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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
桜の姫君
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桜の姫君 7

  7


 本当にこれで大丈夫だろうか。


 岡久保泉は不安を抱えたまま、野原のなかにちょこんと座り込んでいた。


「うう、ちゃんとできるかなあ……失敗したら、どうしよう」


 この新世界にきてから、つまり扉を破壊されて地球へ帰れなくなってから、何度かこういう機会はあった。

 砂漠の国ザーフィリスでも、大陸ドラゴンの巣でも、空の上にある魔法都市インドラでも。

 だれかと魔法で戦うことははじめてではなかったが、泉にこれほど大きくて重要な役割が与えられるのははじめてだった。


 そのことにいちばん不安を覚えるのは、ほかでもない泉だ。

 もし自分が大輔の立場だったら、絶対に自分にはそんな仕事は任せないと思う。

 しかし大輔は、これは泉にしかできない仕事だ、と言って泉を指名した。


「で、でも、先生、あの、わたし、ほんとになにもできないんです」

「大丈夫だって。おまえならできる」

「でも――」

「いいかい、岡久保。ぼくが義理かなにかで作戦の重要な部分をできもしない人間に任せると思うか?」

「う……そ、それはその、しないと思いますけど。でもあの、ほんと、わたし失敗するかもしれないし、っていうか多分失敗するし、だからあの」

「大丈夫、ぼくを信じろ。この大天才大湊大輔が、岡久保泉ならやり遂げると判断したんだ。この大天才大湊大輔が、だぞ――おいえらく疑わしい目だな」

「い、いや、そういうわけじゃ」

「絶対に大丈夫だ。失敗なんかするわけない。ぼくは、おまえならできると思うからこの作戦を立てたんだ。できないかもしれないっていうリスクがあるならこの作戦を選んだりしない。新世界にきたばっかりのおまえたちならともかく、いまのおまえたちなら、ぼくが考えた作戦を完璧に実行できる。大丈夫だよ、岡久保」


 大輔は泉の頭にぽんと手を乗せた。

 するとすかさず紫が割り込み、泉の身体をきゅっと抱きしめる。


「先生、泉が抵抗しないからってセクハラはどうかと思います。全宇宙的に気持ち悪いです」

「全宇宙的に!?」

「大丈夫、泉? セクハラされてかわいそうにね、気持ち悪かったよね。あいつ死ねばいいのにね」

「おい神小路、がっつり聞こえてるぞ。ぼくの耳は天国耳だからな」

「……なんですか、天国耳って」

「地獄耳の反対だ。性能は同じだけど、地獄耳とはちがって自分に都合のいいことがはっきり聞こえるようにできてる」

「あー、先生らしくて素敵ですね」

「眩しい笑顔で棒読みすんなよ。とにかく、岡久保、絶対に大丈夫だ。失敗は絶対にあり得ないし、万が一失敗しても、ほかが全部成功してればすぐに助けてやれる。心配することはなんにもないんだよ」


 泉は、とにかくこくりとうなずいた。

 しかしそれで不安が消えるはずはなく、紫は泉の身体がぷるると震えたのを感じ取って、大輔に向き直った。


「先生、失敗はしないかもしれませんけど、危険はあるんでしょう?」

「まあ、どんなことにも危険はつきものだ」

「なんとか泉を危険がない役割に変えてあげられないんですか」

「今回は人数的に余りが出ないんだよ。みんな同じくらい危険だし、同じだけ重要だ」

「わたしと代わるとか」

「神小路の役割は判断力が必要になるし、下手したらいちばん危険だぞ。それでもいいのか?」

「う――」

「あ、あの、ありがと、紫ちゃん。でもわたし、がんばってみるから」

「泉――ほんとに大丈夫?」


 紫は泉の頬に手を触れ、じっと瞳の奥を覗き込んだ。

 泉は、今度こそしっかりうなずいた。


「大丈夫。わたし、がんばる」

「――そう。じゃ、お互いがんばろうね。もし危なかったら、真っ先に逃げていいから。あと敵に襲われたらそこらへんにる先生を盾にすればいいし」

「おい」

「別に敵に襲われなくても気に食わなかったら先生殴ってもいいし」

「おいおい」

「うん、わかった、そうする」

「わかったの!? ああ、ぼくの唯一の希望だった岡久保までが……」


 泉は野原のなかに身を隠しながらそのやり取りを思い出し、ちいさく笑って、すこし緊張をほぐした。


 なんといっても、もう作戦は動き出している。

 いまさらやめるという選択肢はなく、引き受けた以上、やるしかないのだ。


 泉はいままで、自分ではなにもできないと思い込んでいた。

 だからみんなが仕方なく守ってくれるのだと、自分が前に出ては迷惑がかかるから守られていなければならないのだと心のどこかで思っていたが、それは単に自分の可能性を殺していたにすぎない。


 守られていたのは、自分が後ろにずっと隠れていたせいだ。

 なにもできないのは、なにもしなかったせいだ。

 できもしないことをやろうとして、結果的にみんなに迷惑をかけることになっても、泉は自分のためにやってみなければならないと感じていた。


 いま迷惑をかけて一歩前に踏み出してみるか、いまは後ろに引っ込んでこの先ずっとただ守られるだけの存在でいるか。

 そう考えてみれば、比べてみる必要もない。


 せっかく新世界というまったく新しい場所にいるのだから、地球にいるときとなにも変わらないのではもったいない。


 泉は、せめて自分に与えられたことくらいはこなそうと決心する。

 失敗してもいい、ではない。

 絶対に失敗はしない。

 役割は必ずこなし、作戦は絶対に成功させる。

 失敗してもだれかが助けてくれるとは考えず、失敗したら自分はもちろん仲間全員が危なくなると考えて、自分を追い込んでいく。


 泉は正直、イオリやミナギをそこまで助けてあげたいとは思わなかった。

 彼らが困っていることはわかるし、それをなんとかしてあげたい気持ちもあるが、所詮はまだ出会って数時間の間柄で、自分や仲間の命を賭けてまで助けてあげたいかといえば、そうではない。

 泉は、自分は燿のようにはなれないとわかっていた。

 出会ったひとすべてを愛し、そのひとたちのために行動するなんてできそうにない。

 しかし大切な仲間くらいなら、命を賭けて守れる。

 守りたいと思える。


 いままで守ってもらった分、ここでしっかりと自分の役割を果たし、恩返ししなければならない。


 泉は野原のなかで膝を抱え、じっと町のほうを見つめていた。



  *



 大輔とイオリは並んで立っていた。


 場所は野原の真ん中、町からもそれなりに離れた位置で、ここでなら暴れても町に被害はないだろうという場所である。


「しかし、ダイスケ殿」


 イオリはまっすぐ前方、遠くに霞む町のほうを見ながら言う。


「なぜ、拙者たちに協力してくれるのでござる?」

「ん? なんでって言われてもな」


 大輔もぽりぽりと頭を掻きながら、町のほうから視線を外そうとはしなかった。


「そりゃあまあ、いろいろな理由によってだ」

「いろいろな理由とは?」

「まずひとつ、きみの同行者が姫だったから、だ」

「ふむ」

「姫さまを助けときゃ、町でなんか優遇してくれるかもしれないだろ? 実際、金を出してもらったし」

「ううむ……しかしそれは、兄上たちをおびき出す作戦のためでござろう。派手な衣装を見繕うのに必要だっただけで、ダイスケ殿が得をしたわけでは」

「それに、情けは人のためならずって言うしな」

「む、なんでござる、それは」

「あー、ぼくが住んでた国の言葉だよ。情けはひとのためじゃなくて、まわりまわって自分のためになるって意味。つまり、ひとに親切をしてると、まわりまわってだれかの親切として自分に返ってくるんだ」

「ほう。なかなかよい考え方でござるな」

「ほどよく打算的でいいよな。個人的に好きな言葉なんだ。だから、とりあえず親切をできそうな相手には親切にしておく。それから、まあ、これがいちばんでかい理由だけど、七五三がいるからな」

「ヒカリ殿でござるか」

「あいつは、ある意味特殊能力があってな。だれとでもすぐ仲良くなれるし、どんな人間にも同情できて、どんな人間にも愛情を注げる。ひとのためになにかするってことがまったく苦にならないどころか、楽しくて仕方ないって人間なんだよ。ま、変態といって差し支えない」

「へ、変態でござるか」

「七五三はそういうやつだから、きみたちを放っておいたりはしない。んで、あいつは一度言い出したらひとの話をまったく聞かない。結局はあいつの言うとおりに動くしかないんだ」

「なるほど、少々わかった気がする……拙者と姫さまの関係にすこし似ておるのかもしれぬ」

「あのお姫さまに?」

「姫さまは、まあ、ダイスケ殿のご存じとは思うが、あのような性格をされておられる」


 ああ、と大輔はうなずく。


「たしかにあのような性格だな」

「巷でも、わがまま姫だとか、自己中心姫だとか言われておるが、あの方は決して悪い方ではないのだ。姫さまは姫さまなりにこの国のこと、ご自分のこと、民のことをお考えになられ、ご自分が正しいと思ったことだけを実行しておられる。ときにはそれが間違いだということもあるが、姫さまのそうしたやり方自体は、拙者は決して間違えているとは思わぬ。いままでやってきたことをただ繰り返すだけではない、よりよくするにはどうすればよいかということを考え続けることが、将来的にはこの国のためになるのではないかと思うのだ。だから拙者は、姫さまの命令にはすべて従う。それが姫さまが悩みに悩んで出された結論にちがいないと信ずるからだ。それは、ダイスケ殿とヒカリ殿の関係にも似ておるような気がする」

「なるほどなあ……たしかに、そうかもしれないな。いや、ぼくもわかるよ。お互い、不器用な人間の子守は疲れるよな」

「うむ、まことに――いや、姫さまは決して不器用ではござらんが」

「じゃあ、イオリ、今回の家出騒動にもなにか理由があってのことだと思うのか?」

「う、うむ、理由はあるとは思うが……」


 しかしイオリも、それは引っかかっているところだった。


 普段から自由奔放で突拍子もないミナギではある。

 しかしそれはある意味仕方ないことで、ミナギは決してだれにも弱音を吐かないし、苦労している姿を見せない。

 あれこれと思い悩む姿を見せないからだれもが「突拍子もない」と思うのであり、ミナギにとっては熟考に熟考を重ねたものなのである。


 今回の家出も当然、ミナギとしては考えに考え、それしかないと思ったから行った行動にちがいない。

 しかしイオリにはその真意がよくわからない。

 ミナギが家出することにより、いったいなにが変わるだろう。

 王位継承順位一位のミナギがいなくなるのだから、国の体制は大きく変わらざるを得ないだろうが、それが国のためになるか否かというなら、とても国のためになるとは思えないのだ。


「し、しかし、拙者は姫さまを信じておるゆえ」


 真意はわからなくとも、すくなくともミナギにとっては絶対に必要な行動なのだ。

 それだけはイオリも心から信じていた。


「たとえ兄上たちと戦うことになっても、拙者は姫さまの命に従う――しかしダイスケ殿、兄上たちは、本当にお強い。それをあのような少女たちに任せてもよいのか?」

「大丈夫だ、ちゃんと策は授けてあるし、罠もばっちり張ってある」


 大輔はにやりと笑い、意味ありげにズボンのポケットをぽんと叩いた。


「それに、兄弟のなかでいちばん強いのは長男なんだろ?」

「うむ、それは間違いない。マサル兄がもっともお強い」

「そのマサルは、ぼくときみで相手をする。二対一だし、戦場はこっちの陣地だ。万が一にも負けるなんてあり得ないね」


 相変わらず、大輔は自信が満ち溢れた態度だった。

 大輔にしてみればそれに見合った準備はしてきた、ということなのだろうが、イオリからすれば、その準備というやつがまた奇妙だった。


 地面になにやら図形のようなものを描き、少女たちがそのなかで手をつないだり、なにかを唱えたりするだけで、具体的になにを用意したわけでも、なにが変化したわけでもないのだ。


 本当に大丈夫かと思う反面、イオリは大輔をできる限り信頼しようと決めていた。

 いっしょに戦うなら、その信頼はなによりも大きな武器になる。いっしょに戦う相手を信じられないのでは敵がふたりいるのと変わらないのだ。


 ふたりはまっすぐ町のほうを見ていた。


 イオリが、先に近づいてくる人影に気づいた。


「ダイスケ殿、きたぞ」

「よし」


 大輔はぱっと片腕を上げた。

 それが、野原のあちこちに散らばっている少女たちへの合図だった。


 イオリが気づいた時点で、向こうもイオリと大輔には気づいている。

 しかし焦らず、ゆっくりと歩いて近づいてきた。


 イオリは近づいてくる影にそっと息をついた。

 そしてようやく、自分が緊張していることに気づく。


 兄弟とは、もちろん稽古の手合わせはあっても、本気でやり合うことがない。

 つまり相手の本気、こちらをねじ伏せようとする力を受けることははじめてで、果たして勝てるだろうかとイオリは不安なのだ。


 上の三人の兄は、どれも優れた戦闘能力を持っている。

 それに加え、三人には奥の手もある。

 イオリも戦闘能力には自信があったが、いざというときの奥の手は使えず、通常の戦闘でも勝てるかどうか、というところだった。


「――ダイスケ殿」

「ん?」

「もし拙者が敗れても、どうか姫さまを頼む」


 大輔はちらりとイオリの横顔を見て、そっけなく言った。


「いやだね」

「かたじけ――い、いや? いやと申したか」

「うん、いやだ。だって別にぼくが仕える姫ってわけじゃないし、あの性格だし」

「た、たしかにダイスケ殿にとってはよその国の姫かもしれぬし、あの性格ではあるが、し、しかし――」

「そもそもぼくはわがまま娘は苦手だ。だから世話はできないよ。きみが負けたら姫は路頭に迷うことになるね」

「だ、ダイスケ殿!」

「だから、きみは負けられない」


 大輔はイオリの背中をぽんと叩き、口元を歪めた。


「負けてもなんとかなると思うより、負けたら終わりだって思いながら戦うほうがいいだろ?」

「む、むう――ダイスケ殿はいつもそうして戦っておられるのか?」

「だいたいは、そうだ。なにしろぼくのほかに戦力といえば子どもが三人だからね。一回足りとも負けられない。負けたらその時点ですべてが終わりだと思うから、いまのところ負けなしでやっていられる――さ、きたぞ。ここからが本番だ」


 三人の影は、もうそれぞれの顔がわかるほどに近づいていた。


 イオリはうなずく。

 ここからが本当の戦いなのだ。

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