地球・新世界戦争」の顛末だった。


 ある程度の年齢の魔法使いなら、だれでも覚えている屈辱の記憶だ。

 しかし燿のように、そのころの思い出がない若い魔法使いも現れている。


 時代は移り変わっていく。

 そのなかで変わらない人間が暮らし、変わらない世界がある。

 叶はその「変わらない世界」というものが嫌いなのだ。


「先生は、そのころはもう魔法使いだったの?」

「大輔? さあ、どうかしらね。十年前だから、十四歳とか十五歳。たぶん、戦争には参加してないんじゃないかしら。すくなくとも戦いのなかで見かけたことはないけど――それにあの子は魔法使いとしては出来損ないだし。生まれつき魔法も使えない、まったく才能のない凡人」

「え、でも、先生、魔法使えるよ?」

「あれは苦し紛れよ。普通の方法じゃ魔法が使えないから、自分なりに工夫して、自分なりのやり方で魔法を再現してるだけ。普通の魔法みたいに自由じゃないし、制約もある。本人もそれがわかってるから、極力魔法は使わないようにしてるでしょ」

「言われてみれば、そうかも――なんか、先生のことで知らないことってまだいっぱいあるなあ。いままでずっといっしょにいろんなところ回ってきたのに」


 燿は、いままでの道のりを懐かしむように目を細めた。


 叶が世界中の「扉」を破壊してから、もう半年は経つ。

 そのあいだ大輔たちは四人で新世界を旅してきたのだ。

 だれひとり欠けることなく、半人前の三人娘と、魔法が使えない凡人ひとりで。

 そう考えるだけで、容易な旅でないことはわかる。


「あなたたち、いったいなんの目的で旅をしてるの?」

「地球に帰るためだよ。扉はなくなっちゃったけど、まだどこかに残ってるかもしれないし、それ以外に帰る方法があるかもしれないし」

「ふうん――わたしから言わせれば、地球へ帰る方法なんてないと思うけどね」


 叶は平然と言う。


「世界中の扉は全部破壊したし、扉以外に新世界と地球を行き来する方法なんていままでだれも見出してないわ。探すだけ、無駄だと思うけど」

「そんなことないよ」


 燿は明るく笑った。


「こーんなに世界は広いんだもん。世界中探したら、きっとなにか見つかると思う。それに、なにもなくたって、みんなでいろんなところ回ったりすると楽しいもん」

「楽しい、ね――」


 ふたりは森の奥へ向かってまっすぐ進んでいく。

 腐葉土や枯れた落ち葉を踏みつける足音以外、森は静かで、風も吹いていなかった。


 あれから半年、地球はいまごろ冬になっている。

 正確な日付はわからないが、年末か、あるいはもう年を越してしまっているかもしれない。

 しかし新世界には季節がなく、常に真夏のような暑さで、そのためか、一年の行事のようなものがない。

 自然が巡らないため、一年という感覚自体が曖昧なものなのだ。


 この新世界にいて、希望を失わないということはひとつの才能にちがいない。

 叶は、三人のなかでは燿がいちばん有望と感じた自分の見立ては間違いではなかったと思う。

 そしてその燿を導いているのが、大輔なのだ。


「さあ、早く洞窟に行って、先生の病気を治してあげなきゃ。洞窟ってどんなところかなあ?」

「さあ、わたしも行ったことはないから、よく知らないけど――でも、そろそろ見えてきたみたいね」


 前方に、木々のなかに隠れるように、赤茶けた地面が隆起しているのが見えた。

 それはこんもりとした山のようだが、山というには規模がちいさく、森のなかに唐突に現れるというのもどこか不自然な印象が拭えなかった。


 叶も、このあたりにくるのははじめてである。

 燿に対する言葉に嘘はない。

 苔が本当にあるのかどうかも、叶は知らない。

 単なる伝説的な言い伝えかもしれないし、事実そこにある、という可能性もあるが、叶にとってはどちらでもいいことだった。


 重要なのは、燿だ。


 この場所で燿がどう行動するかがなによりも重要なのだ。


「わあ、すごい! 変わった場所だねー」


 燿はとことこと警戒心もなく赤茶けた小山に近づく。


 どうやらそれは、岩ではなく土らしい。

 近づいてみて、でこぼことした表面に触れてみてわかる。

 硬いことは硬いが、触っているうちにぽろぽろと崩れる脆さもあった。

 叶も燿の後ろから小山に近づき、様子を眺めて、呟く。


「溶岩ってわけでもないし、この感じはまるで――じゃあ洞窟っていうのは、もしかしたら――」

「お姉さん、お姉さん!」


 叶がふと顔を上げると、燿はもう目の前からいなくなり、すこし離れたところで叶を呼んでいた。


「ここ、穴があるよ! 奥へ行けそうなやつ」


 近づけば、たしかにぽっかりと大きな穴が空いている。

 高さは二メートルほど、幅も同じ程度の穴で、そのまま奥へ続いていそうだが、なかにはまったく光がなく、せいぜい入り口から数メートルしか見渡すことができない。


「この洞窟の奥かな?」

「そうかもしれないわね。なにがあるかわからないけど、入ってみる?」

「うんっ。あ、でも、明かりがないと。お姉さん、懐中電灯持ってる?」

「持ってそうに見える?」


 叶は肩をすくめる。

 燿はううんと考え込んで、なにか思いついた顔をした。

 その顔のまま足元に視線を落とし、なにか探すようにうろつく。


「あ、あった!」


 拾い上げたのは、まだ折れて間もないような太い枝だった。

 それと細い枝を持ってきて、燿はどうだといわんばかりに叶を見る。

 叶は首をかしげ、


「なに、それ」

「えだ!」

「見たらわかるけど。なにに使うの?」

「これで火を熾すの。こう、しゅるしゅるってやって」

「ああ、原始人がやってたような」

「そうそう!」

「あなた、見た目どおりばかね」

「ば、ばかじゃないよっ」

「それで火が熾せれば昔のひとも苦労しなかったでしょうに」

「でも、それしか方法ないもん」


 はあ、と叶はため息をついた。

 大輔は本当にまっとうな指導をしているのだろうかと不思議になる。

 とても、魔法使いの発想とは思えない。


 叶は、太い枝を下にし、そこに細い枝を垂直に立ててくるくると回している燿を尻目に、地面にかりかりと魔術陣を描いた。

 そうして魔術陣を描くのは久しぶりのことだったが、身体が覚えているのか、基本的な魔術陣はあっという間に出来上がる。


「あれー、ぜんぜん煙も出ないなあ……」

「いつまでやってるの。こっちきなさい」

「なになに? あ、魔術陣」

「ほら、手を貸して」


 叶は燿の手を取り、魔術陣の真ん中へ連れ込んだ。


 片手ではなく、両手ずつしっかりと握り合う。

 円を基本とした魔術陣のなかで、魔法使いの身体を使ってもうひとつの円を作るのだ。

 その円の外周、つまり身体と腕のなかを、魔力が凄まじい勢いでぐるぐると回る。

 それがある瞬間外に飛び出し、空気中の魔力と連鎖反応を起こして魔法が完成するのである。


 叶はちいさく呪文を唱えた。

 燿とつないだ手が、ほんのりと熱くなる。

 そこを魔力が素早く行き来しているせいだ。


「ん――」


 燿の身体がぴくんと反応した。

 叶はそれで、自分のほうの魔力が多すぎるのだと気づく。

 ふたりの魔力は同じ程度に押さなければ、バランスが崩れて魔法は失敗してしまう。

 叶は、自分のなかに流れる魔力を抑えこむような、そこにフィルターをかけるようなイメージを浮かべる。

 そうして魔力量を調整させると、一定の魔力がふたりの身体をめぐり、やがて空気中へと伝達されていった。


 あたりに魔力が満ちる。

 それが連鎖的に爆発し、一種の核反応のように莫大な力を生み出す。魔術陣がその大きすぎる力の方向性を決めている。


 叶は片手を上げ、燿が投げ出した太い枝に手のひらを向けた。

 その手のひらから、ぽん、とちいさな炎が吐き出され、よろよろと空気中を漂い、枝に燃え移る。

 叶は松明となった枝を拾い上げ、燿に渡した。


「これで奥へ進めるわね」

「わあ――ありがと、お姉さん」


 燿の屈託のない笑顔を受け取って、叶はうなずく。


「どういたしまして。これじゃあ大輔も苦労しそうね」


 燿は叶の言葉の意味がわかっていないように首をかしげたが、ともかく、松明を掲げて洞窟の奥へと進みはじめた。


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