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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
桜の姫君
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桜の姫君 8

  8


 マサル、マサムネ、ムサシの三人は横並びになって立ち止まった。

 その後ろには、いかなる人間も続いていない。

 三人でこい、と指定されたわけではなかったが、どう考えても普通の兵士を連れていくのは足手まといにしかならないと考えたのだ。


「おうおう、イオリ、てめえ、ずいぶんなことをしてくれたじゃねえか」


 さっそくムサシが甲高い声で言った。

 その対面に、イオリともうひとり男が立っている。

 マサルはイオリより、むしろその男に注目していた。


 見たところ、年はイオリと同じ程度である。

 背が高いわけでもなく、恰幅がいいわけでもなく、異国風のズボンとシャツからわかる範囲では筋肉を帯びた身体というわけでもない。


 また、マサル以下三人とイオリは腰に剣を帯びていたが、その男だけはまったくの丸腰だった。

 そのくせ、この場にいるだれより堂々と胸を張り、まるで勝利者のような顔でにやついている。


 マサルが町の入り口で見かけた、あの男にちがいない。

 そして城の前までやってきて堂々と犯行声明を読み上げたのもまさしくこの男だろう。


「イオリ、姫さまはどこにおられるのです?」


 マサムネが言った。

 イオリはわずかに緊張した面持ちで、ぐっと顎を引いていた。


「姫さまは、ここにはおられない。ちゃんと安全な場所に」

「ふむ。いったいなぜ姫さまを誘拐など」

「それは、兄上たちに説明しても詮方なきことと存じまする。しかしひとつ言わせていただくなら、拙者は決して不適切な行動を取っているとは思わぬ」

「では、おれたちとやり合おうということだな、イオリ」


 低く吠えるようにマサルが言った。


「おまえのとなりに立っている男がどれだけの実力者か知らんが、おれたち三人対おまえたちふたりでどうにかなると思っておるのか」

「兄上――敵おうと敵うまいと、拙者はただ自分の忠義を尽くすのみでござる」

「ふん、覚悟はできておるな。少々手荒だが、無理やりにでも城に引きずり戻してやる!」


 マサルは鋭く刀を抜き払った。

 同時にマサムネとムサシも剣を抜くが、イオリとそのとなりにいる男はぴくりともしない。


「なかなか好戦的だな、諸君」


 男がようやく口を開いた。


「貴様、何者だ。なぜイオリと結託しておるのだ」

「結託するつもりはとくになかったんだけど、ま、成り行きでね。しかしやるからには、こっちとしても手加減するつもりはない」


 手加減、と聞いて、マサルは哄笑する。


「手加減はこっちの台詞だ。事情がなければ稽古をつけてやってもいいが、今回はそうもいかんからな。あっさり終わっても文句は言うなよ」

「あっさり終わるに越したことはないね。ああ、ちなみにぼくは大輔というんだ、よろしく」

「なるほど、たしかに名乗ってもいなかったな。おれはマサル、こいつがマサムネに、ムサシだ」

「いやあ、どうも、みんなよろしく」


 男、大輔はいかにも害がなさそうな顔で言って、それからにっと笑った。


「じゃ、はじめようか」


 大輔が片腕を上げた。その瞬間、すこし離れた野原で、がさりとなにかが動いた。


 人間だ。それもふたり、まったく別の方向へと逃げていく。

 マサルはその後ろ姿を女だと判断し、叫んだ。


「マサムネ、ムサシ、おまえたちはあのふたりを追え! どちらかが姫さまかもしれん、怪我はさせるなよ」

「ちぇ、しょうがねえ。さっさと捕まえて戻ってくるか」


 先に、ムサシが駆け出す。

 マサムネも了承したようにうなずき、逃げていく背中を追った。


「さて」


 大輔は満足げに腕を組む。


「これで二対一になったわけだけど、なにか感想はあるかい、お兄ちゃん」

「二対一になって、すっかり勝った気でいるらしいが、悪いな、小僧――おれはおまえたちの三倍は強い」


 マサルはぐっと剣を構え、ふたりに飛びかかった。



  *



 泉は野原を走りながら、後ろを振り返った。


 背がひょろひょろと高く、痩せた枝のような体型の男が追ってきている。

 ここまでは予定どおりだった。

 もうすこし大輔たちから離れなければ、と泉は前を向き、駆けていく。


「お待ちなさい!」


 後ろから追うマサムネは、男女の脚力の差を使ってじりじりと距離を詰めていた。

 マサムネは自分が追いかけているのがミナギではないと気づいた瞬間、速度をすこし緩めて、わざと追いつかないように、しかし逃げられはしないように泉のあとについていく。


「逃げられるだけ逃げればよろしい。結局、体力を失うのはそちらなのですからね」


 マサムネは、自らのことを策士だと思っていた。

 ただの策士ではない、自ら策を立て、それを実行する戦闘力を持った策士である。


 ただ戦闘力だけを重視するムサシやマサルに比べて、マサムネは作戦を立て、その作戦どおりに敵を攻め落とすことをなによりの喜びとしていた。


 もちろん、力押しでも勝つことはできる。

 作戦というのは弱者が立てるものではなく、強者が完璧な勝利を求めるときにこそ有効なものなのである。


 自分が立てた作戦に相手をはめ、すべてを支配し、勝つ。

 それこそがもっとも美しい勝利であり、力押しでの勝利などまったく無様な、ほとんど敗北と紙一重のものでしかない。

 マサムネは自分なりに美しい勝利を求め、まずは相手の体力を削るため、付かず離れずの距離を保つ。


 なんといっても、相手は女である。

 筋力、持久力で鍛え抜かれた男に敵うものではない、とマサムネは考えて、これは作戦にはめるまでもない勝利になってしまうかもしれないとため息をついた。


 そのとき、不意に前を走っていた泉がくるりと振り返った。

 マサムネもにやりと笑い、立ち止まる。


「どうしました、逃げるのはそこまでですか? まさかもう体力がなくなってしまったわけではないでしょう。それではあまりに早く終わってしまって退屈ですものね」

「あ、あの――あなたは、その」

「なんです?」


 言いながら、マサムネは相手の様子をじっくりと観察する。


 相手はまだ少女といってもいいくらいの年ごろだ。

 身体つきを見ても、身のこなしを見ても、武道の訓練をしているようにも見えない。


 あるいは、この少女は単なる囮で、戦う力はまったく持っていないのかもしれない。

 だとしたらまったく拍子抜けだ、とマサムネは乱れてもいない呼吸を整えるようにゆっくり息をついた。


 そのあいだも、泉はもごもごとなにか言っていたが、結局意を決したように、


「あなたは、その、あの、降参とか、しないんですか?」

「降参ですって?」


 思わず、マサムネは笑い声を上げた。


「わたしが降参するかどうか、と聞いているのですか? いやはや、これはおもしろい冗談ですね。あなたに恐れをなし、わたしが降参するかどうかと? あっはっは、もちろん、降参などしませんとも」

「そ、そうですよね、やっぱり――じゃ、仕方ないです」


 泉は、ごそごそと懐を探った。

 なにか武器を取り出すのかと様子を見ていると、取り出したのは刃物でもなく、単なる紙である。

 泉はその紙を自分の真正面、マサムネに向かって突き出し、そこに手のひらを押し当てた。


 マサムネには、泉がなにをしているのかまったく理解できない。

 しかしこの期に及んで無意味な行為を取るはずはなく、じっと注視して警戒していた。

 そしてすぐ、その警戒が正しかったとわかる。


 不意に、泉の手のひらがぱっと明るく輝き、そこからこぶし大の炎の塊が吐き出されたのである。


「むっ――」


 マサムネは防ぐよりも回避することを選択し、真横へ飛んだ。

 そのすぐとなりをごうごうと燃え上がる炎が通過し、熱があたりの空気をかっと焼く。

 炎はマサムネの背後数メートルの位置で跡形もなく消え去った。


「なんですか、いまの攻撃は――」


 なにか火のついたものを投げたわけでもない。

 そんなものが手のなかにあれば、投げる前から気づいたはずだ。

 泉の手のひらにはたしかになにもなく、なにもなかったはずのそこから突然こぶし大の炎が現れたとしか考えられなかった。


 マサムネは泉を見た。

 泉はマサムネが呆気に取られているあいだに、ぺこりと一礼し、また逃げ出す。


「なるほど――」


 マサムネはにやりと笑い、そのあとを追った。


「一筋縄ではいかない、ということですね。おもしろい」



  *



「待て、このやろ、ちくしょう、足速ぇなおい!」


 ムサシは逃げる女の背中を追って走り出したのはいいが、なかなかその背中に迫ることができず、悪態をついていた。


 そもそもムサシは小柄な男である。

 身長は四兄弟でいちばんちいさく、子どものようだといわれるほどだった。

 声も甲高く、マサムネに言わせれば子どもというより猿だったが、身体のちいささは瞬発性を生み出していても、力強さや走る速さには悪い影響を与えていた。


「おい、てめえ!」


 前を走る女の背中に、ムサシは叫ぶ。


「てめえが姫さまじゃねえことはわかってるんだ。無駄に逃げ回るんじゃねえよ! おとなしく捕まって姫さまの居場所を言いやがれ! そしたら別に怪我もさせねえからよ」


 その誘いに惹かれたのかどうか、女がくるりと振り返る。


「お、姫さまの居場所を言う気になったか?」

「……お猿さんみたい」

「な、なな、なんだと。てめえ、言っちゃいけねえことを!」

「わっ、怒った怒った!」


 女は喜びとも似た黄色い声を上げて逃げていく。

 ムサシは怒りに顔を紅潮させ、その背中に追いすがった。


「待て、誘拐犯め!」


 ふたりの走る速度は、ほとんど同じである。

 その分、やはり日ごろから身体を鍛えているムサシのほうが持久力がある。

 長期戦に持ち込みさえすればムサシのほうが有利だったが、ムサシはそんなことはまったく考えず、すぐにでも捕らえるつもりで、全力で女の背中を追った。


 それが功を奏したのか、


「わっ――」


 女がなにかにつまずいたように速度を落とす。

 ここだ、とムサシは一気に距離を詰め、きい、と鳴いて女の背中に飛びかかった。


「あっ――」

「捕まえたぜ!」


 ふたりは野原のなかにどっと倒れ、そのままごろごろと転がり、ムサシが女の腕を押さえ込んだ。


 女、といってもまだ子どもじみた少女である。

 それも丸腰で、逃げる以外になにができるというわけでもなさそうだった。


 ムサシも無抵抗の女をいたぶるような悪趣味はない。

 むしろ、相手が強ければ強いだけ燃えるような男である。

 ムサシは戦いがいがない相手だということに失望のため息をつき、言った。


「姫さまはどこにいるんだ? それさえ――」


 ムサシの声を遮るように、不意に女がぷっと笑いを漏らした。

 やがてそれは堪えきれない笑いとなって、女はけらけらと楽しそうに笑う。


「な、なにがおかしい?」

「だって、お猿さんそっくりなのに、しゃべってるんだもん。あはは、へんなのー」

「な、なな、ななな――」


 怒りに震え、声が出なかった。身体からも一瞬力が抜ける。

 そのあいだに女はするりとムサシの下を抜け出し、いかにも無邪気な明るい笑い声を残して逃げていく。


「こ、このやろ、待てえ!」


 ムサシは猛烈な怒りに駆られて、女のあとを追った。


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