桜の姫君 14
14
終わってみれば、ミナギはほんの数時間城を開けただけで、家出というにはあまりにお粗末な、ただ外出して帰ってきただけというくらいの出来事に過ぎなかった。
しかし帰ってきたミナギが引き連れていたのは、戦闘に負けた四人衆と、意識のないひとりの男、そして三人の少女たちだった。
ロスタムの王ジライヤは、娘が自分で戻ってきたことにはほっとしながらも、ことの成り行きを聞くために娘を自室へと呼び寄せた。
ミナギはいつものように不機嫌そうな、つんとした顔でジライヤの前に座り、ジライヤがなにかを言わないかぎり、自分からは絶対に喋ろうとしない。
これがいわゆる反抗期というやつなのか、とジライヤはため息をついて、
「あー、ミナギよ、なぜ勝手に城を出ていったりしたのだ」
「別に」
「む、むう……別にということはあるまい。なにか理由があってそうしたのだろう。その理由を話してくれんか。そうすれば、おまえの望みをすこしは叶えられるかもしれんぞ」
「わたしの望みを叶えるには――」
ミナギはきっとジライヤを見て、それからすこし視線を逸らした。
「わたしが王族でなくなるしかないの」
「なに?」
「王族である以上、わたしの望みは叶わないわ」
「ふむ……まあ、王族というのは、決して気楽なものではない」
ジライヤは自分の膝を撫で、扇子で顔を扇ぎながら言った。
「王族には制約が多い。しかしまあ、それらは古い時代の話だ。もしおまえが王族のあり方を変えたいというなら、それもよかろう」
「……王族の義務を果たさなくてもいいっていうの?」
「義務を果たさんことで生まれる不利益もある。ひとびとは王家に対する尊敬を失うかもしれん。おまえはわがままな女王だと言われるかもしれん。結果、国の強い結びつきは失われるかもしれん。しかし、そうしたことがわかっていても、それでもなにかを変えたいというなら、だれもおまえに反対はしない。自分がいいと思うことをするのだ、ミナギ。自分に嘘をついてはいかん。自分に嘘をつくということは、他人に嘘をつくのと同じだ。嘘をつく人間はだれからも信用されん。だからまず、自分で考え、自分がよいと思ったことを為す――それが優れた王であると、わしは思うがな」
ミナギはしばらくなにも答えなかった。
「じゃあ」
と口を開き、いままでよりずっと真剣に、そして真摯にジライヤを見つめる。
「もし、その、わたしがだれかと結婚したいと思っているとして、それが王族でもないし、別に高貴な生まれってわけでもなくて、たとえばそのへんの兵士のだれかだとしたら、お父さまは反対しないの?」
「む」
ジライヤは腕組みし、答える。
「反対する」
「ほら!」
「しかし相手がだれであろうと反対するがな。兵士だろうがどこかの国の王だろうが、そうほいほいと娘をやれるか。だが、まあ――最終的には、おまえがいいと思う相手を選ぶべきだ。おまえが選んだ相手なら、たとえ一市民であろうと反対はせん」
ミナギはすこし黙って、うつむいた。
「でも、わたしは一度この国を捨てようとしたわ。いまさら、また姫として戻るわけにはいかないもの」
「それだがな、兵士はともかく、町民はだれもおまえが城を出ていたことなど知らん。今回は、そう――なにもなかったのだ。結局、だれも失われてはおらん。二度と再生できないほど壊れたものはひとつもないのだから、今日という日は昨日と同じ、なにも起こらなかった日常として片付けてもかまわんだろう。おまえはすこし、気負いすぎだ。まあそうさせたわしが悪かったのかもしれんが、これからはもうすこし素直に、人間としてのスオウ・ミナギが生きたいように生きるがよい。結果的にそれはこの国のためになる。わしはそう信じておる」
「……はい、お父さま」
「うむ、よろしい」
ジライヤはうなずき、ふと腰を上げる。
「ところで、例の客人は目覚めたかな?」
「呼んでくる?」
「いや、わしから行こう。すこし話もある――魔法使い、か」
*
大輔が目を覚ましたとき、自分の顔を猿が覗き込んでいたものだから、わっと声を上げて飛び起きた。
「さ、猿だ! どっから入ってきた?」
「だれが猿だっ。よく見ろ、人間だろうが」
「む、猿が人間の言葉を……」
「く、くそう、こいつらどこまでもおれをばかにしやがって――」
四人衆の三男、ムサシはぷるぷると震えながら立ち上がり、襖をばっと開けた。
「おい、目を覚ましたぜ」
「む、大丈夫か、ダイスケ殿」
すっかり暗くなった廊下から、火がある部屋へ入ってきたのは身体に白い包帯を巻きつけたイオリだった。
大輔は布団の上で体勢を直し、ちいさく息をつく。
「なんだ、イオリの兄貴か。びっくりした、猿かと思った」
「たしかに少々猿似ではござるが」
「おいイオリ、聞こえてるぞ」
「はっ、も、申し訳ありませぬ、兄上――だ、ダイスケ殿、体調はいかがでござる」
「まあ、悪くないね」
大輔は首と肩を回し、何度か頭を振る。
「まだちょっと貧血気味な気はするけど、ま、問題なしだ。どっちかっていうときみのほうが重症だな、イオリ」
「はは、かもしれぬ。肋骨が何本か折れておるのだ」
「そいつは悪かったな、ぼくがやったんだ」
「うむ――話は、姫さまから窺った」
イオリは、ばっと頭を下げた。
「ダイスケ殿、数々のご協力、感謝いたす。最後の最後までご迷惑をおかけし、かたじけない」
「まあまあ、そうかしこまるなよ。それよりいくつか聞きたいことがあるんだ。イオリとか、きみの兄貴たちの変化のことなんだけど――」
「その話なら、わしも興味がある」
割り込んできた声は、低く深みのある声だった。
大輔はいったいだれだと襖から現れた男に目を向けたが、イオリは慌てて振り返り、頭を下げる。
「と、殿!」
「殿? ってことは、この国の――」
「うむ、ロスタム王のジライヤと申す。客人よ、貴殿の活躍は聞いた。王として感謝する」
ジライヤはイオリのとなりにどかりと腰を下ろした。
そして、王らしくはない、どこかいたずらっぽい顔でにっと笑った。
その笑顔ひとつで大輔は王の性格を察する。
「さ、わしには気にせず話を続けてくれ。変化がどうかしたのか」
「ああ、それだけど――あれは、魔法とは別物なのか?」
「魔法とは、ダイスケ殿が使っていたあの力のことでござるな」
イオリはとなりのジライヤをちらちらと横目で気にしながら言った。
「あれと同じかどうかはわからぬが、たしかにわれら四人衆の力は、代々受け継がれるものでござる」
「代々受け継がれる? 使い方を教わるってことか」
「いや、そうではない」
とジライヤは首を振った。
「四人衆というのは、わが王家に仕える四兄弟の戦士のことだ。昔からある一族には必ず男の四兄弟が生まれ、その四兄弟は四人衆として城に仕えることになっておる。四兄弟は、生まれるとすぐ、一族の年寄りによって背中に彫り物をされる――それが変化のもとになっているという話だが、いまでは具体的な知識は失われ、ただ方法だけが伝わっておるのだ」
「なるほど――それじゃあやっぱり、古代の魔法の名残りなんだろうな。イオリやほかの兄弟の背中にあるものは、ぼくが使っていた魔術陣と同じ仕組みだ。ただ、いまでは見ない形だし、魔術陣をそんなふうに身体に彫り込むっていうのも聞いたことはないけど、古代にそういう方法があった可能性はある」
「つまり、四人衆もかつては魔法使いだった、ということでござるか」
「そういうことになるね。その『かつて』っていうのがどれくらい前なのかはわからないけど――しかし、イオリの最後の暴走はなんだったんだ?」
「あれは、拙者が未熟ゆえ、力が抑えきれないのでござる。兄上たちは力をうまく制御し、自在に変化することができるが、拙者だけは変化したら最後、力尽きるまでその変化を解くことができぬのだ。ゆえにあのとき、拙者はあの場で力尽きるまで暴れ、そして死んでいくつもりだった――ダイスケ殿に助けられなければそうなっておった」
「イオリが未熟というよりは、その力が大きすぎるのだろう」
ジライヤはなにか考え込むように呟いた。
「イオリの前に四人衆をやっていた男も、その力は使いきれていなかった。記録を読むかぎり、ここ何代かはすべてそうだ」
「それじゃあ、昔はやっぱり魔法の力が強かったのかもしれないな」
「魔法の力が強い?」
「魔法は、ぼくたちのような異世界人にしか使えないと言われていた。でも新世界の人間でも魔法を使うことはできる――正確には、できたんだ。ぼくたちは古代の魔法都市を見つけたし、この国に伝わる力にしても、古代の魔法使いの存在を証明してる。たぶん、四人衆っていうのは現代ではごく限られている新世界、つまりこの世界の魔法使いの子孫なんじゃないかな。だから自分の身体に刻まれた特殊な魔術陣を使って変化という魔法を起こせるんだ。昔は、その力がもっと強かった。イオリや現代の魔法使いには使いこなせない力も、昔の魔法使いは使いこなしていたのかもしれない」
「ふむ、なるほど――ではわしの考えは外れていたか」
「考え?」
「あるいは、四人衆というのはダイスケ殿と同じ異世界からきた人間たちの子孫ではないかと思っておったのだ。しかしこの世界にもそのような能力を使える人間がいたとすれば、おそらくはその子孫なのだろう」
「いや、そうとは限らないよ。なんせ古代のことだから、わからないことが多いんだ――まだこの新世界にはいくつもの秘密がある。イオリたちのような魔法使いだって生き残っているかもしれない」
「なるほど。ダイスケ殿は、そうした謎を求めて旅をしておられるのだな」
「ま、旅をしてるのはまた別の理由だけど、個人的に興味はあるね」
「ふむふむ――しかし、ダイスケ殿、身体のほうはもう大丈夫か?」
ジライヤはにやりと笑った。
「もし身体が大丈夫なら、宴の用意をしてあるが――」
「ほほう」
大輔もまたにやりとして、言った。
「そう言われたんじゃ、調子が悪いとは口が裂けても言えないな」
*
ティアーズたちは、その日の夜になってようやく神域に近づいた。
彼らは人間たちや巨人たちの振る舞いを見ていたが、その意味はほとんど理解できなかった。
ティアーズからしてみれば暴れた神もそれを押さえつけた巨人も大差ない存在であり、その巨人を吹き飛ばした人間というものもまた神に等しい力を持っている存在と考えるしかなかったのだ。
そしてふたつの神は去った。
巨人はいなくなり、人間たちも森を出ていった。
残されたのは、それまでもそこにあった巨岩群であり、もう動くこともなくなったただの石の連なりでしかない。
ティアーズは、いつもの議論好きを生かし、この状況についてあれこれと意見を交わし合った。
意見はいくつもあって、たとえばあれは神同士の戦争だったのだとか、やがてあの争いは世界を滅ぼす争いへと発展するだろうという深刻な指摘もなされたが、結局最後は長老が結論を出す。
「神の怒りは鎮まり、いままでどおりわれわれを見守ってくださることになった――そう考えるのが妥当だろう」
このとき長老が使った「妥当」という言葉は、一部の急進的な若者たちから反感を買うことになったが、ともかく事態は落ち着いたという結論自体には異論も出なかった。
そしてティアーズはまた、深い森のなかで、人目に触れることなく、神に供え物をしながらああでもないこうでもないと議論をして暮らすのである。
*
――大陸の南端にあるセドナという国の地下には、超古代の遺跡群がそのままの状態で保存されていた。
家々は石組みよりも発達した決して朽ちることがない素材で作られ、現代社会をはるかに凌駕した高度な文明の名残りがあちこちに散見されるなかを、ひとりの少女が駆けている。
黒一色に、襟だけが白いレースで飾られたワンピースを着た小柄な少女である。
少女は肩からポシェットのようなものをかけていて、それをぱたぱたと揺らしながら、まったく人気のない遺跡を駆け抜ける。
目の前にはひときわ大きな神殿がある。少女はためらいなくそのなかへ飛び込んだ。
「叶さま――叶さま!」
「ここよ」
吹き抜けになった神殿の上部から声がする。
少女はぱっと顔をほころばせ、傍らの螺旋階段を駆け上り、二階の奥にある一室に入った。
さほど広くはない部屋である。
照明はないが、部屋の奥の石柱がうっすらと青白い光を放っていた。
大湊叶はその石柱の前に立っている。
少女は斜め後ろから石柱を覗いた。
その石柱は、叶の腰あたりで真っ二つに切断されている。その切断に、叶は手のひらを当てていた。
「どうですか、叶さま。なにかわかりましたか」
「この遺跡もどうやら死んでいるみたいね。一部の機能は生きているけど、そこに魔力を注ぎ込んでも反応はないわ。ただ――」
「ただ?」
「おそらくこの町を守護するものなんでしょうけど、機械の兵士のようなものがあるの。それがうまく動かないのよね。それでいろいろ魔力の流れを見てみたら、外にあった機械の兵士じゃなくて、まったく別のところに魔力が転送されていたわ」
「へえ、別のところに――叶さま、それ、あたしが調べてもいいですか? まったく別の場所に魔力を効率よく転送できるようになったら、魔法の使い方が変わるかもしれないし」
叶は振り返り、やわらかく微笑む。
ただそれだけで少女は照れたように顔を赤らめて、自分の黒髪で顔を隠す。
「あなたは勉強熱心ね。だれかを思い出すわ」
「む、だれですか、それ」
「本物の天才になろうとして勉強ばっかりしてた子。まあ、あなたのほうがそれよりも百倍は優秀だけどね。それじゃあ、ここはあなたに任せるわ。たぶん、どこかの魔力で動く巨人のたぐいにつながってるんじゃないかと思うけど。気をつけなさい、あなたの魔力じゃ全部吸い取られてもまだ足りないくらいだから」
「は、はい――叶さまはどちらへ?」
「わたしは軍に戻るわ。一応、これでも反乱軍の指揮官だもの」
冗談めかして言って、少女と入れ違いに叶は石柱の前を離れた。
「でも、もうすぐですよね、叶さま。もうすこしで世界中の国が革命軍の手に落ちます」
「そうね。でも彼らも最後の抵抗をするつもりでいるわ。まあ、それもわたしにしてみればくだらないことだけど」
「見つかりますか、ナウシカは」
「どこかにはあるはず。世界中の国を探して見つからなかったら、今度は世界中を掘り返してみるわ」
「そこまで――」
少女はくるりと振り返り、立ち去る叶の背中に言った。
「叶さま、ナウシカって、いったいなんなんですか?」
「この世界を自由にできる力――あるいは、新しい世界を生み出す力のことよ。それは同時に、この世界を滅ぼす力でもあるけれど」
「生み出して、滅ぼす力?」
「いくつかの古文書に出てくるだけだから、どんな能力なのか正確にはわからないわ。でも必ず存在する」
「そして叶さまは、絶対にそれを見つけ出すわけですね」
「そうよ。わたしはほしいものはすべて手に入れる主義だから」
くすくすと笑い、叶は部屋を出ていった。
少女はその背中に感嘆の息をつき、くるりと石柱に向き直って、自らの仕事をはじめた。
*
宴がほとんど夜通し行われたせいで、翌日、大輔たちが目を覚ましたのはほとんど昼に近い時間だった。
それも、ここ数ヶ月の放浪から、久しぶりに人間らしい布団で眠ったのだ。
起きてなによりも先に硬い地面でないことに驚き、そんな生活に慣れてしまったことにもまた驚くような状況で、燿たちは顔を見合わせてくすくすと笑った。
そして燿たちは、すぐにこの国を出ていく準備をはじめた。
先を急ぐ旅ではないが、長居しては迷惑がかかるし、立ち去る機会を失うから、それなら今日中に出立しようと決めたのだ。
大輔もそれに同意し、イオリとその兄弟たち四人衆に協力してもらって行なっていた魔術陣の調査も手早く済ませ、城門の前に集合する。
見送りには、イオリのほかに、ミナギもやってきた。
ただしミナギはなんとなく嫌そうに、いかにもめんどくさそうな顔ではあったが。
「ダイスケ殿、いろいろと世話になった。またこの近くを通りかかることがあれば、ぜひ立ち寄ってくだされ」
「わかったよ、また布団を借りにくる――お姫さまも、お元気で」
「別に平民に言われなくたって元気でやるわよ」
「ふー、相変わらず刺々しいなあ……」
ふんと鼻を鳴らすミナギに、紫はすたすたと近寄り、囁く。
「イオリさんと仲良くしたいなら、もっと素直にならなきゃだめよ」
「うっ――う、うるさいわね!」
「じゃ、またね。今度会ったときにはいまより仲良くなってなさいよ」
「へ、平民がえらそうに……まあ、次を楽しみにしてるといいわ」
ミナギは腰に手を当て、自慢げに言った。
紫は明るく笑い、そして異世界人四人は、大きな城門をくぐって町へと消えていった。
イオリはその背中を見送ったあと、ばたりと閉じた城門にため息をつく。
「行ってしまいましたね」
「そうね――ま、静かになっていいわ。昨日はひどい騒ぎだったから」
「たしかに、昨日の宴会は大変でしたねえ……」
イオリも苦笑いを浮かべる。
王や兵士も入り乱れての大宴会だったのだ。
ミナギはくるりと踵を返し、城へ向かう。
イオリもそのあとに続いた。
「イオリ」
「はい?」
「まあ、その――あの、あれよ」
「なんでしょう、姫さま」
「その、あの……な、なんでもないわ」
ミナギはぷいとそっぽを向いて歩いていく。
イオリはそれに首をかしげながら、ともかく、ミナギのあとをついていくのだった。
続く




